第80話 最終話「心臓いっぱいの愛を」(36)


 俺は話の意外な成り行きに、緊張を覚えた。三十年前と言えば、俺はまだ五歳だ。


「私と同僚が追っていた強盗が、子供だけで留守番をしていたアパートに籠城するという事件があった。我々は応援を得て突入のタイミングを測っていたが、追い詰められた犯人が突然、アパートに火を放ちその場で自殺するという行動に出た。


 私はアパートに飛び込み、火が回る前に人質になっていた女の子を救出した。ところが、救出した女の子が「弟がまだ中にいる」と訴えたのだ。どうやら、犯人の気配を察した女の子が、押し入れのような場所に隠れさせたらしい」


 俺の脳裏に、かすかな映像が蘇ってきた。覚えているはずもない、火事の記憶。


「男の子は同僚が救出したが全身にやけどを負っており、助け出したときにはもう息をしていなかった。男の子はすぐ病院に搬送されたが、数時間後に死亡が確認された」


 ――死亡?


「問題はここからだ。その夜、霊安室に安置されていた遺体が、どこへともなく消え失せたのだ。そしてその翌日、男の子の両親と姉も、アパートから姿を消した。


 署内では、死んだはずの男の子が建物の中を歩いているのを見たという噂がまことしやかに語られた。……当初、私はこれを怪談の類だろうと思っていた。ところがそうではなかったのだ」


「……どういうことですか?」


「ここで話は二十年後に飛ぶ。私は当時、ある新人刑事にまつわる昔話を耳にした。それは、その刑事が子供の頃、火災で大やけどをしたと言う話だった」


 俺は動揺した。止まっていた鼓動がにわかに動きだしたかのような気分だった。


「その刑事が言うには、姉から一度死にかけていながら、一晩でやけどがほぼなくなっていたという話を聞かされたというのだ。その話を聞いた直後、私は彼の身元を調べた。そして驚くべき事実を知った。

 なんと彼は我が署に勤務する某警視――私とともにアパートに赴き、男の子を救出した男の養子になっていたのだ」


「その男というのは、刑事というのは、つまり……」


「君だよ、青山君。当時私はあちこちで「ゾンビ」なる存在が跋扈しているという話を耳にしはじめていた。私は彼の父である青山警視に、あなたの息子も「ゾンビ」ではないのかと聞いた。

 青山警視の答えは「もしそうなら、ゾンビの生活を守る組織が必要だと思う」というものだった。これが、私が「特殊遺体管理班」を立ち上げることになった経緯だ」


「そんな。俺が子供の頃、すでにゾンビだったというのか」


 俺が呻くと、背後で割れ鐘のような声がした。


「違う。その頃のお前はまだ、ゾンビ細胞が十分に機能しておらず、自前の再生力で死の縁から生き返ったのだ。お前が本当に死んだのはその二十年後だ」


「親父……」


 振り返った俺の目の前に立っていたのは、親父と藤尾課長だった。


「私は三十年前の火災の時、お前の実の両親から「霊安室にいる息子はたぶん、生き返ります。今夜のうちに警察署から連れ出してもらえませんか」と頼まれたのだ」


「俺の実の両親から……?」


「私は悩んだ。にわかには信じがたい話だったからだ。だが、時間がないという事と、ご両親の必死の表情から、私は彼らの頼みを聞き届けることにした。


 私はお前の「遺体」を霊安室から運びだすと、両親の元に届けた。私が、お前が蘇生したという事を聞かされたのは、なんとその翌日だった。そしてその直後、私はお前の両親からさらなる頼みごとを聞かされた。


それは、「二人の子供たちを引き取って養子にしてほしい」という思いもしないような頼みだった」


「俺と姉貴が養子になった裏には、そんな事情があったのか……」


「私は悩んだが、結局、お前たちを育てることにした。まさか二十年後、お前が私のいる署に赴任してくるとは思いもしなかったがな」


「青山君が「殉職」して姿を消したときには驚いたよ。ゾンビなら必ず蘇ってどこかで生きているはずだ、そう思って随分と探したが、なぜか君に関する情報が入ってこなかった」


「……三谷君、君はある時期から、設立当初の目的を大きく逸脱し始めた。君が推し進めていた研究は、ゾンビを保護するのではなく、戦いの道具に利用しようというものだった。


