第78話 最終話「心臓いっぱいの愛を」(34)
「待て、六道さん。あなたは誤解している。私は「死者の国」を壊滅させるなんていう任務は知らない。いきなり電話を貰って、意味がわからなかったから来ただけだ」
「知らない?……ということは、あなたもご自分の組織に利用されたわけだ」
六道は同情とも皮肉ともとれる冷笑を浮かべた。
「……とはいえ、私の置かれた状況が変わるわけではありません。あなたが手を下さなくとも、きっとあなたのお仲間の誰かが私を追い詰めるに違いない」
俺は返答に窮した。もし特務課が俺ごと謀るような組織だとすれば、六道の言う通り、目的のためなら手段を選ばないに決まっているからだ。
「だから私も、あなた達の手が及ばない場所に避難することにしました。……紫蘭、来い」
六道が命ずると、紫蘭はまるで見えない糸で引っ張られたかのように、俺の傍を離れた。
「紫蘭さんっ」
「おっと、近づかないで下さいよ。あなたがそこから一歩でも足を踏み出したら……」
六道は片手で紫蘭を抱き寄せると、もう一方の手で取りだしたナイフを、紫蘭の首筋にあてがった。
「いったい、何を考えているんだ、六道さん」
「青山さん。あなたは私が追い詰められて冷静さを失い、妹と「心中」を図ろうとしているように見えてますね?だがそれは違うのです。
妹はこのまま病による「死」を待つよりも、一足早い「次の生」を迎える方がより長く生きられるのです」
「「次の生」……なんだそれは?」
「病や死とは縁遠い、生と死の狭間にある新たな世界です」
六道はいったん紫蘭から手を離すと、ポケットから取りだした拳銃を俺の足元に放った。
「青山さん、それで私を撃つのです。もしあなたが、私がただの「殺し屋」ではなく、誰かに新たな生を与えていたと理解できるのなら、私を撃つことも「殺人」でないとわかるはずです。さあ、撃ってください」
「そんなことができるはずないでしょう。私は警察官だ」
「もしあなたが私を撃たないのなら、私が妹をあの世へと送ります」
俺はその場に固まった。冷たい汗が噴き出し、喉が干上がるのがわかった。やがて、俺は拳銃を拾い上げると、六道に向けて構えた。
「青山さん。あなたは紫蘭に幸福なひとときを与えてくれました。たまたま捜査の過程でそうなっただけかもしれませんが、それでもよいのです。私はあなたに感謝しています」
六道の言葉を、紫蘭は黙って聞いていた。その表情は過酷な状況に相反し、穏やかだった。
「さあ、引いてください、引鉄を」
俺は震える指に、力を込めた。だが、意に反して俺の指はぴくりとも動かなかった。
「……やはりあなたには酷なお願いだったようですね。残念です」
六道はナイフを振り上げると、紫蘭の胸に突き立てた。紫蘭の目が大きく見開かれ、身体がのけぞったのを見た瞬間、俺は引鉄を引いていた。
「うわああああ――っ」
紫蘭が床に崩れ、その後を追うように胸に穴を開けた六道が倒れこんだ。
悪夢のような絵の中で俺が最後に見たのは、六道の満足そうな表情だった。
俺は拳銃を取り落とし、そのまま床にがくりと膝をついた。……と、突然、背後から鋭い声が飛んできた。
「青山っ」
顔をねじ曲げ、後方を見ると、そこにはよく知った人物が立っていた。
「覚悟するんだっ」
銃口を俺に向け、立ちはだかっていたのは隼人だった。俺は立ちあがり、ゆっくりと隼人の方を向いた。一体俺は、何をした?……隼人は何をしようとしている?
「隼……」
言い終わらないうちに、隼人の銃が火を噴いた。胸に銃弾を受けた俺は、その勢いでそのまま後ろざまに倒れた。
――隼人……なぜ俺を、撃った?
俺は引鉄を引く直前の隼人の顔を思い返した。まるで魂を抜かれたような目には、いかなる感情の光も宿っていないようだった。
――六道。……俺もあんたの言う「次の生」に行くのか?
天井を眺めながら、残っている意識の中で俺は問いを発した。と、その時だった。俺と天井との間に突然、大きな黒い影が出現した。
長身のその人物は、俺を見下ろすとひどく無念そうな表情を浮かべた。
「誠司……良く聞くのだ。お前は死んだわけではない」
――親父?親父が、なぜここにいる?
「誠司、間もなくお前は新たな「生」を授かることになる。……だがその前に、やっておかなければならないことがある」
俺は困惑した。親父は確かに警察の人間だが、特務課とつながりがあったという話は、一度たりとも聞いたことがない。
親父は俺を無視するかのように、傍らのケースから何かを取りだすと、自分の両手にはめた。それは黒く分厚いラバーグローブだった。グローブは掌にあたる部分に無数の金属突起があり、不穏な輝きを放っていた。
――何をする気だ?親父。
言葉にして問うたつもりだったが、実際には口が動いただけに過ぎなかった。
手袋の端からはコードのような物が伸びており、それを見た瞬間、俺は戦慄した。電極だ。
――やめろ!
親父は手袋をはめた両手を俺の両耳のあたりにあてがい、力を込めた。
「これから、お前の記憶を消す」
親父がそう言い放った直後、凄まじい衝撃が俺の頭蓋骨を揺さぶった。
――ああああああっ!
脳みそが攪拌されているような激しい衝撃に、思考も感情もばらばらに粉砕された。
記憶の深いところを電流が掻き回し、ひとつひとつの出来事が意味をなさない断片へと砕け散るのが感じられた。
「やめろ、やめてくれ親父……俺がこのまま記憶を失ったら紫蘭は……紫蘭はどうなるんだ。俺が紫蘭のことを忘れてしまったら、彼女がこの世にいたという事を覚えている人間がいなくなる。
……たのむ、親父。俺の中の紫蘭を消さないでくれ。彼女が生きていたという証を、ほんの少しでいいから残しておいてくれ」
親父は微動だにせず、俺の頭部を万力のような力で抑え続けた。やがて激痛と絶望に打ちのめされる俺の耳に、別の人物が呟く声が聞こえた。周囲で待機している特務課の人間のようだった。
「あんた……よくそんな恐ろしい事ができるな。あんたの息子だろう?それでも人の親か」
「……親だからやるのだ」
「なんだって?」
「他の人間に、こんな残酷なことはさせられない。酷かもしれないが、息子が命を狙われる危険を少しでも減らすには、記憶を消す以外に方法はないのだ」
少しづつ濁ってゆく意識の片隅で、俺は室内を忙しなく動き回る特務課員の気配を捉えていた。どうやら、六道と紫蘭の身体をどこかへ運ぼうとしているらしい。
――やめろ。彼らに触るな。
そう叫んだ直後、必死の抵抗も空しく俺の意識は深い闇の中へと吸い込まれていった。
〈第三十五回に続く〉
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