仙道の告白
仙道は黄色のバー・アンカーを訪れていた。
「お久しぶりですな。今日はお仕事が早く終わったのですかな」
マスターのシゲが仕込みをしながら優しく聞いた。時計はまだ夕方の五時だった。無理を言って入れてもらったのだ。仙道は、今日は研究所を休んでいた。仮病だった。捕まった三人のトリッパーが不憫で研究所に行きたくなかったのだ。一日家で悶々とした挙句、リキが捕まった場所、こっちの世界のバー・アンカーに行ってみようと足を向けたのだった。
お久しぶり、と言われて思い出した。すっかり忘れていたが、高階と一緒に来たことがある店だった。自分の知ってる店──正確には別のパラレルワールドだが──でリキが捕まったのだ。こんな偶然があるのかと思った。あのとき高階と入ったのは、買い出しから戻る途中のマスターに、静かに飲めるバーは無いかと聞いたのがきっかけだった。そうでなければ、こんな目立たない店には入らないだろう。
きつい酒を飲みたい気分だった。とりあえず潰れて忘れてしまいたかった。時空が違うとは言え、ここでリキが捕まったのかと思うとやるせなかった。鬼塚は何かが変わってしまった。以前は静かながらも胸の内は熱く、研究所の未来を、パラレルワールドでのビジネスの成功をひたすら追い求めていた。しかし今の鬼塚は何かが違う。突然毒を使ってトリッパーを脅し始めるなんて。しかもそれで平然としている。理解できない。
もう何杯飲んだか分からなかった。視界が狭くなって来た。グラスの氷を指でくるくるとかき混ぜながら、後悔の念が押し寄せて来た。自分がトリップマシンを開発したのは、行方不明になったトリッパーたちを救いたかったからだ。彼らを脅して無理矢理拘束するためではない。
「リキ、すまらい」
ろれつが回らなかった。そんな自分の状態が悔しくてもう一度大きな声で言った。
「リキ、すまない」
マスターが反応した。
「お客さん、今、リキ、とおっしゃいましたか」
目を半分閉じながら、仙道は答えた。
「言ったよ。リキらよ。港リキらよ。俺はあいつを苦しめてるんらよ。申し訳らい」
「お客さん、港リキを知ってるんですな?お客さん」
マスターの声が遠くなった。仙道は眠ってしまった。
「あんた、リキさんのことを知ってるんだろ。起きて説明しろ」
ショウは仙道の肩を揺らして起こそうとしていた。ショウはシゲからの連絡を受けて金のアンカーから黄のアンカーへ翔んで来ていた。
「いろいろと聞きたいことがあるんだ。さっさと起きろよ」
ショウは怒っていた。段々と肩を揺らす動きが乱暴になっている。
「まあまあ、焦ってもしょうがないですからな。そのうち起きますからな」
「焦りますよ。リキさんがさらわれて、もう一週間ですよ。その間、何も情報が無かったんですよ。こいつが鍵なんです。リキさんに何かあってからじゃ遅いでしょう」
リキ、さらわれる、この二つの言葉が仙道の意識を呼び覚ました。
「うう……ん、リキ……ここは……」
仙道が目を覚ました。辺りを見回す。意識が戻って来た。
「あんた、リキさんのことを知ってるんだろ。どういうことか話せよ」
ショウはわざと乱暴な口調で問い詰めた。仙道は訳が分からなかった。ここはリキが捕まった場所ではない。なぜそんなことを聞く人がいるのだろうか。なぜリキのことを知っているのだろうか。
「あなたは?どうしてリキのことを?」
仙道は、もう意識がはっきりしていた。椅子に座り直して、ショウが誰なのか観察しながら言った。
「質問してるのは俺だよ。リキさんは捕まって今どこにいるのか。どうして捕まったのか。あんたはなぜリキさんを知ってるのか。ちゃんと話せって言ってるんだ」
ショウはテンションを上げて、恫喝するかのように声のボリュームを上げた。仙道は面食らった。両方の手の平をショウに向けて、待て、という仕草をした。仙道は少し考えて理解した。この二人はリキの知り合いだ。状況は分からないがそうなのだ。
