もがくほどに

 ああ、やってしまった。

 アリアとエリスに見守られている中で、憐れな姿を晒してしまった。

 無様。

 憐れ。

 恥知らず。

 死にたい。


「リルちゃんすごかったよぉ」

「……リルフィ、ちゃんとできたね。えらいぞ」


 謎の賞賛が、私の心をえぐってくる。

 まだエリスの声を聞くと体が疼き、いてもたってもいられない。


 優しい視線がジリジリと私の身を焼いてくる。

 体が熱くて、これ以上人前に出ていると焼け死ぬ。

 全ての情報をシャットアウトするためにベッドに戻り、ブランケットを頭まで被ってふて寝した。


 その上から包み込むように、エリスが乗ってくる。

 見えないけど、体重的にエリスなのだ。


「……リルフィ、大丈夫、恥ずかしくないよ」


 甘い声で、思考がエリスに埋め尽くされる。

 本当にやめて。

 私を正常に治して。


「……恥ずかしくない。リルフィはボクにお世話されて、幸せなの」


 ……幸せ?

 この気持ちは、幸せ?

 違う違う、恥ずかしいのだ。

 でもエリスが言っているのだから、私の勘違いか?

 どうなの?


「……リルフィはボクと一緒にいることが幸せ。ボクの声を聞くだけで嬉しいんだ」


 エリス。

 魔剣エリスフィア。

 なんて甘美な響き。

 もうどうにでもなれ。


「……さあ、言ってごらん。エリスに全てを委ねるって」

「エ、エリスに……」


 言葉に出すと嬉しみが込み上げてくる。

 楽しい世の中。


「……そう、そのまま、ボクの名前を……!」


 言ってしまおう。

 何も考えないようにしよう。

 エリスに全部やってもらうんだ。

 私は辛い思いをしなくていいんだ。


「エリスに全部……!」

「はい、そこまでだよ!」


 体の上の重さが消える。

 ブランケットを取り上げられて、私の姿が再び、世界の晒し者となる。

 すごく不安になった。


「リルちゃんはわたしのものだからね!」


 エリスが遠くに退けられてしまう。

 寂しい。

 ベッドの上で震えていると、アリアに無理やり体を起こされた。


 見られるのが怖い。

 助けて。


「しっかりしてっ!」


 アリアのアタマが、思いっ切り後ろに引かれ、私の顔面に飛んできた。


 ——痛いっ!

 鈍い音が私の額で発生し、鼓膜がキーンと鳴る。

 アリアの頭突きだ。


「……ああ! リルフィ! 大丈夫かい! すぐにさすってあげるから……!」

「リルちゃんに近づかないでね?」


 痛いけどアリアのおかげで正気に戻った。

 エリスにひどい精神干渉をされていたのだ。

 中途半端に心を許したがために、つけ込まれてしまった!


「近づいたら、これ。わかる?」

「……な、それは」

「キッチンから勝手にとってきちゃった」


 アリアがエリスに向けているのは、お酢の入ったビン。

 それを見て、エリスはたじろいでいる。


「……ボ、ボクにそれが効くとでも?」

「リルちゃん、剣出して」


 アリアに言われた通りに、右手に魔剣を出現させる。

 お酢と金属……。

 錆びるんじゃない?


「あってがすべったー」

「ひぃ!!」


 お酢のビンを魔剣に向かってわざとらしく傾けるアリアに、エリスが感情を露わにして止めに入った。


「ざんねん、ふたが閉まってまーす!」

「……そ、そんなの知ってたさ」


 エリスが何事もないように取り繕っているが、全然隠せていない。


 魔剣エリスフィアはお酢が苦手なのだ。

 剣だから。

 錆びの原因になるようなものは、エリスの弱点ということ。


 いいことを知ったぞ。

 アリア、よく気づいたね。


「アリア、それちょうだい」

「うん」

「……リ、リルフィ、ばかなことは、やめるんだよ」


 私はアリアからお酢を受け取って、エリスに近寄っていく。

 いつも余裕な表情をしているエリスも、弱点を前にすればタジタジ。

 さっきの復讐をしてやろう。


「エリス、いっぱい喋って、疲れたでしょ。今日は私からのお礼ということで……」


 エリスが運んできた空のティーカップに、お酢を注いでやる。

 舞い上がった酸っぱいにおいが、私の鼻腔をチリチリと刺激した。


「これ、飲ませてあげる」

「……ごごごめんよ。ボクはリルフィを怒らせたかったんじゃなくて、安心させてあげたくって、ボクがリルフィを求めていたこともあるけど、やりすぎてしまったというか、ごめんなさい! もうしませ……ぴぎゃあ!!」


 お酢から逃れようと必死に命乞いするエリスの口へ、指先につけたお酢を突っ込んで差し上げた。

 エリスが面白い音を出して白目をむく。


「……あ、……あ、……」


 そんな死ぬほど酸っぱいのかな?

