第19話 アフロマン

「今まで一番良いライブだったな! なあ、聞こえたかよ! シルエットのサビ。歌ってくれてたよな。もう感動しすぎて、ドラムセットぶっ倒そうかと思ったぜ」


 学の言葉どおりだった。

 曲を覚えて来てくれたお客さん達がシルエットのサビを一緒に歌ってくれた。ギターソロ明けのボーカルとギターのアルペジオだけになるサビの部分だった。あんなに感動して、興奮した瞬間は本当に初めてだった。


 い~つ~もそばに~い~てくれ~た~あな~た~のシ~ルエット



 世羅は前回のライブと同じポジションをキープしていた。

 手を伸ばすと届きそうなくらいの距離から、世羅は手を振り大きな声で歌ってくれた。

 マスターが録画してくれたこの日のライブ映像を僕は家で何度も繰り返し見た。

 画面の中で歌っている僕は僕じゃないみたいだった。

 僕はただただ画面の中の自分に釘付けになった。




 ライブの翌日、寒すぎるベンチでの会話にギブアップした僕らは赤煉瓦倉庫街の中にある焼きドーナツが売りのカフェへと逃げ込んだ。

 先月オープンしたばかりだというのに店内はガラガラだった。

 僕はカフェオレとサツマイモを練り込んだドーナツを二つ注文し、世羅はイチゴバナナと抹茶のドーナツを注文した。

 世羅はドーナツを五分の一くらいにちぎり口に運んでいた。

 ドーナツをちぎって食べるところを見たのは初めてだった。


「うん? なに?」


「ん?」


「なんで、そんなに見てるの……。食べにくいでしょ、そんなに見られたら」


「ちぎって食べるんだなって思って」


「別に良いでしょ! 人の自由でしょ、どういう食べ方したって」


「まあ、そうだけど……」


「あっ、みてみて。真樹君。今、お店に入ってきた人、すごいよ」


 世羅は僕の方へと体を寄せ、口に手をあて小声で言った。

 僕は振り返り、カウンターを見た。


 !?


 …。


 ……。


「あの髪の毛、どうやってるんだろうね」


 ………。


「アフロだよね、あれって。初めてみたかも」


 …………。


 僕はゆっくりと、世羅の方へと向き直った。


「ボンバーって感じね」

 世羅は両手で口を覆いくすりと笑った。


 後ろから靴音が聞こえた。

 世羅は体を起こしストローに口をつけた。

 カチャン、とテーブルにトレーを置く音が聞こえ、それから椅子を引く音がした。

 どうやらここで、一休みするらしい。


 バンっ! カタン。


 !?


 物音に振り返ると、メニューを落とし床に手を伸ばしているアフロマンと目が合った。


 僕は頭を下げて無言の挨拶をした。

 アフロマンはアフロをテーブルの角に突き刺しながら、「おう」と小さく言った。


「こんなところで会うなんて奇遇だな」

 アフロマンはイチゴジュースを持って僕らの隣のテーブルに移動してきた。


「彼女?」

 僕と世羅を順番に見て、アフロマンはにやけて言った。


「いや、そんなんじゃ…」

 僕は手を振った。


「いいって、いいって。恥ずかしがるなよ。お前はあのリズム組とは違って真面目だからな」

 アフロマンは一人勝手に納得したように大きく頷いた。

 アフロがゆさゆさと揺れた。


「本当に…違うんですって……。ねえ」

 僕は世羅に視線を送った。


「ええ。あの、私達は友達で…」


「大丈夫だって。それ以上は何も言わなくていいって。大丈夫、大丈夫。真樹、紹介してくれよ、俺のこと。このままじゃ、怪しいアフロって思われちまうだろ」


 今更する必要はなかったけれど、僕は世羅にアフロマンを紹介した。


「あっ、はい。真樹君から何度かお話ししてもらったことがあります。レコーディングのときとても親切に色々と教えて頂いたと」


 世羅、ありがとう。

 僕は心の中で感謝した。

 実際は、アフロマンのアフロがどれだけ目立って、揺れるのか、それについての話しばかりをしていた。

 そしてその度に世羅は大笑いをした。


「別に親切とかじゃなくて、こいつらまだ高校生なのにチャレンジ精神っていうか、熱がすげーあるから、見ているだけでも面白いんだよ。それで、ついつい余計なお世話っていうかな、なんかそんな感じで」


