第73話 最終話「心臓いっぱいの愛を」(29)
「とうとう年貢の納め時だね、しかばね君。遺影の準備はできてるかい?」
巨大車両の運転席で高笑いをしているのは、天元だった。
「馬鹿野郎、こっちは忙しいんだ。お前に収める年貢なんて一粒もない」
「いいねえ、その減らず口。ついこの間、右手を切られてのたうち回ってたのは、誰だったかな」
天元は小さなビルの屋上ほどの高さから、優越感に満ちた表情で言った。俺は背後の深一郎に、そっと耳打ちした。
「車をバックで壁につけて、この間の粘着性物質を奴のタイヤに向けて撃ってくれないか」
「彼女はどうするんです」
「俺が助ける。急ぐんだ」
深一郎は不安げな表情のまま頷くと、車に乗り込んだ。
「この「デスローダーV」をただの装甲車と思ったら大間違いだぞ、青山。こいつに衝突されたら軽自動車の一台くらい、一瞬でスクラップになること請け合いだ。……さあ、そろそろしかばねの解体ショーと行こうか」
「よしっ、今だっ」
俺はバンの屋根によじ登ると、深一郎に合図を送った。
バンのボンネットから射出ノズルが現れ、次の瞬間、粘り気のある液体が放出された。
「んっ、何だこの液体はっ」
装甲車のタイヤを液体がとらえたのを見た天元が、かん高い声で叫んだ。
俺は背後の壁に身体を向けると、涼歌の手足を拘束している金具を調べた。どうやら手錠と同じように鍵で開けるタイプのようだ。俺は「悪霊の爪」をピッキング仕様にすると、解錠作業に取り掛かった。
「んぐ、んぐ……」
頭上で涼歌が何かを伝えようと口を懸命に動かしていた。同時に背後でエンジンが凄まじい唸りを上げるのが聞こえた。
「くそっ、なぜ進まないんだっ!」
振り返ると天元が血走った目でアクセルをふかしていた。どうやら粘着物質が凝固して、車両が進まなくなったらしい。だが、おそらく時間稼ぎにしかならないだろう。
「泉下さん、エンジンを全開にされたらさすがに持ちません」
「待ってくれ、彼女を助けたら、後は俺が直接、奴の相手をする」
俺は指先に神経を集中すると、旧ピッチで解錠を進めた。最後の一つを外すと、涼歌の上体がぐらりと前に傾き、俺の方に倒れかかってきた。俺は涼歌の身体を両手で受け止めると、そのまま地面に降り立った。
「よし、ひとまず助かったな。後は車の中に避難していてくれ」
俺が後部席に涼歌を押し込もうとすると、ふいに腕の中の涼歌が首をねじ曲げ、自分で猿轡をむしりとって俺を見つめてきた。
「……危ないと思ったら、すぐ助けを呼ぶのよ。いい?」
俺は頷き、ドアを閉めた。同時に装甲車のタイヤが何かをこする音が聞こえ、振り向くと、前輪が粘つきながらも回り始めているのが見えた。
「見たまえ、こんな接着剤もどきで止められるデスローダーではないっ。……青山、お前は毎度、横とか下とかネズミみたいに狭い所に潜り込んでくるが、今回はそういう隙間は一切ないぞ!さあどうする」
俺はバンの前に立ちはだかると、正面の装甲車を精査した。悔しいが奴の言う通り、潜り込める隙間はなさそうだった。
――仕方ない、正面から直接対決と行くか。
俺は装甲車の前に向かって駆けだすと、運転席の左右に飛び出しているライトに向かって鞭を放った。ライトに鞭が巻き付くと、俺はジャンプして車両の前部装甲に足をついた。
「なっ、何をしている?」
俺はそのまま鞭を手繰り寄せ、ロッククライミングの要領で装甲車をよじ登り始めた。
――よし、このまま運転席までたどり着ければ、後は阿保が一人いるだけだ。
「くそっ、これならどうだっ」
天元が手元で何かを操作した。と、俺の足元でハッチのような物が開く気配があった。
「くっ、なんだっ?」
俺は反射的に両脚を縮めた。ほぼ同時に足の下で聞き覚えのある回転音がした。
――また丸鋸か!好きにもほどがあるぞ。
「あーっはっはっはあ。この間は手だったねえ。今度は足でも切り落とすかい」
俺は装甲を登る速度を速めた。どうやら丸鋸には多関節アームがついているらしく、気が付くと回転音が俺のすぐ後ろにまで迫っていた。
「足を切られずに済んで助かったと思っているだろうが、こいつは縦にも回転するんだよ。……さあ、その背中を切り裂いて開きにでもしてみよううか」
俺は両耳に全神経を集中させた。丸鋸の回転音が微妙に変わった瞬間、俺は鞭を離した。
次の瞬間、高速で回転する刃が装甲に激突するいやな音が響いた。
「ああっ、なんてことを。貴様、私の大切な装甲車を傷つけたなあっ」
「お前が自分でやったんだろう、馬鹿」
俺は再び地上に降り立つと、頭上を見上げた。丸鋸が再び向きを変え、下にいる俺を襲おうとアームをくねらせているのが見えた。
「たのむっ、あのアームに液体をかけてくれっ」
俺は叫びながら、勢いをつけて横に跳んだ。真上からアームが振り下ろされ、バンパーに丸鋸が激突した。同時に液体が丸鋸に浴びせかけられ、やがて息絶えるかのように丸鋸の回転が止まった。
「次は俺の足元に液体をかけてくれ。この位置に身体を固定させるんだ」
俺が叫ぶとさすがに一瞬、沈黙が生じた。
「どっ……どういうことです?」
「もう上に登って止めている暇はない。ここで手で止める!」
