⑤告白夜行練習
別にいきなりでごめんとは思ってないけど、キミのことがずっと前から好き。
キミのすらりと伸びた黒髪。わたしより背が高くて、麗らかに整った身体。ふとした時に弛緩する表情。キミの全てが好き。上から下までキミが好き。だけど一番好きなのは、一人で居るわたしに話しかけてくれる優しさ。
キミと出会ったのは中二の夏。今も鮮明に思い出せる。生徒会で招集されたわたしが用務室で荷物を取り出していた時、キミはグラウンド方面からランニングウェア姿でわたしの元へ走って来た。用務室の隣の小さい花壇まで走ると、キミは近くの物置小屋の陰に隠れるように移動してその壁へと寄りかかった。見た目からして明らかに部活中のキミが校舎の辺境にやって来たものだから、その時わたしは扉の脇からついじぃっと見つめてしまった。しばらくしてわたしの視線に気付いたキミは、ばつが悪そうにしながら、部活をサボりに来たんだと言って初対面のわたしに笑いかけた。まさに活動中のわたしは、部活とはそう簡単にサボって許されるものなのだろうか、そもそも何の部活なのだろうと謎を深めると同時に、キミへの興味も抱いた。これが初めてキミに想いを寄せた瞬間だった。その後もわたし達は、わたしが仕事をしてキミが日陰で涼むという状態を維持しながら、雑草ばかりの花壇越しに途切れ途切れの会話を紡いだ。僅かな時間だったけれど、キミとわたしの数メートルの距離は何かの繋がりが生まれた気がした。わたしが任務を完了させて指示通りの物を手に持つと、休憩を充分満喫したらしいキミは私も行くかと壁から離れ、生徒会室に戻るわたしと並んで歩いた。二言三言の言葉を交わす間に校舎の入口へ着き、立ち止まったわたしが行先を告げると、じゃあねと言ってキミはグラウンドに駆け出して行った。結局何部か尋ね損ねたけど、後ろから見た走り姿から陸上部かサッカー部かなとその時は予想した。校舎の階段を上っている最中、綺麗な人だったなぁと別れた後になって思った。
そして今、わたしは高二の夏に差し掛かっている。今日は一学期が終わる二日前。明日の終業式が終われば夏休みになってしまう。生徒会活動はあるけれど、キミの顔を見る機会は確実に減る。普段の夕方の活動だと室内からグラウンドにいるキミを眺めることもできるのに、これからはお互いに時間がずれるため滅多に見れない。通常授業を惜しく思うのは、今や休み始めの恒例行事となりつつある。
昼休み、わたしは一人教室で敷物とお弁当箱を広げる。窓から一列間隔を置いた席で、箸を握る。周りはがやがやとお喋りに花を咲かせている中、わたしはいつも通りの小一時間を過ごす。生徒会に所属していると言っても中学からの流れで半ば強制的に継続されられているに過ぎないわたしには、これと言ったやる気や熱意がない。ただ任された職務を全うするだけの日々で、生徒会役員、クラスメイト含めて親しい友達を作ることもない。消極的な内容の学校生活を送っている。だけどそんな毎日を苦には思っていない。それはもちろんキミがいるから。あの夏初めて出会って以来、わたしの頭から離れないキミが。
実際にはキミと顔を見合わせる頻度は少ない。キミは放課後になると直ぐに走って部活に行くから教室で待ち構えるのは難しい。部活中のキミを観察しようとしても、この学校のグラウンドは遮蔽物が一切なく全体に緑の人工芝が敷かれただけなので悪目立ちを回避するには校舎から俯瞰することが必然となる。生徒会室はその点で便利だけど、逆にそれしか長時間キミを見る方法がない。廊下ですれ違ったり体育祭や文化祭で遠くに発見したりする時でも、キミは大体近くに居合わせた友人と談笑しているため正面からの顔が覗けないし、あと少し嫉妬する。好きな人に限って手の届かない所にいる状況が焦れったい。一方でそのもどかしさが燃料にもなって、キミへの気持ちは上昇する。
