第45話 最終話「心臓いっぱいの愛を」⑴


 外は昨夜からの雨で、街全体が煙っていた。


 俺は暇を決め込み、ジョン・ウィリアムスの壮大な映画音楽を鳴らしてエフェクターの修理をしていた。


 ドライバーを持つ手が止まったのは、戸口の前のブレーキ音を聞いた時だった。

 やがて車のドアを開閉する音が聞こえ、ガラス戸の向こうに傘を携えた人影が現れた。


 ――あれは。


 俺が道具を置き、居住まいを正すのとほぼ同時に、ドアが開いて人影が入ってきた。


「ごめんください。「トゥームス」というのはこちらでよろしいんでしょうか?」


 傘の下から短く刈り込んだ頭と人懐っこそうな目が現れた。


「…………」


「やはり、噂は本当だった」


 俺の前に現れたのは、一人の年配男性だった。俺は思わず会釈していた。


「生きていたんだな、青山君」


藤尾ふじお課長……」


 男性は俺が警官だった時の、上司に当たる人物だった。こうして会うのは俺が「生き返って」以来、初めてだった。


「お前さんが生きているらしいという噂を耳にしたのは、半年くらい前だった。調べている間、ずっと半信半疑だったが、まさか本当に生きていたとはな。葬式にも出席したのに、いまだに信じられんよ」


 藤尾の言葉を聞きながら、俺は無言で頭を垂れ続けた。ゾンビとして新たな人生を歩み出した者には、こうした状況に出くわす者も少なくない。対処の仕方はそれぞれだが、実際には二種類しかない。


 適当な話をこしらえて「奇跡的に」生きていたことにするか、腹をくくってゾンビの事を打ち明けるか、である。


 ……もっとも、話を聞かされる側にとっては「生還」だろうと「生きる死者」だろうとあまり大差はない。入り組んだゾンビ社会の構造を理解するくらいなら「生きていてよかった」程度の話で片をつけられる場合がほとんどなのだから。


「連絡を怠り、申し訳ありません。これにはいろいろと事情がありまして」


 俺がかしこまった口調で言葉を選んでいると、藤尾は「いいよ」というように手で遮る仕草をした。


「それはそうだろう。何せ十年もの間、知人と顔を合わせることを避け続けてきたんだからな。何か深い理由があるにきまってる」


「恐縮です。……今はこういった生活をしているという事で、ご理解いただけますか」


「……うん。なかなかいい感じの店じゃないか。趣味人の君にふさわしいよ。音楽の方も、まだ続けているのかな」


「はい。それだけが生きがいみたいなものです」


「しかしよかったよ、本当にこうして無事な姿が見られて。……君が銃で撃たれたときは、私も辞職を覚悟したよ。うちの署には少ない殉職者で、当時は私も管理職になりたてだったからね」


「たまたま運がよかったんです。手術を執刀した医師の腕がよかったことが、生死を分けました。ただ、生きていたことを伏せて、長い間、死亡という扱いにしていたことは心苦しく思っています」


「うん、私もそこに踏み込むような無粋な真似はしたくない。今日、訪れたのは生きている君をこの目で確かめたかったことと、もう一つは……ある人に会わせたかったという理由からだ」


 ――ある人?


 俺の胸中に、かすかな不安がよぎった。


「申し訳ないが、もし店の方を休んでよいのなら、これから私と一緒に来てもらえないかね?なに、行き来は車で送り迎えするし、時間もそれほどは取らせないつもりだ」


「誰と会うんです?」


三谷みたに署長だよ。八十頭やそがしら署のね」


 三谷署長か。俺の記憶の奥で、銀髪の男性がうっすらよみがえった。それほど多く会ったことがあるわけではないが、生きているとばれた以上、一度、詫びを入れておく必要があるかもしれない。


「三谷署長はつまり、私が生きていることを知っているんですね」


「そういうことになるな。……だが、私が漏らしたわけではない。やはり噂をどこかで聞いて、独自に調べていたようだ」


「……そういうことであれば、行った方がいいですね。わかりました。店を閉めます」


「すまないな、営業の邪魔をしてしまって」


「いいえ、どうせ客なんてほとんど来ませんから……特にこんな雨の日は」


 俺はジョン・ウィリアムスにしばしの別れを告げると、一張羅の背広を羽織り、ドアを施錠した。


「いっときますが、料亭に連れていくのは勘弁してくださいよ。私の柄じゃない」


「わかっている。気後れしない程度の、ごく庶民的な店だ」


 俺はいささか戸惑いつつ、黒塗りのセダンに乗り込んだ。連れていかれるときの車両がパトカーではなかったことが、せめてもの救いだった。


             〈第二話に続く〉

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