第六十八話 どう見ても

 都内の、運河沿いのアパートに引っ越してきたAさんは、ある不可解なことが気にかかっていた。

 毎晩八時ぐらいになると、川の方から、女の悲鳴が聞こえてくるのだ。

 最初は何かの事件かと思ったが、これが連日となると、どうも普通の悲鳴とはたぐいが違うらしい。

 同じアパートの住人に聞いてみると、「水鳥だ」と言われた。

 なるほど、鳴き声を悲鳴と聞き間違えただけ――というわけか。

 Aさんは納得したものの、その数日後、今度は川の上を漂う火の玉を見た。

 ちょうどいつもの悲鳴が聞こえた直後だった。窓から川の方を見ると、街灯の光が届かない真っ暗な水の上を、燃え上がる火がフワフワと舞っている。

 翌日、別の住人にその話をすると、「水鳥でしょう」と言われた。

 羽が街灯の光を反射して、火の玉のように光って見えることがある――と言うのだ。

 それにしては、やけに生々しい火だった……。Aさんはそう思ったが、あまり騒いで変な目で見られるのも嫌だったので、特に反論はしなかった。

 それからさらに数日後のことだ。

 いつものように悲鳴を聞いて、Aさんが窓の外を見ると、川沿いの遊歩道に人影が立っていた。

 ヒタヒタと、街灯のそばまでやってきたその姿は、白い服を着た女だった。

 女はそこから柵を乗り越え、川面かわもに下りた。

 そして、流れる水の上を歩くようにして、ヒタヒタと闇の中に消えていった。

 翌日、大家にその話をすると、「水鳥の見間違えだよ」と言われた。

 何だか――女がどうこうよりも、アパートの住人全員で見て見ぬふりを続けている空気の方が気持ち悪くて、Aさんは早々に引っ越したという。

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