ペーパーナイフと桜の花びら

望月くらげ

プロローグ


 大きな桜の木の下で遊ぶ小さな少年と少女の姿があった。楽しそうに遊んでいた二人だったけれど、やがて少年は立ち止まった。動きを止めた少年に対し、少女は不思議そうな視線を向ける。


「――どうしたの?」

「……いわなあかんことがあるんや」


 躊躇いがちに少年は告げる。


「わしな……ひっこすことになったんや」

「え……?」

「だから、もう――」

「いやや! そんなんいやや!!」


 少年の言葉に、少女は声を上げて泣き始めた。

 ――そんな少女に少年は、ポケットから取り出した手に余るほどの大きさの何かを渡した。


「これ、もらってくれへんか!」

「なにこれ……?」

「ペーパーナイフじゃ! わしてがみいっぱいかくからな! それつかってや!」

「ペーパーナイフ……」


 そっと受け取ると、女の子は片方の手で涙を拭う。


「ぜったい!?」

「ぜったいじゃ!」

「わすれんと、てがみかいてよね!」

「あたりまえじゃ!」

「うちもかくし……いっぱいかいてくれなゆるさへんよ!」


 気の強い言葉とは裏腹に、拭ったはずの少女の涙はまた溢れ出す……。


「いっぱいかくから……なかんといて。わしみっちゃんのことわすれへんから」

「うちやって……かっちゃんのこと、わすれへんよ」


 そう言ってお互いの手を握りしめ微笑み合った二人の耳に、少年の名前を呼ぶ声が聞こえた。


克之かつゆき……もう行くぞ」

「あ、うん……。ほなな、みっちゃん……」

「かっちゃん……また、ぜったいあおうね!」

「そのペーパーナイフが……みっちゃんがつかいすぎてさびてしまうまえには! ぜったいあいにくるけえの!!」


 そう叫ぶと少年は、「早くしろ!」と怒鳴る父親らしき人に連れられて、お屋敷をあとにした。

 残されたのは――大きな桜の樹と……その下で一人佇む少女の姿だった。

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