俺は覚悟を決めると両手を前に突き出し、装甲車の前部にあてがった。
「そんな……無茶な」
「いいからやるんだっ」
俺が叫んだ瞬間、装甲車の前輪が忌まわしい咆哮とともに地面をこすり始めた。
同時に足元に何かが浴びせられる感触があり、俺は固まり切らない液体と共に強く押された。
一メートルほど下がったところで俺の両脚は、まるで地面と一体化したように動かなくなった。
「なんだお前はっ、ひょっとして手でこの車を止めるつもりかっ。頭が悪いにもほどがあるぞっ」
天元が叫び、装甲車が凄まじい唸りを上げながら、俺を押し始めた。
がむしゃらに前進を試みる怪物の力に必死で耐えていると突然、左手に予想外の事態が起こった。
指先から血が噴き出したかと思うと、弾かれたように装甲から離れてしまったのだ。
「くっ……」
俺は苦痛に呻いた。このところ、左手にばかり負荷をかけすぎていた報いかもしれない。
「はっはあ、とうとう右手一本になってしまったね。しかもその手はこの間、切り落とされた作り物の手じゃないか。そんな物で、この装甲車のパワーにどれだけ耐えられるかな」
俺は残された腕に、全身のあらゆる力を集中させた。と、突然、背後に人が抱き着く気配があった。
「もう逃げて。このままじゃ、潰されちゃうわっ」
いつの間にか涼歌が車を離れ、俺のところに来ていた。
「馬鹿っ、早く戻れっ」
「嫌っ、一人になりたくないっ」
俺は事態がもはや絶望的であることを悟った。まだ辛うじて右手一本で持ちこたえてはいるが、それも時間の問題だった。
――ここまでか。こういう形で俺は終わってゆくのか……
そう思った時だった。突然、右腕の内側で、何かが爆発する感覚があった。
――なんだ?
俺の意志とは無関係に細胞の一つ一つが膨張し、それらが融合して筋肉の束になるのがわかった。新しく生まれた筋肉はうねり、弾け、繊維の一本一本がたわむのが感じられた。
筋肉の束は前に向かって生き物のように伸び、切断面のあたりで爆発的に膨れ上がった。
「うああああっ」
義手と手首を繋いでいたリング状のパーツが弾け飛んだ。やがて膨れた筋肉の塊は耐えかねたように手の部分を吹き飛ばし、そこから五本の指が勢いよく伸びた。
「なっ、なんだ、貴様っ……トカゲみたいに手なんか生やしやがってえっ」
俺はいつしか義手ではなく、新しい自前の「右手」で装甲車を押し返していた。
「うおおおおっ」
俺は雄叫びを上げながら、なぜ右手が「生えた」かを推理した。
おそらく大樹を助けようとしたときに浴びた「ウブタマ」の粘液と、俺の中の「死粒子」が反応したのだろう。
俺は新しい手で装甲車を押し続けた。やがて、タイヤの周囲から火花が散り始め、装甲の継ぎ目から煙が見え始めた。
「そんな馬鹿な、どうしてお前はそんな、腕一本で車を止めるなんて漫画みたいなことをするんだああっ」
俺は無限に膨張を続ける細胞の力をすべて、前方の車両にたたきつけた。
「うあああああああっ!」
次の瞬間、装甲車は前輪を地面から浮かせ、轟音と共に後方にひっくり返った。
黒煙を上げる装甲車を、俺は荒い息を吐きながら見つめた。すると、装甲車の下から顔をまだらに汚した天元がずるずると這いだしてくるのが見えた。
「ひっ、ひどすぎるっ。こんな仕事引き受けるんじゃなかった……手が生えるなんて詐欺だ、イカサマだあっ」
俺は一歩前へ進み出ると、生まれたばかりの右手を握ったり開いたりした。
「天元、まだ元気が余ってるみたいだな。ちょうど新しい手の具合がわからなくて困ってたんだ。腕相撲の相手になってくれないか」
俺は天元の顔の前に拳をつき出すと、丁寧な口調で言った。
「い……いやだあああっ」
俺の拳を見た瞬間、天元はどこにそんな力があったのかと思うほどの勢いで立ち上がると、瞬く間にその場から走り去った。
「すごい……腕を生やしちゃったんだ」
涼歌は新しい右手をまじまじと見つめ、感心したように言った。
「ああ。どうやらこれ以上は成長しないみたいだな」
俺はまだ実感のわかない「復元」を不思議な思いで見つめた。……と、その時だった。
ひっくり返った装甲車の一部がドアのように開き、髪と衣服を乱した咲夜が姿を現した。咲夜は装甲から這いだし、不格好に地面に降り立つと俺たちを睨みつけた。
「なんてことをしてくれたの……これで何もかもが終わりだわ」
俺と涼歌が憐れむように背を向けると、すれ違いに深一郎が咲夜に歩み寄った。
「姉さん、これでわかったろう。人間が人間を作り替えるなんてことは、自殺行為でしかないってことが」
咲夜は悔し気に歯噛みした後、がくりと膝を折ったかと思うと、嗚咽を漏らし始めた。
「さあ、車に乗りなよ。病院へ行こう」
深一郎の呼びかけに咲夜はふらふらと立ちあがると、バンの方に向かって歩き出した。
「泉下さん。……これで、私たちの「戦い」は終わりです」
俺は頷いた。思えば何と多くの人の欲望が絡み合った戦いだったことか。
俺は涼歌を促すと、残骸だけが残された戦いの場を後にした。
〈第三十回に続く〉
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