蒼色の祝福を
領主ソフィア・グロサルトは、おのれの欲望に負け、死んだ。
こちらからはいっさい触れず、自滅という結末。
果たして私たちは罪に問われるのだろうか。
立ったままの死体を眺める。
仮面のような化粧は、キレイさっぱり剥がれ落ちていた。
その下には、飾る必要もない、少女らしい美しい顔があった。
でも目の下にはどす黒い隈が刻み込まれていて、ところどころ肌が荒れ、その痛々しい様相は死んで行った街の人々と同じ。
領主もまた、王の遺産の呪いに負けてしまったひとりである。
すべての元凶たる、王の遺産に目を向ける。
領主の首にかかった飾りは、一見、なんの変哲もない。
首飾りを指差して、後ろで見ていたエリスに問いかける。
「これが、本当に王の遺産でいいの?」
「……そうだね。でもまだ目覚めてないみたい」
魔剣エリスフィアも最初、暴走をしていたために、私が持っても狂気におかされてしまった。
暴走を解くには、王の遺産に自分の魔力をありったけ流し込み、私という存在を分からせてやる必要がある。
そして、魔力を通すためには、暴走した王の遺産に触れる必要がある。
王の遺産に触れれば領主のような狂気におかされて……。
床に横たわったアリアを見る。
おびただしい量の血が、時間経過によってかたまり始めている。
王の遺産に触れて、また私が狂ってしまったら、どうなるか分からない。
今度こそ、無抵抗なアリアを殺してしまうかもしれないのだ。
「エリス、アリアを連れて、部屋の外に出てて」
これが、最善策。
そう思って言ったのだけど、エリスは不服そうな表情を向けてきた。
「……リルフィはひどいよ。ボクだってリルフィが大好きで、アリアは邪魔者でしかないのに。でも、リルフィに嫌われたくないから、ボクに拒否権はないんだ」
領主といい、エリスといい、私はみんなに大人気だ。
でも、私はそれに応えることができない。
「行ってくれないの?」
「……リルフィのばか」
エリスはアリアの襟首を乱暴につかんで、引きずって外に出ていく。
扉にアリアのアタマがぶつかる。
「丁寧に持って行って!」
扉が閉められて、部屋には私と領主の亡骸だけに。
アリアが傷つけられないか気がかりだ。
まあ、エリスのことだから、大事には至らないだろうと不安を飲み込み、再び領主と対面する。
王の遺産だとされる首飾りは、シンプルな黒い紐だけのもの。
改めて見ても、どこにでも売っているアクセサリーと変わらない。
間違えてさわってしまうのも十分にあり得る。
今となっては、どういう経緯で領主がこれを手に取ったのか不明だ。
そんなことを考えるのもムダなこと。
首飾りを両手で握ったまま固まっている死体。
引っ張っただけでは取れないから、指を一本一本ほどいていく。
首飾りに触れないように、領主の指だけを動かして。
香水と糞尿と血の混じったにおいがヒドく、早く離れたい。
やっとのことで首飾りから手を剥がし、あとは首から取り外すだけ。
一呼吸。
この首飾りに触れたら、すぐに魔力を流し込む。
ソフィア・グロサルトの二の舞になってはならない。
意を決して、首飾りの留め具に手を伸ばした。
————来た。
私の中に、欲望が生まれる。
それは圧倒的な独占欲。
何かを独り占めしたいという気持ちが先に生じ、次にその何かを探索。
私の場合、当たり前のごとくアリアに行き着いた。
欲望の対象が決まり、その欲望が加速的に増えていく。
アリアのことが欲しい、欲しい。
旅を再び始めて、アリアとしゃべってもどこか物足りない。
もっとアリアと会話して、アリアのことを知っていかないと。
アリアを独り占めするには、アリア以外の存在が邪魔だ。
みんな死ねばいい。
みんな死んで欲しい。
そうだ、死んでもらうように頼めばいいんだ。
勝手に死んでもらえば、わざわざ私が手を下す手間が省ける。
それがいい。
そうしよう。
この首輪に触れれば、願いをかなえてくれる——。
アタマを振り払って、私の中に芽生えた感情を否定する。
自分の欲望に従うのはとても気持ちいいことだ。
この首飾りなら、理想を現実にするチカラがあるだろう。
それでも、暴走した王の遺産に身を任せていたら、最後は領主のようになってしまう。
領主から直接受けた呪いに比べれば、この感情の暴走なんて痛くもかゆくもない。
