第15話


 雅季の隣では久賀がパソコンの画面を睨んでいる。

「玉置悟、過去二回スピード違反で引っかかっていますけど、それだけですね」

 雅季は玉置悟の個人データを読み上げ、プリントアウトしたあと、警察のデータベースからインターネットブラウザに切り替えた。玉置悟の名でサーチすると、二件だけヒットした。

「広告代理店のサイトに、彼の写真が使われていますね。それでクレジットが載っています。もう一件は、四年前から更新がありませんが、フリーのカメラマンのリストで……。玉置悟、あります。スタジオの所在地はギリギリ市内です。久賀さん、これですよね、本人……」

 面が割れましたね、と雅季はディスプレイの顔写真を指した。

 細面の顔はいかにも神経質そうだ。一重の目はやや垂れ気味で一見笑っているようだが、薄い口元の笑いは明らかに引き攣っている。不思議な表情だ、と雅季は思った。短く切った前髪を立て、四角い額を出している。その額の裏側に、あるべき物がないと思うと背筋に悪寒が走る。画像は小さかったが、久賀はプリンターの前でプリントアウトされたその顔にじっと見入っている。

「久賀さん、ちょっと……これを」

 再び広告代理店のサイトを見ていた雅季が声をかけると、久賀はプリンターの上に玉置の画像を置き、戻って来た。

「玉置はある期間この広告代理店で働いていたようですけど、顧客の中に『グレート・オートヤスダ』の名前があります。もしかして、彼がお店で写真を撮っているときに、そこで安田里穂と知り合った可能性も……。いや、そうとしか考えられません」

 犯人に近付いているという確信に、鼓動が高まる。急に上気せたように熱くなり、雅季はジャケットを脱いで椅子の背に掛けた。

「安田の両親からの事情徴収ではそういった話はでませんでしたね」

 久賀が確認すると、雅季は調書の山からファイルを取り出して、内容に目を走らせた。

「もし、安田里穂がその場に立ち合っていたとしても、安田の両親はまさか、その広告の撮影が殺人に繋がるなんて考えないでしょう。時間が経っていればなおさら」

 あ、と雅季は小さく声をあげた。脳裏に、里穂の写真の数々が浮かび上がる。

「安田里穂は写真サークルに入っていましたよね。彼女なら、プロカメラマンに会えば、話を聞きたいと思うのは当然じゃないでしょうか。二人が意気投合するのも不自然じゃありません」

 穴だらけのパズルにひとつずつピースが埋まっていく。

「では、小島彰三は?」

「死体発見現場に残された本です。あのカバー写真が玉置のものじゃないでしょうか。すぐに担当班に調べてもらいます」

 雅季は素早く受話器を持ち上げ、短く指示を出して再びパソコンに向き直る。犯人に一刻も早く追いつかねばという気持ちが、マウスの動きを煽る。

「久賀さん、玉置のスタジオの場所ですが、レストランの名前が載っています。野坂バイパスの入り口近くです。周りに人家はほとんどありません。山の影になっていますね」

「人目につきにくい場所」

 素早くそのレストランを検索し、雅季は胸底で思わず拳を握った。

「このレストラン、すでに閉店しています。おそらく、玉置は売りに出た店舗を買い取ったのではないでしょうか」

 そして、そこが……。

 机上の電話が鳴った。

「篠塚です。そうですか。やはり……。ええ、容疑者と見て間違いないと思います。こちらも報告書をすぐに回します」

 雅季は受話器を置き、久賀に向いた。

「二人の被害者が繋がりました。小島彰三の著書のカバー写真は、やはり玉置悟のものです」

「では、三人目の……」

 久賀が口を開きかけると、「ほら、ここだ」と部屋の入り口から男の声がした。雅季と久賀が同時に声の方を見る。ちょうど、制服警官と晴美が入ってくるところだった。

「晴美! おまえ……!?」

 久賀が立ち上がると、椅子が後ろに勢いよく滑った。明らかに動揺で言葉が継げない久賀に代わり、雅季が警官に訊いた。

「ごくろうさまです。一体これは……?」

「パトロール中に、この子が一人でいるのを見ましてね。飲屋街で場所が場所でしたし最近物騒な事件が多いし、声をかけたんですが、名前も、保護者の連絡先も言わないわ、こちらも困りましてね。それに」

 警官はちらっと晴美を見た。

「ちょっとアルコール臭がしたんで、駐在所に連れていって事情聞いたんですが、黙ったまま話にならないんで。『いつまでも帰れないよ』って言ったら、地検の柏木事務官の電話番号を言ったんで、連絡したら責任者の久賀検事がこちらにいると」

