5 愛花ちゃんの悪夢

「あ……あの、このキーホルダー、落としませんでしたか?」


 校舎こうしゃを出たわたしは、キーホルダーの持ち主である女の子の背中にむかって、勇気をふりしぼってそう呼びかけた。


 ……でも、女の子は足を止めず、スタスタと校門の方角へ歩いていく。


 な、なんで⁉ なんで立ち止まってくれないの?


「たちどまるわけないばく。こーーーんなにもはなれたところから、ぼそぼそとつぶやいても、なにもきこえないばく」


 わたしは、女の子から10メートルくらいはなれた、大きな木のかげからぼそぼそと小声で呼びかけていた。


「あうう……。じ、じゃあ、声の大きさを『子供のが鳴く程度ていど』から『大人の蚊が鳴く程度』にレベルアップをして……」


「それ、ぜんぜんレベルアップしていないばく……。まったくぅ~、ユメミはホントにめんどくさいばく!」


「わ、わ、わ! ひっぱらないで!」


 ごうやしたバクくんは、わたしの手を強引ごういんに引っぱり、女の子のもとへとつれて行く。


 バクくんが小さな体のわりに力があるのか、それとも、わたしが貧弱ひんじゃくなだけなのか、わたしはズルズルと引きずられ……。


「うひゃーーーっ‼」


 ドテーン‼


 前につんのめって、豪快ごうかいころんでしまった……。


 あ、あうう~。今日はズッコケてばかりだよぉ~。


浮橋うきはしさん……だよね? だいじょうぶ?」


 顔を上げると、心配そうにしているボブカットの女の子の顔が、そこにはあった。


 どうやら、わたしの悲鳴を聞き、何事だろうと思って引き返して来てくれたようだ。


「だ……だいじょうぶです。あの……これ、あなたが落としたモノですか?」


「あ……ネコのキーホルダー! わたし、いつのまに落としちゃったんだろう! ありがとう、浮橋さん! これ、彼氏からもらった、とっても大切な宝物なの!」


 よかった……。やっと言えた……。


 彼氏さんからプレゼントされた大切なモノだったんだね


 彼氏かぁ……いいなぁ。リア充は爆発……いえ、何でもありません。


「だいじょうぶ? ケガとかしてない?」


 彼氏持ちのリア充さんは、わたしの手を優しくにぎり、助け起こしてくれる。


「はい、平気です。ありがとうございます。ええと……」


「わたしの名前は、竜胆りんどう愛花あいかよ。みんなからは下の名前で呼ばれているから、あなたも気安く愛花って呼んで?」


「じ、じゃあ……あい、あい……あい……あい……あい……あい……」


 お、落ち着け、わたし!

 いくら友達を下の名前で呼ぶのが初めてだからって、不審者ふしんしゃすぎる!


「あ……愛花ちゃん。よろしくお願いします……」


「うん! こちらこそ、よろしくね。わたしも、ユメミちゃんって呼んでいい?」


「は、はい!」


 わぁ、やったぁ! クラスメイトとお話ができたぁ!


 うれしくて、興奮こうふんのあまり鼻血が出そうだよぉ~!


 だらだら~。


「わっ、ユメミちゃん⁉ 鼻血が出てるよ⁉ ティッシュ! ティッシュ!」


「す、すみません。転んだときに、鼻を打ったのかも……」


 わたしは愛花ちゃんからもらったティッシュで鼻をおさえる。でも、鼻血はどくどくと出て止まらない。


「とりあえず、中庭のベンチで、ちょっと安静あんせいにしていましょう」


 愛花ちゃんにつきそわれてわたしは中庭に行き、白いベンチに座った。


 バクくんもついて来て、わたしのひざの上に座っている。


「あたまのうえよりも、ひざのほうが、いこごちがいいばくぅ~」


 いや、それは当たり前だよ……。頭の上に座る人なんて、ふつうはいないし。


「それにしても、本当に助かったよ。ありがとね。このキーホルダーをなくしたら、わたし、すごいショックで泣いてたかも」


 愛花ちゃんは、手のひらのネコのキーホルダーを愛おしそうに見つめ、そうつぶやく。


 その横顔は、わたしの気のせいか、やっぱり元気がなさそう。なにか、悩みごとを抱えているような、暗い影が感じられた。


 どうしたのかな、愛花ちゃん? もしかして、彼氏とうまくいっていないとか?


