第三十七話から第五十一話の厄落とし

※この項では、『夜行奇談』第三十七話から第五十一話までのネタバレが含まれています。該当するエピソードをお読みになった上で、ご覧下さい。


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 『夜行奇談』第三十七話から第五十一話は、鳥山石燕「画図百鬼夜行」シリーズの三冊目となる『画図百鬼夜行 風』に収録された妖怪画十五点をモチーフにしている。

 以下に、各話のタイトルと、モチーフとなった絵のタイトル(妖怪名)を、合わせて記す。


●第三十七話 上り坂に ―― こし

 一般的には「見越し入道」と呼ばれる妖怪。坂道などに現れ、こちらが見上げれば見上げるほど大きくなっていく。そのまま見上げ続けていると命を奪われてしまうが、「見越した」と唱えると消え去る――というのが主な特徴である。

 地域によって、様々な呼び名とバリエーションがある。岩手県遠野では「ノリコシ」と呼ばれ、これに遭った時は見上げずに、下に見下ろすようにすればいいとされる。

 『夜行奇談』作中では、このノリコシのように見下ろして対処しようとしたら、結局視界に入り込まれた……という話にしてみた。「見上げたら大きくなるのだから、見下ろしたら逆に小さくなって、こちらを見上げてくるのだろう」と想像したわけだ。

 ちなみに作中では無駄にイニシャルにしているが、舞台にした場所は、九段下にある靖国神社の横からカドカワ本社ビル(当時)へと続く坂道である。


●第三十八話 実名検索 ―― しょうけら

 鬼のような姿の妖怪で、屋根の天窓てんまどから家の中を覗く姿が描かれている。

 この絵には説明書きがないので、これだけだとどのような妖怪なのか分からないが、民間信仰の一つである「庚申待こうしんまち」と呼ばれる行事にしょうけらの名前が出てくるところから、それに関係した妖怪だろうと推測されている。

 庚申待とは、庚申の夜に徹夜をするというもの。これは、人の体内に住まう「さんちゅう」という虫が、眠っている間に体から抜け出すのを防ぐためである。三尸虫は、宿主の悪事を天帝に報告し寿命を縮めさせると言われ、一説にしょうけらというのは、この三尸虫のことだとされている。

 『夜行奇談』では、三尸虫の害である「悪事によって寿命が縮む」という要素をベースにして、話を創った。エゴサーチをしたら自分の過去の悪事がばらされていた――というのは、ある意味で恐怖かもしれない。

 ただ、だいぶフィクション臭い話になってしまったのは、反省どころだ。


●第三十九話 通り道 ―― ひょうすべ

 九州でいう河童の一種。石燕の絵では、猿とも老人ともつかない蟹股の化け物が描かれる。この姿は、狩野派の間で様々な絵師によって描かれていた妖怪の絵巻物にある「ひょうすべ」のデザインを踏襲している。その笑っているような顔つきから、現代の妖怪図鑑などでは、「ひょうすべに笑いかけられると病気になる」と解説されていることが多い。

 実際の伝承は、いわゆる河童のそれである。「ヒョウズンボ」「ヒョウスボウ」など、地域によって呼び名が異なる。秋になるとヒョウヒョウと鳴きながら山に入るが、この移動を遮った者は死んでしまう、などと言われる。

 『夜行奇談』作中では、ひょうすべの移動ルートにテントを張った主人公が、さすがに死にはしないものの、怖い想いをする話にした。ひょうすべの鳴き声を笑い声のように改変したのは、「笑いかけられると云々」を意識したものである。


●第四十話 古墳 ―― わいら

 ずんぐりして這いつくばった獣のような姿の妖怪。前脚の先は巨大な一本爪になっており、下半身は描かれていない。石燕の絵では山中にいるが、説明書きが一切ないため、どのような妖怪なのかは不明である。

 ひょうすべ同様、狩野派の妖怪絵巻に描かれたものが踏襲されている。この絵巻に登場する妖怪の特徴として、「絵師の考えたオリジナルの妖怪ではなく、実際に伝わっているもの」「ただしデザインは、伝承とは関係ないオリジナル」というのがほぼ共通しており、これが複数の絵師によって描き継がれていた。

