桜色の髪をした彼女

安路 海途

1(ういちゃんとわたし) 

 ういちゃんは桜色の髪をしていた。彼女のことでわたしが一番はじめに思い出すのは、あの電車でのやりとりだ。


   ……*


「――あいつらには想像力ってものがないのよ。中身のつまってないカボチャと同じ。そんなもの、誰が欲しがると思う? それはね、同じように想像力のない、からっぽな連中だけなのよ、これが見事にね」

 と、ういちゃんは一気にまくしたてた。

 それは帰りの電車の中で、その言葉はういちゃんの目の前で座って本を読んでいる人の、その本についてのことだったので、わたしは本当に困ってしまった。ういちゃんがわたしに話しかけているのは一目瞭然で、だから知らないふりをすることもできない。

 本のタイトルは、確か『幸せになりたい人のためのレッスン11』というものだった。話題のベストセラーで、作者はテレビによく出るタレントとか、そういう人だったと思う。

 幸いなことに、その人はういちゃんの言葉が聞こえなかったのか、聞こえないふりをしてくれて、特にもめごとになったりはしなかった。まわりの人も一瞬さっと冷たい風が吹くみたいに緊張したけれど、すぐまた元に戻っていた。

 次の駅でその人が降りてから、わたしはういちゃんに小声で話しかけた。そうしないと、ういちゃんはまた厄介なことを口に出してしまうと思ったから。

「まずいよ、ういちゃん、あんなこと言っちゃ」

 案の定、ういちゃんは不思議そうにわたしのことを見た。

「何が?」

「だから、その、目の前で人を悪く言うようなこと」

 ういちゃんはああ、そのことか、とようやく気づいたような顔をした。例え明日世界が終わると言われたって無関心そうな、いつもの顔で。

「確かに人のことを悪く言うのはよくない。でも、本当のことでしょ? ――いい、ユズノ」

 ユズノというのはわたしの名前のことだ。

「わたしはあんな本を読もうっていう人間のことが全然分からない。ものの見事に、ね。そういう人間がいるんだっていうことすら理解できない。だって、あんな本読んでどうするっていうの? いったい何を手に入れて、何が変わるっていうの? 何もなりゃしない。そんなことにさえ気づかないなんて、どうかしてる。そんな人間は何も考えちゃいないのよ。わたしは何が理解できないって、何も考えていない人間ほど理解できないものはないのよ」

「…………」

 ういちゃんは常々、想像力の欠如というものを嫌悪していた。世界中のすべてのものを許すとしたって、それだけは絶対に許せない、というように。

 わたしはそのことを知っていたし、それにういちゃんの言うことも分からないではなかったので、反論ぽいものはしなかった。

 窓の向こうにはちょうど川が流れていて、わたしとういちゃんの姿が半透明になって宙に浮かんでいた。それがただの光の反射にすぎないとは分かっていても、わたしは自分の足元から何もなくなってしまったような、ぼんやりした不安を覚えた。

 ――それが、わたしがういちゃんについて思い出す、一番最初のことだ。

 大抵の場合、ういちゃんはそんなふうだった。いつも何かが気に食わないみたいに、敵意に満ちたまなざしを周囲に向けていた。ういちゃんに言わせるとそれは、まわりの人間のほうがおかしいせいなのだけど。

「世界は嘘ばかりなのに、みんなそのことに気づこうともしない」

 と、ういちゃんは言ったことがある。

 わたしも、そんなふうに思うことはある。ういちゃんほどじゃないけれど、この世界は嘘ばかりだって。みんな何もかもごまかしているみたいだって。

 それが本当のことかどうかは知らない。

 少なくともういちゃんは、そう信じているみたいだった。シンプルに、力強く。わたしはそんなういちゃんに憧れてもいたし、尊敬もしていた。それから少し嫉妬もしていて、あるいは苛立ちを感じてもいた。

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