 雅季は壁に張り付いて身を竦ませている晴美と、隣の久賀を交互に窺った。

「お、お手数をおかけしました」

 まだ茫然とした面持ちで、やっと久賀は言った。

「あとはこちらで処理しますので」

 雅季が継ぐと、警官は敬礼をして出ていった。

「そこに座れ」

 久賀が自分の正面、スキャナやプリンターの載った机を指すと、晴美は一時も久賀から視線を外さずに従った。

 雅季はお茶でも入れようかと思ったが、結局、容疑者に関する報告書の作成と、さらなるリサーチに戻った。不穏な空気がびりびりと漂ってくるが、取り調べに同席していると思うことにした。

「家に帰りたい」

 晴美が訴えると、久賀が腕と脚を同時に組み、椅子に反り返った。

「おまえが今まで何をしていたか、全部話してからだ。まず、どうしてこんな夜中に外をほっつき歩いてるんだ?」

 雅季は腕時計を見た。十一時五分。

「誰といた? なんで酒を飲んだ? 禁酒禁煙、俺は最初に釘を刺したはずだ」

 鼻を啜り上げる音に、雅季は顔を上げた。はす向かいに座る晴美が泣いていた。雅季はポケットティッシュを晴美の前に置いた。

「べつに……暇だったから、一人で歩いてたら道に迷っただけ……ごめんなさい」

「一人で酒を飲むわけがないだろう。どうして本当のことが言えないんだ。俺は一応おまえに責任があるんだぞ? 自分の立場がわかってるのか!?」

「家に帰ってもいい?」

 久賀が机に身を乗り出した。

「話は俺が家に帰ったら聞く。タクシーを呼んでやる」

「それくらい自分で出来る」

「どうだか」

 久賀がスマホを手にした刹那、晴美が弾かれたように立ち上がった。

「子供扱いはよしてよね!」

 雅季も久賀も、いきなり逆上した晴美をあっけにとられて見た。

「おまえはまだ未成年なんだから、俺が心配するのは当然だろう!」

「だったら、ここに勾留でもなんでもすればいいじゃない!」

「あ、それはいいかも」

 雅季が思わず同意すると、睨み合っていた二人は同時に雅季に向いた。その表情から、今まで雅季の存在は忘れ去られていたのだとわかる。久賀は眼鏡のブリッジを押し上げ、晴美に向いた。雅季は再びキーボードを叩く。

「とにかく、家に帰れ。でもこの話はまだ終わってないからな。明日、全部話してもらう」

 雅季を意識しているのか久賀の声は先ほどより穏やかだったが、相当堪えているのだろう。

「丞くんには関係ないし」

 ああ……それを言っては。雅季が胸中で目をつむったのと同時に、激昂した久賀が手のひらで机を叩いた。

「人のうちに勝手に転がり込んで好き放題。それでその言い草は何だ!? 甘えるのもいい加減にしろ!」

「何にもわかってないくせに、そんなふうに頭ごなしに言わないでよ! 普段から帰ってこないで面倒みないのはそっちじゃん!」

「俺は帰ってこない、じゃなくて、帰れない、だ! お前たちがバカをやっている間、俺たちが何をしているのか見てみろ! 夜子供が一人ふらふらして、おまえも被害者の一人になるかもしれないんだぞ!? 自分だけは安全だって思っているだろう! でも、そんな保証はどこにもないんだ!」

「久賀さん……」

 雅季はパソコンに現れた最新の情報を読みながら呼びかけた。

 これは、もしかしたら……。

「丞くんってさ、昔から人のこと勝手に決めつけるよね。自分ルールでいつも要領よくやってさ。お正月にいとこみんなで人生ゲームやったときだって、あたしに双子生まれたのに『それは不妊治療で出来た子供で、治療代がまだ払われてないからカウントしない』ってお金くれなかったじゃん! あれ、計算してればあたし一番だったのに!」

「……あの、久賀検事」

「それは、今この話に関係ないだろ! 俺も、他の刑事たちもみんなろくに寝ないで仕事してるんだよ! なにもわかっていないのは、おまえだ!」 

「検事……ちょっと、」

「関係なくないよ! 仕事も生活も中途半端なのは丞くんのほうだって言ってるの! あたしが今ここにいるのがその証拠じゃん! いとこ一人の面倒もろくに見れないでさ!」

「晴美!」

「久賀丞已っ!!」

 ばん、と雅季が机を叩くと、部屋は水を打ったように静まり返った。はぁ、と雅季は一息つき、目を見開いている久賀と晴美の視線を避けるように、額に落ちた前髪を耳に掛けた。

「久賀さん、これを見てください。たぶん、二年前のこの未解決の事件にも玉置悟が関与しているようです」

 晴美を一睨みしたあと、久賀はディスプレイを覗き込む。

「当時大学一年生の女子大生がアパートで殺害されています。容疑者はいましたが、全て証拠不十分で逮捕まで至っていません。この、重要参考人のなかに玉置悟の名前があります。名刺が彼女の財布の中にあったようですが、実は彼女はモデルも兼業していて、他にもカメラマンの名刺はいくつもあり、あまり深くは追求されなかったのではないでしょうか。または、玉置のアリバイの裏が取れた、もっと容疑の濃い人物がいたか」