「こいつは、事件のにおいがするわねぇ~。クンクン、クンクン」


 聞き覚えのある声が聞こえたと思ってふりむくと、草むらの中からハクトちゃんがぴょこんと顔を出して、元気のない愛花ちゃんをじろ~りとにらんでいた。


「う、うわ、ビックリした! ハクトちゃん、急にあらわれないでよ‼」


「??? どうしたの、ユメミちゃん?」


 愛花ちゃんにはハクトちゃんの姿が見えていないらしく、キョトンとした表情で首をかしげる。


「う、ううん、何でもないです! 気にしないでください!」


「何でもないことないわよ、このズッコケ鼻血ぶーヘタレ妄想女子。この愛花っていう子から、邪悪じゃあくな悪夢のにおいがプンプンにおってきているわ。この子、悪夢に苦しんでいるから元気がないのよ」


 え? 悪夢ににおいとかあるの? どんなにおいなんだろう……。


「なによ、その疑わしそうなモノを見る目は! あたしの鼻はねぇ、邪悪なものをかぎつけることができるのよ。だから、しき夢幻鬼むげんきがばらまいた悪夢も、その夢に苦しんでいる人間からただよう、げた煮魚にざかなみたいなにおいでわかるの!」


 ハクトちゃんは、小さな鼻をピクピク動かしながら説明した。


 悪夢って、焦げた煮魚みたいなにおいがするのか……。なんか、イメージできない……。


「さあ、夢守ゆめもり少女ユメミ! あんたの初仕事よ! 最近、変な夢を見ていないか、その子から聞きだしなさい!」


 ええー。愛花ちゃんが彼氏にもらったキーホルダーの話をしているときに、


「ねえ、話はぜんぜん変わるけれど、最近、変な夢見た?」


 とか、質問できないよぉ。空気の読めない子だと思われちゃうも~ん。


 絶対に嫌‼ せっかく仲良くなれたのに、嫌われるようなことをしたくないよ‼


 いくら神様の知り合い(?)だからって、言うことなんか聞くもんか‼


「てめえ……。あたしの言うことが聞けないっていうのかぁ~⁉」


 ハクトちゃんは、やみにうごめく怪物のうなり声のようなドスのきいた声でそう言い、わたしの口もとに鋭利えいりなナイフ……ではなく、真っ赤なニンジンをつきつけた。


 どうやら、ニンジンをわたしの口につっこんで、ガタガタいわせようとしているらしい。


 こ……恐い‼ なんだかよくわからないけれど、とにかく恐い‼


 わたしの動物的本能が、ハクトちゃんにさからうなとうったえかけてくる……‼


「あ……あの……。は、話はぜんぜん変わるけれど、最近、変な夢を見ませんでしたか?」


「……ユメミちゃん。どうして、涙をぼろぼろ流して、ひきつった笑みを浮かべながら、そんなことを聞くの? だいじょうぶ? 体がカタカタとふるえてるよ?」


 ハクトちゃんのおどしにくっして空気の読めない質問をしたわたしに、愛花ちゃんは心配そうな顔をして、そう言った。


 う、うう……。愛花ちゃんはええ子やぁ~……。ごめんね、彼氏の話をしているときに。


「変な夢か……。たしかに、この数日、嫌な夢を見ているわ……」


「え? そ、そうなんですか?」


「うん。遠距離えんきょり恋愛をしている彼氏が夢にあらわれて、わたしに『オレたち、もう別れよう』と言うの。そして、わたしを置き去りにしてどこかに行っちゃって……。わたしは追いかけようとするんだけれど、下半身が大きなアリ地獄にのみこまれていて身動きがまったく取れないのよ。朝、起きたら、いつも全身汗びっしょり……。本当に嫌な夢だわ」


