第二十話 石油ストーブ

 近頃の都心部の学校ではあまり見られなくなったが、僕が子供の頃は、東京でも冬になると、小学校の教室で普通に石油ストーブが焚かれていた。

 周りを金網で囲った仰々しい装置で、家庭用のそれと比べても遥かにでかい。だから物珍しさもあって、休み時間には、よく友達とストーブの周りに集まっていたのを覚えている。

 そんな石油ストーブにまつわる奇妙な体験を話してくれたのが、当時の恩師のS先生だ。

 あの頃からすでに白髪頭だったS先生は、当然教職歴も長い。僕の子供の頃にはさすがに廃れていた「宿直」も、若い頃に普通に経験していたという。

 宿直――というのは、先生が持ち回りで学校に泊まり込み、番をすることだ。要するに警備係である。

 その宿直制度は、過去にいくつもの怪談を生んできた。

 夜の学校で××先生がこんな恐ろしい体験をしたらしい――と、まことしやかに語られる噂が、かつてはいくらでもあった。

 しかしS先生は、自分が体験したのは本物だ、と言ってはばからなかった。


 S先生が、まだ三十代の時のことだ。

 雪の降りしきる冷たい夜だった。ちょうど宿直のために泊まり込んでいたS先生は、今夜何度目かの見回りのため、寒さに震える体を叱咤して宿直室を出た。

 午後十一時。気温はグッと下がり、布団が恋しくなる夜更けの時刻――。底冷えのする木造校舎の廊下を、ただ一つの懐中電灯の光を頼りに、ひとり歩いていく。

 心細くなりそうな廊下の闇が、どこまでも続いていた。

 そんな時だ。ふと曲がり角の先に、明かりの漏れている部屋があるのを見つけた。

 六年生の教室だった。電気が点いているわけではないが、戸のすりガラス越しに、赤い灯がぼぉっと浮かんでいる。

 もしかしたら生徒が入り込んで、何か悪さでもしているのかもしれない――。

 S先生は気を引き締めて、そちらへ向かった。

 そばだてる耳に、物音は入ってこない。誰もいないのかもしれない。でも、あの赤い灯は……?

 ――まさか、火事か。

 嫌な予感が胸をよぎった。S先生は廊下を小走りで急ぐと、問題の教室の前で立ち止まった。

 明々と、中で何かが光っている。

 鍵を閉めたはずの教室の戸に、わずかに隙間が出来ている。

 S先生は、そっと覗いてみた。

 石油ストーブに、真っ赤な火が燃えていた。

 それを取り囲むようにして、黒い影がいくつもうずくまっていた。

 火に照らされた顔は、どれもしわくちゃの老婆ばかりだった。

 老婆達は一様に火を見つめ、何も語らずに、静かに涙を流していた。

「誰だっ!」

 S先生はとっさに大声を上げて、戸をガラッと開けた。

 同時にパッと火が消え、老婆達も姿を消した。

 S先生は、ただ呆然と佇むしかなかった。

 再び暗闇に戻った教室は、つい今までストーブが燃えていたにもかかわらず、妙に冷え冷えとしていたという。

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