第六十六話から第八十六話の厄落とし

※この項では、『夜行奇談』第六十六話から第八十六話までのネタバレが含まれています。該当するエピソードをお読みになった上で、ご覧下さい。


   * * *


 『夜行奇談』第六十六話から第八十六話は、鳥山石燕「画図百鬼夜行」シリーズの五冊目となる『今昔画図続百鬼 晦』に収録された妖怪画二十一点をモチーフにしている。

 以下に、各話のタイトルと、モチーフとなった絵のタイトル(妖怪名)を、合わせて記す。


●第六十六話 砂浜に ―― 不知しらぬ

 九州の八代やつしろ海や有明ありあけ海に現れる怪火。沖合に無数の火が灯るもので、一説に、龍神がこれを起こすと言われる。

 『夜行奇談』では、「海上で燃える炎」を現代怪談風に再現するということで、お読みいただいたとおりのものになった。ちなみに、ぐねぐねする人が出てくるが、これは龍神を意識したものだったりする。

 実際の不知火は、人をたぶらかして海に誘うようなことはないので、ご安心いただきたい。


●第六十七話 忘れ火 ―― せんじょうの

 かつて戦場だった場所に現れるという怪火。もっとも伝承や文献上に「古戦場火」の名で呼ばれる妖怪の話はなく、あくまで石燕が「よくある」パターンの怪火に、独自の名を付けただけのようである。

 『夜行奇談』では、肝心の「いくさ」をいつの時代のものにするかで悩んだ。無難に済ませるなら戦国時代辺りでいいのだが、現代怪談である以上、「先の大戦」という選択肢があるのだ。

 ただその場合、今度は「戦場」という縛りが引っかかってくる。先の大戦における現日本国内での地上戦と言えば、沖縄と硫黄いおうとうが思い浮かぶ。しかし沖縄を舞台にした怪談というのは、あそこの独自の妖怪文化を考慮すると、僕のような勉強不足の人間には書きにくい。また硫黄島は硫黄島で、民間人が入ることができないため、怪談の舞台にはしづらい。かと言って、現在は日本ではない南方の島などを舞台にしようとしても、沖縄や硫黄島と同じ問題が生じてしまう。

 ……などと悩んでいるうちに、必ずしも地上戦にこだわる必要はない、ということに気づいた。日本は何度も空襲を受けている。その際、日本軍が敵襲を黙って眺めていたわけがなく、何らかの迎撃作戦は展開していたはずなのだ。

 それを踏まえ、作中では東京大空襲に焦点を当てることにした。僕の住む町も、当時焼かれている。町中を流れる川という川までもが燃え上がり、地獄のような光景になったと聞く。

 三月十日。決して、忘れないようにしたい。


●第六十八話 どう見ても ―― あおさぎの

 石燕の解説によれば、歳を経たアオサギは夜飛ぶ時に羽が光るという。これはあくまで光っているだけだが、名前に「火」とあるとおり、当時は怪火の類として扱われていた。

 ただ逆に、「妖怪だと思ったら鳥だった」という誤認ネタとして語られるケースもあったようだ。例えば江戸時代の怪談本『諸国百物語』には、墓地にうぐめ(ウブメのこと)が出るという噂を聞いて見にいった者が、赤子の泣き声を発しながら飛んできた怪火に斬り付けたところ、ただのゴイサギだった――という笑い話が載っている。

 『夜行奇談』でのエピソードも、この笑い話を参考にしている。もっともこちらは、一応ガチの幽霊ということにしてある。

 短い小ネタのような内容だが、結構気に入っている。


●第六十九話 こっちこっち ―― ちょうちん

 石燕の解説によれば、田舎などの畦道あぜみちに現れる怪火だという。これは狐が提灯として灯すものらしい。

 「提灯火」という名の妖怪は、石燕が描いたもの以外に記録がないが、似たような怪火の話は各地にある。それらに石燕が独自の名を与えたのだろう。

 『夜行奇談』では、「提灯」というキーワードから、僕が小学生時代に林間学校で体験した肝試し大会を思い出し、その時の記憶をベースにエピソードを書いた。もちろん「見えない何か」が付いてきたわけではなかったが、ゴール間近で提灯の火が消えてパニックになったのも含めて、ほぼ実話である。

