はなぢ

 前からくる魔物。

 後ろについてくる人間。


 たいして迷うこともなく、強い魔物に足止めされることもなく、淡々と進んでいた。

 でもリルちゃんは、前も後ろもずっと警戒をしていたから、わたしよりも消耗がはげしかった。


 体は余裕でうごかせるけど、心がもたない。

 途中にあった袋小路に入って、休憩をとることにした。


 リルちゃんはおもむろに魔剣を取り出して、地面に線をひいていく。

 わたしたちと、他のみんなとの境界線ができた。


「ここからこっちに入ってこないで」


 境界線から袋小路の入り口までの距離は、冒険者二人と魔剣、エルフが過ごすには、明らかにせまい。

 対してわたしたちの空間はとても広い。

 わたしはリルちゃんに引っ張られて、みんなから見えなくなるくらい奥まで進んで、腰をおろした。

 どうやらあれは、みんなと距離を置くためのものだったらしい。


 こんなに離れていても、だれかがあの境界線をこえたり、書き換えたりしたら、リルちゃんはすぐに気づいて怒っちゃうのだろう。

 気持ちはわかる。

 みていない間に浮気でもされたらと思うと、気が気じゃないもんね。


「アリアも、この線から向こうに行っちゃダメだからね」


 リルちゃんはわたしの目の前にも、線を引く。

 切れ味のいい魔剣は、硬い地面でも簡単に傷つけられる。


 こうして区切りをつけられると、実際に壁はないのに部屋にいる気分。

 二人きりの空間になってなんだか落ち着く。


「はっ……!」


 突然、頭の中に、一筋の電撃が走った。

 二人の空間。

 休憩……。


 宿屋で、ユリアとマリオンが楽しそうなことをしていたところを、わたしが目撃した時の記憶がよみがえった。

 二人でハッスルしていた衝撃的な場面だ。


 頭の中で、その二人が自分たちにおきかわる。

 ユリアが、わたしに。

 マリオンが、リルちゃんに。


 はだかで、かさなる、わたしたち。

 はげしく、うごいて、さけぶ。


 おお……!

 これは……!?


「アリアー! 鼻血出てるっ!」


 リルちゃんの大声に、妄想がかき消された。

 口もとをさわるとぬるぬるした感触。

 それがあごまで伝って、スカートにしみを作っている。


 わたしとしたことが、取り乱してしまったようだ……!


 リルちゃんがあわてて、わたしに回復魔法をかけようとする。

 わたしの劣情にたいして手をかける必要はないよ。


 自分の手をチョキのかたちにして、血がとめどなくあふれている鼻につっこむ。

 これでよし。


「ア、アリア……。そんなお下品な……っ」


 わたしの雑すぎる応急処置をまのあたりにしたリルちゃんが、白目を向いてたおれた。

 そんなショックを受けるほど変だったかなあ。


 とはいえ、血が止まるまでは動けないし声も出せない。

 腹をこちらに向けて、無防備な姿をさらすリルちゃんをみて、時間をつぶす。


 動けるようになったら襲ってよし、という意思表示だろうか。


 あ。

 想像したら鼻血がふえた。


 リルちゃんを直視していたら体が持たない。

 煩悩を振り払うため、目をつむる。


 …………。


 はだかのリルちゃんが一人。

 はだかのリルちゃんが二人。

 はだかのリルちゃんが三人。


 ぶわっと、鼻血が勢いを増す。


「わたし、ここでしぬのかな……」


 鼻血が止まらない。

 何をしてもリルちゃんが現れて、興奮してしまう。

 目を閉じた方がもっと危険だった。


 どうにか気をまぎらわすことができないかと、髪をいじっていると。


 ……プルルルルルル。

 耳元でなんか音がした。

 驚いて横を向くが、視線の先には壁しかない。

 また隠し扉でもあるのだろうか。


(…………ますか。…………さん)


 ん?

 リルちゃんじゃない人間の声が聞こえた。


(…………聞こえますか。……アリアさん。……ユリアです。……今……あなたの耳元に……直接声を……送っています……)


 なにその技術。


(わっちの魔法じゃよー)


 耳元で、今度は別の人間が話しかけてきた。

 このなまいきそうな子供の声は、エルフ?


(風魔法で声を送っとるん。ま、ニンゲンのアリアにはできんねんな?)