呪いが理性を覆い隠すものならば、暴走は本能の流出だ。
ならば確たる信念をもって、その流れをせき止めてやればいい。
そういう決意を固めてから、この首飾りに触れたのだ。
一瞬だけ戻って来た正気の狭間をぬって、思い描いていた行動を実行。
私は手の先に思いっきり魔力を移動させて、一気に首飾りへ流し込んだ。
魔力が渡ると、自分の感情もみるみるおだやかになっていくのが分かる。
やがて視界が真っ白に変わっていき。
エリスと出会った時のような、白い空間。
私の中の私の世界に、たどり着く。
・・・・・・・・・・・
「ハイ、こんにちは」
挨拶は大事。
それはどこの世界でも共通であり、精霊さんの社会でも常識のようだ。
「こんにちは」
「よくできました」
私が挨拶を返すと、精霊さんはにっこりと笑って歩み寄ってきた。
この精霊さんもまた、エリスと同じく特徴的な髪の色。
青色のセミロングが、すぐそこまで迫ってきた。
「うんうん」
ひとりでにうなづくと、精霊さんの手が私の髪へと伸びる。
そして、いきなり引っ張ってきた。
「いった!」
「シツレイ」
髪が抜けた……。
この世界で受けたダメージは、現実にどう反映されるのだろう。
ちょっと残念な気持ちになるのかな。
心の髪が抜けて悲しい。
傷害事件の犯人である精霊さんは、何食わぬ顔で私の髪の毛を顔の前に持っていく。
「すぅーーーー」
数本の髪の毛が、全力で吸われた。
見ず知らずのひとに、自分の一部だったものがもてあそばれて、はずかしい。
「あむ、あむ」
そしたら今度は、口に含んで味わい始めた。
私の食感を楽しむかのように、髪の毛を咀嚼して、舐めている。
「これは…………!」
私の髪の毛を口から出した精霊さんは、何かに気づいたご様子。
頰を上気させながら、懐から長細いビンを取り出し、私の髪をそこに入れた。
そして私に向き直る。
「ワタシはフローラ。手始めに、アナタを解剖させて欲しいよ?」
「ご冗談を」
異常な行動を見るのももう慣れた。
私の周りにはそんなヤツらばっかりだ。
おかげで、極めて冷静な対応ができたと自負する。
「ワタシのインテリジェンスが幾数百年ぶりに昂ぶっている。したがって、アナタはワタシに協力をするべき」
私が精神的に優位に立っていると高をくくっていたら、フローラと名乗った青髪の少女が再び迫ってきた。
「えい」
「うっ!?」
スカートをめくられた。
私の精神世界なのに、下半身に爽快感が漂う。
その中をまじまじと見られる。
無表情だったフローラの頰が、ぴくぴくと動く。
「み、見ないでよ!」
「なるほどね」
ついにバレてしまった。
今まで隠してきたことなのに、初対面の他人に暴かれてしまった。
はいていない。
私だって最初の頃はちゃんとしていた。
でも旅が始まってから、私の下着が全部盗まれるんだ。
決して好きでやっているワケじゃないのだ。
「顔を埋めてもいい?」
「ダメに決まってるでしょう!」
「しかし、現在のワタシの知的好奇心は
そういってフローラはムリヤリ青髪をねじり込ませてきやがった。
スカートをおさえ、足を閉じて、完全防御をする。
押しつ押されつの攻防。
「これはこれで……良い!」
何をしても喜ぶヘンタイ。
この防御網を突破できないと判断したフローラは、私の太ももに顔を押し付ける姿勢に変わる。
「あ、もう! 舐めるな!」
「コングラチュレーション!!」
青髪の少女は大きく後ろにのけぞって、無表情でこの世の幸せを受け止めていた。
一歩、二歩、後ろに下がって距離を置く。
誰も見ていないけど、知らないひとのフリをしておこう。
十数秒の時が過ぎると、精霊さんの姿勢が戻る。
何事もなかったように無表情だ。
「シツレイ。これからこの知的好奇心が満たされて行くことが、非常に期待できる。早く外に出たい。アナタの生身の身体を、触って、確かめてみたい。さあ、ワタシの名前を呼んで」
えぇ……やだ。
こんなヘンタイが新たな仲間だなんて……。
アリアにお見せできないよ。
「ワタシはフローラ。フローリエットの首環の精。アナタの名前をワタシに伝達し、首環の名前を発すれば、そこで
私の名前も知らずに、ベタベタ触ってきたのか。
けしからん。
「さあ早く」
青髪がまたまた迫ってくる。
いちいち距離が近い!