 ちなみに作中で後ろから付いてきたのは、原典にならって狐という設定になっている。


●第七十話 墓石 ―― はか

 かつて墓があった場所に、燃え盛る墓石が現れるというもの。石燕の絵にしか見られない妖怪だが、似たような怪談は、探せばありそうである。

 『夜行奇談』作中でも、火こそ燃えないものの、ほぼそのままの怪異として登場させてみた。トンネルを舞台にしたのは、「そういえばトンネル絡みの話を書いてないな」と思ったからだ。こういう小ネタの時は、割と何となくの感じで書いている。


●第七十一話 スイッチ ―― 消婆けしばば

 火に息を吹きかけ消してしまう老婆の妖怪。石燕の絵以外に文献や伝承がないことから、石燕の創作した妖怪であろうと思われる。現代では「吹っ消し婆」の名で知られるが、そちらは後世の画家が石燕の絵を模写した際に付けた名であり、本来は「火消婆」が正しい。

 石燕の解説によれば、夜は陰気が陽気に勝つ時間なので、このような火を消す化け物が現れるのだという。

 『夜行奇談』では、さすがに電気を吹き消すことはできないので、壁のスイッチを勝手に切る妖怪として登場させた。手がしわがれているところから、老人を連想できるようになっている。


●第七十二話 ある後日談 ―― あぶらあか

 親が寝ている間に行燈あんどんの油を舐める赤ん坊。石燕曰く、生前油を盗んだむくいから死後に怪火となった者が、今度はこの赤ん坊に生まれ変わったという。

 「油盗みの怪火」は当時の怪火の定番だったようだが、「油赤子」という妖怪は、石燕の絵以外に見られない。そのため石燕が創作した妖怪だと思われるが、油を舐める化け物自体は、化け猫を始め、絵画などによく見られる。もしかしたら「油赤子」にも、何かモチーフとなる妖怪がいたのかもしれない。

 『夜行奇談』作中では、油盗みの怪火の生まれ変わりという特徴を踏まえ、叢原そうげんをモチーフにした第十七話「ライター」の後日談とした。作中のAちゃんは、ライターを万引きしていた老人の生まれ変わりというわけだ。

 それにしてもSさん夫婦にとっては、いい迷惑である。


●第七十三話 スーツケースの女 ―― かたぐるま

 江戸時代の怪談に見られる妖怪の一つ。外見にはいくつかバリエーションがあるが、石燕の絵では、炎に包まれた片輪だけの車に乗る、美女の姿をしている。

 片輪車は夜な夜な通りを走るが、その姿を見てはならないとされる。ある女が戸の隙間からこっそり片輪車の姿を盗み見たところ、片輪車は怒って、女の子供をさらってしまった。女が悲しみ、詫びの歌をんで戸口に貼ると、それを見た片輪車は子供を返し、二度と現れなくなったという。

 この話は『諸国じん談』という怪談集に載るもので、石燕も解説の中で引用している。しかし、片輪車の元祖と思われる『諸国百物語』に載る片輪車は、もっと恐ろしいものである。

 こちらは片方だけの車輪そのものの外見をしていて、やはり夜な夜な通りを走る。ある女房がその姿を覗き見ると、車輪は千切れた脚を提げていて、「われを見んよりは、内に入りてなんぢが子を見よ(俺を見るよりは、家の中に入ってお前の子を見ろ)」と、人のようにものを言った。女房が怯えて子供を見にいくと、子供はすでに体を引き裂かれ、片脚がなくなっていたという。

 この車輪だけの片輪車だが、『諸国百物語』の挿絵では、車輪の中央に男の顔が付いた姿になっている。「喋る車輪」を絵で表現した結果かもしれないが、後にこの姿は片輪車の定番デザインとして、様々な妖怪画の中で描かれるようになった。

 『夜行奇談』では、「車」だからと自動車やバイクの怪異にするのもストレートすぎて気が引けたので、一捻りして、スーツケースを引きずる怪女として登場させることにした。

 彼女のスーツケースは二輪なので、四輪に比べると「片輪」ということになる。また、姿を見たことを咎めたり、大事なペットをさらったりといったところも、原典の片輪車を踏まえている。

 なお、エレベーターを用いた追いかけっこのシーンは、単に「何かスリリングなホラーシチュエーションを書いてみたい」と思ったために生まれた。おそらく直前に読んだホラー小説の影響だろう。


