チェンジャー・ショウ

 来てはみたものの、午前中はきっと早過ぎた。普通、バーの仕込みは午後だ。夜遅くまで、下手すりゃ明け方まで店を開けてる訳だから。昼過ぎにもう一度来ようか。と思いながらも階段を上っていった。期待してる訳じゃないが、ここまで来てるんだから、ドアが開くかくらい確認してみよう。


 二階の一番奥、三番目のドア、木彫りの─Bar Anker─の看板に淡いオレンジ色のスポットが当たっていた。消し忘れだろうか。それとも。

 ドアのバーに手をかけると、カチャと音がしてバーが下がった。


 カララン。


 誰かいるかな。


 そっとドアを開けると、中から威勢のいい声がした。


「ほらやっぱり来た。来ると思ってたよ」


 昨晩一番奥の席にいた短髪の細マッチョだ。カウンター席に立て膝でこっちを見ていた。


「お一人、ですな?」


 マスターもいた。


「読み通りだろ?だいたいこの時間だと思ったんだよ。彼女を送り出して、一人になって抜け出して来る。そしたらこの時間だもんな。今日はどこにも行く気にならないだろうし?事情を知るにはここに来るしかないもんな」


 細マッチョは自慢げに、どうだと言わんばかりに親指を立ててマスターに同意を求めた。

 どうやら細マッチョも事情が分かっているような口振りだった。


「あの。お二人とも、俺に起こっていることが分かっているんでしょうか」


 答えによっては、細マッチョにこの場にいて欲しくないと思った。関係ない人に適当なことを言われたくないし、一刻も早く正しい情報を知りたいのだ。それには事情をきちんと正しく説明してくれる人だけが、今の俺には必要なのだ。


「もちろんだよ。俺は昨日、あんたをずっと観察してた。全部説明できるぜ。それに、言っとくが、この世界でこういうことに一番詳しいのは、間違いなく俺だよ」


 そう言って、細マッチョは自分を親指で指差し、ドヤ顔をした。


「まぁ、あんたの元の世界の様子を知るには、シゲさんの助けが必要だけどな。そういうところはシゲさんが一番だ」


 シゲさん──マスターは「そうですな」という顔でこちらを見た。


「彼はきっと納得のいく説明をしてくれますよ」


 シゲさんの柔らかい表情を見ていて、何だか救われる気がして来た。シゲさんも、この短髪細マッチョも、俺に起きたことが分かっている。俺を救ってくれるかも知れない。


「さあ、どっから聞きたい?」


 どこから?そう言われたら、頭の中に昨夜の不思議な体験が津波のように溢れて来た。もうとにかく全部吐き出してしまおう。


「昨夜、俺はこのアンカーでメグミとタクトと一緒にいたんです。 でもいつの間にかタクトはいなくなって、しかもメグミは、俺はタクトのこと知らないって言って。そうだ、俺の服と時計が変わってた。これ、俺のじゃないんです。メグミも服が急に変わったし、そうだ、あなたもこの店にいなかったじゃないですか。いつ店に入って来たんです?あとこれ。この錨は銀色だったんです。なのに今は金色。それを話したら、マスターは、銀のアンカーから翔んで来たって?何ですか、翔んで来た?って。それからメグミはタクトと付き合うことになったんですよ。それなのに、俺の彼女だって?しかも一緒に住んでる?そうだ、社長だ。俺が社長ってどういうことですか?ユニバーサルビートなんて聞いたこともないですよ。それから、それから、あなたたちは何者です?」


 一気にまくしたてた。はぁはぁと息が切れた。マスターが何も言わずに注いでくれたグラスの水を一気に飲み干した。


「ひゅー。どこから話そうかな。そうだな。ズバっと結論言われるのと、じっくり説明されるのと、どっちがいい?」


 細マッチョはニヤニヤしている。ここまで焦らされたんだ。ズバっとやってくれ。


「結論を」


 俺はスーツの襟を正し、何でも受け入れますというように姿勢を正した。


「お前、時空を越えて、パラレルワールドにいるもう一人の自分と入れ替わったんだよ」

「わはは。何だって?」


 笑ってしまった。いや、笑うというのは正確じゃない。全く面白いなんて思ってなかった。ただ、わはは、と声が出ただけだ。真剣に聞こうと身構えていたのに、パラレルワールドなどという突拍子もない単語に面食らったのと、その答えが心の奥ではそうかも知れない、でもそんな訳ないと葛藤していたのと、もっと真面目な答えをちょっとだけ期待していた自分が馬鹿みたいで、言葉だけ笑いになってしまったのだ。


