第66話 最終話「心臓いっぱいの愛を」(23)


「ボス、「セカンドピース」の塩基反応がプラスになりました」


 白衣を着た部下の一人が咲夜に言った。


「そう。……じゃあそろそろってことね。窓を開けて」


 咲夜は満足げな笑みを浮かべると、指示を放った。俺と柳原は二人の男たちに銃を突きつけられ、窓の方を向いたまま立たされていた。


「彼女の首のあたりから出ている管が見えるかしら。あの管を通して、プラントとビルの融合体「ユグドラシル」を完成させる物質が出ているの」


 咲夜の部下が窓を開け放つと同時に、外の風が吹き込んだ。俺たちの前に、うす曇りの夜空に向かって伸びている太い枝と、その上に立っている千草の背中が見えた。千草のうなじからは緑色の茎が伸び、屋内の床へと続いていた。


「なぜ彼女を拘束した?その「物質」とやらと関係があるのか」


 俺が問うと咲夜は鼻を鳴らし、逢賀の方を見遣った。


「では私が説明しようか。実は今、プラント「大樹」には、「ユグドラシル」になるための最後の段階……キャリアの脳の破壊が、できない状態にあるのだ。なぜか。それは通常のプラントが必ず持っているある部分が欠損していたからなのだ」


「欠損?」


「さよう。組織としては小さいが、脳を破壊するための毒性物質を作る機能があるのだ。それがないということは、「大樹」の前……君が病院で戦った二人のキャリアのうちどちらかに置き忘れてきたと考えざるを得ない」


「置き忘れてきた……そんなことがありうるのか」


「本来なら考えにくいことだが、キャリアが外部から攻撃を受けて急きょ、別の身体に避難せざるを得なくなれば、本能的に大事な部分を切り離すという事もあり得なくはない」


「その切り離した部分が、和久井さんの中で生き続けていたというのか」


「そうだ。我々は「大樹」の直前にプラントが寄生していた「樫山」という人物を拘束し、調べたが「樫山」の身体には毒性物質を作る組織は存在しなかったのだ」


「最初から和久井さんを「ユグドラシル」の一部にするつもりで連れてきたんだな?」


「いけないかね?すでに最終段階は始まっている。それがプラントの意志か彼女の意志かは関係ない。ビルを支配している「本体」と、彼女の体内の「セカンドピース」が接続され、機能し始めた時から両者は一体なのだ」


「わけのわからねえ話はたくさんだ。彼女はどうなるんだ」


 柳原が気色ばんだ。逢賀は床の上を這っている「茎」に目をやると、含み笑いをした。


「見たまえ。彼女の準備が整った証だ」


 千草の身体から伸びている「茎」は、床の上で数本の細い「茎」へと枝分れを始め、それぞれが壁面に沿って天井に伸びていった。やがて、とがった先端部分が天井を突き破ると「茎」はさらにその奥へと伸び進んでいった。


「わかるかね。彼女のプラントがどこを目指しているか」


「脳だな。脳を支配しようとしている「本体」に毒性物質を送り込むため、大樹の脳にあたるビルの最上階を目指しているんだ」


 俺は歯噛みしながら天井を見上げた。逢賀が「ご名答」と白い歯を見せた。


「畜生、和久井さんをそんな化け物にさせてたまるかっ」


 柳原が手錠をはめられたまま、もがいた。


「よせっ、柳原ヤギっ」


 鼻先に銃口をぴたりと押し当てられ、さしもの柳原も黙らざるを得なくなった。


「う……ああっ」


 ふいに枝の上の千草が呻き、身体をのけぞらせた。同時に床の上の「茎」が、どくんと脈打つのが見えた。ついに毒性物質が送られ始めたらしい。


 俺は両脚に力を込めた。いちかばちか「韋駄天」で飛び出すか?しかし、柳原はどうなる?動くタイミングを計りかねていた、その時だった。


「があっ」


 いきなり獣じみた咆哮が耳元で聞こえたかと思うと、柳原が手錠をかけられたまま、立ちはだかっていた男の銃身を薙ぎ払い、肩からタックルをかけた。

 柳原より頭一つ分小柄な男は大男の突然の襲撃を受け、壁際まで吹っ飛んでいった。


「きさまっ」


 残る一人が柳原に銃を向けた瞬間、俺は手錠をはめた手に素早く手袋をはめ、強く拳を握った。強烈な光が爆風のように周囲を満たし、俺は前にいた男を突き飛ばして駆けた。


「和久井さん、俺だ、柳原だ。助けに来たっ」


 真っ白な光に覆われた視界の中、前方から柳原の叫ぶ声が聞こえた。

「閃光盾」の威力は保って数十秒だ。俺は倒れている男の一人から銃を奪うと身体の向きを変え、フロアの内側に向かって構えた。


「くそっ、こんな物っ」


 柳原の叫びとともに、何かを打ち付ける音が響きわたった。やがて視界が明瞭さを取り戻すと、事態の推移が明らかになった。


「動くな。おとなしくしろ」


 俺は目の前の男たちが両手を上げるのを確かめると、首を曲げて背後を見た。柳原が千草を抱きかかえている姿が見えた。柳原の足元にはナイフが転がり、枝の上では切断された「茎」が、断面を見せながら苦し気にのたうっていた。


「なんてことをしてくれたんだっ」


 叫んで飛びかかろうとした逢賀に、俺は銃口を向けた。


「動くなよ……お前たちのボスとブレインが吹っ飛ぶぜ」


 俺は敵を威嚇しながら、背後の二人をどうすればいいか考えていた。このまま連中を牽制しながらフロアを脱出できるだろうか――そう思った時だった。


 めきめきという不吉なきしみ音が俺の耳に飛び込んできた。振り返ると、柳原と千草の乗った枝がゆっくりと床面の下へ沈んでゆくところだった。


「柳原っ、跳べっ」


 俺が叫ぶと柳原が千草の身体を抱いたまま、枝を蹴った。俺は銃を手放すと二人に向かって手を伸ばした。次の瞬間、柳原と千草の身体は俺の指先を掠め、目の前から消えた。


柳原ヤギ――っ」


 下を覗きこむと、二人が錐揉みしながらビルの壁面を掠めて落下するのが見えた。


 もうだめだ、そう思った時だった。二人の身体が何かにぶつかり、跳ね上がるのが見えた。


「なんだ?」


 俺は状況が呑み込めず、二人が落ちたあたりに目を凝らした。

 十メートルほど下にどうやらもう一つ、絡み合って伸びていた枝があったらしい。生死はわからないが、緑色の枝の間から、確かに二人の身体の一部が見えていた。


「くそっ、早く行かないと」


 俺がそう口にした直後、背後で銃を構える音がした。振り返ると再び男たちが俺に銃口を向けているのが見えた。


「ボス、あの二人、どうやら下まで落ち切っていないようです。どうします?」


「なんですって?……本当だわ。……よし、ゾンビの見張りをここに残して、他は至急、あの枝の出ている階に直行しろ。後で私も行く」


 咲夜が命じると、フロアにいた男たちは、俺に狙いをつけている二人を残してドアから廊下へと消えていった。


 俺は安堵するとともに、どうやったらこの窮地を脱することができるか脳味噌をフル回転させ始めていた。


            〈第二十四回に続く〉

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