生きぞこない☠ゾンディー2 心臓いっぱいの愛を

五速 梁

第1話 プロローグ


 壁のアンティーク時計が午後九時を告げた。


 「俺」はスェード張りの椅子を下げ、店内を見回した。かび臭い空気の中で、ステンドグラスのランプシェードが赤い光をにじませていた。


 「俺」は薄くなったバーボンを息を止めて舐めると、黒く塗られたドアに視線をやった。

 

 ――それにしてもしけた店だ。一体いつからやってるんだろう。


 「俺」はポケットに手を入れると、携帯を触った。そうしていないと前世紀にタイムスリップした錯覚に陥りそうだった。


 普段、場末のバーになど足を向けない「俺」がこの店のドアを潜ったのには、理由があった。バンドの仲間たちとくだらない賭けをした結果、貧乏くじを引く羽目になったのだ。


 「俺」は店内に視線を巡らせた。小さな店だ。内装の至る所に赤いスェードが使われ、薄暗いこともあってまるで幽霊の社交場のようだった。


 ――こんな年寄り臭い店に、本当に「幻の淑女」が現れるのだろうか。


 「幻の淑女」とは、近頃バンドマンたちの間で話題になっている謎の美女だ。噂では妖艶さと清廉さを兼ねそなえた神秘的な女だという。


 賭けはともかく、そんな女が本当にいるなら「俺」も一目お目にかかりたいものだ。残念な事に「俺」たちのバンドには彼女に会えた幸運な奴はまだいなかった。

 

 ――本当にいるのかよ、そんな女。幽霊だったら手も握れねえぜ。


 「俺」はすっかり薄くなったバーボンロックを呷った。賭けに勝つとスタジオ代を折半しなくてすむのだが、勝利の条件が最悪だった。女を見かけたら会話をし、その日のうちに手を握れというのだ。クリアできるとはとても思えない。


 女は場末の酒場にふらりと現れては、バーテンやフリの客らと言葉を交わし、姿を消す。人を探しているらしく、場末の小さな店に現れるのもその人物――どうやら男らしい――が、そういう店で目撃されているというのが理由のようだ。


 ――ふん、今日は空振りか。誰だよ「幻の淑女はじじむさい店が好きらしい」なんて適当な情報を寄越した奴は。


「俺」は賭けをけしかけた仲間の顔を思い浮かべ、毒づいた。不景気なバーテンの顔を見ているだけで、一張羅のアルマーニがくすんでゆくようだった。


 ――さてと、そろそろ引き揚げるか。これ以上、ここにいたら年寄りになりそうだ。


 「俺」はクラッチバックを手元に引き寄せると、札入れを取りだした。まったく、賭けに勝つどころか支出がかさんだだけじゃないか。不平を言いながら紙幣を出そうとした、その時だった。ドアが開閉する音がして、外気がふわりと吹きこんできた。


「んっ」


 入ってきた人影を見て、「俺」は息を呑んだ。人影は女で、一人だった。二十代前半だろうか、赤いミニドレスで薄暗い店内を颯爽と歩く姿には、品格すら漂っていた。「俺」は不覚にも女に見とれ、ぼうっとなった。「俺」の前を蜂蜜色の長い髪がふわりと横切った時は失神するのではないかと思ったほどだ。