フローラは言わなきゃキスをするぞ、という勢いで顔を近づけてくる。
この唇はアリアのためのもの。
初対面のひとに奪われたくはないのだ。
……妙にがっついてくるヘンタイに対して、私は根負けした。
「——私はリルフィ。フローリエット、契約するから離れてください」
・・・・・・・・・・・
目が醒める。
白い空間からここに戻ってくる感覚は二度目。
私はついに、二つ目の王の遺産を手に入れたのだ。
領主の首飾りに手をかけたまま、白い世界に旅立っていた。
ヘンなことをされた気もするけど、夢から覚めた時のように記憶がない。
それに、領主の絶望に歪んだ表情がすぐ近くにあると、落ち着いていられないのも事実。
領主から首飾りを外して、部屋の外に向かいながら装飾を眺める。
「うえ、白い粉がついてる……」
領主はひび割れて剥がれるほどの分厚い化粧をしていたから、身につけていたものも汚れているのは当然。
さすがに今コレを装備するワケにもいかず、あとでしっかり水洗いをしようと決心する。
領主の部屋を出て、アリアたちが待っているかと思ったら、誰もいなかった。
あちこち見渡して探していると、階段からエリスが顔を出してきた。
廊下を進んでエリスと合流し、一階の厨房へ行くことに。
「……お昼ご飯を作っていたよ」
「こんなところで、よくやるねぇ」
敵地の真っ只中で、くつろぎすぎ。
呪いのチカラで働きづめだった街のひとは、ほとんど死んだか動けなくなるほど疲弊している。
でも、もしものことがあったらと思うと……。
「……一応アリアは隠してきたけど」
ちゃんと対処してくれたようだ。
とりあえず安心して、厨房に入る。
中には誰もいない。
泊まっていた宿みたいに、死体の山もなかった。
「……死体は、あっち」
エリスが厨房の外を指差す。
見に行くと、給仕台に乗せられた人間たちが、廊下の端にまとめられて、テーブルクロスに覆われていた。
よく見ると足がはみ出ている。
「アリアはどこ」
「……アリアも、あっち」
エリスが廊下に出てきて、給仕台のテーブルクロスを取る。
一番上に、アリアが乗っていた。
「アリアは死体じゃないでしょ!」
「……ボクを持った仕返し」
急いでアリアの体を取り出して、厨房に運び込む。
アリアを休ませるのに良い場所がないので、とりあえず調理台の上に乗せた。
「……調理していいの?」
「ダメ! というかなんで仕返しなんて……!」
エリスは終始、不満げな様子で、さっきのことを話した。
私が領主の呪いのせいで、見られなかった時の様子。
アリアは自分に降りかかった呪いを無効化するために、私が刺した魔剣をお腹に刺しっぱなしにして、領主と対峙していた。
魔剣による呪いの無効化は、契約者である私じゃないと適応されない。
私以外のひとが魔剣を持つと、たとえエルフィード王族のアリアであっても、拒否される。
もし、契約者以外が魔剣を持ったら。
今持っている首飾りのように、狂気におかされてしまう。
アリアは魔剣を持った時の狂気を利用して、領主の呪いに対抗したのだ。
領主の狂気に、同じ狂気で対抗。
そしてエリスはアリアに使われたことを怒っているのであった。
ムチャクチャだ。
倒れる寸前の体調で、決して領主には触れずに言葉だけで領主を追い詰め、私をも利用して、アリアは領主を倒した。
繊細で、上品で、憧れだったアリアお嬢様の像は、どこへ行ったのやら。
気を失ったアリアの、お腹を撫でる。
ズタズタに破れた服と出血の跡が、どれだけ大きな傷だったかを物語る。
この傷を私がつけてしまったのだと思うと、胸が締め付けられる。
謝りたい、謝って済むことじゃない、でも謝りたい。
「…………ぅ」
「アリア……っ」
しばらく撫でていると、アリアが身じろぎで反応した。
すかさずアリアの顔を見て、目覚めの時を待つ。
「……リルちゃん、そこじゃない……もっと下、さすって」
「アリアぁ!」
青白い顔をして、相変わらずの発言。
いつも通りのアリアを見せられて、不意に涙が出てきてしまった。
アリアのお腹に顔を押し付けて、泣き顔を隠す。
「アリア、よかった……! 痛かったよね、ごめんね……?」
「……もう、リルちゃんたら、抜いたり刺したり、激しかったんだから」
消え入りそうな声で、アリアはいつも通りを演じている。
乾いた血が私の涙で溶け出して、顔につく。
「……リルちゃん、きたないから、さわらない方がいいよ」
「やだ。離したくない」
一歩間違えれば殺してしまったかもしれない。
アリアを刺してしまった自分の手が震える。
それでもずっと触れていないと、アリアが離れてしまいそうで、必死にアリアにしがみつく。
「……アリア、ぐすっ、無茶しないでよ」
「わたしも、守られるだけじゃ、ないんだよ」
アリアの手が、そっとアタマにのせられる感覚。
「ふふふふ、泣いてるリルちゃんも、かわいい」
両手がこめかみに添えられて、アタマを持ち上げられる。
アリアのお腹から私の鼻まで、鼻水の糸ができる。
私のヒドいであろう顔が、アリアに見られてしまった。
「ああ、ああ、リルちゃんが、わたしのために、泣いてくれてる……! なんて、しあわせなの……!」
私の泣き顔を見るために、瀕死の重傷を負ってまで領主と戦ったアリア。
それでもし死んでしまったら……と、アリアを失う悪い想像が堂々巡り。
胸がいっぱいになって、再びアリアのお腹に飛び込む。
「……ばか、ばかぁ」
「うんうん。リルちゃんかわいすぎる」
それで会話は終わり。
エリスが後ろで調理をしていて。
料理が完成し、食事にすると促されるまで、私はずっとアリアの体温を感じていた。
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