吸血鬼と過ごす日々
ノーマッド
第1話どのようにして黒い少女は浦戸と出逢ったか
浦戸弦はありふれた人材である。学生時代に早めに仕事が決まったので、ちょっと仕事関係の資格を取る程度には真面目で。入社前なので奨励金は貰えず、内定後なので最初の査定には関わらない、そんなことに気付かない程度におっちょこちょいで。上手くいきそうな相手ができても"ドキドキしない"と言われるような、いるところには沢山いる人物であった。
しかし、今彼は生まれて初めて一人暮らしのマンションの一室に女の子を招こうとしていた。
「案外、駅から遠いのね。」
「まぁな。いつもなら自転車なんだけど…ちょっと前にパンクしちゃってさ。放置してるんだ。」
手と手を繋ぎながら浦戸弦と会話する少女。簡素なT-シャツと短めのパンツを履いた美しい少女であった。小学生くらいの体格、黒く艶やかな髪は地面に届かんばかりに長く、きめ細やかな肌は一度も陽の光を浴びたことのないような白さ。闇をそのまま映しているような黒い目。夜の街を歩く姿は似合いすぎていて恐ろしいほどだ。
「自転車……あなたに私を乗せて移動することを許してあげてもいいわよ?」
ワクワクとした顔でそう言った少女の赤い唇から、異常に長く鋭い犬歯が覗く。それは牙だ。血を吸うための一対の牙。
彼女は吸血鬼であった。
「乗ったことないのか?」
からかうように浦戸が言えば、少女は不満そうに頬を膨らませて唇を尖らせる。
「むー、何よその言い方。」
その様子があんまりにも可愛くて、浦戸は笑ってしまった。
「悪い悪い。そうだな。折角だし自転車直したらサイクリングでもするか。
夜空の下でってもの面白そうだしさ。」
すると少女は嬉しそうに、浦戸と繋いだ手を抱きしめる。
「本当!約束よ?」
「あぁ、約束するよ。」
さっきまでの不満顔がどこへやら、少女は鼻歌を歌いながら歩いている。
仲良く連れ立って歩く二人であったが、ほんの数時間前までは彼女とこんな風になるとは神ですら予想もしなかっただろう。
浦戸が彼女と出逢ったのは、とある役所であった。仕事の関係で書類を提出したはいいのだが、何でも一時間ほど待っていてほしいと言われ、近くに休める場所もないので役所の中を見て回っていたのだ。
近隣の学生が作った美術品が展示されていたり、何らかのセミナーがあったりしている中。どこへ行こうかと案内板を眺めていた。そこに見慣れない単語を見つけたのだ。
「『特定愛護生物管理室』…?なんだここ。」
浦戸がいるエントランスホールがある建物とは別にその場所はあった。名前だけ見ると立ち入りが禁止されていそうなものだが。どう見ても普通に入れそうなのだ。
「……面白そうだな。行ってみるか。」
何かの話の種に、と気楽な気持ちで浦戸は特定愛護生物生物管理室へと向かったのであった。
徒歩でおよそ五分。案内板があったビルをぐるりと回った裏手にそのビルはあった。無骨な灰色で四角形の建物には等間隔に窓が設置され、無機質で威圧感のある建物だ。正面の入口には案内板もなにもない。しかし前に立つと自動でドアが開いた。
面白いことに傘立てや、管理人のいる小窓なんかもない。好奇心に駆られた浦戸は迷わずに奥へと進んでいく。
最初、浦戸にはそこが病院の待合室に見えた。革張りの長椅子がいくつも置かれ列をなし、奥では窓から日が差している。番号の掲げられた受付がいくつかある。しかし、誰もいない。広い空間には長椅子と窓しか見当たらず。右手側に二階と地下階への階段があるだけだ。
「職員どころか…警備員も…いないのか。」
自分の声がやけに大きく聞こえた。少しだけ怖いものが心に忍び寄ってくる。もう戻るのはどうだろうか?そう心の中の浦戸が言った。しかし、足はというと階段へと向かっていた。
階段はよくある物であった。段は大きく広く、手すりは触る部分は木製。二階への階段にははっきりと"関係者以外立入禁止"の立て看板があった。人の出入りがある、という事実が浦戸を安心させた。そして、地下階には何もない。目を凝らしてみると階下には明かりが見える。
「さて、鬼が出るか蛇が出るか。」
ちょっとした冒険は続く。心をときめかせながら階段を降りれば、そこは長く蛍光灯で照らされた廊下であった。横幅は人二人分くらいだろうか、真っ直ぐに伸びる廊下。左手側には小窓の付いたドアがいくつもある。浦戸は廊下を歩きながら一つ一つ覗いていった。
