⑧やる気のない花

私は姉の傀儡だ。

「脱げ、全部。」

姉の言葉に従うしかない、浅慮な奴隷。

私自身、馬鹿だとは思う。抵抗しようとすればできるだろうに、実行には踏み出せない。幼い顔立ちを表して、されるがままに。情けないというよりはどうしようもない。心に抱く感情は諦めの部類だ。

「早くしろ。」

言われて焦り、制服のリボンを外す。紐解かれてゆく紫色を床に捨ててワイシャツのボタンに手をかける。下から一つずつ外すと前面が露わになる。捻った肩から襟を通し、ワイシャツを脱いだ。

「下も脱げ。」

言われずとも向けていた腕をスカートへ伸ばし、留め具の解放に尽くす。緊張と緊迫で戸惑いながら締まりを緩める。そのまま重力に委ねるように真下へ下ろす。音も立てず落ちるのはこれで二枚目となる。

下着だけになった。羽織っていた衣服は一寸の足先。閉鎖された空間の中、勢いの消えた風が肌をそよぐ。窓もないのに大袈裟なほど広い部屋で、上下に微々たる布を纏う私と、冷たい光を宿す姉。私を見廻して目尻が歪曲する。鋭利な視線に刺殺され、ビクリと身震いする。寒気を覚えて腕を交差させると半裸の身体の火照りに気付く。無自覚な体温上昇に、行き場を失くした両腕が肌を滑る。

「よし。こっち来い。」

姉が命令する。椅子に坐ったまま強制する。反抗の意思は空気に溶けた。裸足を薄黒い道に擦らせてそろりそろりと歩く。私の情けない姿を撮った写真が一面に貼られた壁とその前に座る姉の元へ。

濃縮された時間を越えて手の届く距離まで近付くと、姉と真正面から対峙する。

ひざまずけ。」

吐き捨てるように言い、私は身を屈める。布を纏わない分摩擦の少ない身体を曲げて膝をつく。下から連動させるように腰から首にかけての半身を背骨に沿って丸め、お尻を後ろに突き出す。動物的な格好だ。

「舐めろ。」

しかし飼い慣らされたペットは自己満足に終われない。飼い主様を満足させなければ生存の道はない。斜め上から射光と共に令する姉が組んでいた脚を外し、私の眼前へ一直線に伸ばす。凄まじい圧力が上目に広がる。ストッキングに覆われた姉の脚を眺めて、固唾が滞る。唾液が飲めない程緊張し、唇から漏れそうになる。この状況は生きるか死ぬかに等しい。従順な犬になれば救いは有り得るが、強情な猫になれば絞め殺されて終幕だ。選択の中、死ぬことすらできない私は黙って顔を上げる。邪魔な前髪を掻き分けて、姉の顔と脚先両方が見上げられる角度に調整する。

口を近付ける。高圧的な風体に壊されてしまいそうな瞼を何とか拡張して正面の親指に向ける。一センチにも満たない間隔まで詰め、咥内に縮まる舌を釣り上げ、 出す。

舌の先端が、爪に触れた。瞬間舌を離すと接触部分が暗色に色変わりしている。じわぁと気化していく繊維に意識を奪われそうになる。しかしあまり動きを止め続けていては怒鳴られてしまうので、直ぐに舌の運動を再開する。やはり触れた箇所はじんわり濡れていて、何処か禁忌を犯しているような気分になる。

最初は親指の裏側を中心に舐める。室内を無音にしたまま舌先を前後左右に回す。薄い布の膜を舌表面の水分に浸せば、その奥に潜む肌の質感が確かに伝わってくる。布は無味無臭だけど、生身の方は強いて表現するなら人間の風味と言った感じで、不思議に覚える。学校や街中では絶対味わえない口当たりだ。美味しいか不味いかと聞かれたら、美味しい。舌の旋回が止まらない。一方で舐め続けるにつれて否応なしに段々と痺れが重なってゆく。五本の中でも親指は最も体積が大き上に、今私が頭と舌の筋肉のみで行為に及んでいるからだろう。腕は膝横の床に乗せているが、絶妙に高い位置にある脚を舐めるには支えとして十分でない。だからと言って姉が腰を預けている椅子に掴まれば蹴られなじられ踏みにじられるのは明白だ。最も有力な手段は姉の脚に直接しがみつくことだが、これもまた姉にとって是であるか非であるか判断が難しい。そう思考を巡らせながら親指を全面的に湿らせていると、提示して以来微動だにしていなかった脚がゆっくりと私の方へ近寄った。舌のみで接触していた親指が唇に当たり、前歯に掠れ、咥内へ入る。「もっとやれ」という意図だろうが、「掴んでもいいから」という前提が込められている気もする。真意を推し量るため目線を送ってみても、姉の表情に変化はない。だけどもう筋肉は分離の瀬戸際だ。掴まるしかない。姉の機嫌を損ねないよう慎重に腕を昇らせる。徐々に高度を重ねていき、長い脚の中腹を両手で囲む。そして念願叶い、握ることができた。握らせてもらえた。

