ティルトウェイト・ラプソディ

もあいぬ

共和国:五度目のティルトウェイト

 最強の攻撃呪文は四大元素のいずれでもなく計量術式に絡んだものらしい、というのは、古くは中世の日記などにも記載の見られる、よくある話ではあった。

 しかしながら、当時の魔術師たちは経験とカンと運とでたまたま、ごく短時間の術式顕現けんげんに漕ぎつけたのみであって、その桁違いの破壊力を理論的に実証するまでには、じつに数世紀に渡る地道な研究の積み重ねが必要であった。


 確固たる理論に基づき、適切な触媒を理想的に用意して放たれたその呪文の成果は、ただの一度の発動で、たやすく街ひとつを吹き飛ばした。

 世界のすべてを巻き込んだ大戦は、ふたつの街が吹き飛んだところでようやく終わった。吹き飛ばなかった残りの世界で人々は、いつ自分の番が来るのかと、天を仰ぎながら怯えて暮らした。

 時代は常に、かの破壊術式と共にあったのだと、ここで私がそう述べたてたとしても、それは決して過言ではないのだ。


 だがまぁ、それももう四半世紀も前の昔話だ。

 核熱爆炎呪文ティルトウェイトの時代は終わった。ぜんぶ合わせれば世界を七度は滅ぼせるほどの魔術師団と天王精触媒ウラニウムとを溜め込んで、代理戦争とにらみ合いとを繰り返していた二つの陣営のいわゆる「ティルトウェイトの冷たい戦」は、片方の経済的な崩壊をきっかけに、あっさりと幕引きとなった。

 勝ち残った圧倒的な一強国のもとでの平和は、長く続いている。散発的な反抗はあるものの、世界が滅びるかもしれないというかつての恐怖は、夢物語の彼方となって久しい。


 そんな折り、なんの因果か我が妹は、ティルトウェイトを忘れられない時代遅れの小国に、計量術式の天才として生まれついてしまったのだ。



 初夏とはいえ、北の荒野には涼しい微風が吹いている。どうしてもごてごてと着ぶくれしてしまう、家伝の術式礼装に身を固めている私たちには、爽やかな風は天啓のようだ。

 今回の私は完全に、妹の支援役を務めるその他大勢のうちの一人でしかない。妹のそばに立つ障壁術式係に私が任じられたのは、今や共和国の広告塔にされている我らイェン姉妹を並べて飾っておきたいという、第三代国家元首閣下の妙なこだわりでしかない。

 妹は鼻唄でも始めそうなゆるい風情で、長いチェックリストを片手に発動基盤に寄り添って、術式係の面々と一緒に触媒計の確認を進めている。狼の群れに混ざるふわふわの白羊のように、張りつめた周囲から妹ひとり明らかに浮いているのだが、何時ものことなので私も周りも気には留めない。火精術師のような攻撃性は、計量術師には不要なのだ。あくまで平静に計量し、深く深く分析し、これ以上には分けられぬまで分解し尽くしたところに、この術式の極意が潜む。

 ふわふわ羊が顔を上げた。「発動班から本部へ、術式展開すべて完了、指示を待つ。以上」妹の報告を、伝令係がいちど復唱してから、大きな手旗を本部の方に振る。旗は非術師のためのパフォーマンスに近い。手旗信号のリレーを待たずとも、伝令は専用の魔導線を伝って既に十里先の本部にまで届いているはずた。

 ややもせず、風切り音が本部の方角から飛来してきた。空軍の風精術師たちが抱えてきたのは、若き国家元首閣下ご本人だ。

 危なげなく地上に降ろされると、遠慮なく大股でずかずか陣内に割って入ってきて、「万全か?」と、年の割には肥えすぎた身体を揺らしながら高揚した顔で問うてくる。何時ものことなので私も周りも気には留めない。「もちろんです閣下」と、妹がふんわりと応じる。

 追いかけてきた風切り音が間近で地に降り立つ。こちらは書記長ご本人の術式だ。「閣下どうしてもここに居なければなりませんのか」と、いいかげん高齢の書記長は閣下に詰め寄り、息を切らせながら唾を飛ばす。「危険です」

「危険はこの者たちも同じであろう。危ないというなら、お前は逃げてよし」事も無げに閣下が応える。豪胆なのか足りてないのか、私には判断しかねる。

 ため息をつきながら、書記長は閣下の傍らに立つ。「いいえ、お供いたしまする」書記長の渋い顔と、「大義である」閣下のにやけ顔、ワンセットで軍事イベントの定番だ。


「さぁ、始めよ」

 閣下のあっさりした指令に、妹はというとこれもあっさりと無言の首肯しゅこうで応え、七里先の触媒設置点に魔導線で繋げられた発動基盤へ独り向き直る。

 私たち障壁係は目配せを交わし、閣下と書記長と空軍の連中を交えてすこし人員の膨らんだ発動陣を取り囲んで、一足先に障壁術式を発動させる。薄い霧のような幕が、皆をすっぽりと包む。

 間髪を入れずに、我が妹の歌うような真言の詠唱が幕内に響く。

TIL/いと速きターイラー

TO/勇き風よターザンメ

WA/かの光をウォウアリフ

IT/解き放てイェーター

 妹の詠唱の終わりに被せて閣下が叫ぶ、七里先の触媒設置点に向けて拳を突き出し、少年のように目を輝かせながら、「ティルトウェイト!」


 強烈な光、障壁越しにも目映まばゆい閃光に続いて、見る間に天高くフーヴの御山のごとき雲が立ち昇る、途方もない大きさだ、舞い上げられた塵がこすれあって稲光さえ起きているのが見える。

 やがて轟音と共に、嵐のような爆風がここまで届く、小石だの枝葉だのが唸りをあげて飛来し、障壁の幕を弾いて揺らす。

 嵐を起こした当のふわふわ羊が笑顔で振り返る、その屈託のなさは一周回ってそら恐ろしい、「発動班から本部へ、術式発動に成功、以降を観測班に引き継ぐ。以上」

 閣下が両の拳を振り上げて歓喜の雄叫びをあげ、次いで書記長を抱き締めにかかった。何時ものことなので私も周りも気には留めない。ただでさえ、障壁術式の長時間にわたる顕現けんげんには神経を使うのだ。


 火山国の隣国はすぐにでも、その神経質な地震計で、通算五度目となる共和国軍の核熱爆炎呪文ティルトウェイト発動試験の成果を知るだろう。嵐の最中、障壁術式の維持につとめるかたわら、私はそんなことを思う。

 五度目にもなれば、大したニュースにはならないんだろう。かの平穏な富裕国のことだ、三日もすれば大概の者たちは、時代錯誤の隣の貧国の妄挙など忘れ、日銭稼ぎに明け暮れるそれぞれの日常に戻ってゆくことだろう。


 だが我々は違う。

 我々は忘れない。

 我々は積み重ねる。

 我々はいつかたどり着く、ティルトウェイトの冷たい戦の、時代遅れのその頂に。

 その暁には、あなたがたにも招待状を受け取っていただきましょう。遠慮など要りませんよ、我々が忘れずたゆまず積み重ねてきた懐かしい恐怖の味、たんと召し上がれ。


 そう心の中で独りごちる、私の顔に浮かぶ笑みはきっと、あの妹の笑顔にも似た、そら恐ろしいものになっていることであろう。

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