 結果として、当時の絵では頻繁に見かけるものの、今となっては詳細不明の妖怪がいくつも存在しており、わいらもその一体である。

 現代の児童向けの妖怪本などに載っているわいらの解説は、後世の人が絵から想像した後付けのものとなる。例として、「山中でモグラを掘り食らう」「茨城の山中で野田元斎げんさいという医者に目撃された」「オスは土色でメスは赤い」などがある。

 『夜行奇談』では、「山中にあって、わいらっぽいずんぐりした形で、ホラーの対象になりそうなもの」ということで、古墳をわいらのように這いずらせることにした。

 また、前述の後付け解説のネタも織り込んでいる。舞台がI県。登場人物が医大生のNさんとGさん。土気色と赤色。……お気づきになられただろうか。


●第四十一話 真っ黒 ―― おとろし

 全身に長い毛をまとわせた妖怪で、石燕の絵では、神社の鳥居に噛みついてハトを握り潰している。例によって狩野派の妖怪絵巻を踏襲したもので、名前は「おどろおどろ」「おとろん」など、絵師によって差異がある。これは崩し字の読み違えが原因で表記揺れが起きたものと考えられる。

 わいら同様、詳細不明の妖怪だが、現代では石燕の絵から連想して、「鳥居の上にいて神社を守る妖怪」と解説されることが多い。

 『夜行奇談』では、「動画の撮影中に鳥居の下を潜ったら、謎の髪の毛が映り込んだ」という話にしている。最後に顔が映っているが、これは要するにおとろしの顔である。たぶん、人っぽい顔が映るより、よっぽど怖い。


●第四十二話 隣の仏間 ―― ぬりぼとけ

 両目の玉がダラリと垂れ下がった妖怪。石燕の絵では、仏壇の中から姿を現している。

 もともとは狩野派の妖怪絵巻に描かれた詳細不明の妖怪の一つ。名に「仏」とあるが、これは「死者」「死体」の意味のようだ。また絵師によっては、獣や魚の尾が生えた姿で描く場合もある。

 『夜行奇談』作中では、仏壇の中から現れて仏間を這い回る様を書いた。らんこいや、妙に湿り気のある這いずり音は、石燕とは別の絵師が描いた塗仏に魚の尾が生えていたことからの連想である。

 ちなみに、当初は「欄間の彫刻の隙間から目玉だけが覗く」というシーンも入れようと考えていたが、畳を這いずっている妖怪が欄間に届いてしまうのも妙だし、シンプルな恐怖シーンの中にややこしい描写を入れても蛇足だろうと思い、この案は没にした。

 最終的に「目玉」の要素がなくなってしまったのは、少し残念である。


●第四十三話 関わるな ――ぬれおんな

 海辺などに現れる女の妖怪。名前のとおり、髪や全身がぐっしょり濡れている。「濡れ女子おなご」「笑い女子おなご」「いそおんな」など、様々な名前とバリエーションが存在する。

 得てして恐ろしいものとされており、「髪の毛の先端から人の生き血を吸い取る」「鉤針かぎばりのような髪を男に引っかけて連れ去る」「石のように重い赤ん坊を人に抱かせて動けなくし牛鬼うしおにに襲わせる」など、いろいろな言い伝えが残っている。

 愛媛県宇和では「濡れ女子」の名で伝わり、人に向かってニタリと笑いかけてくる。これに笑い返すと、一生付きまとわれるという。『夜行奇談』では、この言い伝えをベースに話を創ってみた。

 ちなみに石燕の絵では、人面蛇体に人間の腕を生やした化け物として描かれている。これは、狩野派の妖怪絵巻に見られる独自デザインの濡れ女をベースにしたものである。現在の図鑑や娯楽作品に登場する濡れ女も、石燕の影響から、上半身が女で下半身が大蛇という姿で描かれることが多い。

 実は『夜行奇談』作中でも、女の通った跡が蛇の這った跡に見えるよう描写している。お気づきになられただろうか。


●第四十四話 訪ねてきたもの ―― ぬらりひょん

 大きな後頭部を持つ老人姿の妖怪。狩野派の妖怪絵巻に残る詳細不明の妖怪の一つで、石燕の絵にも、これといった説明書きはない。しかし後世では、石燕の絵からの連想で、「人の家に勝手に上がり込む」「妖怪の親玉」などの特徴が後付けされ、解説されるようになった。

