レンとユキノ
突然ドアが開き、二人の若い男女が部屋に入って来た。そして、四人のスタッフがベッドを二つ運び込んで来た。
「三人にはちょっと狭いかもしれませんけど、我慢してくださいね。ここが一番広い部屋なので」
遅れて入って来た助手の高階アイが、白衣のポケットから出した手を拝むように合わせて、すまなそうに言った。
「リキさん、この二人はレンさんとユキノさんです。会うのは初めてですよね。今日から一緒の部屋になります。よろしくお願いしますね」
そう言って、高階とスタッフは部屋を出て行った。
「レンとユキノ。俺の前に居たって言うトリッパーだな。俺はリキ。港リキだ。よろしくな」
レンとユキノは顔を見合わせて、そして自己紹介を始めた。
「僕は
レンはちょっと恥ずかしそうに下を向いて、上目遣いにはにかんでいた。レンは細身でクシャクシャのパーマ頭。脱色しているのか髪の色は薄い茶色だ。
「よろしく。若いねぇ」
リキは、ベッドの上であぐらをかいて茶化した。
「あたしは
ユキノはバツが悪そうに横を向いてしまった。
リキはユキノの紹介を聞いて、引いてしまった。どう見ても二十台前半に見える。高い位置にポニーテールをしている黒髪で、ダンサーのようなすらっと引き締まった身体をしている。もし制服を着ていたら高校生と言っても通るだろう。リキが黙っているとユキノが嫌そうな顔をした。
「ほら、こうなる。だから歳言うの嫌なんだよ。で、あんたいくつなのさ」
「ああ、俺は……三十。調子狂うな。俺、年下か」
「ふーん、年下なのかい。じゃあ、あたしのことはアネゴって呼びな」
「いや、その童顔でアネゴはない……」
「うるさいね。呼ぶのかい、呼ばないのかい」
ユキノは、リキに顔を近づけてすごんだ。
「分かりましたよ。呼びますよ。アネゴ」
「いいよ。それでいい」
ユキノは少し強がっているように見えた。それが童顔のせいなのか、本当なのかは分からなかった。
最初の二人のトリッパー、レンとユキノは、リキが時空間研究所に来る一年前に偶然発見された。波動測定装置が開発された時、東京駅、新宿駅、渋谷駅など、都内の主要な十カ所の駅で波動観測実験を行った。その時に発見されたのがレンとユキノだった。
人間や生物は皆個々に個別の波動を発している。それはいくつかの波動が組み合わさった複雑なものだ。そのうちの一つは、必ず、その個体が存在している三次元空間が発している波動と同じである。それはつまり、その個体とその三次元空間がシンクロしていることを示している。トリッパーがトリップするときは、別の三次元空間とシンクロする。複雑に組み合わさった波動のうちの一つが、別の三次元空間の波動に置き換わるのだ。つまり、トリッパーの波動は、トリップするときに変化するのである。
レンとユキノが発見されたのは、波動測定装置が、レンとユキノの波動が変化したその瞬間を捉えたからであった。
レンは自分がどこから来たのか分かっていなかった。トリップを繰り返し、様々なパラレルワールドを彷徨い、この世界で途方に暮れているところを我々が保護した形だった。レンは保護されてすぐ、実験をやりたいと自分から言い出し、最初の実験で新しいパラレルワールドに翔んだがそれきり帰って来なかった。
ユキノはこの世界の出身だ。何度か別のパラレルワールドとの行き来を経験したことがあり、レンより能力を使いこなしていた。しかし、ユキノは能力を使うのに時間が掛かるタイプだった。研究所に来てから何度か実験を試みたがすぐには翔べず、やはり最初に翔んだ時に帰って来なくなった。
「二人は行方不明だって聞いてたんだが、どうしてたんだ?」
二人は黙っていた。レンはどっちが先なんだろうという顔をし、ユキノは横を向いていた。
「じゃあ、レン、お前が先だ」
リキがそう言うと、レンは安心したように笑顔になり、話し始めた。
「僕は行方不明になってた訳じゃなくて、待っていたんです」
「何を?」
「助けを、です」
「助け?」
「そうです。センサーも付いているし、動かない方がいいと思ったんです」
「どういうこと?」
「僕、もともと、往復したこと無いんで、今までも同じ場所に戻ったこと無いんで、研究所に戻るのどうしたらいいんだろうなって。だったら動かない方がいいかなって」
「ちょ、ちょ、ちょっと待て。研究所の実験に参加してたんだよな。元に戻って来るの前提で実験してたんだよな。おかしいだろ」
「言い出せなくて」
「言い出せなくて?」
「帰り方知らないなんて言えなくて。スタッフの人は、できるよね、って言うんで、できますって言ったんです」
「マジかよ。それで助けが来るのをずっと待ってたのか?それまでどうしてたんだよ。何ヶ月もあったろ」
「喫茶店の住み込みのバイトしてました」
「バイト」
「そういうの慣れてるんで。今までも翔んだらバイト探して、翔んだらバイト探してって繰り返してましたから」