●第七十四話 スーツケースの怪 ―― にゅうどう

 炎をまとった車輪の妖怪で、中央には入道の顔が付く。前項を読めばお分かりのように、この外見は『諸国百物語』の挿絵にある片輪車のものだが、石燕は「輪入道」という独自の名前を付け、似て非なる妖怪として描いている。

 石燕曰く、「此処しょうの里」と紙に書いて戸口に貼っておけば、この妖怪は家に近づかないとのことだ。

 『夜行奇談』では、片輪車と輪入道という本来同一の妖怪を、どのように別々の怪談に仕立てるかが課題だった。結果、「スーツケースの女」という大きな話を踏まえつつ、そこから複数のショート怪談を派生させ、オムニバス形式で紹介するという形を採った。

 実話怪談というよりは、都市伝説の実例を挙げていくような内容になったが、おかげで好き勝手に書くことができたと思う。


●第七十五話 お供え物 ―― おん摩羅鬼もらき

 宋の『清尊録せいそんろく』に記述がある怪鳥。黒いつるのような姿をしており、新しい死体の気がこれに変ずるという。日本では、この陰摩羅鬼が出た話が『太平百物語』に載っているが、これは『清尊録』にある話を翻案したものと思われる。

 これらの話の中では、陰摩羅鬼は寺に現れ、うたた寝していた男をたしなめている。現代の妖怪図鑑などでは、「怠惰な僧を戒める」と解説されることがあるが、これも『清尊録』の話から連想したものだろう。

 『夜行奇談』作中では、子供に奪われたお供え物を取り返しにくるという形で、間接的に戒めを表現してみた。

 ちなみに形が細長いのは、鶴だからである。菓子を食べる時の動作も、ついばむ動きをイメージしている。


●第七十六話 足りない ―― さらかぞえ

 井戸に現れ皿を数える幽霊。言わずと知れた皿屋敷のお菊に、石燕が独自の名を付けたものである。

 皿屋敷の怪談はいくつものバージョンがあるが、概ね次のとおりだ。

 ――ある屋敷に仕えるお菊というじょが、十枚一組の皿の一枚を割ってしまい、怒った主人に井戸に投げ込まれてしまう。するとこの井戸から、夜な夜なお菊の亡霊が現れ、皿を数えるようになる。「一枚、二枚……」と数えていき、九枚まで数えたところで「一枚足りない……」と泣き崩れるのだという。

 『夜行奇談』では、「足りない」という言葉をキーワードにして、オムニバスの怪談に仕立てた。当初は一話目のプリントの話のみにするつもりだったが、せっかくの皿屋敷という大ネタなのに、ボリューム不足になるのも物足りなかったので、もう二つ書き加えた次第である。

 ……ただ改めて読み返すと、一話目だけで充分だったかも、という気がしなくもない。


●第七十七話 風船 ―― 人魂ひとだま

 人の魂が肉体から抜け出て飛び回るもの。怪火の一種として扱われることが多いが、「人魂が家から飛び出すと、その家で人死にがある」などと言われ、死の予兆として扱われることも多い。また、抜け出た魂を誰かが引き戻すことができれば、死を免れるともいう。

 『夜行奇談』では、これら人魂に関する俗信をベースにエピソードを作った。

 ただし人魂の色が人によって違うのは、僕が考えたオリジナルの設定である。お婆さんが亡くなるだけでなく、何かもう一捻り欲しいと考えて、後半の部分を追加した次第だ。


●第七十八話 ください ―― 舟幽霊ふなゆうれい

 各地で語られる海の怪。石燕の絵では、船に乗った幽霊の集団が描かれているが、実際の伝承では船だけが現れたり、幽霊だけが水の上に現れたりなど、様々なバリエーションがある。

 舟幽霊は水死者の亡霊で、生者を仲間に引き込むために船を襲うとされる。その際、舟幽霊は船の前に現れて「柄杓ひしゃくを貸せ」と言う。船乗りが言うとおりにすると、舟幽霊はその柄杓で水を汲み上げ、たちまち船を沈めてしまう。これを防ぐためには、柄杓の底を抜いてから渡せばいいとされる。