 ちなみに岡山県には、「ヌラリヒョン」という名の海坊主の言い伝えがある。海上に浮かぶ玉で、人が捕らえようとするとヌラリと沈み、またヒョンと浮き上がるという。絵巻の「ぬらりひょん」との関連性は不明である。

 『夜行奇談』作中では、「人の家に勝手に上がり込む」という後世の解説をベースにしている。ぬらりひょんなのに、ぬらりひょんという「得体」を明かさないだけで、ずいぶんと怖いものになる。まさに『夜行奇談』のコンセプトどおりのエピソードにすることができたと思う。


●第四十五話 モウサン ―― 元興寺がごぜ

 本来は奈良県元興がんごうに現れたという鬼のこと。転じて「ガゴゼ」「ガゴジ」などと呼ばれ、言うことを聞かない子供をしつける際に「お化け」の意味で用いられる言葉になっていった。

 そんなわけで名前ありきの妖怪なのだが、『夜行奇談』では「元興寺」の名前をそのまま出すと得体が丸出しになってしまうので、独自の「子脅しの妖怪」の名前を創作しようと考え、「モウサン」なるものが生まれた。

 作中では、過去に「モウサン」のことを教えてくれた先生が実は「モウサン」そのもので、先生に会いにいった男もまた新たな「モウサン」にされてしまう――という設定になっている。

 本来はこれ一話で完結する予定だったが、「関連のある妖怪同士のエピソードをリンクさせる」という試みを何度かおこなっているうちに、「モウサン」でも同じことをしようと思いつき、そこから話が広がっていった次第だ。


●第四十六話 糸玉 ―― うに

 全身に長い毛を生やした鬼婆のような妖怪で、石燕の絵では渓流のような場所にいる。

 狩野派の絵巻にも同じ姿の妖怪が描かれるが、そちらは「わうわう」という名である。つまり石燕は、この「わうわう」を、「苧うに」という独自の名に変えて描いたわけだ。

 「苧」とは植物の繊維から作られる糸のこと。苧うにの長い毛も、糸のように見えなくもない。そこで『夜行奇談』作中では、「糸の塊の中に老婆の頭があった」という、石燕の絵からそのまま連想した話になった。

 もともとはこれだけの一発ネタのつもりだったが、苧うにの本来の名である「わうわう」が「お化け」を指す幼児語の一種と推測されることから、「モウサン」の話とリンクさせることを思いついた。

 ただし思いついた時点で、すでにこの第四十六話は投稿済みだったため、実際に話を繋ぐ役割は、後に控えている別のエピソードに譲ることとなった。


●第四十七話 寺に出るもの ―― あおぼう

 一つ目の老僧の姿をした妖怪。石燕は「青坊主」という独自の名を与えているが、デザインのベースになった絵が描かれている狩野派の絵巻では、「目ひとつ坊」「目一つぼう」などと名付けられている。要は一つ目小僧の類である。

 『夜行奇談』作中では、「これほどまでにベタなビジュアルの妖怪を、いかに読者に怖いと思わせるか」を課題とした。結果は、お読みになったとおりだ。

 ちなみに京都のえいざんには、「僧が一つ目小僧に生まれ変わり、不真面目な修行僧の前に現れ戒めた」という話がある。『夜行奇談』作中でも、この話の要素を盛り込ませてもらった。

 余談だが今作の主人公二人は、知り合いのライターさんと編集者さんがモデルになっている。お化け界隈では名が知られている二人だが……具体的に誰のことかは伏す。


●第四十八話 日が悪い ―― 赤舌あかした

 黒雲から顔を覗かせた毛むくじゃらの妖怪で、大きな口を開け長い舌を見せている。

 石燕の絵では水門の上にいることから、「長い舌で水門を開ける妖怪」と解説されることが多いが、これは後世の人が絵から連想した後付けの解釈である。

 もともとは狩野派の絵巻に「赤口あかくち」の名で描かれた妖怪で、「しゃっこう」「しゃくぜつ」はいずれも陰陽道における凶日やせつしんを指す言葉である。つまり、それらの概念を化け物の姿で描いたのが、絵巻の「赤口」であり石燕の「赤舌」であると言えるだろう。