「呆れたなぁ。でも、自分の意思で翔べるんだよな?」
「はい。いつでも翔びたいときに翔べますよ。頭にイメージが浮かんで来たら胸の前で手の平広げて振るんです。そして、翔ベーって思うと翔べます」
「ちょっと待て。お前、もしや狙って翔んでないな。行き当たりばったりで翔んでるのか」
「え?みんなそうじゃないんですか?」
「もういい」
リキは呆れた。トリッパーが全員同じタイプとは限らないが、少なくともシゲ、リキ、ショウは狙って翔ぶタイプだ。そんないい加減なトリッパーがいるとは思っていなかった。リキやショウも最初は自分の力をコントロールできなかったが、コントロールしたいとずっと思っていたし、努力して力を身に付けて来た。しかしレンにはそういう考えが全く無い。
「分かった。じゃあ、次はユキノ……じゃなくてアネゴ。お願いします」
リキは、お控えなすって、の格好をしてユキノを促した。
「あたしはいいよ」
ユキノは横を向いたままだ。
「いやいや、それじゃあ女が廃るってもんですぜ。さあ、アネゴ、チャチャッと言いましょうや」
リキは「アネゴ」に相応しい喋り方をしようと少しおどけて見せた。それが気に入ったのか、しょうがないね、と言いながらユキノが話し始めた。
「あたしは翔べなかったんだよ」
「翔べなかった?」
「あたしは、もともとそんなに力は強くないんだ。自分の意思で狙って翔べるけど、翔ぶまでに時間がすごい掛かるんだ。何時間も翔べないことだってある。若いときはすんなり翔べることもあったけど、今は結構大変なんだ。実験室から翔んだ時もそうだった。何時間も掛かって翔べたと思ったら、もう向こうからは帰って来れなくなってた。今はもう翔べるかどうか分からない。だから、連れ戻してもらって感謝してる。ここはあたしが生まれた世界だしね。もう翔ぶ気はないよ」
ユキノはさっきまでと違って、素直に話しているように見えた。
「じゃあ、何で研究所に来たんだ?あんまり研究所に興味があるようには聞こえないが」
「あたしもレンも、波動測定装置の実験で網に引っ掛かったんだよ。レンは東京駅。あたしは渋谷駅だ。あたしは引っ掛かってラッキーだと思ったよ。翔ぶのは好きだったから、ここに来れば能力が安定するんじゃないかと期待したんだよ。でも最初の実験で戻れなくなっちまったからね。もう期待はしてないよ」
リキはユキノの気持ちが良く分かった。リキも時空間研究所には過度の期待をしていたからだ。
リキは、レンとユキノの腕に着けられたブレスレットを見ていた。レンとユキノはここにいても研究所の役には立たない。研究所も彼らのためになることは何一つしてくれないだろう。研究所の得にならないトリッパーはどんな扱いを受けるのだろうか。ここには長くいるべきではない、リキは二人を連れてどうにか逃げ出せないかと考え始めていた。
「レン、そうじゃない。頭に浮かんだ世界に翔ぶんじゃない。翔びたい世界を自分で思い描いてそこに翔ぶんだ」
リキは、レンにトリッパーのトレーニングを施していた。このままでは、レンもユキノもどんな目に合うか分からない。逃げ出そうにも力をコントロールできなければ、自由にはなれない。リキは、まずレンを、きちんと狙って翔べるように育てようと思っていた。
鬼塚は、どこに逃げてもブレスレットをコントロールできると言っていたが、きっと何か手があるはずだ。その時のために、レンを育てておくべきだと思っていた。
「どういうところに翔びたいか、最初にそれを意識するんだ。そしてそのイメージが頭の中でリアルに鮮明になって来たら、意識をシンクロさせる。そして翔ぶ。いいな」
リキは真剣に理屈を説明していた。しかし、レンはあまりピンときていない様子だった。
「リキさん、帰りはどうするんですか」
レンは少し疲れた様子で、どうでも良さそうな感じで質問した。
「アンカーって分かるか」
「分かりません」
レンは即答した。レンは翔び元の世界に戻ったことがない。アンカーなんて使ったことが無かったのだ。
「アンカーは帰るための道標だ。翔ぶ前に必ず設定すること。そうだな。この部屋に戻りたければ、例えば、俺とアネゴがいてベッドが三つある部屋をリアルに記憶する。そしてそのイメージを帰る時に使うんだ。そういう世界をイメージしてシンクロするんだ。分かるな」
「いきなりは無理ですよ。やったこと無いんですから」
リキは、これは時間がかかりそうだと思った。しかし、時間が掛かってもやらないといけない。脱走するなら、トリッパーの能力を全員が自在に使えるようにしておきたい。
しかし。ユキノは翔べないかも知れない。レンは行き当たりばったり。さらに毒入りセンサー付きブレスレット。問題は山積みだった。
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