第60話 最終話「心臓いっぱいの愛を」⒄
「これが建物の見取り図です」
喫茶店のテーブルの上に、深一郎は一枚の図面を広げた。それは二階建ての建物の平面図だった。
「元々、我々はこの「セカンドライフ新居部」というリハビリ施設の地下を研究所として使用していました。それはゾンビ課の管理下に置かれている現在も同じです」
深一路は一階部分の間取りを指で示しながら言った。確かにリハビリルーム、医務室、食堂などと言った表記があり、医療目的の施設であることがうかがえた。
それにしても、と俺は思った、新居部商店街を脅迫に利用した組織の本拠地が、その商店街の目と鼻の先にあったなどと誰が想像できたろう。俺は敵の大胆さと不用心さに驚きを禁じ得なかった。
「で、「ウブタマ」を見つけるための装置はどこにあるんだい?」
俺は図面と深一郎の顔とを交互に眺めながら言った。
「実験器具室という小部屋にあるはずです。間取りは私の頭の中に入っているので、侵入経路は私に任せてください……ただし、場所によってはIDカードが必要になるかもしれません。持ってきてますか?」
俺はポケットからできたばかりの偽造IDカードを取りだし、深一郎の前に示した。
深一郎のカードを元に、亜木に依頼して作ってもらったものだ。同時に特務課の制服も二着、用意してあった。
深一郎は特殊メイクでかなり風貌を変えられており、エラの張ったいささかきつい顔になっている。俺は潜入の直前に「変身」能力で、特務課の一人に似せた顔に変えることになっていた。
「護身用の道具以外、武器がないのが心もとないが、どのみち取り囲まれて銃撃戦にでもなったら俺たちに勝ち目はない。見つからないうちに迅速に脱出するつもりでいてくれ」
「私は一応、特殊警棒と、当たると電撃ショックを与えるボールを携帯しています」
「そんなものだろうな。俺は鞭と「閃光盾」しかないが、なんとかそれで乗り切ろうぜ」
俺たちは顔を見合わせ、弱弱しい笑みを交わした。今、俺たちのいる店は「セカンドライフ新井部」の目と鼻の先だ。すなわち、もう間もなく決行と相成るわけだ。
それなのに準備と言えば変装程度、肝心の計画はと言えば行き当たりばったりだ。警察の特殊部隊を相手にするにはあまりに呑気な二人組と言えた。
「さて肝心の潜入計画だが、思い切って敷地内に入ってしまった方が怪しまれないか?」
「そうですね。車で正門から堂々と入っていった方がかえって不審がられずに済むと思います。そして二人でやはり正面玄関から堂々と入ります。
そして何食わぬ顔で、職員専用の地下へと降りる階段に向かいます。無事地下に降りたら、私の指示に従って動いてください。首尾よく目的の物を手に入れたら、今度は逆のルートで脱出します」
「うまくいくかな」と俺は言った。
「行かせるしかありません」
「そりゃそうだ」
俺は椅子の背に凭れ、天井を仰いだ。その直後だった。ふと視線を前に向けると、カウンター席の奥でうつむき加減にコーヒーをすすっていた若い男性が、こちらに顔を向けた。
帽子の下からわずかに覗いた目が俺の視線とぶつかった瞬間、男性の表情が驚愕のそれへと変化した。
「泉下さん……」
立ちあがった男性は目深にしていた帽子の庇を上げた。帽子の下から現れたのは、俺にとって見慣れた顔だった。
「キエフ……」
「お久しぶりです。……その服は?」
キエフが目で示したのは、俺が空いた席に置いていた特務課の制服だった。
「えっ……これか?これは……まあ一種のコスプレだ」
「それ……この先にある「セカンドライフ新居部」に出入りしている警官の制服ですよね」
「なぜそれを知ってる?」
キエフは一瞬、躊躇するそぶりを見せ、やがて何かを決意したように口を開いた。
「見たんです。外から建物の中を。たまたま近くを通りかかったとき、一階の食堂らしい部屋の窓が見えて……その時、医者みたいな男性と一緒に、秋帆としか思えない女性が食事をしていたんです」
「秋帆さんが?」
俺は思わず叫んでいた。プラントに寄生された後で俺が脈を測った時、秋帆の心臓は確かに停止していた。……だが。その後で奇跡的に蘇生した可能性も考えられなくはない。
「あの後、俺は警察らしい連中に連れていかれ、秋帆と別々にされた上で家まで送り返されました。結局、秋帆の身体がどうなったかわからないまま、それからずっと割り切れない気持ちを抱え続けていたんです。
……でももし秋帆が生きていて、奴らの手で監禁されているのだとしたら、どんな方法を使ってでも助け出したいんです」
俺はキエフの瞳を覗きこんだ。誰にどんな説得をされようと、絶対に引かないことを決めている目だった。そうか、と俺は思った。それでキエフは作業員の制服を着ていたのか。
キエフもまた、キエフなりに工夫して建物の内部に潜入しようとしていたのだ。
「泉下さん。詳しいことはわかりませんが、警官の制服を用意しているという事は泉下さんたちも、何か理由があってあの建物の中に潜り込もうとしてるんじゃないですか?」
キエフは鋭い読みを俺に放った。秋帆のことで思考がフル回転しているのだろう。
「……確かにその通りだ。あの建物の地下には、君も戦った怪物の弱点を感知する機械があってね。それをこの人と一緒に盗み出しに行くところさ」
俺はあえて「盗み出す」という表現を使った。元々、深一郎たちの物だった研究所を、ゾンビ課が法を逸脱して押収するなら、俺たちも警察から自分たちの物を盗み出してやる。そういう皮肉のつもりだった。
「そうだったんですか。……泉下さん、俺もご一緒させてください。俺は俺で何としてでも秋帆を見つけ出します。俺たちで警察の鼻を明かしてやりましょう」
キエフは息を荒くしながら言った。俺は返答に窮した。確かに、三人いるのは心強いが、目的が二つになると動きづらいというのも事実だった。
「泉下さん」ふいに深一郎が口を開いた。
「泉下さんと、そちらのお若い方は二人でその「秋帆さん」とやらを救出に行ったらどうですか?私は地下の構造を知っていますから一人でも充分、装置を奪ってこられます」
「しかし、装置は元々、俺が必要としていたものだ。あんた一人にリスクを押し付けるわけには……」
「そちらの方もたった今、おっしゃっていたじゃありませんか。私も連中に一泡、吹かせてやりたいんですよ」
深一郎は、いつもより三割ほどいかつい顔でにやりと笑った。俺はキエフの顔を見た。キエフの戸惑ったような目が「いいんですか?」と俺に問うていた。
「よし、いいだろう。それじゃあ、キエフと俺は秋帆さんの身柄の奪還、「道化師」君は地下の装置を奪う。タイムリミットは一時間。自分の身は自分で守ること。どうだ?」
二人が同時に頷くのを見て、俺は頷き返した。正直、敵に気づかれた場合、キエフと秋帆の身は俺が守らざるを得ないだろう。それでも、この計画には実行するだけの価値があった。
――親父や隼人がこの計画を聞いたらきっと「無謀の極みだ」と馬鹿にするだろうな。
俺たちは圧倒的に希望が不足している戦いに向けて、覚束ない一歩を踏み出した。
〈第十八話に続く〉
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