 ティーカップに入ったお酢をなめてみるが、素晴らしい酸味しかしなかった。

 これ、旅のお供に持って行こう。


「それもう一回」


 人差し指にお酢をつけて、口をパクパクさせているエリスに持っていく。


「——んぁっ! ん、いぎぃ!」


 酸の刺激で、強制的に意識を呼び寄せられたエリスは、同じ刺激で再び昇天する。

 ほう、ここまで効くものか。

 興味深い。


「これに懲りたら、もう私にヘンなことしないで。次はもっとひどいよ」


 ビクンビクンと痙攣するエリスに、私の声が届いているかは不明だが、言われなくても分かるだろう。

 ヘンなことをしたらまたお酢を飲ませるぞ、って。


 これでエリスの自由は私の手のひらにおさまったも同然。

 でもやりすぎると魔剣との契約を解除されるかもしれない。

 ここぞという時にやってやろう。


 何はともあれ、仕置き完了。

 私の気もおさまってきたから、今度こそ休憩だ。


 もともと、部屋に帰ってきたのはアリアを休ませるため。

 でもアリアの様子を見てみると、なんだかとっても元気そう。

 セレスタに攻撃されたばかりなのに、その落ち着きようはおかしい。


「アリア、その、傷は大丈夫なの?」

「うん。なおしたもん」


 そうは言うが、ところどころに空いた服の穴とか、そこから染み込んだ血痕とか、何度見ても辛い。

 せめて着替えを用意しないと。


 ここで他人に頼るのも気がひけるが、母親に服をもらいに行くことに。

 結局、この部屋に戻った意味はなかった。


「……はっ、ボクは何を!」


 エリスがこの世に帰ってきたところで、食堂へと連れ出そうと、ドレスを引っ張った。


「アリアはそこのクローゼットに隠れて。誰か来ても出ちゃダメ」


 アリアを狙う敵がいるのなら、連れて行くのではなく、隠しておいた方がいいだろう。

 エリスも私の手の届く範囲に置いておけば、ひとまず安心だ。


「……え、リルフィ、もうボクのことが欲しくなっちゃった——ぴぃっ」


 寝ぼけて頭のおかしいコトを言い出したエリスに、お酢の残り香が付着する指を近づけた。

 においだけでもこのダメージだ。

 すごい便利。


「じゃあ、すぐに戻ってくるから」


 アリアがうなずくのを見届けてから、廊下に出る。

 そして、走る。


「……あ! 服が! ボクの服が破れてしまう!」


 エリスのフリフリドレスを握りしめて、食堂まで全力疾走だ。

 後ろで抗議の声が聞こえてくるが、そんなの無視だ。

 最高速度で駆け抜けようと、エリスの服をつかみ直す。


「……あふぅ!」


 エリスが転んだ。


「ちっ」


 焦りから思わず舌打ちが出てしまう。

 一秒でも早くアリアのところに戻らないと、危険だけが増していくのに。


 顔からべったり倒れたエリスを、力いっぱい担ぐ。

 精霊だからか、見た目にそぐわぬ軽さだ。


 だが都合がいい。

 このまま一気に食堂まで駆けた。


 食堂の扉の向こうから、宴会の声が聞こえる。

 私はこんなに警戒しているのに、腹立たしいほど呑気な奴ら。

 八つ当たり気味に、その扉を蹴破った。


「お母さん! 服ちょうだい!」


 一斉に食堂から笑い声が引き、私の声が響き渡る。

 何人もの知らないおっさんがテーブルを囲み、父親と一緒に酒盛りをしていた。

 領民の支持を失わないよう、ご機嫌取りをしているのだ。


 私の姿に、全ての視線が注がれる。

 いつ襲われてもいいように、身構えた。


「うちの娘です……」


 父親の情けない声。

 途端に、どっと笑い声が復活した。


『なんだぁ! ノーザンさんの子かい!』

『えらいべっぴんさんになったもんだべ!』

『子供は元気が一番ってなぁ!』


 私をネタに、心無い言葉が振りかけられる。

 暴力こそないが、精神攻撃の集中砲火。


「お母さん!」


 もう一度母親を呼ぶ。

 早くここを抜け出したい。


「はいはい、ちょっと待っててね。大きくなったリルフィにあげようと思って、色々作ったのよ」


 食堂の奥、キッチンから母親が顔を出して、また戻っていく。

 早くしてよ!