「あなたたちは、リキの知り合いなんですね」
「そうだよ。だから質問してるんだろ。捕まったリキさんはどこにいるんだよ」
ショウは机をバンバン叩いた。顔が紅潮していた。
仙道は冷静になっていた。話したほうが良いかも知れない。もしかしたら味方になってくれるかも知れない。この人たちはこちら側だと思った。
「分かりました。お話しします。リキは時空間研究所にいます。私はそこの開発部長をしている仙道です」
「なんだと。お前がさらったのか。よくも」
ショウは仙道の胸ぐらを掴んだ。シゲがカウンター越しに、まあまあと止めに入った。仙道は冷静なままだった。
「いえ、違います。いや、そうですが、そうではありません。ううむ、説明が難しいな。トリッパーを……って言っても分からないし」
「分かるよ。トリッパーだろ。俺もリキさんと同じでトリッパーだからな」
「あなた、トリッパーなんですか」
仙道は驚いた。あれほど探しても見つからなかったトリッパーがここにいる。しかもリキの知り合いだと言う。
「どうして?あなた、ナチュラルトリッパーですか?」
「ああ。いや、違うかな。最初はチェンジャーだった。リキさんに訓練されてトリッパーになった」
「ナチュラルチェンジャー?あなた、チェンジャーだったんですか?そんな……初めて会った。理論上だけの存在だと思ってたのに」
「何言ってんだよ。リキさんだって最初はチェンジャーだったろ。あんたリキさんには会ってるじゃないかよ」
仙道は、目を丸くして驚いた。リキからはそんなことは一言も聞いていなかった。理論上の能力者を二人も見つけてしまったのだ。うれしくて舞い上がりそうな気持ちもあったが、これまで知らなかった自分にがっかりもしていた。
「リキがチェンジャー?なんてことだ」
「じゃあ、ついでに言うけど、ここにいるシゲさんはマインダーだよ」
ショウは、さっきまでの怒りの状態が収まり、どちらかと言うと自慢げに仙道に話していた。
「マインダー?そんな、そんな……そんなことが。く、詳しく教えてくれませんか」
仙道はさらに驚いた。チェンジャーのみならず、マインダーも実際にいたなんて。
ショウとシゲは拍子抜けしていた。この仙道という男は悪い奴では無い。知っていることを全部説明してあげようと思った。しかし、今はリキの行方を聞くことの方が重要だった。
「それよりリキさんのことだ。どうしてさらったのか、どうやってさらったのか。ちゃんと話してもらおうか」
仙道は事情を説明した。時空間研究所の実験のこと。トリッパーを三人失ったこと。新しい所長の鬼塚のこと。新しい事業のこと。仙道がトリップマシンを開発したこと。企業からの要求に応えるため、トリップマシンを使ってトリッパーを取り戻したこと。トリッパーは研究所に三人いること。囚われたトリッパーは毒のブレスレットで拘束されていること。鬼塚の様子がおかしいこと。仙道は、鬼塚のやり方に賛同できず、どうにかしたいと思っていると話した。
「なるほど。良く分かったよ。リキさんは囚われていて殺されるかも知れないということか。助ける方法を考えないと」
「簡単には助けることはできません。ブレスレットを外し、追跡されないように逃げないといけません。でも、コントローラーは鬼塚が持っていて、どこにあるか分かりません。そして普通に逃げたのでは、彼らに波動を追跡されてしまいますから、どこに逃げても殺されてしまう可能性があります」
仙道は鬼塚を信じたかった。だから「殺されてしまう可能性」と言葉を曖昧にした。しかし、今の鬼塚は何のためらいもなく人を殺すのではないか、そういう不安を心の奥では感じていた。
「じゃあ、助けられないってことか」