 小馬鹿にしたような言い方がむかつく。


(ふぁー! くやしかったら文句でもいうてみい!)


 こっちが話せないのをいいことに、エルフが嬉々としてあおってくる。

 どうにかその口を閉ざしてやろうと、魔力を練る。


 声を届けるなんて魔法は、たしかに人間に使えない。

 でもそれは、知られていないだけだ。


 魔法はもっと柔軟なもの。

 魔法学校で使っているような教科書は、魔法のことをちっとも理解していない。


 風魔法で声をとおくにおくる。

 音を、風にのせて、散らばらないようにすればいい。

 仕組みは風魔法『切断』といっしょ。

 あれも風を一箇所にあつめて、的に向かってとばす魔法だ。

 風を声に置き換えればできるはず。


「ばーか!」


 言葉を発した瞬間に、魔力でむりやり音をかき集める。

 自分の声が、いつもよりすこし離れたところから聞こえたような気がしたので、たぶんうまくいってる。

 丸めた音をこわさないように、エルフがいる方に向かって思いっきりとばす。


(うわっ!)


 よし。

 反応があった。


(アリアの分際でやりやがったん……!)


 ちゃんと声が届いたっぽい。

 あたらしい魔法を生み出してしまった。


(……はいはい、もういいだろう。ケンカするために話しかけたんじゃないだろう)


 エリスの声。


(……リルフィは大丈夫かい?)


 横でぶったおれているリルちゃん。

 元気そうに息をしている。

 問題ないことを、さっきの魔法で伝える。


(……よかった。ボクはそれだけ分かれば十分だよ。ユリアにかわるね)


 エリスの声が離れて、別の人間がくる音がする。

 物音まで聞こえるのだから、わたしがやったものよりもずっと高度な魔法なのだろう。


(……聞こえますか。……アリアさん……ユリアです……)


 そのしゃべりかた気に入ったの?


(……リルフィさんが……不安定なようなので……私たち……先にノーザンスティックス領に向かいます……)


 さっきのリルちゃんは、冒険者に襲いかかってもおかしくないほど、ピリピリしていた。

 ユリアの言うとおり、しばらく距離をおいて、頭を冷やした方がいいのかもしれない。


 でも待って。

 ちょっとちょっと。


 横で寝ているリルちゃんから目が離せなくなる。

 せっかく忘れていた興奮が、再び燃え上がってきた。


 みんなが先に行ったらしばらくリルちゃんと二人っきり……!

 確定された未来!


 うれしいしずっと夢見ていたことだしこの上ない幸せなんだけど!

 体力が持つかなあ!


 いまの時点ですでにフラフラだ。

 冒険者のアレな場面のせいで妄想がはかどってしょうがない。


 わたしを好きと言ったリルちゃんは、これから積極的にアプローチしてくるのだろう。

 そうなったらゆくゆくわたしたちは……!


 刺激が強すぎるよぉ!


(……今回のことは……何も言わないことにします……どうか安心してください……旅が終わるまで……ちゃんと面倒を見ますから……)


 面 倒 を 見 る ! !

 それってつまり、リルちゃんとの、その、アレのやり方を教えてくれるってこと……!??

 一人でするのとは段違いなユートピアへ。


(……では……街で待ってます……)


 街か……。

 きっと冒険者は、わたしたちが追いつくまでに、宿屋で準備運動をするに違いない。

 快楽の境地。

 リルちゃんの故郷がピンク色の空間に染まってしまう。


 それはなんとも……。


 すばらしい!

 そそる!

 愛する人の故郷でエキサイト!


 うわ、よだれが垂れてきた。


(あ、アリアは街に入れんから、近くにきたらまた通信するねん)


 ガチャ、ツー、ツー、ツー。

 最後のエルフの言葉に全てがぶち壊され、聞いたことのない効果音が鳴る。

 不快な音から意識を外すと、音は鳴り止んだ。


 わたしたち、指名手配されているせいで街に入れないんだ。

 宿屋はおあずけ……。


 顔の熱が、一気に引いて平常時に戻る。


「…………ふぅ」


 鼻血が止まって、急にセカイの全てが、ばからしくなってくる。

 鼻栓をしていた手を抜いて、ベタつく指を無心でながめる。


 世界の真理について考え始めた。

 人はなぜ生きているのだろう。

 どうして朝が来て、夜がくるのだろう。


 そういうことを考えていると、賢者になれた気がした。

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