第67話 最終話「心臓いっぱいの愛を」(24)
「いいか、手を降ろすなよ」
男の一人が言い、俺はわざと渋い顔をした。
「あいつらが戻ってくるまでこのままかよ。腕がだるくなって……あっ」
俺は右の肩と腕の関節を外した。義手が重みで落下し、一方の男の銃を叩き落とした。
「きさまっ」
俺は左手を石化すると、もう一方の男の銃も叩き落とした。男たちが銃を拾おうと身を屈めた瞬間、俺はバックステップで距離を取ると、二人に向けて鞭を放った。
「ぐっ」
鞭に足を取られ、男たちは続けざまに床に倒れた。俺は銃を蹴り飛ばすと、起き上がろうとした二人のボディに立て続けに拳を叩き込んだ。
「悪いが少しの間、眠っていてくれ」
俺はポケットから「無煙弾」を取りだすと、火をつけた。これは効果が及ぶ範囲が半径二メートルと狭いが、その代わりに催眠効果をもたらす作用があった。俺が二人の元から距離を置くと、二人の周囲に円形の花畑が出現した。
「こっちの植物は襲ってこないから安心してくれ。せいぜい、いい夢を見るんだな」
俺は二人に背を向けると、再び窓の方を見た。……と、突然、窓の上から何か細長いものが無数に降りてくるのが見えた。それは緑の蔓だった。蔓は窓の下を通り越し、そのままさらに下の方へと伸びていった。
俺は窓の縁まで歩いていった。下を見下ろすと、先ほどの絡み合った枝が見えた。枝の上に、いつの間にか千草と柳原がいた。どうやら逢賀たちはまだ来ていないようだ。
千草は立って上を見上げ、柳原は墜落のショックで動けないのか、仰向けに倒れていた。
上の方から来た緑の蔓は二人のいる場所まで降りると、枝の上で絡まり始めた。
蔓は柳原の身体の下に潜り込むと、身体を周囲から包み込んでいった。
やがて蔓が籠状になると、千草は何かの指示をするように両手を上げた。
同時に、柳原を乗せた籠がするすると上昇を始めた。そうか、と俺は思った。これは彼女が柳原を救おうとしてやっている事なのだ。
「和久井さん……あなたはどうするんだ?」
俺は聞こえないと知りつつ、呼びかけた。柳原を乗せた籠が手の届かない高さまで登ると、気のせいか千草の目尻がわずかに下がった。
と同時に窓から出てきた男たちが、千草の身体を拘束するのが見えた。俺は千草が室内へと連れ込まれるのを、なすすべもなく見ているしかなかった。
一方、柳原を乗せた籠は、クレーンに吊るされた資材のように上ってゆき、俺のいる窓に近づいてきた。
窓の下から籠が姿を現した瞬間、俺は思わず籠に手を伸ばした。籠は俺の手をすり抜け、上昇を続けた。どうやらさらに上の階を目指しているようだった。
俺は籠の下からはみ出している蔓の一端をつかむと、窓から飛び出した。俺の身体は強風に煽られながら、籠と共にビルの上へと引っ張られていった。
俺は必至で蔓をつかみ続けた。やがて手がしびれ、これまでかと思った時、籠の上昇が緩やかになった。上を見ると、籠を吊るしている蔓の先端が、どうやら屋上の手前にある窓の中に消えているようだった。
やがて籠は止まり、開け放たれた窓の内側へと強引に引きこまれた。俺と柳原の身体は室内へ転がり込み、床の上で止まった。俺は身体を起こすと、室内を見回した。
「……ここは?」
そこはそれまでの無機的なフロアとは違い、上品で豪華なしつらえの部屋だった。
磨き上げられたマホガニーの机、毛足の長いカーペット、そして壁に掛けられた肖像画。
俺は壁の肖像画の、エラが張った初老の人物を見てこの部屋がどこであるかを悟った。
屋上の手前、最上階にあるこの部屋はミカの父親、すなわち会長の執務室に違いない。
室内は無人だった。会長はどこにいるのだろう。あるいはもう、とっくに避難済みでこのビルにはいないのだろうか。
そう思いながら俺はふと、床の上を見た。俺たちをここへ運んできた籠が勝手にほどけ、するするとある場所に消えてゆくところだった。
――あそこが……
蔓が潜り込もうとしているのは豪華な木製キャビネットの、細目に開いた戸の中だった。
俺がキャビネットに近づこうと足を踏み出すと、背後で大きな体が身じろぎする気配があった。振り向くと柳原が二、三度首を振って上体を起こすところだった。
「……ここは?」
