金の世界
ユニバーサル・ビート
この社長室はとても眺めがいい。虎ノ門にできた新しいビルの三十階からの景色は最高だ。毎日頑張ろうという気にさせてくれる。午後の会議は設定できただろうか。
トントン。ノックの音がして秘書の松岡君が入って来た。
「社長、午後の会議、設定できました。
「そうか、それは良かった。今日話しておかないと、先手を打てないからな。ありがとう。場所はここでいいかな」
「はい。お二人が社長室にいらっしゃいます。少しお待ち下さい」
松岡?そうか、彼女が今朝電話をくれた秘書の子か。仕事ができそうな子だな。
ハッと我に返った。ここはどこだ。社長室?俺はまた翔んだのか。左手にはゼニスのクロノグラフ。昨日とはまた違う仕立ての良いスーツ。俺は昨日の俺になっている。部屋は十畳くらいでガラス張り。外では若い社員たちが活気に溢れて仕事をしていた。ここがユニバーサルビート。俺の会社なのか。
向こうから恰幅の良いグレーの三揃いのスーツに茶色の革靴でこちらに歩いて来る男がいる。こっちを見てニコッと笑った。
こいつ見覚えがある。
初芝?大学でサークルが一緒だった初芝?なんでここにいる。
もう一人、初芝の後ろを歩いている男も見覚えがある。こいつは初芝とは対照的にジーンズにスニーカー、白のワイシャツを第二ボタンまで開けて袖をまくっている。水野?やはり大学でサークルが一緒だった水野だ。どういうことだ。
「ショウ、大丈夫なのか。体調悪いって聞いてたが」
初芝だ。相変わらず声がでかい。
「俺たちとの会議はそろそろ飽きたのかと思ったよ。いや、冗談」
水野だ。こいつはちょっとクセがあるがいい奴だ。それにしてもなぜこの二人がここへ。
「初芝、水野、久しぶりだなぁ。元気か?今日は何でここへ?」
初芝と水野は一瞬顔を見合わせて変な顔をしている。
「ショウ、本当に大丈夫か。久しぶりって言ったって、先週も役員会議で会っただろ。それに呼び出したのはお前だぞ。午前にやるはずだった会議をキャンセルしたくせに、どうしても今日じゃなきゃダメだって言うから、俺は午後の他の会議をキャンセルして来てるんだぞ。常務で営業本部長なんだから、それなりに忙しいんだから、な」
初芝は、最初はきつい顔をしていたが、最後の「な」のところはニヤっとしていた。こいつはそういう奴だった。ガツンと押しの強いところを見せて、その実、冷静に芝居をしている。そうやって周りをコントロールできる男なのだ。こいつが営業本部長か。ピッタリじゃないか。
「まあ、俺も常務で開発本部長だからそれなりに忙しいが、営業みたいに外には出ないからマシかな。ただお前のせいで締め切りがきつくて、徹夜が多いけどな。あ、俺はしないぞ。徹夜」
水野も頼りになる男だ。学生の時からプログラミングにのめり込んで、いくつも賞を獲ってたっけ。こいつが開発本部長か。面白いな。
「で、資金調達の話だろ。お前はどうしたいんだ。俺たちは、何度も言ってるが賛成だぞ。ただ東洋インベスターズはダメだ。いくら上り調子のベンチャーキャピタルって言ったって、あそこはコズミックファーストに出資している。同じ系統で二社ってのは無いんじゃないか」
初芝がいきなり本題に入った。資金調達?何に賛成なんだ?話がよく見えない。
「資金調達って……いくらだっけ……」
恐る恐る聞いてみた。
「お前、何言ってんだよ。二十億だろ」
「二十億?」
初芝は明らかに怒っている。これは芝居じゃない。
「なんだよ。足りないって言うのか?俺は妥当だと思うぞ。最初から大きく行き過ぎてもどうかと思う。来ないだ言ってたデュロムテクノロジーベンチャーズには話したのか?」
「デュ……ロム?いや……その……」
ダメだ。全くついていけない。どういう話なのか全く分からない。初芝の顔が段々赤くなって来た。水野はしかめっ面をして目を閉じ、腕組みをしている。
「ショウ、どうかしてるぞ。動きも遅いし、覇気もない。頭も回っていない。別人みたいだぞ。お前、やっぱり今日は家で寝てろ。体調悪いのを押して出てきても、これじゃ迷惑だ。時間の無駄だ。俺は戻るから、な」
初芝は、怒って出て行ってしまった。最後の「な」の時は、少し冷静な顔になっていたようにも見えたが。水野も「俺も戻るわ。お大事に」と言い、俺の肩を軽くポンと叩いて出て行った。
ショックだった。俺、社長に向いてない?いや違う。いきなりで分からなかっただけだ。ちゃんと順を追って行けば大丈夫なはずだ。次は上手くやれる。やれるはずだ。
「社長、よろしいですか?」
ノックをして、秘書の松岡さんが入って来た。
「本日の夜の会食、午前中にキャンセルしておいたのですが、社長は出社されましたし、出席すると伝え直しましょうか?」
会食?それなら俺にもやれるかも知れない。
「会食って誰とだっけ?」
「コズミックファーストの渡瀬社長と、東洋インベスターズの
コズミックファーストのアキラ社長と東洋インベスターズ!さっきの初芝の話とつながっている。
だけと彼らは、本当は三人で会うはずの会食を、一人欠けても中止にしないということか。それで、松岡さんはそれがまずいと思っている。社長秘書ならではの意見という訳か。
「松岡さん、出席すると伝えてください。それと……」
