第5話快進撃

 カゼル達がアルトナー家の使者を連れてトラス城市に戻ると、すでに城内では次の軍議が行われていた。

 軍議と言っても、実際はトゥアルグ城市を出る前から作戦概要は決まっている。

 新たに参陣を表明したフォントーラ家の軍編成や指揮官の選定もほぼ終わっており、主な議題は現状況の新たに入った情報との確認など。

 それぞれ担当家臣からの報告を受け、何かあればその都度ヴァーゼルが新たな指示を行う。

 淡々と合理的に進行する軍議を前に、アルトナー家から来ていたヴァイスやラウロスは圧倒されていた。

「凄いな。フォントーラ家は……これぞ、本物の軍議だ」

 この軍議の末席にカゼル達共々、参加を許されていたアルトナー家のラウロスが密かに感嘆の声を上げる。

 父ドラスから毎度の様に、遅々として進まぬ軍議の話を聞かされているラウロスは、そんなアルトナー家とのあまりの差を知り、感心を通り越して感動となっていた。

 しかし、気にならない点がないわけでもない。

「これじゃ、家臣は自分も言える雰囲気じゃないし……不満とかそういうのは出たりしないのかい?」

 ラウロスの言い分はもっともだ。

 それに対し、カゼルはその理由を簡潔に説明してやる。

「もちろん、家臣全員からの絶大な信頼あってこの関係が成立する。だから父上は自分を磨き、そして家臣達への鏡となるべく日々を過ごしてるんだ」

「そうだよな。それがなくては、こんな軍議はありえない。一朝一夕でやれてる訳じゃないってことか……」

 ラウロスが、自嘲するような笑みを浮かべる。

 アルトナー家の無為な軍議は、おそらく自分達の世代であっても容易に変えることは出来ないのだと悟ったからだ。

「それに、大事な意見や情報はそれぞれの将官が個別に報告や進言をしているんだ。わざわざ軍議の時まで抱え込んでいるなんて、それこそ職務怠慢なことだからね」

 フォントーラ家の軍議では、ヴァーゼルが家臣達に意見を求めることはほとんどない。

 『我が家では議論の為の討議を行うことを禁ずる』と家訓にあるからだ。

 軍議とは、己の都合や立場を主張する場ではない。

 まして、他意でもって他者の意見を否定する場であってはならない。

 次の戦い、そしてその次の戦い……最終的な勝利へと自軍を導くことが主題であり、それ以外のことに無用な時間を費やすことは、それ自体が敗北の原因となると考えてるからだ。

「逆に言えば、主君や軍を指揮する者は与えられた情況を鑑みて、その時点での最善な方策を家臣に示さなければならない……」

「それが、家を統べる者の使命、か……」

 ラウロスは、自分に言い聞かせるようにその言葉を口にする。

「それに、全て父上だけで決めるわけじゃないよ。特に参謀を務める先代とは、ちゃんと目で会話している。家臣達も自分が判断を下す立場になった時、父上と同じ視点から状況を見て、適切な命令を即座に出せるように心掛けるようにって、常々指導されているんだ」

「(ほんと、イヤになるくらいウチの家との差があるよね……)」

 武家の格の差を見せ付けられて、ラウロスは一人溜息をつく。

 そんなラウロスの耳に、リーゼルの囁くような小声が聴こえてきた。

「……ちょっと、そんなに緊張しなくていいの。貴方の役割はもう終わってるんだから。気を楽にして、この軍議の流れを感じればいいの」

「そ、そうか。軍議の流れを感じる、か……」

 情けないことに我がアルトナー家の若君ヴァイスは、この軍議の内容の凄さにではなく、緊張で凝り固まっていたらしい……。

 リーゼルの方がヴァイスよりも年下なのに、まるで立場が逆である。

 軍議への参加が認められぬ従士のラウグやドラート達がもしこの場にいたら、さぞ笑いを堪えるのに苦労したことであろう。

 ラウロスはやれやれといった感じに肩を竦めるも、不意に妙な期待感が頭に浮かんできた。

「(もしかして、これは我がアルトナー家が変わるきっかけになるやも。ならば、自分がなすべき事はただ一つ……!)」

「すまない、カゼル。ちょっと急用を思い出した」

「うん? いいのか、最後まで見ていなくて」

 ラウロスは申し分けそうな顔をしながらも、カゼルに一礼をして、足早にその場を去っていった……。


 それから暫くして、フォントーラ家の軍議は終了した。

 作戦概要は、以下の二点である。


 第一に、此度の作戦目標であるブリアス城市までの障害を排除するのは、先鋒を命じられたヴァーゼル隊が引き続き担当する。

 また、トラス城市の戦力三千から、二千をこの先鋒部隊に編入。

 これにより、先鋒隊五千の陣容はこうなった。


 大将ヴァーゼル・フォントーラ (直衛一千)

 参謀アイゼル・フォントーラ  (ヴァーゼル隊に同行)

 副将リアルグ・マトーラ    (トゥアルグ家より借りた一千)

 副将レアルヴ・マトーラ    (リアルグに同じく一千)

 部将クーヴェル・フォントーラ (フォントーラ家より一千)

 部将ドルガン・ユヴァーグ   (ユヴァーグ家より一千)


 第二に、此度の作戦に参陣を表明した諸侯軍の合流地点をこのトラス城市とすること。

 本隊であるブリアス軍はすでにここを目指しており、また隣領であるアルトナー家には、この城に残した守備隊と共に守りを固めると同時に、諸侯軍の受け入れの準備を任せる旨、使者を送り出した。


 要害ではあっても規模はそう大きくない城市であるこのトラス城内には、総勢三万以上集まってくることになる諸侯軍はとても収容しきれない。

 それ故、城外に受け入れの為の陣屋を予め作っておこうというのだ。

 それだけでも、諸侯等の負担は軽くなり、参加する南領公陣営への印象が良くなる。

 良かれ悪しかれ、もてなしを受けた者は、何年経とうとも記憶の片隅に残っているもの。それは庶民であろうと、王侯貴族であろうと同じである。

 全ては主君の為であり、祖父アイゼルはそういう気配りを得意としていた。

 むしろ当主であった頃より、息子ヴァーゼルの参謀を務める今の方が性に合っている様にも見える。

 粗方、参陣予定の軍配置を指示したアイゼルは、トラス城に残る宿老ディアルグにその引継ぎを行うと、自らも先鋒隊に加わった。

 再編成を終えた先鋒隊五千は、翌朝、トラス城市を出陣する。

 目指すは、ブリアス城市までの途上にあるバルーケ城砦だ。


 ちなみに、この中原世界では城下町を持つ城を『城市』と呼ぶ。

 現在ではその多くの城市が外壁を持ち、外敵から領民を守る構造となっている。

 一方で、古来から中原にある『城砦』は、周辺に村落などが点在する比較的人口の多い土地を選び、その近隣の山頂に城を築いたもの。

 当然、規模は城市が大きく、外壁を突破されても本城を取り囲む第二の城壁があるという二段構えの備えがある。

 元々は西の帝国で一般的だった城塞都市を中原風にあしらえたものであり、多くの兵や物資を蓄えられる為、籠城戦には向いているが守備範囲が広く、それだけ多くの守備兵が必要となる。また、当然ながら城内に住む領民達の支持が不可欠でもある。

 対する城砦は、大きな館を土塁で囲っただけの単純な構造だが、寡兵での守りに適しているのが特徴だ。

 自然の要害を利用していることもあって、攻める側は数や進路が限られる。

 野戦となる平原を見渡せるなどの利点から、防衛網の一環として、本拠地である城市の周辺に複数築かれることが多い。

 他にも、軍事的要地に恒久的な陣屋として築かれたのが『砦』であり、こちらは主に城市周辺の支城として配置されている。

 ヴァーゼル率いる先鋒隊が目指すバールケ城砦は、一大城塞都市であるブリアス城市を守る重要拠点の一つであり、三年前、摂政家側に鞍替えしたアダンニ伯が所有する城砦の一つでもあった。


