世紀末キューセイシュ伝説
G・マルコス
第1話 居酒屋にて
同期の間で期待の星として仰がれていた佐伯隆史は実績が認められ、とうとう10年目の節目を迎えるにあたり、若干38歳にして従業員としてはハイクラスな執行役員に就任した。他の取締役及び執行役が軒並み50も半ばを過ぎたお爺が占めていることを考えれば、この大抜擢はまさに異例の人事と呼べるものであった。
が、社内が騒然と湧きたつ中、この抜擢にも動じず、さも当然の運びだといわんばかりに冷静な面持ちを崩さない複数の社員がいて、それらは全て過去に何らかの形で隆史とともに仕事を遂行し、今でも硬い絆で結ばれている同士であった。
彼らは口をそろえて言う。
仕事ができて人当たりも良好。奴ほど総合的に有能な奴はいない。
今はそれぞれ別々の部署で仕事はしているが、隆史と汗を流し苦楽を共にした時間はリーマン生活の中で最上級の思い出だと。
隆史の働く○○株式会社はここ数年で飛ぶ鳥を落とす勢いで業績を伸ばし続けている。その因はちょうど15年前、当時新卒の顔まだおぼこい隆史の才能を見出した人事の慧眼があった。キャリアを積み、成果を残し、異例の速さで昇進、職責を深めていく隆史と歩調を合わせるように、会社も類まれなスピードで急成長していった。もっともそこにプラスの相関を見出す者は決して多くはなかったが、上に挙げた隆史を信望する社員たちにとっては会社の成長の陰には有能で優秀な隆史の働きが寄与していたことを信じて疑わない。
「はっはっ、今日は無礼講だ、飲め飲め!」
執行役員に就任したその夜、都内のとある居酒屋で隆史の昇進祝いが催された。
集まったのは下は25歳から上は54歳までの総勢4名。
歳こそ差はあるが、いずれも社内で苦楽を共にした隆史のことを心から崇拝する者たちばかりだ。
「やっぱ隆史さんはすごいですよ。だってその若さで役員クラスに抜擢されるんだから」
一番年下の岡田が感得したように言うと
「おまえもまだ若い、上を目指せ上を、はっはっ!」
とビールを口に運びながら、隆史は岡田の肩に手をかけた。
「いやぁ俺なんてもう万年ヒラの予感しかないですから……」
口をへの字にして卑屈に笑う岡田に
「そんなこと言ったら俺の立場がないだろぉ」
と、例年ヒラの最年長54歳の高倉が目を光らせた。
「あっいや……」
と自らの失言にトーンを沈めた岡田は頭頂部に手を当てて一応は平謝りのてい。
だがそれほど切迫感はなく
「高倉さんは職位なんて気にしないでしょ」
と軽口すら叩けるのも、在職36年目でありながらヒラの身分であることをまさに高倉自身が希望していることを知っていたからだ。
「まあそうなんだけど」
と高倉もユッケをかきまぜながら穏やかな引き笑いで受けた
そこへ
「高倉っちは仕事よりもアイドルだからな」
テーブルの一番端に座するインテリ面した楠本が唐突に話に割って入ってきた。
高倉よりも10歳年下だが、我がの職位が上であることと、日ごろの睦まじい関係性から仕事中でも頻繁にあだ名で呼んでいる。
「おまえ、アイドルも俺も馬鹿にし過ぎだぞ」
「でも、次の地下アイドルのコンサートに有給使って行くんでしょ?」
とにやけ顔で楠本に問われると、流されるまま「もち」とだけ言って柔らかく目じりを下げる。
「デビュー5周年の記念ライブだからね」
高倉の丸い鼻から吹き出た微風が対面の岡田の前髪をなでる。
「没頭できる趣味があるのはいですよねぇ」
岡田が羨ましげな表情を高倉へ向ける。
そうかぁ?とまんざらでもない高倉であったが、
「ただねぇ……」
と一転煮え切らない気持ちを眉間に寄せたあと、現状のグループの在り方についてとうとうと愚痴を漏らし始めた。
「数年前までは、僕だけの××だったんだけど、最近はあまりにも知名度が高まり過ぎちゃってね。ミーハー根性丸出しの輩がすんごい多くなってきたのがほんとに許せないし困ってんだ。そういうヤシに限って新たなアイドルがメディアの脚光を浴びると、そっちにホイホイ目移りしちゃう。結局彼らにしてみたら一時の退屈しのぎなんだよね。熱がないし哲学もない。真剣に我がの人生投げ打ってまで応援してるのかって言いたいくらいで、そんな奴らと同じライブ会場で同列に扱われることがほんと腹立たしいんだ」
熱っぽく語り終えた高倉は飲み止しのウーロンハイを後ろへと反るようにグイッと飲み干した。
哲学ねぇ……と岡田は高倉の力説に真剣に考え込むような表情を造った。
元来生粋の体育会系の岡田にしてみて、アイドルにそこまでマッチョになれる高倉のことがとても羨ましかったのだ。
「ちなみに」
と岡田は、楠本へと視線を転じて言った。
「楠本さんもアイドルとか好きなんですか? 何かコンサートの日程を知ってたくらいだから。そういえばこの前も僕に推しメン紹介してくれましたよねぇ」