わたしがキミを好きだと自覚したのは一体いつだろう。敢えて言うなら中三の時期だろうか。中二の頃も中二の頃で、今思えば好きと等しい感情でキミを見ていたはずだけど、今よりかなり曖昧な心持ちだったと思う。人を好きになることに言い知れない抵抗感があったというか、一概に言ってしまえば思春期だった。好きを認めたらその人にわたしの一生を捧げなければならないのではと考えて、不安定な足場から逃げるように恋愛感情を排していた。けれど学年が上がるにつれ、将来設計をある程度想像するようになると、精神に安定が生まれた。余裕が出来た。要するに、親の保護下から抜けて自分を自分で管理するようになった。その成果は目に見える記録には表れていないけれど、わたしの心には確かに影響を及ぼしている。わたしのキミへの想いは、明るい輪郭で照らされている。
しかし今は昔話を懐かしんでいる場合じゃない。何とか夏休み前にキミと一度会って話しがしたい。キミにわたしの印象を植え付けたい。なあなあな関係のまま夏休みに入る訳にはいかない。他の大勢の友達とは違う、ちょっとだけでも特別な相手になりたい。そのために取るべき作戦を頭の中から絞り出そうと、腕に顎を乗せてみる。けれどアイデアの水滴は降りてこない。未だ綺麗さっぱりな一善の箸を頭脳に見立てて、かちかちと箸先を弾く。かちかちかちかちと調子を刻んでいると何だか時計の針みたいだと思えてくる。そこで教室の時計に目にやったところ、昼休みが終わり間近なことに気付いた。これはまずい、と危機を覚え、満席満員の箱庭に箸を刺しながら急速に続々と口に詰め込む。キーンコーンカーンコーンと予鈴が響く時刻に合わせてちょうど食べ終えたわたしは、箱の包みを復活させ、締めに水筒の中身で喉を洗い流す。結果、昼休み中にキミと会うための良い策を思いつくことはできなかった。こうなったら授業中板書を取る合間を縫って模索する他ない。どうせ普段から授業なんて右耳と左耳の鼓膜を突き抜けている。キミのことを考える方がわたしにとって有意義だ。そう思いながら鞄の奥に弁当一式を仕舞い、入れ替わるようにノートと教科書を引き出す。形式上の勉強用具を揃えて当たり障りの消えたわたしは、そうして本鈴と共に午後の授業に臨んだ。
六限が終わり教師がドアから出ていくと、わたしも席から立ち上がる。蟻の巣のように張り巡らされた席の隙間をなるべく最短ルートで渡り抜け、階段に近い方の扉から教室を出る。駆け足で廊下を滑り階段を上った一つ上の階の教室の前で立つ。幸いにも教室内はまだ授業中だった。
すると教師より先に、キミが手前のドアから出てきた。慌ててキミに身体を向け、部活に走り出そうとするキミへ声を叫ぶ。
「先輩!」
呼ばれたキミは振り上げた脚をぴたっと止め、発信源のわたしに気付く。わたしの方を見て、頭上に疑問符を浮かべる。今まで偶然により出会うことはあっても、自主的に会いに行くことはなかった。キミが不思議に思うのも当然だ。そしてこれはわたしにとっても未体験の領域だ。キミに見つめられて、身体が宙に浮遊するような心地さえ覚える。緊張が荒波を立てる。奥歯が震える。
だけど勇気を奮い起こして、言葉を吐く。
「あ、あの、」
言い淀んで、頭が命令する。早く言え、と。言わないと、キミがここから去ってしまう。このチャンスを逃したら次はないかもしれない。言わないと、言わないと、言わないと言わないと言わないと言わないと言わないと。
そして言った。
「す、好きです!」
瞬間、頭が純白に染まる。何を言ったのか、分からなくなる。何故言ったのか、考えなれなくなる。「応援しています」と出るはずだった口からの音声が、何がどうなって変わった。心の根底が直接現れた。キミに漏れた。混乱が頭を占拠し、内側から熱くなってくる。内臓が変色してゆくような温度の高揚に身が捩れる。熱い、熱い熱い、恥ずかしい。棒立ちの直立姿でわたしを見てくるキミ。何を言われたか分からないという顔をしているけど、言ったわたしもよく分かっていない。好きなのは確かでも、ここで告げるつもりじゃなかった。なのに告げてしまった。もうダメだ、ダメだダメだダメだダメだ熱い熱い熱熱熱熱。
「嘘です!!!」
耐えきれなくなって、その場から逃げた。廊下を走って階段を下って、逃げた。急いで教室から鞄を拾い、グラウンドに行くはずだったキミより早く学校を出る。
夏の日差しが迎える中、汗だくになりながら家へダッシュした。
家に着いて、即刻部屋に篭もる。お母さんのデザートを誘う声も遠慮してベッドの隅に