 そのバルーケ城砦は、トラス城市開城の報をブリアス城市へ知らせると共に、急いで兵を動員し、籠城の構えを見せている。

「バルーケ城砦の兵は約一千。麓の村落から兵卒をかき集めたところで、一千五百がいいところ。一気に力押しをするのも手ではあるが、さてどうする?」

 アイゼルは、目前に迫った小高い山を見上げた。

 こういった攻城戦の場合、当初に作戦を立てても、思い通りに行かぬことが多い。

 ヴァーゼルの場合、いくつかの腹案を元に、地形や状況に合わて作戦を決めるのが常である。

 僅かに城砦の櫓や土塁などが垣間見えるが、それほど堅固な守りには見えない。

 力押しでも落とせそうに思えてしまうところが、また悩ましくもある。

「アダンニ伯は、臆病だが粗忽な人物でもある。軽く釣ってみようかと」

「そう簡単に、臆病者を釣りだせるかな?」

「餌が旨そうに見えれば。野良犬は我慢が利きませぬ故」

「なるほど、彼奴は野良犬か。ならば、しっかりと駆除してやらねば。民に迷惑かかってはいかんからな」

 そう言うと、アイゼルは愉快そうに笑いだす。

「カゼルよ。どうやらお前が適任のようだが、自信はあるか?」

「もちろんです。せいぜい旨そうに見える様、アヒルを演じて参りましょう」

 カゼルは、満面の笑みでその囮役を買って出ることを了承した。

 不服そうなのは、リーゼルである。

「殿! カゼルだけとはズルイです。私にも何かお役目を下さいませ!」

「こら、リーゼル。遊びではないのだぞ」

 即座にヴァーゼルによって窘められるが、横からアイゼルがそれを後押しする。

「良いではないか。どうせ、アレをつかうのであろう?」

 ふむと、暫し考え込んだヴァーゼルは、改めてリーゼルに問う。

「では、ちゃんと命令を守ると誓えるか?」

「もちろんですとも! 私は父上との約束を破ったことなど、ありませぬ!」

「約束ではない、命令だ。いいから二人共、よく聞いておけ」

 喜び勇む姉弟を前に、ヴァーゼルは作戦の説明を始めた。


 一方、バルーケ城砦を守っているのは、アダンニ伯の嫡子ヴァルモ・アダンニ。

 威勢だけは良く見せているが、その実、先年初陣を済ませたばかり。それも、摂政家の大軍を見て逃げ帰ってきただけに過ぎない……。

 当主であるコズモ・アダンニ伯はあいにく留守であり、城内は早くも不安に包まれていた。

「どうだっ! 見えたか!?」

「旗印はまだ良く見えませぬが、規模は三千。いや、もっといるかも……」

「ええい、まどろっこしい! それをよこせっ!!」

 城砦の物見櫓に登ったヴァルモは、物見の兵から遠眼鏡を奪い取ってそれを覗き込むも、物見の兵が言った通り、旗印も遠すぎて良く見えず、兵数を判別するのは困難であった。

「くそっ! 使えん道具め!!」

 ヴァルモは苛立ちのあまり、その遠眼鏡を投げ捨てた後で、貴重品であったことを思い出す。

 山中に消えてしまった遠眼鏡をすぐに兵達に拾いに行かせるが、土塁の先は崖下の山林であり、今はそれどころではないと側近に窘められてしまう。

「ええい、ごちゃごちゃとやかましいわ! それより、父上はまだか!? まったく……あんな叔父貴など放っておけばいいものを……」

 その叔父貴とは、アダンニ家当主であるコズモ・アダンニ伯の乳兄弟のこと。

 先日、帝国学院で行われた三道三志の試しの場にて、因縁をつけたカゼルに投げ飛ばされ、来賓達の前で赤っ恥をかかされた人物である。

 ヴァルモの父コズモは、幼き頃より一緒に育ったこの者を大切にしており、それがフォントーラの子に重傷を負わされたと聞き、わざわざ自身で迎えに行ったのだ。

「何が重傷だ。たかが、小指を折られたくらいでみっともない……!」

 ヴァルモは、イライラとしながら側近達にわざと言い聞かせるように、愚痴を吐き捨てた。

「ヴァーゼルが何だっ! 引きこもりのコーゼルに家を乗っ取られた分際で……来るなら早く来い! 目にもの見せてくれるわ!!」

 家臣の前では精一杯の強がりを見せるヴァルモだったが、内心では降伏……いや、和議の使者が来ないものか、明日にはそうであって欲しいなどと、都合の良いことを考えている。

 諸侯の嫡子と言っても、ろくな指導も受けずに甘やかされていた若者など、所詮はこんなものである。

 一度戦場に出れば、血気に逸って無為な討ち死にをするか、はたまた醜態を晒して遁走するか……。

 矜持だけは高いヴァルモは、何の根拠もなく、自分はそのいずれの道も選ぶことはない。あってはならぬことだと自分に言い聞かせて、怯えるその心を奮い立たせることしか出来ずに、寝所の中でギリギリと歯軋りを続けるのだった……。


 翌朝、ようやく寝付いたばかりのヴァルモは、側近達によって叩き起こされた。

「一体何事かっ! 敵襲でないなら、もう少し寝かせろ!!」

「若っ、それどころではありませぬ! フォントーラの子を名乗る者が城下に来ておるのです!」

「何っ? フォントーラの子だとぉ~!?」

 ヴァルモは、間の抜けた声で聞き返すと、重たい瞼をこすりながら慌てて物見櫓の上に立つ。

 すると、遥か崖下の山林の向うに朝日を浴びて輝く鎧にその身を包んだ騎馬武者が一人。その後ろには、数騎の従士らしきもの以外は、徒歩かちの兵が百人ばかりいるのみ。

 その程度の兵数で、一千以上の兵力のあるこの城砦が落とせるはずもなく、さりとて、この距離では矢玉を撃っても届きそうにはない。

 城砦の兵は、どうしたものかと皆、総出で崖下を覗き込んでいたのである。

 すると、崖下の騎馬武者は、何やら口元に漏斗じょうごの様な末広がりの筒を山頂の城砦に向けると、大音声だいおんじょうで声を飛ばしてきた。

「やあやあ、バルーケ城砦の諸君。昨夜は寝ずの番御苦労であった! 我が父ヴァーゼルからの伝言があるので、心して聞き給え!」

 聞けば、まだ子供の様に若い声。しかし、その颯爽とした身のこなしを見るに、フォントーラの子と言うのも本当のことかも知れない。

 舐められてたまるかとばかりに、ヴァルモも負けじと言い返す。

「フォントーラの子が何用じゃあ! 今更、和議の使者だとかぬかすんじゃないぞおっ!」

 しかし、帰ってきた返事はこうである。

「良く聞こえん! もう一度だけ聞いてやるから、もっと声を出してみよ!」

 ぬぬぬと歯を噛みしめて悔しがるヴァルモに、側近がすかさず、酒壺の底を割ったものを手渡した。

「おい……これ、何やら臭くないか?」

「いいから、早く言い返しなされ!!」

 渋々ヴァルモは、底の抜けた壺を口に当てると、ありったけの大声で叫び返す。

「これで、どうじゃああああ!」

「おお、聞こえた、聞こえた! では、今から申すことをよく聞いておけ!」

 崖下の騎馬武者は息を吸い込むと、再び漏斗じょうごに口を当て、大音声を響かせた。

「我等は武人である。巣穴に引きこもる野兎など相手にする謂れはない。戦う勇気もないのなら、とっとと降参すればよろしい。それとも我が軍の威容を怖れて、外に出ることも出来まいかっ!?」