――間違いない。あれが「幻の淑女」だ。


 思わぬ僥倖に出くわし「俺」の心拍数は一気に跳ね上がった。「俺」は自分に「落ち着け」と言い聞かせ、女と遭遇した際の段取りを反芻した。


 「幻の淑女」はまずカウンター席に落ち着くと、コースターに絵を描く。そしてバーテンに「こんな感じの男、知らないかしら」と尋ねるのだそうだ。


「俺」は女の様子をさりげなく窺った。

 女は噂通り、カクテルグラスを脇に退けるとコースターに絵を描き始めた。


「ねえ、こんな男、知らないかしら」


 噂とほぼ違わぬ問いを、女が放った。頭に白い物が混じったバーテンは、記憶をたどるように視線をさまよわせた後、あっさりとかぶりを振った。


「そう」


 女はため息を漏らした。「俺」はそっと席を立った。女が小さな声で「やっぱりね」と呟いた時、「俺」は滑りこむように女の隣に移動した。


「失礼ですが、どなたかお探しですか?」


「俺」がありったけの低音で語りかけると、女の顔がわずかにこちらを向いた。


「……ええ。自分勝手な男を一人、探してるわ」


「俺」の不作法な態度にも、女は構える様子を見せなかった。


 ――こいつは本当に、千載一遇のチャンスかもしれない。


女の放つ甘い匂いにめまいを覚えつつ、「俺」はゲームを開始した。


「なんだか、見たことがある気がするなあ、その似顔絵の顔」


「俺」はしれっとして言い放った。もちろん、口から出まかせだ。


「本当?……もしよかったら、詳しいお話を聞かせていただけないかしら」


 女の瞳が興味に見開かれるのを「俺」は見逃さなかった。


「隣、構いませんか?」


「俺」は精一杯紳士的に聞こえるよう、落ち着いた口調で言った。女は無言で頷いた。


「ええと……どこで見たんだったかな。バンドでセッションした時かな」


「バンド?音楽をやってらっしゃるの?」


「ええ、まあ。インディーズですが」


「俺」は「おや」と思った。バンドという言葉に女が思わぬ反応を見せたからだ。


「その人、歳はいくつくらい?身長は?」


 女が矢継ぎ早に問いを放ってきた。「俺」はいささか面食らいつつ、大急ぎで架空のプロフィールをこしらえた。


「えー、歳は三十五、六かな。身長は百八十あるかないか、それから……」


 徐々にしどろもどろになってゆく「俺」に女は「面白いわ」と口元をほころばせた。


「でも」


 女が不意に笑みを消した。「俺」は虚をつかれ、困惑した。


「その程度の話なら、たくさん聞いたわ。そして……」


 女は意味不明の笑みを浮かべると、「俺」を正面から見据えた。


「全部、嘘だった」


 女に見つめられ、「俺」の中で警告音が鳴った。「俺」は必死で次の手を模索した。


「そうそういるわけないのよ、不死身の男なんて」


 不死身の男?なるほど、お探しの人物はまれにみるタフガイというわけか。……よし、そうとわかればまだやりようはある。


「不死身ですか……そういえば僕もアクション映画でエキストラをやった時、監督から「お前は不死身だな」って言われましたよ」


「アクション映画?」


 女の目が再び見開かれた。しめた、と「俺」は思った。女性は芸能関係の話に弱いのだ。


「そうです。……少し前に教師役をやった元アイドルのYさんとか、渋い刑事役でおなじみのMさんとかと共演しました」


 教師や刑事、という言葉にも女は少なからぬ好反応を見せた。そうだろう、大抵の女はドラマのたぐいに目がないのだ。


「不死身の男がもう一人……面白そうなお話ね」


 女の目が潤み始めるのを「俺」は見逃さなかった。この後「どなたか紹介してくださらない」と言い出せばしめたものだ。


「ここであなたと知り会ったのも、何かの縁かしら」


 女は組んだ指に顎を乗せると、小首を傾げてほほ笑んだ。その仕草に促されるように、気づくと「俺」は女の方に手を伸ばしていた。


「そう、「不死身の男」は君の身近にもいる。だからさ、どこにいるかわからない男に執着するのはこの辺で止めて、僕と……」


 「俺」の指先が女の手首に触れた、その直後だった。女は「俺」の手首をつかんだまま立ちあがると、そのまま体を半回転させた。


「えっ?」


 両足が床から離れ、身体が宙に浮いたかと思うと次の瞬間、「俺」は背中から床に叩きつけられていた。


「痛えええっ」


 打撲の痛みにもんどりうって呻く「俺」に、高みから女の冷たい声が浴びせられた。


「あら、痛かったかしら。じゃあ人違いね。私の探してる人はこのくらいで「痛い」なんて言う人じゃないもの」


 そう言い放つと、女はいきなり自分の髪を鷲掴みにした。続いて目の前で起こった展開に、「俺」は呆然となった。蜂蜜色の鬘の下から現れたのは、流れるような黒髪だった。


「きっ、君は……」


 口をぱくぱくさせる「俺」に女……いや、「少女」は鬘を投げつけた。


「さっきあなた、自分は不死身だって言ったけど、本物の不死身って言うのはね、死ぬような思いを数え切れないほどしてきた男の事を言うの。わかる?」



 ――ちくしょう、どこが「淑女」だよ。せいぜい十六、七の女の子じゃないか。


目の前の凛とした姿を見て「俺」はぼやいた。よく見ると少女はかなり小柄だった。


「私の探してる男は、不死身なんかじゃない。その代わり、どんなに相手が恐ろしくても、逃げたりしない。あなたみたいな安っぽい男とは似ても似つかないわ」


 少女は吐き捨てるように言うと、くるりと踵を返した。小さな、それでいて強い意志を感じさせる背中に「俺」は何が何でも探し人を見つけ出すのだという少女の決意を見て取った。


「本当にいるのかよ、そんなやつ……いたら化け物だぜ」


「俺」が悔し紛れに捨て台詞を吐くと、少女の足が止まった。


「そうね。でも人間以上に人間らしい化け物だわ。あなたも強い男になりたかったら百回くらい死んで、千回くらい生き返ってくることね。そしたらお相手してあげる」


 そう言い残し、風のように身をひるがえすと少女はドアの向こうに姿を消した。


              〈第一話に続く〉

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