「いやいや」
と困惑するように顔の前で手を横に振って言った。
「アイドルにはとんと興味はないよ。ただ、毎週高倉っちの家に厄介になってると、自然とアイドルに精通してしまうって話でね。おまえも一度こいつの家へ行ってみたらいいよ。アイドルのご高説はいわずもがな、部屋には××のグッズやCDが散らばってて、仮に興味がなくても自然に覚えることができるからさ。ちなみにこの前なんてびびったぜ? 呼び鈴ならしてはいは~いと俺の前に現われた高倉っちがとうとう推しメンである××ちゃんに寄せたウィッグをかぶってて、唇にもうっすら紅すら重ねた次第でさ。もうこれが気持ち悪いのなんのってな」
「でも楽しんでたふうに映ったけど」
「まさか。むしろげんなりしてたくらいだ」
と既にゆでだこのように顔を真っ赤にした楠本が本日5杯目となる焼酎を口に含みながら言った。
目が幾分すわり、話しぶりにもいささか険が出始めていることを気にかけた岡田はちょっと飲み過ぎなんじゃないですかと言うも
「おまえ大先輩をいっちょ前に諭す気か」と不用意な発言が楠本のテンションに火をつけ、容赦なく岡田を罵倒しはじめた。
「普段からおまえは、物事が見えてねぇんだよ。もっと視野を広くして慎重に行動しろってんだ」
そう言うや、楠本は岡田の太いうなじに空手チョップを叩き込んだ。
「ちょっとあんたやりすぎよ」楠本の過酷なパワハラに入社18年目で楠本と同期の紅一点山崎が言った。
「おうおう何だい何だい、何か文句でもあるんかい」
楠本が片膝立てて、山崎へと体を前傾させると
「最悪な絡み酒ね」
と元来勝気で気丈な山崎は毅然と対応する。
「だいたい、あんた高倉さんのアイドル論が鬱陶しいって言っておきながら、毎週のようにお家にお邪魔してるんでしょ。ウィッグをかぶった高倉さんを気持ち悪いと思うならもう行かなきゃいいんだよ。あんたのやってることって、芸人をつまらんと腐しつつ、一方で毎日のようにそのツイッターを訪れてるバカと何ら変わりゃしないんだからね」
「おまえ、そりゃ……」
痛い所を突かれたのか、言葉が喉元でつっかえる。
のち、反論の続きをを何とかひねり出して
「高倉っちには早く結婚してほしいから言ってんだよ」と強弁した。
「結婚とアイドルとは全く無関係だよね、アイドルにお熱でも結婚している人なんてたくさんいるんだから。そもそも高倉さんが結婚してないのは高倉さん本人の意志でそうしているのであって、それをあんたが外から揶揄する権利なんてないわよね。正直あんた何様って感じ」
山崎の言い様は苛烈であった。
もはや何も言い返せない楠本の立てた片膝はプルプル震えだしているようでもある。
口論の発信源高倉は口をフグのようにパクパクさせるだけで何も言えない。
もちろん岡田も顎から汗を滴らせるのみだ。
やがて
「ッだよ、酒がまずくならぁ」
根負けしたかのように立てた膝をアグラで巻いてほこをおさめる楠本。
「自業自得でしょ」
ピリオドを打つかのように山崎も顔をそむけた。
しばし泥のような重苦しい沈黙がおりた。
ようやく一区切りついたかと思われた頃合いに、しかし
「自業自得じゃないけどね……」とまたぞろボソッと楠本が口火を切るから
「言ってることおかしいからさぁ」と聞き逃さない山崎も意地になって応戦する。
「俺と高倉っちの関係何も分かってねぇくせに」
「分かる必要はありません」
「親友なんだよ」
「親友であろうが会社の先輩でしょ。そうである以上はどんな関係であれ礼節はわきまえるべきじゃないかしら」
もはや二人の論争は高倉を遠く離れて過激化しつつある。
岡田も瞑目したまま天を仰ぎ、完全に対応から手を引いた形だ。
「これだから女ってのは……」
「そうやって性を馬鹿にすることでしか、自らを保てない弱虫なんだよね。あんたなんて過激なフェミニストに刺されて死んじゃえばいい!」
「何だと」
「何よ! バカ」
「バカとは何だ! アホ! ブタゴリラ!」
と楠本が山崎をけなしたその瞬間、個室の襖が勢いよく開き
「うっせーぞっさっきから! 喧嘩なら外でやれ外で!」
隣で飲んでたらしき初老のリーマンがどなりこんできたのだった。
やがて
「殺すぞっ! ボケぇっ!」
と吐き捨てるや、爺さん扉を乱暴に閉めて大股で去っていった。
突然の闖入者に岡田と高倉は言葉を失った。
エンジンフルスロットルの山崎と楠本の身体も急速冷凍したかのように固まっている。
誰も何も言葉を発することができず、
空間に厳しい静寂が訪れる中、
唯一初手のナマチュウが回って眠りこけていた隆史だけが起き抜け言葉を場内に放り投げて……
「んぁぁ、今なんじ?」
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