 愛花ちゃんは、フゥーと大人っぽいため息をつき、ひとみをわずかにうるませた。


「彼氏さんとは、遠距離恋愛だったんですね」


「そうなの。わたし、昔から、親の仕事の都合つごうで引っ越しばかりしていて、なかなか友達ができなかったんだ。でも、小学六年生のときに転校した学校で、陸奥むつ秀平しゅうへいっていう男の子と仲良くなってね。彼はバスケ部のエースですごく背が高くてカッコイイ、クラスの女子たちの人気者だったんだけれど、わたしのことを好きだって言ってくれて……。何回か彼の試合の応援をしに行っているうちに、だんだん親しくなっていて、付き合い始めたのよ。でもね、彼氏彼女になってたった3か月で、また引っ越しすることになって……」


 え、ええー⁉ 付き合い始めてからほんの3か月で、遠距離恋愛になっちゃったんだぁ!


 そ、それはつらい……。わたしも、(妄想の中で)遠距離恋愛を経験したことがあるけれど、彼氏と好きなときに会えないつらさはよくわかるよぉ~。


「秀平くんは、『となりの県だからすぐに会いに行けるし、ケータイで連絡をとりあえるから、心配しなくてもいい』って言ってくれて、実際、引っ越したころは頻繁ひんぱんに連絡をとりあってたんだけれど……」


「あっ、わかった。だんだん、彼からの返信が遅くなり、電話がかかってくる回数も減ってきたんですね。わたしにも(妄想の中で)身に覚えがあります」


「そうなのよ……。たぶん、中学でもバスケをやっているから、部活でいそしいんだとは思うんだけれどさ。そんな状態じょうたいがずっと続くと、わたしも不安になってきて……。それで、あんな嫌な夢を見ちゃったんだと思う」


 女の子にとても人気な遠距離恋愛中の彼氏から連絡がほとんどない……。これは、たしかに、彼女としてはとっても不安だよねぇ……。


 そりゃ、悪夢のひとつやふたつ、見るよ。


「ごめんね、ユメミちゃん。今日会ったばかりのあなたに、こんな深刻しんこくな話をしちゃって……」


「そ、そんなあやまらないでください! わたしが変な質問をしちゃっただけなので!」


「ユメミちゃんって、教室にいたときは話しかけにくそうな雰囲気ふんいきだったけれど、こうしてお話をしたら、わたしの話を熱心に聞いてくれるいい子だったんだね。ずっとひとりで抱えこんでいたけれど、こうやって悩み事を打ちあけたら、ちょっとだけスッキリしたわ。ありがとう」


「い、いえ、わたしは何もしていませんから。……でも、わたし、そんな話しかけにくそうな雰囲気を漂わせていましたか?」


「うん……。何ていうか、あらぬ方角をボーっと見つめながら、ブツブツと何事かをつぶやいて、たまにウヘヘ……とか笑って、自分だけの世界に入りこんでいるような感じがして……。ひかえめに言って、何かヤバそうなオーラが漂っていたわ」


 あっ……。絶賛ぜっさん、妄想中でした……。


「わたしたち、ずっとお休みしていたユメミちゃんのことが心配で、話しかけよう、話しかけようと思っていたんだけれど、なかなか声をかける勇気が出なくて……」


 わたしのことをみんながじろじろ見ていたのは、わたしに話しかけようとしてくれていたのか……。


 でも、視線が合ったら、気恥ずかしくて目をそらしちゃっていたんだ。あと、休み時間中、わたしがヤバそうなオーラを漂わせていたのも、話しかけられない原因だったと……。


 な、なんだ~。嫌われていたわけじゃなかったんだぁ~。ホッ……。


 でも、これからは教室内での妄想はひかえよう……。


「あ……明日からは、がんばって、わたしのほうからみんなに話しかけてみます」


「わたしも、ユメミちゃんはいい子だよって、クラスのみんなに教えといてあげるよ。これからの一年間、よろしくね」


 愛花ちゃんはニコリとほほ笑むと、スッと右手を差し出し、握手を求めてきた。


 わたしはドキドキしながらその柔らかな手をにぎり、ぎこちなく笑う。


 やった……。ついに、やったよぉ~!


