一筆書≠
最寄ゑ≠
第1話「べが」
―え、今なんて言ったの。
私は思わず何だか嬉しそうに話している男の顔を見上げた。
近頃では男の話す言葉がほとんど理解出来ない。
逢うたび男は西方の文化に被れてゆく様だった。
緋の絹に金糸銀糸の刺繍を施した外套。
長い髪を獅子の如くに靡かせて薄い口髭の下には紅すら差している。
男が呉れる贈り物は見事に凝り抜いた細工が施されていたが、私には用途がさっぱり見当も付かず唯とても禍禍しい物に見えた。
艶な丹塗りの舟に仁王立ち、妖しい調べの恋歌を朗朗と歌い乍ら河を渉り来る異装の男を、私は恥ずかしいとさえ思った。
厭だ、村の人びとに見られたらどう思われるだろう。
或いは、御父様なら。
猶も男は屈託の無い笑顔を浮かべ日日の草草を語り続けた。
私は男の言葉の切れ切れを拾うので精一杯だ。
だって雨が。
雨。
どうして男はここにいるのだろう。
火柱みた煌びやかだった男の姿は雨に殺がれ次第に朧となった。
男の声は雨の膜に遮られもう私の耳を打たなかった。
紅を差した男の唇だけが滑らかな言葉を象った。
―ねえ、今なんて言ったの。
男は応えず右手を挙げ、船頭が纜を解いた。
丹塗りの舟は岸を離れ濁った河を滑る様に下っていった。
目に明瞭りと焼き付けた男の唇の象を私は恐る恐る真似んでみた。
―あでゆう、もなみ。
(了)
一筆書≠ 最寄ゑ≠ @XavierCohen
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