#4

「なぁ、ちょっといいか?」


 その日の昼休み、俺は板倉に声をかけられた。

 俺はちょうどお弁当を食べ終え、片付けをしている最中であった。


「どうした?」


 俺が板倉にどのような用事なのかを尋ねると、


「ここじゃあれだ、ちょっと廊下に出ようぜ」


 板倉は周りを気にしているようで、俺はその言葉に従うことにした。

 昼休みの廊下は、授業終わりでロッカーに教科書などを取りに行く人たちで賑わっているわけでもなく、ただ閑散とした雰囲気を漂わせていた。

 板倉は、廊下にある窓を開ける。そこからは涼しい風が立ち込んできて、俺の火照るような暑さを和らいでくれる。窓を開けてから、板倉はこちらを見ずに外を見つめていた。その空は、水彩画で書かれたような、すべてを包み込むような青さ、そして、黙々と佇む雲が、俺たちの様子を表しているようだった。


「あのさ、今日の放課後、教室に来るようにってあいつに言われたんだ」


 板倉が話すことを、俺はただただ聞いていた。あいつとは、幼馴染のことを指しているのだろうと、直感でわかった。板倉は俺が喋らないことを察すると、口を開いた。


「お前はさ、知っていたのか?」

「――知っていたって、何をだよ」


 俺は苛立ったような声で質問を返した。俺はその質問の意図を知っているというのに。


「今日、俺はあいつに呼ばれることを」

「――――あぁ」


 俺がそう答えると、板倉は「そっか」と呟き、静かに外を眺めていた。板倉は俺の苛立ちを咎めることなく、紳士のように尋ね、その答えを受け止めてくれた。やはり、俺とこいつは違う。その違いこそが、あいつが板倉を気に入った要素の一つなのであろう。


「なぁ、お前はそれでいいのか」


 板倉は唐突に尋ねた。彼が指し示す『それ』は、何を意味しているのだろうか。彼は俺が理解できると思って、そう言葉にしたのだろうか。俺は彼より賢くはないし、俺は彼の考えをすべて理解できるわけでもない。でも、彼は俺の気持ちを汲み取ってくれていることを知っている。彼は俺の知らない感情の答えを知っているのだろう。

 俺は問題の解釈を試みようとしたが、思考するより先に感情が回答を急がせた。


「いいに決まってるだろ、俺はずっと応援していたんだ」


 その言葉に、一種の悲壮さが含まれていたことを俺は気付いていなかった。

 板倉は驚いた表情をして、こちらを向いた。


「お前、それ、本当に言っているのか」

「本当も何も、これが本心だよ」


 またしても、感情が先走る。俺は自分自身が冷静でいられなくなっていることを理解している。でも、このことになると、抑えを働かせることができないことを、抗いたくないことを、本能的に察していた。

 板倉はその発言を聞くと、大きなため息をついた。


「俺さ、今朝方お前に話したじゃん。答えは簡単だって」

「あぁ、そんな話をしていたな」


 ため息の次に、突然の話題を振ってきたことに対して、俺は相槌をつくことしかできなかった。

 それでも、板倉は何らかの意図を持って、話を進めているようだった。


「お前、本当に気付いていないのか?」

「その答えっていうものが、何であるかなんて、俺にはわからない」


 そう、板倉が指す答えが何であるのかなんて、俺にはわからない。そして、理解したくもない。

 もし、その答えを知ってしまったのであれば、もう、後戻りはできないから。


「お前なぁ、気付いていて、そう答えているんだったら、質悪いぜ」


 板倉が軽蔑するような視線で俺を見つめる。俺はその視線に動じず、


「俺の性格が捻くれていることは、知っているだろ?」


 このときの俺の表情は、どういう顔をしていたのだろうか。きっと、無愛想で捻くれている者の顔だったのだと思う。

 板倉は俺を見つめて数秒、頭を掻いて、おもむろに開けていた窓を閉め切る。


「あぁ、わかったよ。お前がそういう奴だってな」


 板倉は教室には向かわず、廊下の先に向かって歩き始めた。

 俺の横に並んだ時に、彼は小さく、俺に聞こえる声で呟いた。


「後悔だけは、絶対するなよ」


 彼の後ろ姿は大きく、俺は彼を見つめることしかできなかった。

 ふと、頬に触れる熱い何かを感じ取る。俺はそれを拭うと、何もなかったかのように教室に戻った。


 教室に戻ると、風にようにこちらに向かって走ってくる幼馴染の姿が目に入った。


「ねぇねぇ、何のお話していたの? もしかして私のこと?」


 彼女は目を輝かせながら、俺に尋ねてきた。


「まぁ、お前のことって言えば、お前のことだよ」

「どういうこと? どういうこと? 教えてってばぁ〜」


 幼馴染は俺の腹に肘を入れて、ぐりぐりと衝撃を与える。

 俺はその肘を追い払い、どのように答えようかと考えた挙句、


「放課後にお前に呼び出されたことを俺に聞いてきただけだよ」


 俺は実際にあったことを伝えた。それ以外に俺自身に纏わる話を除いて。


「あー、そうだよね、そうだよね。急に呼び出されたりしたら戸惑うよね……うん、失敗失敗」


 彼女はこの言葉の中で感情の起伏を顔で表現しつつ、最後には立ち直っていた。それはとても彼女らしいと思ってしまった。


「まぁ、別に気にしている素振りとかなかったから、大丈夫だろ」

「本当にそうなのかなー? まっ、その大丈夫っていう言葉を信じることにしますか!」


 幼馴染はあっけらかんと俺の背中を二、三回叩く。俺はその手を取り払おうと彼女の手を掴む。そして、俺は気付いてしまった――彼女の手が震えていることに。

 彼女は俺の掴んだ手から抜け出し、その手を両手で握りしめる。


「実はね、今もめっちゃ緊張してるんだ」


 彼女は笑顔でそう言う。でも、その手は小刻みに震えている。

 俺は震えている手にもう片方の手を添えた。彼女の手は繊細で、きれいで、きめ細やかな肌をしていた。これに力を込めてしまうと、壊れてしまいそうだったが、俺は震えを止めるべく、力強く握ってあげた。


「緊張してるなよ、お前らしくもない」

「ははっ、やっぱりそう?」

「でも、緊張するものは仕方ないよな」

「そうだよ、仕方ないじゃない」

「俺はいつだって、お前を応援している。支えてやるから」

「うん、キミの言葉を、私は信じるよ」

「頑張れ。お前らならやれる」

「頑張るね。あなたが応援してくれるから」


 その言葉を聞くと、俺は彼女の手の甲を思いっきし叩いてやった。教室に軽くパチンっという音が響く。


「〜〜〜〜っぃたーい!」


 彼女は叩かれた手をひらひらと冷やすように振り回す。


「うん、それだけ元気があれば大丈夫だな」

「これって、キミが叩いたせいだよね!?」


 幼馴染は俺に攻め寄ってくる。そんな幼馴染を俺は軽くあしらう。

 この関係がずっと続けばいいなと、心の底で願っていた。

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