 そう言いながらも、アフロマンの顔は綻んでいた。


「ほんと、おもしれえんだ、コイツら。人柄もそうだけど、音楽もな」


「ありがとうございます。そう言ってもらえて嬉しいです」

 僕は礼を言った。 

 そして、間近で見るアフロが気がかりで仕方がなさそうにチラチラとアフロに視線を送っている世羅のことをアフロマンに紹介した。


「へえええ。星愛。ほおぉぉう。星愛の女の子がバンド好きだなんて意外だな。俺が高校生の頃は見たことなかったけどな、星愛の子なんて」


「バンドが好きっていうか、スティールが好きなんです。曲も歌詞も歌も演奏も」

 アフロマンはイチゴジュースを一口飲み、そしてしみじみと呟くように言った。

「愛だな、…愛」


 僕は何も言わなかった。もう何を言っても無駄なような気がした。

 世羅も同じ考えだったのか、何も言わずにイチゴバナナを飲んでいた。


 


 六時になり、土産物屋の前で世羅を見送った。


「それじゃ」

 世羅は頭を下げ、それから小さく手を振った。


「それじゃ」

 僕は言った。


「それじゃな」


 ……。


 アフロマンも言った。


 アフロマンはずっと僕らの隣で話しをしていた。

 世羅の姿が見えなくなると、アフロマンは僕の横腹を突いた。

「可愛い彼女じゃねえか。しかも星愛かよ。やるな、お前も」


「だから…、違うんですって」


「何が違うんだよ。照れてんじゃねえよ」


 僕はアフロマンに説明した。

 ライブハウスで僕らを見て、気に入ってくれた子で、今では親しい間柄になったけれど別に彼女なんかじゃない。それに彼女は今年いっぱいで東京に転校する。

 もちろん夢のことは話さなかった。


「転校か。そうか。それは辛いな。それにもう時間もそんなにねえな。そんじゃコクれよ。何もいわねえで離れちまったら、後で絶対後悔するぞ。絶対」


「コクれよって…。さっきも言いましたけど…俺は」

 アフロマンは僕の言葉を遮った。

「お前、好きなんだろ。あの子のこと」


「…なんですか、いきなりそんな…」


「じゃあ、好きじゃねえのか?」


 僕は黙った。


「好きなんだろ」


「…………」


「ほんと、シャイな奴だな、お前は。じゃあ、好きなら何も言うな。黙ってろ」


 逃げ切れる相手ではない…。

 僕は観念した。


「…………」


「おっし! オッケー。そういうことだな。そういうことなら何も言うな」


「……」


「わかった、わかった。俺も協力してやる。時間もねえんだ、急がねえと」


「…ええ? いや、いいですよ。大丈夫です。協力とかそういうのは」


「いいか、人生の先輩として言う。ここでお前がただ彼女を見送るようなことしか出来ねえんなら、お前はぜっっっったい、後悔する。正直で真っ直ぐな恋なんてな、お前らみたいな年のときにしかできねえんだよ。とにかくいいか、コクれ。俺がアドバイスをしてやる。無理矢理にでも良いシチュエーションを作ってやる。だから安心しろ」


 そんなこと言われて安心なんか出来るわけがない。

 不安不安不安。不安の文字が頭の中を埋め尽くしていた。


「それじゃ、まずはだな」


 ん?


 アンパンマンのテーマ…?


「誰だよ、こんなときに」


 アフロマンはジーンズのポケットから携帯電話を取りだした。


「はい。…あっ、はい。ええっ! 今からですか? 今はちょっと…。あぁ、そうなんですか。っと、それじゃ、今からだと三十分くらいかかるんですけど。ああ、はい。わかりました」


 携帯電話を閉じると、アフロマンは舌打ちした。


「なんだよっ! なんの気が向いたかしらねえけど、休みくれるっていうからこうやってのんびりしてたのによ。今から来てくれだってよ、スタジオに。急用出来たんだってよ、店長。タイミングわりいな本当に」


 僕にとっては絶好のナイスタイミングだった。


「また、今度だな。スタジオに来たときでもな」


「あっ!」


「どうした?」


「実は、メンバーは知らないんです。彼女のこと。だから、メンバーにはまだ言わないで欲しいんですけど…」


 ほんと、シャイな奴だ。アフロマンはそう言ったけれど、わかった、わかった、とアフロを揺らした。



 残り一月半。

 世羅と過ごせる時間はもうそれほど残ってはいない。

 確かに、僕は彼女のことが好きだ。

 けれど、しかし、でも、だからと言って告白しようなんて考えは全くなかった。

 高校卒業し、バンドで上京して、そのときまた会えるのだから、そう思っていた。

 でも、しかし、けれど、卒業までの間に何が起こるかわからないのも事実。

 もしかしたら、僕らはもう会えないかもしれない。

 明日のことはわからない。

 僕らの出会いが唐突だったように。


 う~ん。


 どうすればいいのか。どうすることが正しいのか。

 揺れる木の陰にアフロマンのアフロを思い浮かべながら、僕はゆっくりと家へと向かってペダルを回した。 

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