俄然面白くなって来た。さっきの汚名返上だ。
────────────────────
会食は赤坂の高級中華料理店だった。個室には六人ほど座れる円卓があり、アキラ社長と井本さんとかいう人が一つ席を空けて座っていた。俺も一つ席を空け、ちょうど円卓が三分割されるように座った。
会食は和やかに進んだ。多少ギクシャクしたところもあったが、事前に松岡さんから情報を仕入れたおかげで──松岡さんには不思議がられたが──大きな問題は起きなかった。
「ところで、今日は出資の話をしたいと思っているんですよ」
東洋インベスターズの井本さんが切り出した。
「と言いますと?」
アキラ社長が小さく切り返す。
「コズミックファーストもユニバーサルビートもグローバル展開を画策されてらっしゃる。その資金をうちで持たせてもらえないか、という話です」
「良い話ですね。うちはもともと東洋さんにお願いするつもりでしたから、お話しする手間が省けたというものです」
アキラ社長は、出資を受けるのか。うちと同じような計画をしているんだな。
「では、守谷さん、いかがですか?」
来た。さっき初芝は、東洋インベスターズは同じ系統のうちには出資しないと言ってたが、うちにも声を掛けてるじゃないか。このまま乗ればいいんじゃないのか。後は金額が折り合えば。
「二十億。東洋さんが二十億出せるなら乗りますよ」
どうだ。乗って来るか。俺は知らぬ間に身を乗り出していた。わき汗が半端ない。喉が渇いて来た。ビール飲むか。いや、これは交渉だ。落ち着いて見せなければ。堂々と座っていればいい。俺は椅子に背中をつけて、わざと偉そうに見えるように座り直した。
「二十億?何を小さいことを言ってるんです。うちは三十億出しますよ」
「三十億っ!?」
声がひっくり返ってしまった。三十億。初芝は小さく始めろと言っていた。しかし、これは出資なんだし、たくさん出してくれるならいいんじゃないだろうか。それに、俺は社長だ。大きく出て来たのに、ここで引いてどうする。俺が行動することで未来は変わるんだ。
「三十億、いいでしょう。東洋さんにお任せしますよ」
言ってしまった。でも、社長としての初仕事をやり遂げた。俺はやり遂げたんだ。俺の一言で三十億もの大金が動く。すごいことだ。俺はすごい。そうだ、メグミにも伝えなくては。
俺は、次に行きましょうと言う井本さんの誘いを断って、メグミの元へ向かった。
────────────────────
「メグミ!」
マンションのドアを開けて叫んだ。女性ものの靴がある。メグミは帰っている。廊下を小走りで抜け、リビングのドアを開けた。メグミはソファでくつろいでいた。
「どうしたの?大声出して。今日は会食って言ってたから、遅くなると思ってたけど、ずいぶん早いじゃない?何かあったの?」
「聞いてくれよ。ベンチャーキャピタルから三十億の出資を取り付けたんだ。すごいだろ」
「すごいわ。三十億なんて。これでまた会社が大きくなるわね。おめでとう。じゃあ、乾杯する?シャンパンがあったかも」
メグミはすっと冷蔵庫に向かい、シャンパンを取り出して来た。メグミがシャンパンの栓を開けると、勢いよく天井に当たり何処かに飛んで行ってしまった。俺たちは大笑いした。楽しい夜が更けていった。
────────────────────
翌朝、出社するとすぐに初芝に電話した。昨日の手柄を伝えたかったからだ。事の子細を伝えると、初芝の反応は悪かった。
『コズミックファーストの渡瀬社長の眼の前で、東洋インベスターズから三十億の出資を引き出したのか?そりゃすごい。でも大丈夫なのか?東洋はコズミックファースト贔屓だろ。何か裏があるんじゃないか。条件は出されなかったのか?』
「EUからやれとか言ってたような」
初芝の声のトーンが上がった。
『EU?その条件飲んだのか?お前、EUはダメだって言ってたじゃないか。個人情報が何たらで大変だって。何でそれをお前が決めて来るんだよ。問題は解決してるのか?』
気に入らなかった。何で初芝がこんなに意見するのか。俺は社長だ。社長が決めて来たことは決定だ。
「ダメだって言ってた俺が、その条件で決めて来たんだ。大丈夫になったに決まってるだろ」
大丈夫かどうかなんて分からない。でも、ここは強がってでも押さなきゃダメだ。俺は社長なんだ。
『そうなのか?なら、いいが。昨日お前、変だったからな。ちょっと心配してる。会議が始まるから切るぞ。あ、三十億はすごいことだ。大したもんだ。じゃあな』
初芝はそう言って電話を切った。あいつ、いい奴だな。きつい意見も、俺と会社のことを思ってのことなんだろう。
会社のことを思って……俺は会社のことを思っていただろうか。自分のことばかり考えて、勝手に行動しただけなんじゃないだろうか。デュラムなんとかって投資会社のことも全然知らないし、もしかしたらこっちの俺が既に交渉していたかもしれない。そしたらどうするんだ。二十億の予定を三十億にしてしまって良かったんだろうか。ユニバーサルビートがどういう計画でグローバル化しようとしているかも知らないのに。
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