第5話今川氏親

叔父であるのちの北条早雲の働きもあり、元服すると同時に今川家の家督を継ぐことが決定した龍王丸でありましたが15歳を迎え、成人したにも関わらず後見人として家政を預かっていた小鹿範満は氏親に家督の座を譲ろうとしなかったばかりか今持っている権限を今後も維持するべく邪魔者である龍王丸を亡き者にしようと圧迫を加え続けるのでありました。そこで龍王丸とその母・北川殿が頼りにしたのが駿河での任務を終え、京に戻っていたのちの北条早雲。この要請に応え再び駿河に下向した早雲は焼津で兵を集め、小鹿範満が居る駿河館へ進軍。大義名分は龍王丸側にあり、かつ将軍の名代たる早雲が率いていたことも手伝ってか戦況は龍王丸側優位に推移。見事小鹿範満を討ち果たすことに成功した早雲は、龍王丸改め氏親より甲斐伊豆相模と通じる要地・富士下方12郷と興国寺城が与えられるのでありました。これだけの恩賞を氏親が早雲に対し与えたのは、成人したとは言えまだ自力でことを為せるわけでなく、これまで対立してきた今川氏随一の実力者であった小鹿範満と繋がり深いものも当然残っていたため、このまま早雲を京に帰すわけにはいかなかったからあれだけの領地を早雲に与えることになったことが想像出来ます。

 その証左としまして、牧野古白が三河の国宝飯郡で軍事活動を展開した明応2(1493)年に氏親は、足利政権における内紛に乗じ、将軍・義澄のお墨付きのもと。伊豆を平定。翌明応3(1494)年には父・義忠の悲願でもあった今川氏の守護国であった遠江へ進出した際、兵を率いていたのは北条早雲。その後、伊豆については早雲の管轄となり、東は北条。西は今川と棲み分けを図ることになるも、いくさの時は共同して事にあたる。家康と信長のような関係がしばらくの間続くことになるのでありました。

 遠江中部まで勢力下に治めることに成功した氏親(早雲)は余勢を駆って三河へも進出。今の岡崎市岩津において松平氏と刃を交えるのでありました。岡崎は西三河。その岡崎まで進出していると言うことは当然のことながら飛行機は存在せず、岡崎は海に面していないことを考えますと、まだ今川家の勢力圏ではない東三河を通らなければなりません。その際、今川と東三河の勢力との間でこれと言った諍い事が見られない(のちの騒乱についての記述は残っている)ことから想像しますに、良好な関係が築かれていた。それがあったから早雲は西三河まで進出することが出来た。ではそのルートとなった勢力はどこであったのか?を考えますと遠江から岡崎を最短ルート上に位置していた勢力である宝飯郡の牧野古白。(関東を早雲に渡したため、今川氏が進出することの出来る方向がそこしか残されていない)三河への勢力拡大をも視野に入れる今川氏親と、今川氏と相対すだけの勢力は有していない。出来ることならば良好な関係を維持しつつ、今の権益を維持したい牧野古白との思惑が一致したことが今川家の兵の通行を認めた背景にあった。そんな今川・牧野両氏の関係から誕生することになったのが……。

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