 わたし、友達を作れちゃった‼






 お友達になったわたしと愛花ちゃんは、途中までいっしょに帰った。


「わたしの家、こっちの方角だから。じゃあ、また明日ね!」


 別れるとき、わたしは、手をふって去っていく愛花ちゃんをペコペコお辞儀じぎしながら見送った。


「……あんたは、帰りの旅行客を見送るホテル従業員じゅうぎょういんなの? 友達には、米つきバッタみたいにペコペコ頭を下げる必要はないのよ?」


 わたしたちのあとをずっとつけて来ていたハクトちゃんが、あきれたような口調でそう言った。


「で、でも、わたし、友達ができたのなんて初めてだし、どう接していいのかいまいちわからなくて……」


「ふん、このヘタレめ。まあ、いいわ。あんたの友達づきあいに口出しする気はないし、好きにやったら? それよりも、大事なのは、あの愛花っていう子が見た悪夢のことよ」


「彼氏さんと疎遠そえんになってきたせいで、別れ話を切り出される夢を見るって言ってたね。その夢が、夢の世界の鬼がばらまいた悪夢だっていうこと?」


「あの子の体から焦げた煮魚のにおいがプンプンしていたから、まちがいないわ。このまま放置ほうちしておくと、あの子はどんどん元気を失っていって、病気になるかもしれない。それに、『こんなにも苦しい思いをするのなら、いっそのこと彼氏と別れてしまおう』と考えだすかもね」


「そ、それは大変だよ! 何とかしてあげてよ、ハクトちゃん!」


「いや、何とかするのは、夢守少女のあんただから。あんたが、彼女の夢の中に入りこんで、悪夢をばらまいている夢幻鬼むげんきをやっつけるのよ」


「愛花ちゃんの夢の中に入る……? そんなこと、できるの?」


「できるわ。ふつうの人間は、他人の夢の中に入ることはできないけれど、バクからあらゆる能力を吸収したいまのあんたなら、『夢渡り』の力で、他人の夢の中に侵入しんにゅうできるはずよ」


「『夢渡り』の力……?」


「ヒトの夢からヒトの夢へと自由に移動できる力よ。あんたには、神様や夢の住人の夢幻鬼たちにしか使えない、その特殊な能力が備わっているのよ」


「そう言われましても、ぜんぜんそんな自覚がないんですが……。第一、鬼と戦うなんて恐いし……」


 わたしが尻ごみしてごにょごにょ言っていると、ずっとわたしの背中にしがみついていたバクくんが、


「この、いくじなし!」


 そう言って怒りながら、わたしの頭にまたもや噛みついた。


「い、いったーーーい‼」


「トモダチがこまっているのに、みてみぬふりするなんて、サイテーばく! そんななさけないやつにちからをうばわれて、バクはくやしいばく! ガジガジガジ~!」


「痛い痛いいたーーーい‼ わ、わかった。わかったよぉ~! 愛花ちゃんの夢の中に入ればいいんでしょ? でも、どうやって⁉」


 他人の夢の中に入りこむ方法なんて、わからないんですけれどー!


「安心しなさい。ヒトの夢の中に入りこむためのアイテムをオオクニヌシさまからちゃんとあずかってるから」


 そう言ってハクトちゃんがスカートのポケットから取り出したのは、例の「法隆寺の夢殿」に似た建物の模型もけいだった。


 え? それでどうやって夢の中に入るの?

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