第43話 第三話「イッツ・ノット・トゥー・レイト」⒃


「グレイトフル・サッド」の正面玄関には思った通り「準備中・CLOSE」の札が下がっていた。


 俺は建物の裏手へと回った。裏方の手伝いをした時、従業員用の出入り口からスムーズに侵入できたことがあったのだ。


「STAFF ONLY]と書かれたアルミのドアは、思った通り施錠されていなかった。俺はうしろめたさを覚えつつ、そっと中に侵入した。


 暗い廊下を進んでゆくと楽屋のドアが見えた。俺はそっとドアを押し開いた。人が訪れている気配はなかった。


 俺はさらに進み、意を決してホールに抜けるドアを開けた。


「ようこそ、死にぞこないのおっさん」


 突然、客電が灯り、ステージとそこに立つ人物の姿が照らし出された。


「やはりきさまか、偉」


 俺はステージの中央で薄笑いを浮かべている男に、憎悪の視線を投げかけた。


「どうしてもあんたに一泡吹かせてやりたかったんでね。ご足労願ったわけだ」


「ふん、何か取引でも持ち掛けるのかと思ったら、いやがらせか。そうやって私怨ばかり優先させるところが餓鬼だというんだ」


「うるさい。……これを見てもまだ、偉そうな口が利けるかな」


 偉はそう言うと、ステージセットの一部と思しき衝立をスライドさせた。背後から現れたのは、投光器を設置するための鉄骨に吊るされた涼歌の姿だった。


「ファンディっ」


 俺が叫ぶと、涼歌の猿轡をかまされた口がもごもごと動いた。


「貴様……どうやらおふざけの度が過ぎたようだな。ただのお仕置きじゃすまないぜ」


 俺がステージに向かって歩み出すと、偉が「おっと」と手で制するしぐさをした。


「口の利き方に気をつけるんだな。じじい」


 偉は腰からサーベルに似た長剣を抜くと、涼歌の首筋にあてがった。


「以前、ナイフであんたにしてやられたことがあったな。この長さならどうだい?」


 偉は勝ち誇ったように言うと、剣の切っ先を涼歌の首筋にあてがった。


「堕ちるところまで堕ちたな、小僧」


 俺は足を止め、歯噛みした。こうなると下手に動くことはできない。


「さあ、両手を上げてもらおうか。くどいようだがおかしな真似はするなよ」


 俺はゆっくりとホールド・アップの姿勢を取った。まったく、元警官がギャングに両手をあげさせられるとは。


 偉は満足そうな笑みを浮かべると、ポケットから小型拳銃を取り出し、俺の顔面に狙いを定めた。前回と比べると、多少は様になっているようだ。


「さんざん馬鹿にしてくれたが、今度は外さないぜ、おっさん」


 偉の指が引鉄にかかった。見事に額を撃ち抜けたら「おめでとう」と言ってやるつもりだった。


 俺と偉の視線が空中でぶつかり、偉の顔が興奮と歓喜でゆがんだ、その時だった。


「うっ?」


 小さな物体が視界を過ぎり、偉の手から拳銃が吹き飛んだ。


「なんだっ、いったいっ」


 今だ。俺は偉の顔面めがけてピックを放った。ピックは偉の右目にヒットした。


「痛ええっ」


 偉が顔を抑えた直後、俺は偉が手にしたサーベルに向けて鞭を放った。先端がサーベルの柄を捉える気配があり、手前に引くと偉はあっさりと剣を手放した。


「くそつ、卑怯だぞ、じじい」


 偉は顔から手を離すと拳銃を探し始めた。俺はステージに駆けあがり、床に落ちていた拳銃を蹴り飛ばした。


「あっ」


「拳銃所持と脅迫、それに監禁の現行犯で逮捕する」


 俺は偉の鳩尾に拳を叩き込んだ。偉はぐっと呻いてその場にあっさりと崩れた。


「大丈夫か、ファンディ」


 俺は涼歌に駆け寄ると、両手首を拘束しているベルトを引き剥がした。身体を抱きかかえながら床に降ろし、猿轡を外すと、涼歌は驚いたことに俺を見てにやりと笑って見せた。


「やるじゃん、パートナー」


「当たり前だ。一人じゃ漫才だってできない」


 俺が頭を撫でると、涼歌は俺にしがみついてしゃくりあげ始めた。


 それにしても、と俺は思った。偉の手から拳銃を叩き落とした物体は、なんだったのだろう。あちこち視線を巡らせた俺は、ステージ上に転がっているあるものに気づいた。


 ――あれか。


 それは、裏返しになって転がっているローファーだった。よく見ると涼歌の片足は、靴を履いていなかった。


 ――やるじゃん、パートナー。


 俺が心の中で涼歌の勇気を称賛した、その時だった。


「馬鹿め、いっそ二人で死ね」


 振り返ると、いつの間にか偉が拳銃を手に立っていた。


「駄目っ」


 突然、涼歌が俺と偉の間に割って入った。信じられないような機敏な動きだった。


「やめろっ、どけっ!」


 俺は両手を広げて立ちはだかっている、小さな背に向かって怒鳴った。


 偉の持つ銃の照準が涼歌に狙いを定め、一瞬、絶望が俺を襲った。


「お前らに明日なんかないんだよ」


 これまでだ、そう思った直後だった。


「あっ」


 奇妙な声を上げ、偉が動きを止めた。


「あ、あ」


 次の瞬間、起こった出来事は、とても信じがたいものだった。偉の身体がふわりと空中に浮きあがったのだ。


「な、なんだ一体、これは。やめろ、やめろおおっ」


 俺と涼歌は身じろぎもせず、目の前の怪現象に見入った。空中で静止した偉の身体は、見えない糸に吊り上げられたような恰好のまま、今度はくるりと上下が逆になった。


「……お、お前か、こんなことを、俺に」


 逆さで宙吊りになったまま、唐突に偉が意味不明のセリフを吐いた。


「うそつき、うそつき、うそつきいいっ」


 背後から突然、少女の物らしき大きな声が飛んできた。振り返った俺の目に、意外な人物の姿が飛び込んできた。


「魔法使いなんかじゃないくせに。嘘ばっかり。もう許さないっ」


 緑色の髪をなびかせ、やはり緑色に燃える瞳で偉を見つめているのは、牧原杏那だった。


「うそ……じゃない。これから、そう……楽しいことがたくさんあるんだよ」


 逆さづりの状態で必死に少女に言い訳をしている偉は、もはや滑稽でしかなかった。


「バイバイ、魔法使いさん」


 杏那が言うと、偉の身体は支えを失ったようにどさりと床に落下した。同時に一人の年配男性が、ゆっくりと杏那の背後から姿を現した。


「もうそれくらいにしなさい、杏那。……偉君もだ」


 現れたのは、牧原幸三だった。


              〈第三話 最終回に続く〉

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