「いずれにせよ、彼はラッキーだったわけですね。でも、被害者の心臓は摘出されていない」

「安田、高沢と同じ薬物反応があります。おまけに絞殺……予行練習のつもりだったのでは」

「なにそれ、最低」

 雅季と久賀は思わず顔を見合わせた。久賀が溜め息をついた。

「晴美、早く帰れ」

 晴美は玉置の顔写真に見入っている。

「ね、この人、何かしたの?」

「おまえには関係ない。捜査に一般人が首を突っ込むな。はやく部屋から出ていけ」

「あたし、この人見た」

「いいかげんなこと言うな」

「久賀さん……」

 雅季が久賀の腕に触れると、相手が息をのむのが分かった。

「晴美ちゃん、お話聞かせてくれるかな」

 雅季は根古里の席に移動した。晴美と膝を合わせる。

「自己紹介まだでしたね。鳴海東署の篠塚雅季です」

「川崎晴美です。さっきは大声ですみません。丞くんがお世話になっています……あっ」

 ぺこりとお辞儀をした晴美が雅季を見て目を瞬く。

「この匂い、ロクシタン……」

「え?」

 久賀が「ちっ」と舌打ちをすると、晴美は「なんでもないです」と顔の前で手を振った。

「えっと、この人、さっき会合にいました」

「会合?」

 晴美は雅季に永瀬との出会いから、行われる会合、そこに来る人々の目的などを語った。

「それで、この写真の人、こんなに茶髪じゃなかったと思うけど、ラミアと話していて……」

「ラミア?」

「あ、その会合ではそう言う名前の女王さまなんですよ。憂鬱の女王さま。本名は永瀬早紀。すごく絵が上手い子で……」

「待って。憂鬱の女王さまって?」

 雅季が首を傾ると、さあ、と晴美はちらりと久賀を見た。

「あたし、会合に出たの二回目だし。まだよくわかってないんです。今日も嫌なことがあって先に帰ったし」

「久賀さん、彼女が次の犠牲者じゃないでしょうか」

 久賀は深く頷くと、矢継ぎ早に晴美に質問をぶつけた。

 ――会合の場所は? その男と何か話した? どこに住んでるとか、これから何をするとか。早紀がまだそこにいる可能性は? 

 最後の質問に晴美は首を振った。

「あたしが出て来たのは九時四十分。二時間以上も前だよ」

 雅季は始関を捕まえるために受話器を取った。雅季が電話で現状と会合の場所を告げている間、久賀は晴美から永瀬歩の携帯番号と住所を聞き出し、必要な書類を全て持って捜査本部へ走った。

「永瀬きょうだいの携帯電話はどちらも繋がりませんでした」

 戻って来た久賀が雅季に告げると、晴美は唇を噛み、俯いた。

「捜査員が今、その会場に向かっています。他の班は永瀬きょうだいの捜索に」

「玉置が永瀬早紀と動いている可能性が高いですね」

「さて、篠塚さん。どうしますか」

「それを決めるのは検事さんの仕事じゃないですか」

 今の自分には久賀が必要だ。検事としてだけではなく。雅季は心からそう思った。

「まず、そうですね……、私は玉置のスタジオを見に行きます。もし、玉置が早紀を捕獲したら、まずそこに行く可能性が高いと思うので」

「令状無しで、ですか?」

 久賀が眉をひそめる。

「証拠不十分ですし、様子を見に行くだけです。もしいなくても、玉置が警察に追われている気配を感じれば犯行を止めるのではないでしょうか」

 むしろ、それを願った。思案深げに雅季を見つめていた久賀が、組んでいた腕を下ろした。

「止めても、篠塚さんは一人で行きますよね」

 雅季は、質問とも確認とも聞こえる口調に目を細めるだけで答えると、拳銃を取りに保管庫へ行った。

 拳銃を収めたホルスターをブラウスの上から装着した雅季は、刑事部屋に戻り、上着を着てパンプスを動きやすいブーツに履き替える。

「晴美はここで待たせてもいいですか。ソファでもお借り出来れば。戻ったら一緒に帰ります」

「でも、動きが読めませんし、こんなところで一人は可哀想です」

「篠塚さん、お気遣いはありがたいですが、一刻の猶予もない今はそんなことに構っていられません」

 雅季は不安げな晴美と久賀の厳しい顔を交互に見てから、コートのポケットのスマホを出して相手を探した。

「青鞍さんに彼女を送ってもらいましょう」

 雅季は久賀に目配せをした。

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