 以上が舟幽霊の一般的な特徴だが、地域によっては海坊主が同じことをするともいう。また西の方では、だんうらの戦いで敗れた平家の怨霊が舟幽霊となったという話もある。

 『夜行奇談』作中では壇ノ浦を舞台に、遊覧船を狙う舟幽霊を書いてみた。この舟幽霊は柄杓をねだるわけではないが、相手にすると命を奪われ、仲間にされてしまう。船員はそれを知っていて、舟幽霊が出た時は(舟幽霊除けのまじないとして)底の抜けた柄杓を海に放っている――という設定だ。

 なお、もちろんこの話はフィクションなので、現地に実在する遊覧船とは無関係である。念のため、お断りしておく。


●第七十九話 撒き ―― 川赤かわあか

 石燕が創作した妖怪の一つ。川のくずの中にいる赤ん坊で、河童の類だという。

 現代の妖怪図鑑などでは、「川で赤ん坊そっくりに泣いて人を惑わす妖怪」と解説されることが多い。これは石燕の絵から連想したものだろう。

 一説に、釣り餌に使うイトミミズを「赤子」と呼ぶことから、川赤子もイトミミズを妖怪に見立てたものではないか、と言われている。石燕の絵でも、釣り竿と一緒に描かれている。

 というわけで、『夜行奇談』作中でも魚の餌にしてみた。いや、身も蓋もない話だが、本当にそれだけである。

 ただし一応は、「死体遺棄事件の光景が繰り返されている」みたいな雰囲気にしてある。女は赤ん坊の母親で、虐待で死なせてしまった我が子の死体を川に捨てた――といったところか。いや、どのみち厳密な設定は考えていない。ただの餌だし。


●第八十話 ぽとり ―― ふる山茶つばきれい

 古い椿つばきの木が化けて人をたぶらかすというもの。石燕の絵では、椿の木が人の形になっている様子が描かれている。

 実際の伝承や怪談にも、椿が怪を為したという話はいくつかある。椿の木が女に化けたとか、椿から作られた柱が化け物になったとか様々だが、いずれにしても椿は怪しい樹木と見なされていたようだ。

 『夜行奇談』作中では、椿が女に化けて主人公の前に現れる。山田野理夫氏の『東北怪談の旅』みたいな作風を意識して、首は落ちるものの幻想的な感じに仕上げてみた。


●第八十一話 駅のトイレ ―― 加牟波理がんばりにゅうどう

 便所の怪。石燕の絵では、口から鳥を吐きながら便所を覗き込む入道の姿が描かれている。

 江戸時代には、大晦日の夜に便所に入って「がんばり入道ホトトギス」と唱えると、怪異に遭わないという俗信があった。しかし逆に、大晦日の夜に便所でこの呪文を思い出すと、不吉なことが起こるという説もある。

 いずれにしても加牟波理入道がどういうポジションの妖怪なのかは、いまいちはっきりとしない。石燕は加牟波理入道をかわやがみと見なしていたようだが、そもそも便所でホトトギスの声を聞くのは不吉だという俗信もあったらしい。そうなってくると問題の呪文自体、「加牟波理入道を見ずに済む呪文」ではないか、とも解釈できてしまう。

 神様か、はたまた恐ろしい妖怪か。とりあえず『夜行奇談』作中では、駅のトイレに現れる気味悪い迷惑な化け物としておいた。

 切羽詰まって駅のトイレに駆け込んだら個室がすべて閉まっていた時、凄まじい絶望感と同時に湧き上がる、あの異様な憤怒の感情は、いったい何なのだろうか。


●第八十二話 雨の日に ―― 雨降あめふりぞう

 石燕が創作したとされる妖怪の一つで、大きな笠を被った子供の姿をしている。雨の神を雨師うしというが、この雨降小僧は雨師の召使いなのだそうだ。

 現代の妖怪図鑑などでは、「雨の日に喜んで歩き回る」と解説されることが多い。

 『夜行奇談』作中でも、雨の日にだけ現れる謎の子供として登場させてみた。原典の雨降小僧は笠が特徴的なので、こちらも傘だけが見えるようになっている。

 いつも持ち物ばかりが見えて、本体が一向に見えない――というシチュエーションは、ほんのりと不気味だと思う。


●第八十三話 下がる男 ―― 和坊よりぼう

 常州(茨城県)の深山にいるという妖怪。雨の日は姿を見せず、晴れの日だけ現れる。この霊を祭ったのが、てるてる坊主である――と石燕は解説している。

 絵では、深山の岩肌に巨大な坊主が浮かび上がっている。もっともこの妖怪は、石燕の絵と解説以外に情報がなく、石燕の創作である可能性が高い。おそらく、てるてる坊主をモチーフに想像したものではないだろうか。