「あー、そーなんだ、パラレルワールドなんだ。確かに解決だ。一件落着だ」


 自分で顔が引きつってるのが分かった。それは、言葉では否定した方がそれらしいし、でも心の奥でその方が納得できると思っている矛盾が引き起こしているのだ。


「そんな訳無いだろ。ふざけないでください」


 俺が言葉で怒りを示すと、細マッチョは苦笑いし、両手を広げてマスターの方を見た。マスターは「まぁそうでしょうな」という顔をしている。


「でも、辻褄合うだろ?よく考えてみ」


 その通りだ。ここは俺の知ってる世界とは姿形はそっくりなのに、中身がまるで違う。マスターは同じ人みたいだけど、メグミは別人のようだったし、俺の立場もまるで違っている。こういうのをパラレルワールドって言うんじゃないのか?それに、昨日から俺も薄々そうだって思ってたじゃないか。


「分かりました。その線で受け入れましょう。続けてください」


 もう否定していてもしょうがない。そう思った。細マッチョが「そうだろ」という顔になった。でも、細マッチョとシゲさんがなぜ事情を知っているのかが理解できない。


「受け入れますが、なぜ、あなたたちが事情を理解しているのか、それを教えてください。あなたたちは何者なんです?」


 細マッチョが「よし来た」という顔をして身を乗り出して来た。


「まず、シゲさんの説明からいこう。いいかい。シゲさんはマインダーだ」

「マインダー……?」

「専門的にいうと、パラレルマインダー。パラレルワールドにいる別の自分と意識を繋ぐことができる。シゲさんは、いろんなパラレルワールドにいて、それぞれアンカーって店をやってる。それぞれのシゲさんは全員がマインダーだ。ここまではいいかな?」

「うう……日本語の意味は分かりますが……理解が追いつきません」


 パラレルワールドってだけで混乱しているのに、それがいくつもあって、そこに同じシゲさんがいて……。


「ま、いいや。続けよう。で、それぞれの店は置いてるミニチュアの錨の色を変えてる。ここのは金色で、お前のいた世界のは銀色だったんだよな?」

「そうです。えっと、つまり?」

「続けるぞ。そして俺。名前はみなとリキ。三十歳。俺はトリッパーだ」


「トリッパー?」


 俺の質問を無視して細マッチョ──リキさんは話を続けた。


「正式にはパラレルトリッパー。トリッパーってのは、パラレルワールドを自由に行き来できる人間だ。すげえだろ。お前みたいなチェンジャーと違って自由なんだよ」


「チェンジャー??」


 ちょ、ちょっと待ってほしい。マインダー?トリッパー?チェンジャー?知らない言葉が立て続けに出てきて、もう頭がパニックだ。しかし、リキさんは話を止めない。


「おっと、順番が狂っちまったな。まあいい。チェンジャーの話を先にしよう。チェンジャーは、正式にはパラレルチェンジャー。パラレルワールドにいる別の自分と入れ替わることができる。入れ替わるといっても、体は入れ替わらない。心だけだ。服も腕時計も持っていけない。物理的にはそのままで、心だけ入れ替わるんだ。お前は見た通りのチェンジャーだ。ずっと見てたが、外見そのままで、すっと別人になっちまったからな」


「俺はチェンジャー……」


 リキさんはエンジンが掛かって来たのか、俺のことは全く関係ないかのように話し続けた。


「その点、トリッパーは違うぞ。狙ったパラレルワールドに、自分のまま翔んで行ける。物も持って行ける。別のパラレルワールドにいるもう一人の自分と会うこともできる。どうだ、すごいだろう」


