二人のマンション

 店を出て、タクシーを拾い、メグミと住んでいるというマンションの前にやって来た。六本木の高層マンションだった。三十階はあるだろうか。


「社長ってすげぇな」


 夜の月の光に照らされる俺のマンションは、凛々しく堂々とそびえ立っていた。ぼうっと見とれていると「何やってるの」とメグミの声がマンションの壁にこだました。


 マンションの入り口に来ると、メグミがカバンからカードを取り出した。ICカード認証だ。さらに番号を入力する。─0723─、メグミの誕生日だった。良かった。カードが鍵なんて思いもよらなかった。きっと俺の財布にも入ってるのだろう。

 俺はカバンを持ってなかった。社長ともなると無駄なものは持たなくなるのか、スーツの左の内ポケットにスマホ、右の内ポケットにカードが十枚くらい入る札入れを持っているだけだった(それと右の外ポケットに謎の指輪ケース)。さっきメグミに「家の鍵」と言われたときに、俺は今日は鍵を持っていないんだと思っていたが、きっと札入れの中に入っているカードのどれかが家の鍵なんだろう。


 俺の暗証番号は何番だろうか?


「メグミ、俺の暗証番号覚えてる?」


 おかしいと思われようが何だろうが、とりあえず疑問点は解消していこう。そのためにここに来ているのだ。


「0723でしょ?二枚ともメグミの誕生日にしておいたからねって言ってたじゃない。番号変えたの?」

「いや。確認確認。メグミが覚えてるかなってね」

「変なの」


 そう言いながらメグミは楽しそうだ。俺の腕を引いてエレベーターに小走りで向かう。ドキドキした。ここのメグミにとっては恋人同士なんだから普通のことなんだろうが、俺にとってはすごいことだ。

 メグミが俺の腕を引っ張って歩いてる。幸せな気分だった。俺の世界のメグミとこうなれたら良かったのにと、さっきのメグミとタクトのことを思い出した。


 エレベーターに乗ると、メグミが腕をギュッと掴んでニコニコしながらこっちを見上げた。そして無邪気な様子で目を閉じた。


 キス?これはキスをせがんでるのか?


 どうしたらいい。いや、でも、こっちのメグミにとってはきっと普通のこと。普通にキスをすればいいんじゃないか?

 固まっていると、メグミがパチッと目を開け、少し睨んで、そして背伸びをして俺の頬にキスをした。そしてちょっと怒ったような恥ずかしそうな顔をして正面を向いてしまった。


 ほわっとした気持ちになった。なんて可愛いんだろう。やっぱりメグミは可愛い。そしてこっちの世界では、俺の恋人。なんて素晴らしいことなんだろう。


 ふわふわした気持ちでエレベーターを降り、俺の部屋の前に来た。やはりマンションの入り口と同じで、ICカードと暗証番号で入るようだった。

 部屋に入るなり、メグミは俺の首に手を回してキスをして来た。どうにも気持ちを抑えることができなかった。メグミは俺のことが大好きなんだ。俺もメグミが大好きだ。そのまま寝室のドアを開け、ベッドに飛び込んだ。


 ────────────────────


「ショウ、大変、寝坊したわ。遅刻、遅刻」


 メグミの大きな声で目が覚めた。

 なんでメグミ?そうか、昨日一緒に帰ってきて、そして……


 部屋を見回すと、八畳くらいの洋室で、真ん中にクイーンサイズのベッドが置いてあった。ベッドの両脇にはそれぞれサイドテーブルがあり、それぞれ白いシェードのあるテーブルランプが置いてあった。その他には何も無いシンプルなホテルの一室のような部屋だ。ベッドの向かいの壁は多分一面クローゼットだろう。壁は白。床とドアとクローゼットは、ローズウッド調の濃い茶色だ。


 部屋の観察をしていると、メグミがドアを開けて顔を出した。


「私、もう出るね。ショウはどうするの?まだ出ないの?」


 メグミはイヤリングをはめながら、顔がとても焦っていた。


「俺は……まだ大丈夫。もう少しゆっくりするよ」


 よく分からないのでそう答えた。


「そう。じゃあ行って来るね」


 メグミはバタンと家を出た。


 それに釣られるようにベッドから起き上がり、寝室を出た。寝室を出ると廊下で、左の奥には玄関。その両側に部屋があった。寝室の向かいにはバスルーム。廊下の右方向にはすぐドアがあり、そこを開けると視界が開けた。二十畳くらいの広い空間があり、その中に、オープンキッチンと四人くらいで座れるダイニングテーブルと、やはり四人掛けくらいのソファがあった。壁には五十インチくらいの液晶テレビ。シンプルだが、俺の好みの部屋だった。俺が欲しいなと思っている生活がここにあった。


「そりゃそうだ。ここは俺の部屋なんだもんな」


 きっと趣味嗜好が同じなんだろう。メグミが好きなのも同じ。だけど、ここの俺は社長でメグミの恋人なんだ。


 ブーンと音がした。ダイニングテーブルの上のスマホだった。見ると「松岡まつおかマユミ秘書」と出ていた。


 秘書?何だかまずい気がする。慌てて電話を取った。


『秘書の松岡です。社長、いまどちらですか?』

「まだ家に……」

『そうでしたか。いつもは八時前にいらっしゃるのに、今日は九時過ぎてもいらっしゃらないので、気になってお電話いたしました。体調がお悪いとかでしょうか』


 真面目な社長だ。いつもそんな早く会社に行ってるのか。どうしよう。乗っかって体調悪いことにして休んでしまおうか。どっちにしろ、会社の場所が分からない訳だし。


「ゴホン。風邪を引いたようなんだ。熱もあるし。今日は休んでも大丈夫かな?」

『承知しました。では午前の打ち合わせはキャンセルいたします。昨日のお帰りのときは、何か様子が変でしたものね。お大事になさってください』


 昨日様子が変だったのは、きっと指輪を渡すことで頭がいっぱいだったからだろう。まあいい。これで会社に行かなくても良くなった。謎解きに集中しなければ。昨夜はあんな風になってしまって何も聞けなかった訳だし。


「昨夜……」


 昨夜のことが蘇って来た。俺はメグミと一夜を過ごしたのだ。なんて素敵な出来事だったのだろう。俺の元の世界では、何もかもうまくいっていない。もういっそ、こっちの世界でずっと暮らしたらいいんじゃないだろうか。


 そう思ったら、急に不安が襲って来た。そうなのだ、俺はこっちの世界のことを何も知らない。どうしてこんなことになっているのかも分からない。そんな状態でこのまま過ごすなんてきっと無理だ。この状態を打開するには……そうだ、アンカーに行くべきだ。マスターは何か知っていた。


 居ても立ってもいられなかった。急いで支度をして部屋を飛び出した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る