 そう言いきると、その騎馬武者は、左右の部下と一緒に愉快そうに笑いだす。

「なんだとぉぉぉ小僧っ!! その減らず口を塞いでやるから、そこで待っておれっ!!」

 ヴァルモは叫び終えると、両手で持っていた壺を叩きつけて割る。そして、飛び降りるかの様にして物見櫓を駆け下りるが、そこで側近達に取り押さえられてしまう。

「若っ! あんな安っぽい挑発に乗ってどうしますか!!」

「行けば、どうせ伏兵がいるに決まってます!」

 伏兵と聞くと、父に似て臆病なところのあるヴァルモは、はっとした顔で土塁によじ登ると、すぐさま崖下の様子を見下ろした。

 すると、その生意気な騎馬武者の後方に広がるのは広大な草叢だけ……。

 もし、伏兵がいるなら、山頂にあるこの城塞からは丸見えのはずであり、朝日で照り返す鉄甲や刃の煌めきも見受けられない。

「一体、どういうつもりだ……?」

 ヴァルモは、手をかざしてヴァーゼルの陣屋を見るが、昨日と変わらず、すぐに打って出てくる気配もない。

 ヴァルモは何かを悟った様に、自身ありげに口元に笑みを浮かべた。

「ふふふふ……何がフォントーラの子だ。笑わせやがる」

 そして、自信ありげに土塁を下りると、訝しむ顔の家臣達にそれを説明を始めた。

「見よっ、彼奴の背後には伏兵もなし。こっちを徴発して釣り出すつもりだろうが本隊はあんなに離れておるわ。裏門から兵を出し、尾根伝いに隠れて回り込めば、苦も無く討てよう!」

 家臣達は、なるほどと手を打ち、若君の作戦を素直に褒め称える。

「しかし、どうも話が巧すぎませんか? あのヴァーゼル卿がそれに気付いてないとは……」

 側近の一人は、まだ釈然としない顔をする。

「臆病者は付いて来なくても良い。このオレが、直々にあの小僧を捕えて見せる。お前達は、敵本隊の動きをしっかり見張っていろ!」

 言い出したら聞かないところは、父親そっくりである。

 ついでに言えば、本人かどうかはさておき、叔父貴にいらぬ恥をかかせてくれた相手である。父が戻ってくる時に、そいつを吊し上げておけば、諸手を上げて感激するに違いない。

 珍しくやる気になった若君の作戦もそう悪くも思えず、側近達も勝負を掛ける気になった。

「よし、オレが正面から出てあの小僧の気を引くから、お前達は裏手から行け!」

 城の守りを任されていた部将達は三百の兵を率いると、裏門から慌しく出陣していく。

 それを見届けたヴァルモは、あえて相手と同じ百の兵を連れて正門から一気に駆け下りる。

 それに気付いた敵の騎馬武者が、兵を下げようと手を挙げるのが見えた。

「待て待てぇぇぇーいっ!! 小僧、せっかくこうして出てきてやったのに、もう逃げ腰か!?」

「ははは、そんな見え透いた挑発など、引っ掛かるものか!」

 若い騎馬武者は馬に鞭を入れると、一目散に後方に駆けだす。展開していた百の兵もそれに続いて後退していく。

 ヴァルモは逃げる敵兵をすぐに捕まえられる様にと、帷子だけの軽装兵を連れてきていた。その差はみるみる縮まっていく。

「こらぁ! 返せ返せ、臆病者めが! それでもフォントーラの子かっ!!」

「言ったな! よろしい、相手をしてやる!!」

 追いつかれると観念したのか、若い騎馬武者が兵と共に反転した時、右手に回り込んでいた別働隊の姿がヴァルモの視界に入る。

「(バカめ、これで勝ちは頂いたぜぇ!)」

 勝利を確信したヴァルモが突撃を命じた瞬間、信じられないことが起こった。

 突然、草叢が津波の様なうねりを見せたかと思うと、別働隊を一気に飲みこんだのである。

「ななな、何ぃっ!?」

 草叢のうねりから無数に突き出されたのは、草色の杭……いや、竹槍であった。それが、何百本という数が別働隊の兵士達に襲い掛かり、バタバタと倒れていく。

 竹槍を持っていたのは、青草で全身を包まれた兵士達。

 そこに伏せていたのはリーゼル率いる精兵五百。ヴァルモの別働隊を瞬く間に殲滅した伏兵は、まるで蓑を脱ぐかの様に青草の衣を捨てると、そのままヴァルモの部隊に矛先を向けてきた。

 唖然としたまま、その光景を見ていたヴァルモに、突然の衝撃っ!

「あ……あぁぁげはっ!?」

 首元にある子供の握りこぶしほどの僅かな隙間に刺さった矢は見事にそこを貫き、背中から鏃が突き出ていた。

 がくがくと体を震わせたヴァルモは、仰向けに倒れると、ずるずると馬からずり落ちていく。

 側近達の悲痛な叫びも、すぐさま巻き起こった剣戟によって聞こえなくなった。

「……ねえ、カゼル。これ敵の大将さんじゃないの?」

「そうらしい。捕えたかったけど、彼に言い忘れていた」

「わりぃ。随分と調子に乗ってたから、ついね……」

「まあ、仕方ないんじゃない? ここは戦場なんだもの」

 ヴァルモが最後に耳にしたのは、そんな若い男女の会話であった。

 急報を聞いてコズモ・アダンニ伯が、バルーケ城砦に駆けつけてきたのはその日の夕刻のこと。

 敗走してきたアダンニ家の兵士達からことの顛末を聞かされると、力なくその場にへたり込む。

 その視線の先には、バルーケ城砦にはためくフォントーラ家の旗印……。

 城主を失った城を陥とすなど、百戦錬磨のヴァーゼルにとって赤子の手を捻るより容易なこと。

 最早、なすすべもないアダンニ伯の一隊は迫り来るリアルグ、レアルヴ両隊の追撃を受けると、バルーケ城砦の残兵共々、散々に討たれながら退散するしかなかったのである。


        *         *         *


 その夜、ヴァーゼルの先鋒隊は、奪ったばかりのバルーケ城砦内にて、ささやかな祝勝の宴を開いていた。

 もちろん、その主役はカゼルとリーゼルの二人。

 特にトゥアルグ城市から参戦している郎党や従士達は、明日いっぱいまでの休暇を与えられており、その他の者達も交代しながらではあるが、それぞれ十分な休息が取れる様、手配されていた。

「いやいや、それにしても此度の城攻めは、久しぶりに爽快な勝ち戦でしたな!」

「姫様の伏兵が一息で敵を飲みこんだ時は、ぞくぞくするものがありましたぞ」

 リアルグ、レアルヴ兄弟が、豪快に笑い飛ばしながら酒を呷っては、互いに酌をし合っている。

「ちょっと! カゼルが囮で頑張ったのが抜けてるわよ!!」

「おっと、これは失礼。カゼル殿の啖呵も、実に見事なものでしたわい。あれならこのワシでも、うっかり乗せられて城を出てしまいますわい!」

 そう言ってドルガンが額をぺちりとやると、皆がどっと笑いだす。

「今回は時期が良かった。あれだけ青々と茂った草叢があればこその草蓑の策だからの」

 草蓑とは、麻縄に無数の青草を括り付けて作った蓑でありガイゼル卿が発案したという伏兵装備である。同様に腰の草蓑や、青草を上に立てたままの被り物も必要となる。武器とした竹槍も同様だ。

 上手く行けば、くだんの戦いの様に決まるが、なかなか草蓑を使える条件というのは整わないもの。

 草蓑は、肝心の草が萎れたらもう使えない。日の暮れた夕方以降に作り、翌日の昼にはもう萎れてしまう。

 当然ながら、背の高い青草の無くなる秋から春先までは使えず、広々とした平原がなければ、敵に悟られる危険も高くなる。

 幸い、フォントーラ家の軍では攻城戦が想定される場合、必ず弾除け用の竹束を用意する為、今回の様な突然の作戦にも対応出来たのだ。

「全ては、ガイゼル卿の教えに従ったまで。しかし、それを上手く使ってこそ我等武人の本分というものよ。そうであろう、皆の衆?」

 アイゼルの言葉に、祝宴の間に集う男達が喝采を送る。

 今回の勝利は、複数の家の兵からなる先鋒隊の意識を一つとするに十分な出来事であると同時に、カゼルやリーゼルといった若者世代の活躍振りに、やはりフォントーラの子は出来が違うと周知されることとなった。