 もう完全に自慢話になっていた。だが、リキさんの説明でいろんなことが見えて来た。整理するとこういうことか。


 昨夜、俺は自分の世界でバー・アンカーにいた。そこは銀色の錨のミニチュアを置いてある。だからシゲさんは銀のアンカーと呼んでいた。もう一人の俺は、偶然にも別の世界、つまりこっちの世界のバー・アンカーで、これまたもう一人のメグミと一緒にいた。こっちのバー・アンカーは金色の錨のミニチュアを置いてある。だから金のアンカーだ。そして、何かの拍子にチェンジャーの能力が覚醒し、こっちの世界にいるもう一人の俺と心が入れ替わってしまった。


「そういうこと」


 リキが、やっと分かったようだなという顔をして、親指を立てた。


 パラレルワールド……チェンジャー……。ということは、こっちにいたもう一人の俺は俺の元の世界にいる訳で……。


「マスター。向こうの俺は今どうしてるんでしょう?」


 シゲさんはしばらく目を閉じ、何やら頷いている。向こうのシゲさんと意識をつなげているようだ。マインダーというのは便利そうな能力だ。千里眼みたいなものだろうか。感心していると、様子が分かったのか、目を開けてこっちを見てこう言った。

「同じように、向こうにいる私が説明してる最中ですよ。向こうも大分荒れたようですな」


 そりゃあ、そうだろう。こっちの俺はメグミと付き合っていて、指輪まで渡そうなんて仲なのに、向こうに行ったら、タクトと付き合います宣言の真っ最中だ。大混乱なんてもんじゃないだろう。


「向こうに行ってしまったショウさんは、昨夜、一人で店に残ってヤケ食いヤケ飲みでそのまま店で寝てしまったようですな。今やっと起きて、向こうの私が説明をしているところです。ひどい二日酔いのようですな」


 一人でヤケ食いヤケ飲みって……。我ながら情けない。でも、自分の恋人のメグミがタクトの彼女になってるなんてシチュエーションが目の前にあったら無理も無いか。


 ふと疑問が浮かんだ。もう一人の俺もチェンジャーなんだろうか。マスターのシゲさんは全員がマインダーだって言うし、俺もいろんな世界にたくさん存在していて、全員がチェンジャーなんだろうか。


「リキ……さん、俺のことチェンジャーだって言いましたよね?もう一人の俺もチェンジャーなんですか?」

「どうかな。少なくとも入れ替わる前のお前、つまり翔んで行っちまったお前はとても幸せそうだった。あんな状況で別の世界に翔ぼうなんて思わないだろうぜ。だから、あのとき能力を使ったのはお前の方だ。違うか?」


 そうだ。あのとき、俺は、心を閉ざして妄想の世界にいた。そしたら、自分のいる世界とこっちの世界がすーっと混ざって、いつの間にか状況が入れ替わってこっちにいたんだ。妄想が能力発動のトリガーなんだろうか。

 それからは、リキさんとシゲさんと俺で、どうなると俺が翔べるかを議論した。結論としてはこうだ。


 俺は、強く別の世界にいる自分のことをイメージ、妄想することでチェンジャーの能力が発動する。妄想しているうちに、そのイメージ:妄想がどこかのパラレルワールドとシンクロし、二つの世界の自分の心が入れ替わるのだ。


「で、どうする?」


 リキさんが真顔で聞いて来た。


「どうするって、何をですか?」

「元の世界に帰るのか、ここにいるのかってことだよ」


 そうか。そうだった。謎が解けてもそのままって訳にはいかない。メグミとの生活は楽しそうだが、元々それはこっちの俺の生活。入れ替わったのなら元に戻さないと。


「帰ります。帰りたいです。でも、帰れるでしょうか」


「やってみろよ。幸い、向こうのお前さんもアンカーにいるみたいだし、ちょうどいいだろ。まず銀のアンカーを思い浮かべて、そこにいる自分をイメージしろ。そしてリアルにシンクロしたら翔べ」


「やってみます」

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