「いえ、方法はあります。でもそれには、新しい装置を開発する必要があります。我々はトリップマシンと呼んでいますが、トリッパー無しでパラレルワールドにトリップできる装置です。それがあれば助けられます。ブレスレットをしているトリッパーがトリップすると、翔び先のパラレルワールドの波動を検知することができるので、そのまま追跡されてしまいますが、彼らの知らないトリップマシンで、彼らの知らないパラレルワールドに翔べば、追跡できないのです。ですが、それを開発するには、時空間研究所の設備が必要で、鬼塚の目を盗んで開発しなければなりません。それはとても難しいでしょう」
その時、シゲが何か思いついたように仙道に言った。
「設備を揃えればいいんですかな?」
「そうですが。同じものを揃えるのは資金的に無理です」
「お金なら問題ありませんな」
「そうか、白のシゲさんか。あの人は大金持ちだ。揃えられますよ」
ショウが、手をポンと叩いた。
「白のシゲさん?」
「ああ、俺たちはパラレルワールドに色の名前をつけているんです。ここは黄色。ほら入り口に黄色の錨のミニチュアがあるでしょ。それぞれの世界にあるバー・アンカーに色付きの錨のミニチュアがあって、その色で呼び分けているんですよ。で、白のバー・アンカーのシゲさんが大金持ちっていう訳です」
「もしや、シゲさんはたくさんいる?」
「そうですな」
「シゲさんは全員マインダーなんだ。白のシゲさんはマインダーでトリッパーだよ。両方の能力を持っているんだ」
「マインダーでトリッパー?なんてことだ。今日は驚きの連続です」
仙道は熱が出そうだと頭に手を当てた。そして不思議なことに気づいた。仙道はパラレルワールドに関する専門用語で話しているのに、この二人は何の違和感も無く話しについてきている。それは妙なことだった。
「あなた方はやけに専門用語に詳しいですが、どうしてですか?トリッパー、チェンジャー、マインダー、ナチュラル。普通は知らないですよ。それなのに、あなた方は、私の話を何の疑問も無くそのまま受け入れている。時空間研究所の関係者ですか?」
「さあ、俺はシゲさんとリキさんに教わっただけだから。一般用語だと思ってたよ。シゲさん、違うの?」
シゲは遠い目をして昔を思い出しているようだった。
「それは、若い頃、小松原教授の論文を読んだからですな」
「小松原理事長の?なぜ?あれこそ、普通の人は読まない論文ですよ」
今から三十年前、白の世界のシゲが若い頃、能力に目覚めた時に、自分の身に何が起きているのかを知りたくて、文献を読み漁った。たどり着いたのが、当時、東京理学大学物理学部助教授だった小松原ヒデオの論文「平行時空間とそれらをつなぐ能力の可能性」だった。
その論文では、並行時空間の存在、それらを行き来できる可能性が書かれ、並行時空間をつなぐ能力として、パラレルトリップ、パラレルチェンジ、パラレルマインドを定義し、それらの能力を使う人間をパラレルトリッパー、パラレルチェンジャー、パラレルマインダーと呼んでいた。シゲはこの論文からパラレルワールドの知識を得ていたのだ。
小松原の論文は、発表当時はSFだとか妄想だとか相手にされなかったが、実験と理論を積み重ね、世界を説得していった。小松原は世界に認められパラレルワールド研究の第一人者として教授になった。そして五年前、小松原は日本に時空間研究所を立ち上げ、自らは理事長となり、大学の教え子だった仙道を所長に据えたのだった。
「その、白のシゲさんが資金を提供してくれるとして、どこで開発するんです?」
仙道は少し不安そうだった。資金があったとしても、それだけでは解決しないのだ。
「白のシゲさんの家は城みたいにでかいんだ。実際、城だけど。そこでやればいいんじゃないかな?」
ショウが大きく手を広げて皆を見回した。
「そうですな。連絡しておきますよ」
シゲが小さく微笑んだ。
「よし、そうと決まったら白のシゲさんのところに行きましょう」
言うや否や、ショウは仙道の肩に触れ、指をこめかみに当て瞬きを一つして、トリップを発動した。
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