デミズジャーニー
リュウ
第1話
澄み切った空を見上げながら、ユマは今日を旅立ちの日にして良かったと思った。
人里離れた森に居を構える魔術師の師匠の下で修業して十年と少し。
自分なりに日々の魔術の上達を感じていた矢先に、師匠が倒れた。
自分の寿命はもう長くない、自分が死んだらお前は旅に出ろ、という師匠の言葉に従い、師匠亡き後に辛くもあり楽しくもあった修業の日々を胸に、ユマは旅に出る事を決意した。
ほとんど森の外には出たことはなく、森の外には自然界に存在する魔力により凶暴さや巨大さが増した『魔物』がいることは理解していたが、それを承知で師匠も自分を旅に出させたはずだ。
そういえばと、ユマは死に際の師匠がこんな事を言っていたことを思い出した。
「いいかユマ、知っていると思うがこの森の外には危険な『魔物』がたくさんいる。お前の手に負えないのもごまんといるだろうが、もしも『魔物』で困っている人が居たら、力になってあげなさい、いいね?」
師匠の最期の教えと思ってしっかりと胸に刻み込んだ言葉だったなあと回想しつつ――、
「グゥオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!」
「早速私が『魔物』で困ってるんですが!?」
――しばしの現実逃避から復帰して、ユマは旅立ちから数刻も経たない内に森からそう遠くない荒野で遭遇した生物を、飛行中の箒から振り返って見下ろした。
そこには人間なら一口で食べてしまえそうな砂色の巨大なトカゲが、執拗に自分を追いかけてきていた。
「確かあれって……」
ユマは追いかけられながらも師匠が持っていた『魔物』の本に載っていた記述を思い出した。
確かジャイアントリザードという名の荒地を縄張りとする『下位魔獣級』の『魔物』。
比較的雑魚だが、何の装備もない人間では太刀打ちは出来ないと書いてあった筈だ。
「なんで旅に出てすぐにそんなのに……ってうわ!」
「ガウァッ!」
ジャイアントリザードの跳びながらの噛み付きを何とか避けつつ、ユマは慌てて師匠から貰った魔術師免許皆伝の証である、三角帽を落とさない様に押さえた。
厳しい師匠だったが、それでも自分を認めてくれている事はこの帽子で十分に理解しているので、折角貰ったこれを自分もろとも旅に出て早々食べられてはあの世で怒られてしまう。
「でも……正直、『フライ』はまだ苦手なんだよねえ」
なのであまり高く飛べず、更に言えばこうしてずっと飛んでいるのでそろそろ魔力が尽きてきているのが、嫌でもユマには体感として分かってしまう。
「どうしよう、このままだと食べられちゃう……!」
流石にこのままあっさりやられたら自分を十年近く育ててくれた師匠に申し訳がないし、何よりも食べられて死ぬなんて絶対に受け入れられるわけがなかった。
「一か八か……追っ払ってみようかな」
一応ある程度の攻撃魔術は使えない事は無いと思いながらまた振り返ると、ちょうどまた跳躍したジャイアントリザードの鋭い牙が並んだ大きな口が、ユマのすぐ下で鈍い音を立てながら閉じていた。
「……うん、無理! 終わった、私の十八年の人生終わった! ごめんなさい師匠!」
ユマが叫びながら人生を諦めようとした、その時だった。
「……ん?」
ふと自分とジャイアントリザードの向かっているずっと先に二つの人影があるのに気付いた。
遠目だが、大きな荷物を背負った大柄なものと、何も持っていない小柄なものだというのは分かった。
このままではあの二人はこの巨大トカゲと遭遇してしまうかもしれないが、この距離から気づけば逃げきれる筈。
そう思うと同時にユマは箒の進行方向を右に切り、魔力切れ寸前ではあるにもかかわらず、伝達の魔術『メッセ―ジ』を使って叫んだ。
「逃げて! ジャイアントリザードが来てる!」
ユマの声はどうやらその二人に届いたらしく、少し周囲を見渡した後に箒に乗って真横へ逃げていく自分と、その下を追う巨大トカゲに気付いた様だった。
「……良かった」
「グォオオオオオオオオオ!」
二人に『メッセージ』が届いた事に安堵したその一瞬の気の緩みが僅かに高度を下げてしまったのか、ジャイアントリザードの牙が足にひっかかり、ユマは下に思いっきり引っ張られてしまった。
「うわああ!」
魔力切れの近い体にいきなり加わった負荷に、ユマはなすすべなくそのまま箒ごと斜め下に向かって落下していた。
「……ああ、本当に終わっちゃったな、これ」