 『夜行奇談』作中では、凶日という要素から連想して、出歩いてはならないとされる「ものみ」に縛られた少女と、彼女に恋した少年の物語に仕立ててみた。おかげで現実味はなくなったが、自分好みの切ない話になったように思う。

 なお、作中に現れる「真っ赤の唇のAさん」は、妖怪「赤口」を表している。Aさんと「赤口」は同一の存在で、物忌みの日には「赤口」として振る舞う。そしてAさんの死後は、「赤口」だけが分離して残ってしまった――という設定になっている。


●第四十九話 ぐるぐる巻き ―― ぬっぺっぽう

 人の顔のように見える肉塊に、短い手足が生えた姿をした妖怪。極めて特異なビジュアルだが、名前からも分かるとおり、要はのっぺらぼうのことである。

 これも元は狩野派の絵巻物に描かれていて、濡女などと同様に独創性のあるデザインになっている。なので、このような肉塊型ののっぺらぼうが実際に伝わっていたというわけではないのだろう。

 のっぺらぼうは、一見人間だが顔に目鼻口がなく、その顔で人を驚かす妖怪。小泉八雲の短編「むじな」でよく知られる。主人公が恐ろしい顔の化け物に遭い慌てて逃げるも、他の人にそのことを話したら、相手が「そいつはこんな顔かい?」と言って、同じ顔の化け物に変わる――。このパターンの妖怪は「再度の怪」と呼ばれ、のっぺらぼうに限らず様々な顔バリエーションの怪談が存在する。

 『夜行奇談』作中では、この「再度の怪」をそのまま再現した。のっぺらぼうの要素は、顔中を包帯でぐるぐる巻きにすることで表したが、包帯の下がどうなっているのかは、特に設定していない。

 ただ、ラストで母親に化けた「何か」が包帯の下に隠していた胴体=巨大な笑顔は、ぬっぺっぽうの肉塊部分を表現している。


●第五十話 かわに映ったもの ―― 牛鬼うしおに

 牛のような姿の怪物。主に海や淵などに現れ、人を食らったり、人の影を舐めて死に至らしめるとされる。また一部の伝承では、女の姿で現れることもある。

 現代では、牛鬼と言えば鬼面のクモのような姿で描かれることが多いが、これは狩野派の絵巻にある独自デザインの牛鬼がベースになっている。ただ石燕は、この牛鬼に限っては絵巻のデザインを踏襲せず、実際の伝承に近い牛型の化け物を描いた。

 『夜行奇談』作中では、牛鬼が影を舐めるという伝承から連想して、水に映った人の影を奪い去る形にしてみた。女の姿で現れたのも伝承どおりである。


●第五十一話 不可解な話 ―― うわん

 恐ろしい形相の妖怪で、石燕の絵では、朽ちた練塀ねりべいの向こうから上半身を覗かせた姿が描かれる。これも例によって、狩野派の絵巻由来の、詳細不明の妖怪の一つである。

 現代の解説では、その名前からの連想で、「うわん!」と吠えて人を驚かせる妖怪とされることが多い。

 ただ、「うわん」に似た名前の妖怪がいないわけではない。「ワン」「ワー」「ワーワ」など、いずれも幼児語で「お化け」を指す言葉だが、「うわん」もこれに近いものだろうと推測できる。つまり「元興寺」や、「苧うに」の本来の名前である「わうわう」と同系統の、子脅しの妖怪と考えられる。

 それもあって『夜行奇談』作中では、元興寺をモチーフにした「モウサン」のエピソードの続編という形にした。ただしこの段階では「モウサン」の続きであることを伏せ、それまで単発のエピソードとして書いていた「糸玉」と「フェンス」を「モウサン」にリンクさせるに留めている。まだ怪談化していない子脅しの妖怪はもう一つ残っていたため、それを「モウサン編」のクライマックスにしようと考えたからだ。

 作中、山中の家の中で吠えていたのは、「モウサン」に登場したMさんである。彼はモウサンに囚われ、あの家の中で化け物に変じていたわけだ。また僕のメールアドレスを書いたメモも、彼が持ち歩いていたものである。

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