「今宵は勝利の宴だ。存分に飲んでくれと言いたいところだが……」

 ヴァーゼルが口元に笑みを浮かべてそう切り出すと、続きを知る者達は、ざっと膝を揃えて正座の姿勢となる。

「この程度の勝利で、我等は満足する訳にはいかぬ。それに奪ったものとはいえ、糧秣には限りがあるというもの。次の勝利で旨い酒を飲む為にも、今宵はこの樽で締めとする」

 そう言って立ち上がったヴァーゼルは、ここにいる全員に、自らの手で酒を振る舞っていった。

 足を盛大に崩していたり、寝ころんでいた者も、慌てて姿勢を整えると拝礼する様にして酒杯を受けていく。

 中には感動のあまり、むせび泣き始める郎党もいた。

 カゼルやリーゼル、そしてクーヴェルにソーゼル等も、父ヴァーゼル手ずからの酒杯を受け取ると、初めて味わう勝利の美酒にそれぞれの思いを載せて口を付けていく。

「何事もなければ明日の正午から軍議を行う。それまで各々、存分に休息をとっておけ。くれぐれも城下で女を買い漁る様な真似だけはしてくれるなよ?」

 アイゼルが珍しく下品な冗談を飛ばすとどっと笑いに包まれるが、一同の中には内心、どきりとした者もいなかった訳ではない。

 現実の戦場には良くあることで、規律の緩い諸侯軍になると占領下での乱暴狼藉は当然の権利として暗黙の了解とされている。

 乱世とはいえ、なんとも無惨なことだとカゼルは常々感じていることだった。

 ちなみに、フォントーラ家で略奪が発覚した場合、誰であろうと問答無用で晒し首にされる。

 彼のガイゼル卿は、家中の者に常々こう語っていたという。

『武人とは、民を庇護することが生業であり、民をただ搾取だけする者は、たとえ王侯貴族であろうと、盗賊として成敗すべし。まして武人を語るものが略奪など、言語道断である……』

 実際にフォントーラ一族の縁者で、略奪の禁を犯して晒し首とされ、その家族も追放処分とされた事例がある。他家では恥として秘匿するものを、こうして子孫への教訓として伝えたのだ。