 『夜行奇談』では、「てるてる坊主=首吊り」という安直な連想を、そのまま怪談にしてみた。ちなみに教室に下がっていたのは、自殺者の幽霊ではなく、あくまで日和坊である。念のため。


●第八十四話 顔の無い人形 ―― あおにょうぼう

 石燕の創作妖怪の一つ。荒れたふるしょに現れるにょかん姿の妖怪で、ぼうぼうまゆ鉄漿おはぐろを黒々とつけ、立ち舞う人を窺うという。

 もともと「青女房」とは、若くて官位の低い女官を指す言葉であった。石燕は洒落で、この「青女房」を妖怪に見立てたのだろう。解説にある「ぼうぼう眉に鉄漿を黒々とつけ」が当時の風習(既婚の女性は眉を剃り鉄漿をつける。未婚の女性は逆)と噛み合っていないのも、意図してのことと思われる。

 『夜行奇談』では、この妖怪をどのように現代怪談に仕立てるか、だいぶ悩んだ。特徴と言えば「古御所に現れる」だけしかなく、「女官」は現代では何に置き換えればいいのか。眉毛と鉄漿の要素はどうやったら表現できるのか……などなど、とにかく無理難題に思えた。

 ところが女官のことを調べているうちに、「そう言えばお雛様の三人官女も女官なのだ」と気づいた途端、一気にアイデアがまとまった。改めて読み返すと荒っぽいところが多いものの、「青女房」という地味な妖怪をベースにしながら、いい具合に怖く仕上がった気がする。僕のお気に入りのエピソードである。

 ちなみにラストの廃校は、原典の古御所を表現したものだ。


●第八十五話 ドアを叩く ―― じょうろう

 石燕の創作妖怪の一つ。長い髪で顔までも覆い尽くした女郎で、これを見た男が驚いて意識を失った、と解説されている。

 また後世に書かれた怪談本『妖怪画談全集・日本編 上』では、遊女屋に現れて廊下の障子などに毛を擦りながら歩く妖怪とされる。こちらは、石燕の絵から連想した解説だろう。

 『夜行奇談』作中では、後者の解説をベースにしたエピソードになっている。舞台が元ラブホテルなのは、遊女屋を意識したためだ。

 連載一回目に投稿したエピソードである。オチの「とりあえず行方不明にしとけ」的なやっつけ感は、まだネタ切れの恐怖を知らなかった頃の大胆さゆえだろう。


●第八十六話 嫌な部屋 ―― ほねおんな

 有名な怪談「たん灯籠どうろう」に登場する女幽霊に、石燕が独自の名をつけたもの。絵では骸骨が着物を着て、牡丹の灯籠を提げて歩いている。

 ちなみに「牡丹灯籠」の大まかなあらすじは、次のとおりである。

 ――ある男が美しい女と恋仲になる。女は夜ごと男の家を訪ねてくるが、隣家の者がその様子を覗き見ると、男と語らっていたのは骸骨だった。

 石燕はこのシーンを参考に、骨女の姿を描いたものと思われる。話はさらにこう続く。

 ――このままでは、男は幽霊に取り殺されてしまうに違いない。男は修験者に相談し、ふだを書いてもらって、それを家の門に貼る。すると幽霊が訪ねてくることはなくなった。しかしその後、女を恋しく思った男が、彼女の墓がある寺を覗いたところ、女が現れて男を中に引きずり込んでしまう。男の家来達が慌てて駆けつけたが、男はすでに白骨と打ち重なって息絶えていた。

 ……と、長い物語だが、『夜行奇談』では、幽霊がお札を嫌うという要素のみに着目し、短い話に仕上げた。

 「牡丹灯籠」には類話がいくつもあるが、そこに登場する幽霊達は、様々な手段でお札を攻略し、最終的に主人公を取り殺す。これを踏まえて『夜行奇談』作中の幽霊も、主人公達をお札のない部屋に巧みに誘導しようとしている。

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