突然前触れもなく好きと言って、キミを狼狽させた。わたしにとっては特別なキミでも、キミにとってはわたしなんて他山の石かもしれないのに。しかも言うだけ言って逃げてしまった。今頃変人か危険人物に認定されていてもおかしくない。だけど最も恐れられるのは、忘れ去られていること。嘘と誤魔化したとは言え、好きと言い放ってきた相手を忘れるならば、わたしがキミにとってどれだけ取るに足らない存在なのかが判明してしまう。だからキミの頭にわたしの欠片でも残ってくれていれば過程がどうであれ結果オーライなのだけど、やっぱり忘れて欲しいという思いもわたしの中にある。矛盾した願いが胸に苦しい。
元々はあんなことを言う予定ではなかった。キミの高校最後の部活を応援しようと思っていた。五六限を使って熟考していたことだ。もちろん激励の意思は今尚あるけれど、キミと会ってキミにわたしを印象付けたいという魂胆も込めて切り出したら、慣れない積極性が裏目に出て下心の部分だけが露呈してしまった。言った直後のキミの素顔を回想するだけでも心が掻き乱される。布団の端っこを掴み、顔を擦り付け、何とかして恥ずかしさを紛らわす。
それでも先刻の追憶は止まらない。思い返すと、誰かに対して好きと告げたのは初めてかもしれない。事故みたいな告白だったけど、告白には違いない。そもそもキミ以外に好きな人が出来たことはないから、当たり前と言えば当たり前だ。キミ以外には昔と変わらない
動いた拍子に窓の外を一瞥すると、既に日が暮れていた。夕暮れの雲が彼方で揺らめいている。夏らしい雰囲気漂う空だ。そんな景色を眺めていると、今日明日の生徒会活動が無いことを今更思い出した。何も考えず一目散に帰宅したけれど、問題はなかったようだ。安心しつつシーツに転がった自分の髪に目を移したら、不意にキミへの愛しさと切なさが溢れてきた。来年でキミは卒業する。卒業後には二度と会えない可能性もある。今この瞬間はキミと同じ場所に居れる貴重な時間だ。ベッドに寝転んでいる時間も勿体ないかもしれない。将来後悔するかもしれない。
もうこの際、本気の告白、してみようかな。
発想した途端、皮膚がぎゅっと熱くなる。布団とシーツの間でわたし製の熱気が舞い上がり、辛抱できずに布団を放り投げる。告白する、わたしが。今日のあれでさえ頭が炎上事態だったのに、できるのだろうか。未来図を描写するだけで朱色の苦悩に陥り、スプリングの上をぐるぐる回ってしまう。もはや回らざるを得ない。ぐるぐるぐるぐる身体を転がせば頭も回転してくれると信じてぐるぐるぐるぐる。
五十往復した時点で、動作を止めた。白い天井を見上げて、いよいよ決意した。
明日、告白する。
わたしの想いを、伝えよう。
このまま最後の夏を終わらせたくはない。あやふやな関係を認めたままでいたくない。わたしの中だけじゃなく、キミの中にもわたしを宿していたい。消極的なわたしでも、好きな人まで逃すことはできない。鳥籠の雛を飛び立たせる時が、来たんだ。
三年越しの気持ちをキミに伝えて。
女の子にならせてよ。
翌日、終業式と軽いホームルームを終えたわたしは、再びキミの所へ向かった。
大丈夫、夜行練習は済ませてきた。昨日の夜、必死にこれからの行動をイメージしてきた。何通りものシチュエーションとキミの反応を予想して、万全の心構えを作ってきた。怯える要素は一つもない。
キミのいる教室の前、廊下の真ん中でキミを待つ。教師の声が遮られ、静寂の流れる廊下でキミを待つ。まだかまだかとキミの姿を思い描いて深呼吸を繰り返す。その間、準備してきた言葉を何回も脳内で再生する。長い長い一秒を、積み重ねていく。
そうして待ち続けていると、教室の扉が開いた。
他のどの生徒が出てくるよりも早く、今までで最も長い一秒を空けて、キミが出てきた。
「先輩!」
その瞬間、昨日と同じ台詞を投げる。
向かい合うキミは、昨日より落ち着いた表情でわたしを見ている。キミの視線が、わたしを貫く。
高鳴る鼓動を抑えて、わたしは顔を上げた。
そして、真実を吐いた。
ずっと前から好きでした。
キミは教えてくれた。
こちらこそ、って。
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