このまま地面に落下すれば間違いなく重症か、最悪死ぬ。仮に死ななくてもジャイアントリザードに食い付かれてしまうのは間違いないだろう。
だけど、自分に食らい付いている間にあの二人が逃げられるのならそれはそれでいいかなと思っている自分は、師匠のあの教えをちゃんと実行できる弟子だったとユマは少し微笑んだ。
そして迫る地面を視界に収めつつ、被っていた三角帽を脱いで胸の前で抱いた。
「……師匠、旅立ち早々にそちらへ向かう不出来な弟子ですが、最期はあなたの教えをまっとう出来ました」
そう言って死を完全に覚悟したユマだったが――、
「うおりゃああああああ!」
――そんなユマの眼下に横から一人の少女が走り込んできた。
白いタンクトップにベージュの短パンと活発そうな服装、後ろで一本に纏めた銀髪をまるで尻尾のようにたなびかせてユマの真下に走り込んでくる、どこか野性味を感じさせる少女だった。
「え、な、なに!? 誰!?」
その少女の登場にユマが驚いている間にも、少女は彼女の下まで来ると急ブレーキで止まり、両腕をめいいっぱい伸ばして待ち構えていた。
「よっしゃっ! ばっちこい!」
そのまま落下してくるユマを受け止めると少女はその勢いで後ろ向きに何度か転がり、起き上がると腕の中に居るユマを確認して年相応の幼く無邪気な笑顔を浮かべた。
「良かった! 大丈夫?」
「え、ああ、うん……」
何が起こったのか分からないで放心していたユマと満面の笑みを浮かべる少女であったが、地響きと共に二人を影が覆った。
ハッとユマが上を見上げると、ジャイアントリザードの鋭い歯が並んだ口が二人に迫っていた。
「あ」
駄目だ、今度こそ終わった。
ユマは本日二回目の死の覚悟をしようとしたが、不意にその体が持ち上げられた。
「うっはぁ! やばいよこれ! あははは!」
そう言いつつも楽しそうに笑いながら、ジャイアントリザードの噛み付きを後ろにジャンプして回避した少女はユマを抱えたまま真後ろに向き直って先程自分が来た方向へと走り出した。
「って、これじゃまた追いかけられる!」
「グギャアアアア!!」
ユマが言うとおり、ジャイアントリザードは足元へと変わった獲物を既に追いかけ始めていた。
「ちょ、ちょっと! 駄目! せめて方向を変えて!」
「大丈夫だよお姉さん!」
そんな応答の合間にも二人を食べようと巨大な口が容赦なく二人を襲うが、ユマを抱えた少女は難なく左右へ跳んで避けながらも、進行方向だけは変えずそのまま真っ直ぐに走っていた。
「なにが!? なにが大丈夫なの!? 私達このままじゃ食べられちゃうよ!?」
「もう少ししたら合流できるから、それまで待って!」
だからなにを言っているの……とユマが言おうとしたその時、二人の頭上を大柄な男が飛び越えた。
それを見たユマの脳裏に、先ほど遠目で見た大きな人影と小さな人影がフラッシュバックする。
もしかして、あの二人?
ユマが思うと同時に男は、彼と比べてもまだ巨大な生物に空中で右拳を大きく振りかぶって構えた。
「ふんっ!」
男が放ったパンチは正面から突然来た存在に驚く巨大トカゲの眉間へと真っ直ぐに振り下ろされた。
「グギャァアッ!」
ジャイアントリザードは男のパンチを食らうとそのまま頭から地面に突っ込み、突然の静止で無くなりきれない勢いのまま空中で回転しながらユマ達の頭上を飛び越えてその巨体を地面に打ち付けると、しばしの痙攣の後にそのまま動かなくなった
「おお! さっすが!」
「…………へ?」
はしゃぐ少女とは違い、目の前で起きたほぼ一瞬の出来事にユマが唖然としていると、ジャイアントリザードを文字通り叩き伏せた男がこちらに歩いて来た。
短く切りそろえた黒髪、黒いジャケットに黒いジーパン、そして腰に剣を帯びた大柄で強面の男だった。
「ヤコ、大丈夫だったか」
「うん、シロウもナイスだったよ!」
厳つい男に笑顔で応える少女を見ながらユマは混乱の極みにいた。
さっきまで命がけの逃走をしていたと思ったら、かなりの距離があった筈なのに自分のもとに走ってきたらしい少女、パンチ一発で『魔物』を倒した男。
これまで人の近寄らない森で師匠の下で修業に勤しんでいた日々からすれば、現実味がないこの想定外の出来事の連続に頭が付いてこず、また魔力がほぼなくなって動けないユマは、謎の少女にただ呆然と抱えられている事しか出来なかった。
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