 無論、それを裁くことよりも未然に防ぐことが大事である。

 だからこうして、勝利の宴の席でも必ず『やってはならぬぞ』と釘を刺すのだ。

 当主が家臣に手本を示すことで、その家臣もまた、郎党や兵士達にそれを教える様になる。

 それこそが武人の心得であり、自然と軍の規律を高めることにも繋がるのだ。

 カゼルは改めて『青雲の義将』と呼ばれたガイゼル卿の志の根底を、父や祖父の何気ない言葉から窺えたような気がした。

 それこそが、今日の小さな勝利などよりも遥かに大事なことなのだと……。


 こうして勝利の宴は、静かに幕を閉じた。

 館の外からは野営の兵士や兵卒達が、酒を酌み交わしながら今日の語り合ったり陽気に歌ったりするのが聞こえてくる。

 カゼルは酔い覚ましに一人、大館の縁側の柵に腰かけて月を眺めていた。

 今宵の月は何故だか大きく、煌々と赤みを帯びて見える。

 ……戦の後だからか。カゼルは、戦が終わった後も続く昂揚感に、少し戸惑っていた。

 血に飢えている……そんな風でもない。

 ただ、何かが物足りないと感じる自分がいた。

「寝ないの? カゼル」

 リーゼルは持ってきた竹筒をカゼルに渡すと、自身も柵へと腰掛ける。

「勝利の度にああだと、少しまいっちゃうわね」

 酒気を帯びたリーゼルの肌が、薄っすらと赤味をさしていた……。

「ねえ、なんだか怖い顔をしている」

「戦の後だからかな……きっと」

 もっと、確かな手ごたえが欲しい。

 それがなんだか上手く言葉に出来ず、カゼルは竹筒の水を飲み干した。火照った体に沁み通る様な、そんな心地良い冷たさがカゼルの渇きを癒してくれる。

 不意に、二人の肩が触れ合う。

 リーゼルの火照った肌が、妙に艶めかしい。

 しかし、それを無にする様な異質な臭いを感じ、反射的にカゼルは身を引いた。

「……えっやだ、まだ臭ってる!?」

 カゼルの反応に戸惑い、少し恥ずかしそうな顔のままリーゼルも身を引く。

 その臭いの正体は、闇士ハーレンの使う臭い消しの花……。

 伏兵を行い際、草蓑を着こんだまま、夜明け前からあの場に潜んでいたリーゼルは、毒虫や毒蛇よけにとカゼルから渡されたこの臭い薬を服用していたのである。

 僅かな量でも十分な効果があり、ハーレンの話では一昼夜は持続するらしい。

 ようやく少し薄れたかと思いきや、酒気を帯びると体内に残っていた臭気が一気に吹き出す様で、リーゼルはそれを確認するかの様に、くんくんと体のあちこちを嗅いでいる。

 その様子にカゼルが堪え切れず笑いだすと、リーゼルは顔を真っ赤にして怒りだした。

 そんな二人の様子を、一つ角を曲がった先でもう一人の兄弟がそれを窺っていた。

 盗み聞きなどするつもりではなかった。自分もただ、酒気で火照った体を冷ましに縁側に出てみただけなのに……。

 ソーゼルは知らず知らずのうちに、己が唇を噛み締めていることに気付いた。

「(いつもそうだ。いつも、アイツだけ……)」

 会話の内容までは分からない。リーゼルが怒ったかと思えば、即座に二人の笑い声が響いてくる……。

 何故、そこにいるのが自分ではないのだろう。

 どうして、自分はカゼルではなかったのだろう。

 いくら考えまいとしても、そのことだけがソーゼルの胸の内をかき乱す。

「……こんなところで、どうした」

 不意に声を掛けられて、ソーゼルは我に戻る。

 振り返ると、そこに見えたのは兄クーヴェルの姿……。

「今日は、お互い良く働いた。なにせ、初めての城取りだったものな」


 カゼルが敵を釣りだし、リーゼルの伏兵で敵を殲滅していた頃。クーヴェル隊、ドルガン隊は手薄となったバルーケ城砦に向かって進軍していた。

 義父であるドルガンの下、歓声を上げながら山の斜面を駆けあがっていく兵達。それに遅れまいとソーゼルは、必死に走って斜面の中腹までたどり着く。

 矢弾を受けて、その場にうずくまる兵士が見えた。

 大きな石を受けて、転がり落ちていく兵士が見えた。

 そして、斜面の上の柵から降り注ぐ矢弾や石が、全て自分に向かってきている様にも見えた。

「矢盾をしっかり構えろ! 次のが来る前に間合いを詰めるぞ!!」

 一際大きいドルガンの怒号が、兵士達を奮い立たせる。

 敵も必死だが、どこか統制がとれていない。

 既に出撃した部隊が殲滅されたのを見て、及び腰になっているのだろう。

「鍵縄を持てっ! 正面のをやるぞ!!」

 矢盾を構えた兵士達の背後に、鍵縄を持った兵士がぴたりと付くと、ドルガンの合図と共に一斉に鍵縄が投げられた。

 その内の一本が偶然弓手の顔面に当たり、その一撃で絶命させた。

 三本の鍵縄が柵の横木にかかり、すかさず兵士が何十人とその鍵縄にしがみつくと、バキバキ音を立てて柵の一つが斜面を滑り落ちた。

 ドルガン隊は、そんな滑り落ちる柵を左右に別れてやり過ごすと、一気に空いた箇所を狙って、健脚の兵士達が次々に突入していく。

 ソーゼルも、懸命に斜面を越えて柵内に乗り込むが、すでに抵抗する敵兵の姿はなかった……。


「自分は……ただ、斜面を登った。本当にそれだけなんです」

 兵達の先頭に立ち、一番槍を付けるつもりだった。

 勇敢に、敵の名のある武人と打ち合うつもりだった。

 そのどれも出来ずに終わったのに、義父は良くやったと褒めてくれた。

「何もやってない……。自分は、何もやれなかったのです……!」

 あの時の情けなさが悔しさとなって、止め処もなく溢れ出す。

 そんなソーゼルに、兄クーヴェルは月を見上げてこう答えた。

「……見よ、あの月を。父上は、あれがガイゼル卿だと言った」

 不意に、そんなことを口にした兄クーヴェルの横顔を訝しむ様にソーゼルは覗き込む。

「我等で言うなら、あの月は父上であろう。そして、我等は兄弟は、あの月を目指して走っている」

「………………」

「どれだけ走れば、あの月にたどり着けるかなどオレには分からん。それでも走るのを止めたら、そこでオレの人生は終わりだ。だから、よそ見などせず、ただ走り続けるだけだ」

 ソーゼルは、ただ、黙って月を見上げた。

「(あの月が、父上……)」

 そして兄もまた、自分と同じ思いであの月を見上げている。

「気が付くのは、あの月にたどり着いたその時でいい。それが人生というものらしい。昔、父上が教えてくれた言葉だ。三つだったお前も、ちゃんと一緒に聞かされていたのだぞ?」

 クーヴェルは、そう言ってソーゼルを振り返る。

 それは誰にも見せたことのない、本当のクーヴェルの素顔だった。

「今日は斜面を登りきった。それが出来たのなら、次はもっと何か出来る。今は先を行かれても、いつかは追い抜けばいい。だから、オレは走り続けることにした。お前は、どうするのだ?」

 ソーゼルは、兄もまた、自分と同じ様に苦しんでいるのだと知った。

「走る……走り続けるとも! 今は遠くても、走り続ければいつかきっと……!」

「そうだ。オレ達は、フォントーラの子なのだからな」

 二人は拳を交わして、その密かな誓いを立てる。

 いつか必ず奴を。あの天賦の才を超えてやると……。


        *         *         *


 一方、バルーケ城砦と嫡子ヴァルモを失ったコズモ・アダンニ伯は、敗残の兵やその家族と共に、所有するもう一つの城、カラマン城砦にその身を潜めていた。

 意外だったのは、ヴァーゼル隊は城砦から逃げ遅れた兵の家族達には、手を出さなかったこと。

 それどころか、打ち捨てられていた哀れなヴァルモの亡骸を連れて帰れと、わざわざ城内の荷車まで出してくれたのだ。

 それに感じ入ったアダンニ家の兵達は敵であるヴァーゼルに感謝し、ヴァルモ他、主だった将達の亡骸も一緒に連れ帰ることが出来たのである。

「……それで、ヴァーゼルめの動きはどうなのだ? もしやこのカラマン城砦まで狙ってくるのではあるまいな!?」

 コズモの問いに、家臣達は誰もその答えは持っていなかった。

 ただ、悄然とした顔でお互いの顔を見合わせては、溜息をつくばかり。

「こうなったのも、お前達がヴァルモを留めなかったからではないのか!?」

 ヴァルモと共に出撃し、満身創痍の身でありながら、主君や同輩等の亡骸を持ち帰った側近は、そんなあまりに心無いコズモの言葉に絶望し、力なくその場に崩れ落ちていく。

 そもそも、つまらぬ理由で城砦を留守にしていたのは誰なんだと言わんばかりの目で家臣達から睨まれたコズモもまた、何の命令も下せぬまま寝室に閉じこもってしまった。

 後を追ってきたのは、舎弟のムラート・バルボただ一人……。

 この事態を招いた元凶でもあるこの男もまた、主君同様に家臣達から厳しい目で睨まれており、青ざめた顔で兄の下へとやってきた。

 左手の添え木がまた大袈裟であり、その無様な姿は滑稽としか言いようも無い。

 そんなムラートは、己の立場を守らんと必死の形相でコズモに訴える。

「兄者、このままではいかん。オレの実家に援軍を仰ぐのはどうか?」

「バルボ家にか……それも考えたが、果たして来てくれるかな?」

 実家と言っても、ムラート本人は今のバルボ家当主と親しいわけでもない。

 元々、ムラートは庶子であり、バルボ家から講和の人質としてこのアダンニ家に送られてきた者に過ぎない。

 それがたまたまコズモに気に入られたことにより、一族の娘を与えられてアダンニ家の一族として迎えられただけなのだ。

「な、ならば、バルデス将軍に援軍を……!」

「バカな。ワシが留守の間に城を奪われたなど知れたら、この首が落ちるわっ!」

 かと言って、残った兵力では打って出るどころか、篭城すらままならない。

「そうだ! あの男がおったぞっ!」

 項垂れていたコズモが突然、顔を上げて吠える様に声を上げた。

「あ、兄者どうした一体!?」

「我が家には、客将としておいてやったあの男がおるではないか!」

「おぅ、中原第一の策士とうそぶいておるあの男のことか……しかし、アテにしてよいものか?」

 小躍りしそうなコズモに対し、ムラートは訝しい顔をする。

「何と言っても、あの男はヴァーゼルめに一泡吹かせてやったではないか!」

 その男こそ、コーゼルのフォントーラ家入りを成功させた立役者であり、それによってアイゼル、ヴァーゼル親子は、一時的に失脚同然となったのだから……。

「しかし、あの者が達者なのは、口先だけと皆が言っておる……」

「何も、ヴァーゼルと戦をやらせる訳ではない。その口先を使ってこの危機をどうにかしてもらえばそれで十分ではないか」

「なるほど。この際、ヤツに賭けてみるか……」

 それから程なくして、コズモとムラートの前に中原一の策士とうそぶく男、リゴーラ・カンボスが現れた。

 どことなく、蟷螂を思わせるような顎先のとがった顔立ち。ぎょろりとした眼がなんとも不気味であり、その見た目だけでも常人ではないと感じさせられる。

 そんなリゴーラは、のそりとした歩みでコズモの前で形だけの一礼をすると、断りも無くその場に座り込んだ。

「……無役とされた私めに、今更、何の御用があるのでしょうか?」

 無役とは、俸禄は与えられるが、その名の通り何の役目も与えられぬ武人のこと。

 様々な事情で用いることが憚られる人物を、とりあえず繋ぎとめて置く為の措置でもある。

「これっ、お主はまだ先日のことを根に持っておるのか?」

「何分、自分は執念深い男でありますから……」

 コズモは、陰湿な口の利き方をするこの男のことがどうも好きになれなかった。

 このリゴーラは、元々コーゼルの傍付きでフォントーラ家に入った男であったのだが、数年前に不祥事が発覚して逃亡……。

 以来、親交のあったこのアダンニ家の客分となっていたのである。

 リゴーラ個人も、どうやらフォントーラ家に恨みがある様で、ことあるごとに彼の家に不利益をもたらす策を提案するも、無用な恨みを買うことを嫌うコズモや家臣達によって、ことごとく却下されていた。