『嬢ちゃんもこっち来て飲もうや!』

『おりょ? 今何歳だ?』

『そんなのカンケーねーか!』


 おっさん共が好き好きにゲラゲラ笑う。

 そんなところを、顔を赤くした父親が取り仕切る。


「まあまあ、みなさん。今日はこの辺でお開きにしましょう。家族水入らずで、話をさせてください」


 父親が席を立ち、おっさんたちの席を引いて半ば強制的に立たせる。

 そんな奴ら蹴り飛ばして追い出せばいいのに。

 それをできないのが、弱小貴族が弱小たる所以なのだ。


 領民に適度なサービスしてあげないと、住人が離れていく。

 土地にひとがいなくなると、領地として機能せず、国に税を納められない。

 負のスパイラル。

 実は領主が一番身分が低いんじゃないかと錯覚してしまう。


 そうして、だらだらと帰っていくおっさんを横目に、イライラを募らせていく。


「あれ、リルフィ。アリアさんはどうしたんだい?」

「ここにいるよー」


 おっさんたちの間から、アリアがぬるりと生えてきた。

 平然と私の後ろに立って、父親に返事をする。


 部屋で待っていろと言ったのに……!


「……アリアはなんでくるのっ!」


 どいつもこいつも、バカだ。


 呑気な母親に、情けない父親。

 どこまでも付きまとってくるセレスタやエリス。

 そして自分の立場を理解しようとしないアリア。


 怒りを通り越して、もう疲れてしまった。


 キリ、キリ。

 歯車が壊れそうな音。


「……はぁ」

「リルちゃん! そこにすわっていいって!」

「そう。はははは」


 リルフィが席につく。

 アリアが席につく。

 エリスが席につく。

 父親が席につく。

 母親が来る。


 みんな揃いましためでたしめでたし。

 楽しく食卓を囲んで、幸せに暮らしましたとさ。


 これでいいかな?


「あら! アリアさん、その服着てくれたのね! リルフィに作ってあげたものだけど、よく似合ってるわ」

「えへへ、クローゼットにはいってたから勝手に着ちゃった」


 よく見ればアリアの服が、ど田舎デザインのワンピースになっていた。

 穴だらけの服のままだったら、さすがに騒ぎになっていたことだろう。

 そうじゃないから、こんな甘ったるい空間が生まれてしまうのだ。


「丁度集まったことだし、リルフィに服を見せるより先に、夕食にしましょうね」


 そう言って母親はエプロンを付け直し、キッチンに戻った。

 母親に新しい服を頼んだのは、私が着たいからじゃない。

 アリアが見つけてしまったから、もう目的は果たしたのだ。


 母親が料理を作っている傍ら、父親と私たちは手持ち無沙汰になる。

 微妙な空気を緩和しようとして、父親が話題を振ってきた。


「リルフィ、そういえばそこの、エリスさん? のことも紹介してくれないか?」


 父親はエリスのことを知っているようだった。

 一人増えていることにツッコミが入らなかったのも、すでにエリスが両親と知り合いだったから。


 当然だ。

 エリスたちは、私よりも先にこの村に来て、両親に私の情報を流していたのだから。

 その時に自己紹介しただろう。

 改めて私が喋る必要もないだろうに。


 無視したかったが、ヤケクソ気味にエリスのことを話すことにした。


「コレは、魔剣の精霊。エリスフィア。どうやって手に入れたか、もう聞いた?」


 この剣は私の罪である。

 旅の途中で出会った、リオ・ビザール男爵を殺して奪い取ったモノだ。

 過程はどうであれ、ビザール領主を手にかけたのは事実。


 城の騎士にはもう、犯人が私だってバレてるよね。

 ビザールの屋敷の使用人には、口封じも何もしていなかったし。

 手配書が出ていてもおかしくない。


 さあ、分かったのなら私を解放して。


「……エリスフィア、だと」


 しかし父親は、私の前科を気にしている様子はなかった。

 急に真面目な雰囲気になって、エリスのことを睨みつけたのだ。


「……おとーさん、ボクの事、知っているの?」


 エリスでも自分自身のことを知らなかったのに、こんなみずぼらしい父親が知っているはずがない。

 どうせ昔好きだった女の名とかなんとか言い出すのだ。


「リルフィ! 今すぐ剣を手放すんだ!」


 父親が机を叩き、その剣幕に私は驚いた。

 なに、急に叫んでんの。


「……おとーさん、ボクはリルフィと契約したの。一生離れないよ」

「あ、ああ、そうか、今更、遅いか……!」


 父親は椅子に戻り、その金髪のアタマを抱えて黙り込む。

 なんで悔しがっているのか考えてみると、魔剣と出会ったときのアレが理由だろう。


 契約していない状態でエリスフィアに触れると、ひとを切りたくてしょうがない状態に陥るのだ。

 そして、ひとを斬った時には言葉にできないような快感に冒される。

 快楽殺人者の出来上がり。


 この話をちょっとでも知っていれば、父親のような反応も頷ける。

 娘がおかしくなった、とでも考えているのだろう。


「私は正常。大丈夫だから」

「そういう問題ではないのだよ……」


 あれ、違うのか。

 父親の口ぶりは、私の知らないところまで知っているようだった。


「……ボクがなんのために存在するのか、知っているのなら教えてくれない?」


 父親は後ろを見て、母親が来ないことを確認して、私たちに告げる。


「——エルフィードの遺産、だ」

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