「気が付いたか、無鉄砲。……ここは最上階、幹部でもめったに入れない、会長室さ」
「最上階だと?和久井さんは、どうなった?」
柳原は血相を変え、俺に詰め寄った。俺は黙ってかぶりを振った。
「わからない。お前と彼女は下の階で別の枝に引っかかって助かったんだ。その後、彼女がお前と俺ををちょっと特殊な方法でここまで運び、その後でまた連中に拘束された」
「ちくしょう、なんてこった……彼女は、彼女は大丈夫なのか」
「あの管をお前が切断した後も、彼女は生きていた。……だが、あの管は本来、彼女の身体と一体の物でもあったんだ。下手をすると死んでいた可能性もある」
「ああ、それは反省してる。……あの時は彼女を助けたい一心で、状況が見えてなかったんだ」
「
「なんだ、唐突に。それは……もしほかに手段がなければ降伏するだろうな」
「お前のような仕事をしていると、敗北を認めるのが難しい時もある。俺も刑事だった時はたぶん、そうだった。
……だが、愛する人の命がかかっていた場合は、別だ。命乞いをし、
「わからない。……だが、そうしなければ大切な人の命が確実に奪われるとわかっていれば、迷わずそうするだろう」
「……そうか。わかった。じゃあ、もう一つだけ質問だ。お前がもし愛する人に「私を救いたいのなら、殺して。それしかない」そう言われたらどうする?」
「なんだって?お前、何を言いたいんだ」
柳原は血走った目で俺を睨むと、怒声を発した。
「殺すことでしか相手を救えない場合、殺せるか、という話だ」
「……できない。いくらそれしかなくても、そんなこと、できるわけがない」
「そうか。……そうだな」
「人間なら、きっと同じはずだ。お前はどうなんだ」
「……実は俺も、同じだ。お前さんの答えを聞いて、安心した」
柳原は俺の答えに、殺気だった目を少しだけ和らげた。俺は問いかけをやめ、再びキャビネットに視線を戻した。
――おそらく、あの奥だ。
俺はキャビネットに近づくと、戸を開けた。蔓はキャビネットの背板を突き破り、奥へと消えていた。俺はキャビネットに収納されている書類のファイルをずらした。すると、背後から液晶パネルが現れた。
――これだな。おそらく、顔認証パネルだ。
俺はキャビネットから離れると、壁の肖像画の前に立った。
「おい、一体何をするつもりだ」
柳原の問いには答えず、俺は肖像画の人物を凝視した。そして顔面の「粒子」に呼びかけると「変身」を開始した。
「なっ……お前、何をやってるんだ?」
背後で柳原の怯えたような声が聞こえたが、俺は無視して変身を続けた。やがて、俺の顔はエラが張った初老の男性のそれに変化を終えた。
「イズミ……お前、一体?」
「いいから、黙って見てろ」
俺はキャビネットの前に立つと、パネルの自分の顔が収まるようにした。そしてパネルの下にある横長の小さな表示に触れた。
一呼吸置いて「ピン」という音がしたかと思うと、モーター音がして背板が二つに割れ始めた。背板の下から現れたのは、別の部屋だった。
「……隠し部屋か」
俺の目に、向こう側にいる二つの人影が飛び込んできた。一人は背の高い老人……ミカの父親だった。老人の傍らには若い女性が立っており、その女性に俺は見覚えがあった。
「会長が二人……」
女性は驚愕に目を見開き、怯えた口調で言った。そうか、忘れていた。
「……失礼、ちょっとお待ちを」
俺は二人に背を向けると、その場で変身を解いた。再び向き直ると、二人は先ほど以上に驚いた目で俺を見た。無理もない、普通の変装とゾンビの変身とは再現度が違い過ぎるのだ。
「君は一体……?」
老人が口を開いた。俺は深々と一礼し、「はじめまして、会長」と言った。
「私は泉下といいます。息子さん……
「美家の……」
絶句している会長の傍らで、女性はまだ信じられないというように俺を見ていた。
「……おひさしぶりです、泉下さん。でもどうしてここに?」
女性は以前、
「友人の命を守るためです。この部屋のどこかに彼の「脳」があるはずなんです」
俺の言葉に会長の眉がぴくりと動き、双眸が険しくなった。
「君……なぜそれを?」
〈第二十五回に続く〉
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