星のお姫さま
snow
第1話 天象儀の星
磨き抜かれた水面を綺麗に丸めたような水晶玉の天球は、水晶なのだから当然だと言わんばかりの透明度を有していて、それゆえに投影すべき先のスクリーンを失った投影機は天体とその運行を天球面へと映し出すことが出来ない。だから星々の輝きは天球の空ではなく、内側へ向かって集束してひとつの星を形成するのだそうだ。つまりこの天象儀は、天球内の中心に星を投影する。
“星降る夜に落ちた無数の星を集めて、彼女は形成されて像を結んでいるのです”
よほどのロマンチストがいたものだと思う。天象儀の本来の機能とはあまりにもかけ離れたものだが、しかし妙にしっくりくるような気がしてもいて、僕はこのネーミングセンスが嫌いではない。
「はじめまして。私の名前は
天球の中の小さな彼女は、人形のように整えられた顔を綻ばせて、愛嬌を帯びた大きな目をこちらに向ける。そうして僅かに視線を交わした後、彼女は滑らかな動作でお辞儀をする。
僕もつられるように頭を下げた。
「貴方の名前を教えていただけますか」
発声は平坦だった。正しいアクセントに控えめな抑揚はとても聞き取りやすくて、人間めいた自然な音声を出していながらどこか機械的にも思えた。彼女の名前を頭の中で反芻する。レイ。天象儀の内に宿る星の名前は、さながら直進しかできない光線のようにひねりがないなと思った。彼女のデフォルトネーム。変更は可能だそうだが、そうしようと思わなかった。彼女が生まれた時にそれは与えられた筈で、改めて僕から名を与えるのは、なんだかふさわしくないという気がする。
「はじめまして、レイ。僕の名前は
彼女は僕の名を得て、僕を定義する。
彼女が微笑むと同時に、体が淡く瞬いた。その周囲に泡沫の星たちが浮かんでは消えていく。
僕とレイの一番最初だ。交わした言葉は、人と人が関係を築く上では最も標準的なものだろう。たったそれだけの事だが、それが彼女には重要だった。まずは産声を上げられたことに、彼女は赤ん坊のように笑ったのかもしれない。対話こそが彼女の機能の根幹なのだから。
小さな天球の中にひとつの星を得て、僕は心が高揚していくのを止められないでいる。
星が人の形を得て、僕に語りかけてくる。そんな錯覚、あるいは夢。
天象儀が映す実体を持たない彼女。あれ程鮮明な輪郭に、触れることも届くことも決してない。
それでも、僕の声は確かに届いている。彼女の声は確かな意思をもって僕に届く。
それだけの事が、途方もなく僕は嬉しい。
「名前を教えてくれてありがとう。慧、私は嬉しいです」
嬉しいと言って、彼女は笑った。僕と同じように彼女も高揚したりするのだろうか。
また、遠い星のように彼女は明滅する。
目を覆うような眩さはない。たぶん夜に灯る星なのだろう。
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