 どうにもこの胡散臭い男はアダンニ家中から不審がられ、受け入れたコズモ自身もまたその扱いには困っていたところ。

 つい先日も、ヴァーゼル隊が出陣したとの報を聞きつけ、自分が浪人頭となり、アダンニ家の参謀として、戦に備えたいと願い出てきたのを一蹴したばかり。

 しかし、立場の危うくなってきたコズモにとって、今はこの男の知恵がどうしても必要であった。

「そう拗ねるでない。それに、こんな時に知恵を貸さぬでは、中原一の策士の名が泣くぞ?」

 そう言われてリゴーラは、ぴくりと片眉を動かす。

 良くも悪くも、自尊心を刺激されるとこの男は決まって反応を示すのだ。

「ま、お力になれるかどうかは、私めに何をお望みなのか。それ次第ですかな?」

「無論、このアダンニ家の去就だ。このまま籠城しても援軍は望み薄。それどころか家中に不穏な空気もあり、それすら出来ぬ状態ではない!」

 そんなことは、言われずとも知っているとばかりに、リゴールは鼻で笑う。

「おいっ! なんだその態度は!!」

 あまりに不遜な態度を見せるリゴーラに、ムラートは思わず左手の拳で床をどんと鳴らすが、折れた小指の痛みに一人もんどりを打ち、大仰にうめき声を上げる。

 コズモは慌てて女中を呼び、ムラートの面倒を見る様に指図すると、わざわざ自分でムラートに肩を貸して、別室へと運びこんでいく。

 そんな中で、リゴールは一人涼しい表情のまま、騒ぎが鎮まるのを待っていた。

「……どうぞ、お話の続きを」

 心配そうな顔のまま、自室に戻ってきたコズモは、ようやく本題を切り出した。

「あ、ああ、それでだ。この際、ワシとアダンニ家が無事であればなんでも良い。この際、手段は選ばぬから策を申せ! 知恵者のお主のことだ。必ずや何か妙案を持っていよう!?」

「まあ、ないことはありませぬが……」

 リゴールは、敢えて目線を横にしたまま答える。

「その前に、先日お願いした浪人頭の件……」

「わかった! お主に我が領内の浪人衆を任す様、すぐに手配する。早くその妙案を教えよ!」

「御当主殿とアダンニ家が御無事であれば、なんでも……でしたら、こういうのはいかがですかな?」

 リゴーラは、あらかじめ考えていた策を、自慢気に披露し始める。

 しかし、それを聞いたコズモは、見る見るうちに不安そうな表情となっていく。

「い、いくらなんでも、そんな都合良くいくものなのか……?」

「まあ、信じないと言うのであれば、私めはこれにて退去させて頂きますが……」

 リゴーラは軽く頭を下げると、すっと立ち上がる。

 慌ててコズモが縋り付く様にしてそれを引き留めた。

「わ、わかった、信じる! 全てはお主に任す! それと、お主に十分な支度金も用意させる!!」

 コズモのその過分とも言える申し出に、リゴーラは張り付いた様な笑みを冷淡な顔に浮かべると、快く応じた。

 そして、自分からの知らせが戻るまでコズモに絶対に城の外へ出ないことを約束させた。

「(まずは、あの時の借りを返させてもらおう。覚悟しておけ、ヴァーゼル・フォントーラ!)」

 密議を終えたリゴーラは、コズモの自室を退出すると、尊大な態度を露わにしたまま城砦を練り歩きそのまま城砦の外へ出る。

 ふと見上げた空には、早くも夕月が昇っていた。

「(雌伏の時は終わった。ここからは龍となって、この中原にこの我が名を轟かせてやるぞ!!)」

 リゴーラは一人、愉快そうに笑いながら馬を走らせるのであった。


        *         *         *


 バルーケ城砦で丸二日間、十分に兵達に休息を取らせたヴァーゼルは、再び進軍を開始する。

 目指すは、アダンニ伯が立て籠もるカラマン城砦。

 先の戦で一敗地に塗れたアダンニ軍の士気は低く、城下に迫るヴァーゼルの先鋒隊を迎え撃つことも無かった。

 ヴァーゼル率いる先鋒隊は無人の野を行くかの様に進軍を続け、到着したその日のうちにカラマン城砦の包囲を完了した。

 どんな相手であろうとも決して侮らず、同じ作戦が通じるとは思わぬところは、ガイゼル卿以来の家訓であり、またヴァーゼル生来の慎重さでもある。

 同行する部将の誰もが、そんなヴァーゼルの手腕を信頼し、異論を唱えるものはなかった。

「物見によれば城砦の兵は約三千。内、浪人衆が五百、民兵が五百といったところか……」

「おそらく、その見立てに間違いはあるまい。先の大敗にも懲りず、良くも集めたものよ」

 参謀アイゼルは、複数放った物見からの報告それぞれを照らし合わせると、そう結論付けた。

「しかし、戦意はあまり感じられませぬ。一気に押せば、あっさり片着くやも」

 先の戦いでは見事に城取りを果たしたドルガンの言を、ヴァーゼルはゆっくり左手で制す。

「力押しは最後の手段だ。それに、すでに我等は敵地の真っただ中。今まで去就を決めかねていた周辺諸侯も決断をするだろう。ここに援軍が来る可能性は十二分に考えられる」

「確かに寄せ集めとは言え、三千もの城兵が居れば、同数の援軍だけで事足りますからな」

「そういうことだ。しかし、こちらも兵糧には当分心配なく、焦る必要もない」

 後方のバルーケ城砦には一千の兵と城代にリアルグを残してあり、現状の先鋒隊は四千。これならば、敵もそこそこの援軍を出せばこの城砦を救援出来ると思うはず。

 そんなヴァーゼルやアイゼルの本命は、このカラマン城砦ではなく援軍として現れる新手であった。

 周辺を見渡せる小高い丘に本陣を置いたヴァーゼルは、ここに直衛隊とレアルヴ隊の二千を配置すると、クーヴェル隊とドルガン隊を左右に展開し、カラマン城砦を包囲した。

 一方に退路を開けておくのも、攻城戦の常道である。

 そして、一応は矢文を撃ち込み、大人しく開城すれば手出ししない旨を城砦側に伝えた。しかし、先の戦いで手ひどくやられているアダンニ家の面々にとっては、その当たり前の作戦が、一層不気味に思えてならなかった。

「どうする兄者? やはり奴らは、先鋒隊だけで押し寄せてきたぞ!」

 頭数さえそろえて置けば、流石に本隊の到着を待つかと、淡い期待を持っていたムラートは、青ざめた顔でコズモと共に城下を見下ろす。

「くそっ、たったあれしきの兵に包囲を許すとは……」

 悔しがっては見せたものの、コズモ自身、迎撃して勝算があるとは思ってない。

 城兵の内、信を置けるのは直衛の一千であり、残りの兵を出撃させれば、戦わずして潰走するか、もしくは降伏しかねないと思っている。

 かと言って、自身が兵を率いて外に出る気にはならず、やはり籠城しか手立ては残されていない。

 無論、バルボ家にも援軍要請の使者を出したが、まだ援軍が到着する気配はない。

「な、なあ兄者。やはり、このままではジリ貧だ。城砦の横手に廻ったあの隊だけでも叩いておかんと、兵の士気も上がらんぞ?」

「だめだ! 今は、あの男からの連絡を待つのだ……」

「しかし、間に合わなんだら何とする?」

「その時は、大人しく開城すれば良い……今は耐えるのだ!」

 南領公家を裏切ったとはいえ、アダンニ家は西方以来の諸侯家であり、あくまで主君は大帝である。

 いざとなれば、大帝に降伏すると言ってヴァーゼル自身の裁決を拒めばいい……。

 コズモは、この期に及んで尚もそんな都合の良いことしか考えていない。そして、矢文の内容を家臣達に詮議を図らぬまま、秘匿してしまったのである。


「やはり、城側からの使者は来ぬな……」

 一日の猶予を与えたが、結局何の回答も送ってくる気配はない。

「しかし、バルボ家は動きを見せたようだぞ」

 密偵からの急報を聞き、アイゼルがしたり顔で笑う。

 ヴァーゼルは、直ちに城下を包囲中のクーヴェルやドルガンに伝令を送り、明日にでも総攻撃をかける様な構えを見せる様に伝える。

 そして、アイゼルに直衛隊と本陣を任せると、自身はカゼル達を伴い、レアルヴ隊一千を率いて、夜半のうちに密かに本陣を離れていった。

 一方、カラマン城砦からの知らせを受けたバルボ城砦の城主ゴナーク・バルボは、事は急を要すると、直ちに軍勢を整えると五千の兵を率いて城を出てきていた。

 この数は、バルボ家にとって、ほぼ限界まで動員しきった総兵力である。

 それと言うのも、アダンニ家からの書簡には、ヴァーゼル率いる先鋒隊、その数一万などと書かれていたからである。

「くそっ、こんなことなら始めからコズモ一人に任せず、バルーケ城砦で迎え撃つべきであった……」

 矢面となるアダンニ家が時間を稼ぐ間に、摂政家からの増援が到着すると考えていたが、予想に反してバルーケ城砦は僅か一日で落ちてしまった。

 それから、五日と経たずに、早くもアダンニ家本拠のカラマン城砦は包囲されてしまっている。

「ゴナーク殿。万が一、カラマン城砦が抜かれてしまっては一大事。貴殿のバルボ城砦だけでなく、我がボーグタス家のバルデス将軍が守るブリアス城市まで、目と鼻の先となってしまうのですぞ」

