特別
長い午前の授業が終わり、昼休みになった。
「失礼する」
教室の前方入り口から上級生が入ってきた。腰まで届きそうな長い黒髪と、鋭い眼光、隙のない立ち姿。
「あ、あれは『
クラスの女子が黄色い悲鳴を上げる。どよめく教室。
「お昼休みにゴメンね? おじゃましまーす」
と、そこにもう一方、後方の入口からまたしても上級生が侵入する。ウェーブがかったやわらかそうな栗色の髪と、穏やかな表情、こちらの警戒を解く隙のある言動。
「ろ、『
男子の野太い歓声が上がる。名前のわりに本人は日本人顔なのだが、そこを気にする者は誰もいない。僕も気にしないことにする。そろそろ疲れてきた。
黒と白、2人の有名人は、人波を気にかけることなく室内を歩いてくる。
だれもが彼女たちに道を譲っていた。
そして、2人ともが、僕の席の前で立ち止まった。
「キミが、
「あなたが、今久留主博人君ね?」とエーデルワイスさん。
たいがい我関せずを通したかったけれど、名指しされては逃げようがない。
「そうですが」
「キミに話がある」黒峰さんはすらりとした立ち姿のままで言う。
「あなたに、お話があるの」エーデルワイスさんは少しかがんで上目遣い。
言葉がかぶった二人の間に、険悪な雰囲気が漂う。
「がっつき過ぎだぞ〝
「相手を立てなさいな〝
「まあまあ」と僕は二人を落ち着かせる。「あの、どういったご用向きで?」
二人はまだ牽制するように睨み合っているので、「じゃあまず黒峰さんから」とこちらから指名する。
「ん、ああ……、おそらくエーデルワイスも同じだろうが……」
黒峰さんはこちらをまっすぐに見据えてくる。とても力のある視線。
「キミの力を借りたい」
「僕の、力?」
「そう。あなたは〝変質してしまった世界〟にも、〝白と黒の王女に囲まれた状況〟にも、まったく動揺していないもの」
「そんなことは、ないですけど……」正直言って、朝から困惑し通しで感覚がマヒしているのかもしれない。
「しかし、キミのクラスメイトたちも、そう証言しているのだがね」
「僕がいつもと変わらないって? ……でも、仮にそうだとして、そんな人間の、どんな力を借りようというんですか」
「生まれながらに順応している、ということ。それは抗体を持つことに等しい」
「抗体って……、病気への抵抗力がつく、あの抗体ですか」
「そうよ。誰も彼もが偽りの衣をまとうこの世界で、あなたの心はまっさらなまま。それがどれだけ素敵なことなのか、あなたはまだ知らないのかもしれない。だけど私にはよくわかるわ。私たち『薔薇十字同盟』の元で、その力を使ってみない?」
「おい抜け駆けだぞ〝白の貴人〟」黒峰さんはコホンと咳ばらいをして、「我々『天地神明会』も、キミの力を欲している。それにね、私個人としても、キミ自身にとても興味があるんだ」
そう言って黒峰さんは僕の頬を指先でなぞる。ぞくぞくする。が、その指をエーデルワイスさんがぴしゃりと叩き落す。
「色仕掛けはアウトでしょう〝黒の麗人〟」
「この程度で色仕掛けなど、随分と初心なことを言うのだな。なあキミ、本気の色仕掛けというものに興味はないか? よかったら放課後、『天地神明会』の部室に来てほしい」
「え、ええと……」
「ダメよ今久留主君、そんな不純な動機に、いっときの情動に突き動かされたら、あなたはきっと後悔する。あなたの力を正しく導くのは、我が『薔薇十字同盟』をおいてほかにはないわ」
さあ、とエーデルワイスさんが手を差し出し、それを押しのけるように黒峰さんも手を伸ばしてくる。肩を押し合い、手の甲を打ち合う鍔迫り合いのような拮抗は、昼休み終了のチャイムによってようやく終了した。
◆◇◆◇◆◇◆◇
放課後、どうするんだお前、というクラスメイトからの詰問を振り切って、僕はさっさと帰宅した。
特別な力なんて言われても、僕にはさっぱりだった。
分不相応というやつだ。
ガラじゃない。
役者じゃない。
面倒くさいし、興味もない。
僕は確かに、僕とそれ以外との間に奇妙なズレを感じていたけれど、それは決して優位に立っている感覚ではない。むしろ、引け目、劣等感の類だ。
バレエダンサーの華麗な舞踏のただなかで、僕だけが盆踊りを踊っているみたいな、ちぐはぐな悪目立ち。アン・ドゥ・トロワ、アー・ソレ・ヨイショ、ってね。
家に帰るなり、晶子が声をかけてきた。いつもは今のソファに寝転がって、こちらを見ようともしないのに。言動は奇妙だが、距離が近くなったようでうれしい。
「お兄様、帰ってきてから様子がおかしいわ」
「そうか?」
「ええ、2人きりの家族ですもの、わからないわけが、ないじゃない」
晶子は『
内心で突っ込みをいれつつも、僕は学校であったことを晶子に語った。
「……特別な力」と晶子は言った。
「冗談だと思うんだけどね。こんな凡俗を絵に描いたような人間にさ」
違うわ。そのいけ好かないメス猫どもの言うとおり……、お兄様は確かに特別よ。お兄様には間違いなく特殊な能力が備わっているわ」
「特殊な、能力?」
聞き捨てならない単語をスルーして問い返す。
「ええ。わたしたちは、〝あの夜〟を境にして〝ある種の超感覚〟を得た。でも、お兄様はそこからさらにもう一段、先のステージへと進んだのよ」
「先のステージ?」
「わたしたちは装うことしかできない。お兄様は、それを看破することができる」
「看破……?」
「そうね、例えば……」晶子がロザリオを巻いた右手首を差し出す。「わたしのこの『
「ああ。……どうしたんだ、急に」
「お兄様は感じ取っているはずよ。わたしが発した言の葉の、その向こうに見えている、もう一つの意味を。その
「いや、さっぱりわからん。感じの鋭さってなんのことだ」
「お兄様だけは〝あの病〟にかかっていない――にもかかわらず、わたしたちの遣う『
「アホみたいに読みづらいルビのことか?」
「駄目よお兄様、そんなメタいことを言っては〝組織〟に気づかれてしまう」
晶子は何かにおびえるように周囲を見回すが、リビングは平穏そのもの。だが晶子はしばらく警戒を解かなかった。ヘリの飛ぶ音や自動車のエンジン音にさえ、襲撃者の足音を感じているようだった。
「とにかく、お兄様は特別なの」
困惑する僕に、晶子はそう念押しをした。
「特別……」
僕は自分を特別だなんて思ったことは一度もない。
だが、今日は明らかに、異質な一日だった。
問題は、みんながそれに無自覚だということ。
そして、どうやら僕だけが、その異質に自覚的だということだ。
「……特別」
僕はまた、その甘美な単語を繰り返していた。
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