そんなとき、君の野望を裏付けるかのように「プラント事件」が発生した。私はこれ以上、ゾンビ課を放っておくわけにはいかないと思った」


「ようするに私を裏切ったんだな、青山警視」


「三谷署長。残念だがあなたは八十頭署署長から、今日を持って解任されることが決まった。後任はここにいる藤尾君だ。速やかに席を譲りたまえ」


「なんだと……そんな横暴を私が許すとでも思っているのか」


 三谷署長の顔が憤怒に赤く染まった、その時だった。


 部屋全体を揺るがす轟音とともに、天井に亀裂が入り、合板の欠片がばらばらと落下してきた。


「なっ、なんだっ?」


 次の瞬間、壊れた天井の断片とともに大きな黒い影が三谷首長のすぐ隣に降り立った。


「隼人……」


 突然現れた影――隼人は触手で三谷署長の自由を奪うと、首を絞め始めた。

「や、やめろ……やめてくれ」


 俺は隼人の感情を失った目を見て「殺す気だな」と直感した。


「君には……気の毒なことをした。助けてくれたら、ただちに君を元に戻すチームを立ち上げる、だから……」


 三谷署長の眼球がせりだし、顔色が紫色に染まった。


「助けて……殺さないで」


 三谷署長の手が痙攣し、持っていた銃が床に落ちた。


「巡!撃てっ」


 突然、親父の声が響いた。俺は反射的に銃を拾いあげると、三谷署長の頭のあたりに狙いをつけた。


「三谷さんっ、頭を下げてっ」


 三谷署長が頭を下げた瞬間、俺の目と隼人の目がぶつかった。隼人は自分に銃口が向けられているのを見ても、表情を変えなかった。


「許せっ」


 俺の銃が火を噴き、隼人の額に穴が穿たれた。力を失った触手が三谷署長を放し、署長は床の上に転がった。


「巡、これを」


 振り返ると、親父がナイフを掲げて俺を見ていた。


 ――そうか、「ウブタマ」か。


 俺は親父が放ったナイフを受け取ると、床の上に崩れ落ちた隼人に駆け寄った。

 隼人の目から急速に光が失われるのを見た俺は、迷うことなく隼人の下腹部にナイフを突き立てた。


 ――たのむ、いてくれ。


 俺は隼人の腹を十字に切り裂いた。緑色の体液がどろりと傷口からあふれ出し、人の物とは思えぬ内容物が露わになった。さまざまな管や袋が粘液にまみれ絡み合う中を、俺は素手で弄った。


 やがて臓器らしきものがひしめく下腹部の奥で、指先が人の頭部らしき形を探り当てた。俺はその、あまりに小さな「人間」を、できる限りそっと引っ張りだした。


 ――隼人。


 思った通り、それは人間の新生児を思わせる生き物だった。目こそ固く閉じられていたが、かすかに胸を上下させ、呼吸もしていた。


 俺は身体の奥から「隼人」の腹部へと繋がっている緑色の管を、ナイフでひと思いに断ち切った。


「おぎゃあああっ」


 元の身体から切り離された瞬間、「隼人」は泣き声を上げた。俺は一瞬、「隼人」が死ぬのではないかと危惧したが、赤ん坊は何とか外の世界で生きようと、泣きながら呼吸を続けた。


 生まれたばかりの赤ん坊の「産声」を聞きながら俺は、緑色の体液にまみれた小さな身体を抱きあげた。そして床の上で荒い息をしている三谷署長には目もくれず、出口の方へと足を向けた。


「うまくいったな」


 冷静な言葉でねぎらう親父に、俺は「ああ。だが急がないと」と短く返した。


 俺は署長室に親父と藤尾課長を残し、廊下に出た。一階まで降りる間に、署内にいた多くの職員が、体液まみれの新生児を剥き出しで抱いて歩く俺を、奇異な目で見送った。


 俺は構わず一階ロビーに来ると「署の車でこの子を病院に運ぶか、すぐ救急車を読んでください」と言った。カウンターから驚いた顔で飛び出してきた年配の女性職員は、俺から「隼人」を受け取ると、戸惑ったような表情のまま、「わかりました」と頷いた。


 俺はそのままロビーでぼんやりとたたずんでいたが、思いのほか早く救急車のサイレンが聞こえたのを潮に、建物の外に出た。


 救急車が駐車場に入ってくるのと同時に、従業員用出口からタオルのような物にくるまれた「隼人」を抱いて女性職員が出てくるのが見えた。さすが女性は手際がいい、と俺は感心した。


「よくやった。これでお前も一人前に「人の親」になったわけだ」


 気が付くと、隣に親父が立っていた。


「そんなことは考えなかった。ただ、隼人を助けたい一心で腹を裂いた、それだけだ」


「それが親の気持ちだ。ほかのことは何も考えず、気が付くとただ目の前の命を守るためだけに動いている。そういう物だ」


「そうかもしれないな。……なあ親父、俺と姉貴を引き取った後、誰かほかの人間に任せてしまおうとは思わなかったのか?」


「ふむ……あれこれ考えているうちに、思いのほか時間が経ってしまった。考えてみると随分長い間、世話をしてしまったな。私の唯一の失敗かもしれん」


 親父は本気とも冗談ともつかない口調で言った。


「隼人はこの後、うまく誰かに引き取ってもらえるかな」


「それは私にはわからん。縁があればそうなるだろう。……しかし」


「しかし?」


「今はまだ、この世に生を受けたばかりのか弱い存在だ。少なくとも、安心して身柄を預けられる相手が見つかるまで、誰かが責任を持って守ってやる必要がある」


「それにふさわしい人間となると……」


「まあ、さしあたっては取り上げた人間だろうな」


 俺は親父の顔と救急車に乗せられる隼人とを交互に見た。


「そうか……そこまでして初めて「人を助けた」ことになるのかもしれないな」


 俺は救急車に視線を戻した。リアハッチが閉じられ、エンジンの音が聞こえ始めた。


 俺は親父に目で「お先に」と告げると、警察署の階段を振り向かずに駆け下りていった。


             〈第三十七回に続く〉

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