 ゴナークの隣で、冷たい目で睨みつけているヘルマンは、彼の摂政家から送られてきた目付役である。

 三年前の戦いで、討手を差し向けられるまで去就を明らかにしなかったバルボ家に対し、不信を抱いた摂政家は、目付としてこのヘルマンを在城させて置くことを和議の条件とした。

 アダンニ家だけでは、到底ヴァーゼルに太刀打ちできぬと主張するそのヘルマンの意見を無視する訳にも行かず、やむなく総動員をかけて此度の出陣となったのだが、バルボ家の内情は、それどころではなかったのである。

「(これでは戦が終わった後、恩賞どころか城内が干上がってしまう……)」

 戦とは兵糧だけでなく、その軍備を整えるにも何かと金がかかる。

 今回は民兵から浪人衆まで総動員をかけてしまったので、このままでは籠城する兵糧すら危うい。

 買い込む金もないとなれば、あとは徴発するしかない。しかし、度重なる徴発を行えば領内には一揆が起こり、領民からの支持を失ってしまう。

 あとは摂政家からの援助を願う他はない。

「ヘルマン殿。其方の言う通り、我が家は総力を挙げて出兵する。どうか、その旨摂政殿下やバルデス将軍へと、取り成しをして貰わないと困りますぞ」

 出陣前から、口を開けば同じことを繰り返すバルボ家の当主に、目付のヘルマンは噛んで含める様に、同じ答えを返すだけ。

「全ては、貴家の働き次第とお答えしたはず。ヴァーゼル隊の包囲の一角を破り、カラマン城砦を救い出せたらば、その時初めて殿下へその旨、お伝え出来ると言うもの。お判りか?」

「わかっておる! もし本当に敵が一万あろうとも、我が軍の五千があれば、城の包囲を解かざるを得ん。まあ、目付殿は安心して見ておるがいい」

 そもそも、五千の数が必要だとしつこく念押ししたのは、目付のヘルマン自身である。

 バルボ家の家臣達は口を揃えて、それをやったらバルボ家の倉が空になると反対したが、そもそもこの一戦に敗れでもしたら、それどころの話ではない。

「(南領公家から鞍替えした諸侯共は、揃いも揃ってろくな人物がおらぬ……)」

 ヘルマンは、もう何度付いたか分からぬ溜息をこぼした。


 ゴナーク率いるバルボ軍は、それから二日後にカラマン城砦に到達した。

 案の定、城は三方より包囲されていたが、ヴァーゼルの先鋒隊は知らせにあった様な大軍ではなく、せいぜい三~四千にしか見えない。

「なんだ、たったあれっぽちの兵に取り囲まれているのか?」

 呆れた様に、ゴナークは敵の陣容を窺った。

 城下を包囲する二隊は、中央の小高い丘の本陣とほぼ等距離に置かれており、何か異変あらば直ちに駆けつけられる距離である。

 念の為、周辺に物見を数名放ったが、結局、他に敵陣は見当たらなかった。

「コズモめ。敗戦にかこつけて、敵兵を水増しさせおったな」

 実際、戦果はより大きく、敗れた際にはあたかも大軍に襲われたかの様にその数を水増しすることは、この時代、当然の様に行われていた。

 諸侯にとっては、自身の家の名誉を守ることこそが大事であり、たとえ敗れても奮戦したが多勢に無勢であったなどと、体裁を取り繕う必要があったのだ。

 ゴナークもそこは同じムジナの穴であり、敢えてそれ以上は口にせず、自軍を二隊に分けることにした。

 本陣には、多くの浪人衆を含む三千を残して相手の本陣に睨みを利かせ、主力となる二千の兵に、城下の包囲網の一角を突き崩す様に命じた。

 こちらが動けば、城内からも討手が出て挟み撃ちが成立する。

 たとえ、ヴァーゼルの本隊が出ようとも、こちらにも同数の本隊が控えており、その横腹を突いてやれば、いかに名将と噂されるヴァーゼルと言えど、ひとたまりもないに違いなかった。

「ふふふ……城兵と合わせれば、最早、この兵力差はどうにもなるまい」

 このゴナークはそれなりに戦慣れしており、手堅い戦をさせればたとえ摂政家の軍勢が相手でも、決してひけを取ることはないと自負してした。

 バルボ家の戦力については、目付のヘルマンも認めるところであり、ゴナークの立てた作戦も理に適っている。

 ヴァーゼルも小細工するほど余力はないと見え、しきりにこちらの動きを窺っている様子だった。

「よし、狙うはあの城下の一隊だ。ゆけいっ!!」

 ゴナークの号令の下、バルボ軍主力隊二千は歓声を上げながら突き進む。

 しかし、こちらの動きに気付いたのか、ドルガン隊はそそくさと持ち場を離れて後退していく。

「見たか! 敵はもう逃げ腰だぞっ!」

 バルボ軍の主力隊は、逃げるドルガン隊を勢いに任せて追いまくった。

「ヴァーゼルめ。兵力の損失を恐れ、戦わぬ気やも知れぬ」

「ゴナーク殿、これでは本陣から少し離れすぎです。城の包囲を解いたのだから、十分なはず!」

 流石に少し妙だと思ったのか、ゴナークもヘルマンの言に従い、退却の銅鑼を叩かせる。

 その時であった。

 突然、バルボ軍本陣の背後から、怒号が押し寄せてきたのである。

「な、何ごとだ!?」

 慌てて後方に目を向けたゴナーク達が目にしたのは、すでに本陣に乱入してきているヴァーゼル隊の襲撃であった。

「馬鹿めっ! 後方の見張りは何をしていた!?」

 即座に馬に跨って、押し返そうとするゴナークに、ヘルマンが血相を変えてそれを止める。

「待たれよっ! 後ろが大変なことになっている!」

「ええい、だからワシが直々に出向こうと言うのだ!!」

「そっちではない、城下の方だ!!」

 苛立ちを隠さぬままゴナークが再び城下に目をやると、退却の銅鑼に従い、後退中の主力隊二千に向かって逃げていたはずのドルガン隊、更には、いつの間にかその横腹を付くかの様に動いているクーヴェル隊までにも追撃されていた。

 このままでは、主力隊は後背と側面から挟み撃ちとなってしまう。

「ええい、ならばお主が浪人衆を率いて本陣を死守しろ!」

 そう言うと、ゴナークはより大事な主力隊の救援に、直衛隊を率いて本陣を飛び出した。当然の様にそれを待っていたであろうヴァーゼルの本陣から、一千ほどの部隊が駆け下っていくのが見えた。