その瞬間。

「うがぐぁごっ」

唐突な衝撃に脳が破れる。意識が飛ぶ。仰け反る間もなく呻き声だけが滲む。何が何を何に、何どれ何何何何、混乱して惑乱して撹乱される。頭蓋骨の状態異常が血肉を沸かす。異常が通常へと意義を変えて初めて認識する。脚が、喉を殺した。姉の足首から爪先までの約半分が口の中に埋まり、喉奥に爪が突き刺さった。皮膚の千切れる触覚と味覚が冴え渡り、脳天を貫かれたような痛みに耳鳴りが激しい。口周りは完全に塞がれ、鼻腔経路で薄い酸素を吸う。窒息と苦痛で反射的に手が脚を離れようとする。曇りがかった眼球の上辺で何とか我慢し、縋る思いで脚を握りしめる。姉の顔も薄ぼけてまともに眺望できない。だが何一つ感情の機微がないだろうことは簡単に想像できる。一瞬の追突以降姉の動きは見られないが、力の格差を表すように圧力が累積する喉奥に押され、私の頭部がずりずりと後ろへ引きずられてゆく。このままではまた突かれるかもしれないと畏怖し、両腕に倣って首筋にも張力を強める。加えて舌の挙動を鳴り止めないよう、隙間の少ない咥内で必死に掻き回す。最早舌先は上擦り、根元部分でいらう状況だ。未接触だった人差し指から小指までも行き渡らすと、歪なピアノを弾いているように思えてくる。どうしても舌の届かない母指球付近は拙いながらも下唇で這いずり、足の甲も同様にする。歯だけは絶対に立てないよう口腔粘膜まで用いて唾液を供給する。姉とストッキングの香味に混じって時々私由来の血の塊が匂い立ち、生命として非常に興奮する。

貪るように咥えていると、「どうだ?」という姉の声が鼓膜に響く。幻聴なのかもしれないがその分別は必要ない。

「おり、りゃら、おいしりれす……」

ただ自分の熱狂した近況を伝えるために、胃腸の底から声を出す。「ぐぃ、ぼっ」声に釣り上げられて液汁と二酸化炭素の絡んだ無様な音が鳴る。それに構うことなく、むしろそそられて口をつくねる。唾液の分泌と枯渇を繰り返す毎に皮膚と皮膚の粘付きが顕著になり、姉の皮脂をねっとりと洗い流す。いつの間にか姉の指先や指の間には汗が生まれていて、これを逃すほど私は愚かではなかった。微かな甘さと酸味が舌先で踊り、それを飲み込むと直接脳に栄養が植えられるようだ。一滴残さず味わうべく、顔全体を利用して揉みしだく。あまりの美味に三半規管が頭上で一回転するイメージを描く。

もっと欲しいと心が叫んで、脱臼寸前まで顎を拡大する。次に自分が前進しているのか姉が前進しているのかどうでもよくなるくらいに、脚先と喉奥の距離を狭める。本能の赴くがまま、両腕を手元に引き寄せる。そうして姉の指先が、ついに食道の入口へと達した時。

「もういい。」

輪郭のない姉から音が聞こえる。今度は幻聴だと確定して、引き続き脚を押し込める。

「もういいつってんだろ!」

姉の怒声が部屋中に反響する。幻聴ではないことを悟って、脚先を元の位置へ戻す。唾液が私と姉の間で糸を引く。徐々に眼球の煽動が安定してきて、姉の顔がクリアになる。

「それ以上したら窒息死するだろ。」

姉は今までピクリともしていなかった表情筋を僅かに働かせて言う。そんな姉の稀有な反応に、奮いの収まらない私は「でも、」と言いかけて中止する。この発言は誤っても心配ではなく、奴隷としての命令だ。ならば私が欲求不満に思うと思わまいと大人しく従わなければならない。正直感情は波立つものがあるけれど、理性で精神を制御する。身勝手な傀儡は、役に立たないから。

「今日はここまでだ。」

そう言い放って椅子から立ち上がり、部屋を出ていく姉。

私は、相変わらず風の吹かない部屋で一人取り残される。

中途半端に開かれたカーテンを眺めながら、唇をなぞる。


あぁ、今日も気持ちよかった。

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