覗く度に沸き立つ心。しかし、その心はあっという間に沈んでいった。
「何もないなぁ…。」
覗けど覗けどどれもこれも、ごく普通の書類棚があるだけであった。試しにドアノブを回してみたが開きもしない。あっという間に突き当たり。そして最後のドアの前だ。
「最後かぁ。」
飽きが来ていた浦戸は小窓から覗きもせずにドアノブを回した。
「………ん?」
金属音がしてドアノブが回る。少し押すと油の足りない音を響かせながらドアが開いた。一度閉め、慌ててドアを見る。先程までのドアと変わらない。ドアの横には特定愛護生物保護室、とだけ書かれていた。案内板には管理とあったが、さてここは。
蘇る好奇心に釣られた浦戸は、改めてそっとドアノブを回して保護室へと入った。
薄っすらと光る緑色の非常灯に照らされ、いくつもの檻の置かれた部屋であった。浦戸の腰辺りまであるサイズの檻が壁にいくつも置かれている。その檻は幅も広く、浦戸でも胡座をかくことが充分できるサイズだ。その檻が壁に沿うように、右側に六つ左側に六つ。合計十二の檻がある。一番手前の檻を屈み込んで覗いてみたが、中には何もいない。
ため息をついて部屋の奥へと足を進めていく。
「なんだ、結局何も…。」
「…ノックもなしに入って来て、随分失礼ね。あなた。」
「ううおあああっ!」
突然の声に浦戸が思わず尻餅をつく。そのまま檻に背中を思い切りぶつけてしまい、床の上に倒れ伏した。
「ちょっと、大丈夫?」
可愛らしい声が近くから聞こえる。幼い少女のように高く、しかし成熟した女性のように落ち着いた口調だ。痛みに堪えながら浦戸は顔を上げる。
「だ、大丈じょ…う…。」
言葉は最後まで続かなかった。
「そう、良かった。」
檻の中には少女がいた。簡素なTシャツと丈の短いパンツを履いた。小学生低学年くらいの幼い子どもが。檻の中に収監されていた。
少女はなぜか鼻を引く付かせ。しかしすぐに興味が失せたのか、新聞紙を広げた。今日の日付だ。一面では今日も政治家が叩かれ。芸能人の話題が載り。小さく世界の情勢についての記事があった。
檻の並んだ部屋の中で。浦戸は不思議な光景を眺めていた。小学生低学年くらいの少女が新聞を読んでいるのだ。テレビ欄や4コマ漫画ではなく。中の記事を端から端まで。それだけなら珍しくはあるが、それほど驚くべきことではないかもしれない。しかし、檻の中で、退屈そうに新聞を読む少女など浦戸は見たことがなかった。膝を立てて座る少女は自身の膝に新聞置き、浦戸との間に壁を作るように両手で広げて読み進めている。
「暗く…ないのか?」
思わずそんな言葉が口をついた。すると少女は新聞を折って浦戸と目を合わせて言った。
「私、吸血鬼なの。」
それだけ言って再び新聞の壁の中に戻った。
吸血鬼。人の血を吸う人間に似た生き物。見た目が非常に良いのでテレビなんかでよく見る。たまに有名なアイドル吸血鬼が献血のポスターにいたりする。もしくは吸血鬼が犯罪を起こしたというニュースがよくある。
確か。浦戸が中学生の頃。吸血鬼のハーフの女の子がいた。モデルか何かをしていてあまり学校には来なかったが、来たときには上級生も下級生も教師ですら見に来るほどの大騒ぎであったのを覚えている。
しかし、これほど近くで吸血鬼を見るのは初めてであった。浦戸のじろじろと不躾な視線を受けながら、気にも留めずに少女は新聞を読んでいる。見られることに慣れているのだろうか、全く気にしていない。
(流石、吸血鬼ってやつだな…。)
よく分からない感心をしていると、足音がした。階段からだ。
「しまった。怒られるかな…。」
浦戸は一人言を言いながら埃を払って立ち上がる。少女は何も言わない。檻の天井で見ることはできないが、相変わらず新聞を読んでいるのだろう。むっと来たので浦戸はそれ以上何も言わずその場から離れた。
そして、浦戸は部屋から出る前に一言言った。
「失礼しました。」
社会人のサガであり、返事は期待してなかった。しかし、扉を閉める寸前に部屋の中から声が聞こえた。
「さよなら。」
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