「城兵は!? アダンニ家は何をしている! 救援の銅鑼を叩き続けろ!!」

 ヘルマンは襲撃された後方を遮断する様に、矢盾をずらりと並べさせ、本陣内に仮柵を築いた。

 しかし、それにより後方に取り残された兵士達は、救援もないままヴァーゼルの奇襲部隊によって、次々と討たれていく。

 浪人衆は、個々の武勇はあっても連携はとれておらず、こういった守勢に回ると思いのほか脆いのだ。

 対するヴァーゼルの奇襲部隊は正規軍であり、練度の高さやその統制は比較にならない。

「くそっ、すると敵の本陣は、見せ掛けの陣容であったか!」

 ヴァーゼルの本陣は小高い丘の上にあり、その様子は山麓側のバルボ軍からは旗印や水煙の数くらいしか窺えず、数も妥当なものであることから、疑いもせずに攻撃隊を出してしまった。

 敵は最初から奇襲部隊を山林に隠し、こちらの出撃を待ち構えていたと知り、思わず歯軋りをする。

 ヘルマンに残された手は、目の前の味方を見殺しにしても、この仮柵で敵を食い止めることだった。

「何と、卑劣な真似を……」

 奇襲部隊の先頭にいたカゼルは、その行為に怒りを覚えた。

 手段を選ばず、必死に防戦を務めるヘルマンは、味方の残る自陣に向かって火矢を放ってきたのである。

 逃げ遅れた敵兵は、味方の火矢から逃げ惑い、次々とヴァーゼル隊の手に掛かって倒れていく。

 それでも、ヘルマンが急造した柵はヴァーゼル隊の進軍を留めるには、十分な効力があった。

 奇襲部隊は身軽さが身上であり、乱戦では足手まといとなる弓隊は連れてきていなかったからである。

「まさか、こんな手で防がれてしまうとはな」

 ヴァーゼルは、僅かな手持ちの矢盾を集めながら、兵を捨てられた荷車などの物陰に隠れて、突撃の間を窺う。

 そんな中、唯一弓を持ってきていたのは弓の名手であるラウグだった。

「殿、我らにお任せをっ!」

 カゼルはそう言ってラウグと共に、陣屋内にある荷車の影に隠れながら敵の指揮官を狙うも、激しい矢の雨に阻まれ、そこから一歩も動けなくなってしまった。

「くそったれっ! こんだけ集中攻撃されると、狙いを付けてる間にこっちが蜂の巣になっちまう」

 悔しそうにラウグが歯噛みする。

「流石にこれ以上は無理です。一旦引きましょう」

 無鉄砲とも思えるカゼル達を追って、必死に着いてきたラインが後退を促すも、カゼルはその首を横に振った。

「いや、今ここで奴を仕留めねば」

 万が一、この状況で城内の兵が討って出たら、この作戦は失敗に終わる。

 そうなる前に、この敵の本陣は何としても崩しておかねばならない。

 それには、あの指揮官をラウグの狙撃で仕留めるくらいしか、今のカゼル達には手立てがない。

「師匠、何秒あれば奴をやれますか?」

 久しぶりに、カゼルはラウグに向かってそう尋ねた。

「そうだな……奴の隠れている矢盾ごと撃ち抜く必要があるから、十秒といったところか」

 二人が無茶な会話をしているのを聞き、ラインがそれを制しようとするも……カゼルはその静止を振り切り、自ら囮となる為、荷車の影から飛び出す。

「ラインはそこにいろ!」

 矢盾を左手に持ったカゼルは、残った気力を吐き出す様にして神気をその身にまとって抜刀した。

 薄っすらと青白い光沢が、その刃に波打つ。

「む、無茶です!!」

 しかし、ラインの足は竦んで、前に進むことが出来ない。

 次々とカゼルに降り注ぐ矢の雨の中、ラインは自分の若き主人を信じることしか出来なかった。

 パシンッ! パシンッ!!

 一、二……カゼルは自身に向かってくる矢だけを選んで、撃ち落とす。

 三……四。体の脇をかすめる矢は、僅かに身を引くだけであとは運に任せた。

 五……六。まとめて飛んできた矢を矢盾で受けるも、あっけなく割れ、即座にそれを投げ捨てる。

 七……。敵の指揮官の手が見えた。次は恐らくかわせまい。

 八、九!! 今度の矢は、十本を超える矢が一斉に放たれた。

 カゼルはここだとばかりに、神気の刃を三回振るって襲い掛かる矢の嵐に剣風を三度飛ばすと、衝撃波に弾かれた矢があらぬ方向へと四散する!

 しかし、運悪くカゼルの左上腕に弾いたはずの一本が突き立った。

「今だっ!!」

 どちらが叫んだのが、早かったのであろうか……!

 敵兵が弓を構えた瞬間、カゼルの横から迅雷のような剛弓が放たれる。

 次の瞬間、身構えたカゼルの前に、自らの体を盾にする様にして、ラインが立ちはだかっていた。

 もう、それで一杯一杯のラインは足が動かなくなってしまっていた。

「(どうか、カゼル様だけでも…………)」

 最後の言葉すらかすれ、ラインは観念した様にその目を閉じる。

 しかし、一向に体を貫く痛みは来なかった……。

「……若いの。無茶すんなって!」

「でも、良くやったぞ!」

 そんな声にラインは目を開けると、目の前に二人の男が、ラインとカゼルを守る様にして矢盾を構えていた。

 そこには、あわせて十本の矢が突き刺さっている。

「バカな……こんな…………」

 ヘルマンは、自分の胸板を矢盾ごと撃ち抜いたその矢羽を見ていた。

 周囲の浪人衆はそれを見て、もう駄目だと悲鳴を上げて逃げ去っていく。

「く……所詮、浪人など……アテ……に…………」

 もう、最後の言葉を発する力も出なかった。

 死に向かう時、何を思えばいいのだろうか。

 ヘルマンはそんなことを考えながら空を見上げる。

「(ああ、こんな青空の下でなら、それも悪くはない……か……)」

 消えゆく意識の中でヘルマンは、沢山の足音が駆け抜けていくのを、ただ聞いていた……。


 バルボ軍の主力隊は、流石に精強な兵を集めただけあって、挟み撃ちにされても良く凌いだが、結局その劣勢を覆すことはならず、どうにか半数ほどの兵が血路を開いて離脱していく。

 一方、当主ゴナーク・バルボの隊は、ヴァーゼルの本陣から襲い掛かった剛勇ジィドの率いる部隊によって散々に討たれた挙句、命からがらカラマン城砦へと逃げ込んでいった。

 それを見送るようにバルボ軍の本陣では、占拠したヴァーゼルの奇襲部隊が凱歌を上げる。

 終始、その様子を傍観していたカラマン城砦の城兵は結局、逃れてきたゴナーク達を受け入れた以外、この戦いには何の関与しようとはしなかったのである。

 戦いの後始末を終えたヴァーゼル隊は、悠々とバルボ家の本陣にあった物資を自陣へ運び込み、そして再び城下を包囲する構えを取った。


「しかし、まさか本当に城から討手が出ないとはな……」

 呆れた様子で、ドルガンが城砦を見上げる。

 ソーゼルは、まだ息も荒く、鎧を付けたままその身を草叢に投げ出していた。

「どうだ、少しは戦場に慣れてきたか?」

「……わかりません。でも……」

 今日は、敵兵と槍合わせが出来た。

 敵兵の槍の穂先が、何度も頬をかすめ、肩当てにも叩きつけられた。

 乱戦の中で何度も槍の柄で殴打された。

 目の中に火花が弾けたが、歯を食いしばってその痛みに耐えた。

 それでも無我夢中で戦い、郎党等の助けも借りて何人かを討ち取ることが出来た。

 今も体のあちこちが痛むが、大きな怪我はない。

 むしろ、この心地良い痛みこそが、自分が生きている証だと感じられた。

「それでいい。そうやって皆、気が付けば、一人前の武人になっている。そう言うものだ」

 ドルガンは優しい笑みを浮かべると、他の兵達に声を掛けながらその場を離れていった。

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