037. 窮地

 外気に晒されながら、ガルドは矢継ぎ早になされる報告を聞いていた。乾燥したアレグザの風が、彼の外套の裾をはためかせる。

 部下の一人が、野戦用の簡易な椅子を用意したが、彼は使おうとはしない。


「南正面では三十八名を拘束、内六名は死亡しました。まだ増える模様です」

「中に侵入者はいたか?」

「いえ、全てゾーン住民と思われます。数名が遺物で武装しており、兵に八名の重傷者が出ました」

「煙幕を張られては、無傷で対処はできんか」


 侵入者は南東を脱出ポイントにしたのだろうと、ガルドは警笛が鳴った方角に視線を移す。


「他の住民を、陽動に使ってくるとはな……」


 侵入者を手引きする住民がいるのか。それとも、住民に侵入者が取り入ったのか。

 自分が相手にする者たちを、彼は限られた情報から想像してみる。住民の懐柔に長けた諜報員、或いは戦闘慣れしたゾーン住民といったところだろうか。


 内部からの情報では、未知の術式で攻撃してくる男が報告されている。男は“操術士”として、要警戒対象に指定した。

 魔弓使用者と操術士、この二人への対抗措置が狙撃班だ。

 南東地点から、伝令が駆け来る。


「南東への敵は六名を確認、内一名を捕縛!」

「敵の詳細は?」

「確認できたのは、リザルド族が一名、魔弓使用者が一名です。捕らえたのは、言語を解しない住民でした」


 それは操術士ではないと、ガルドは断定する。侵入者と連携するには、意志疎通が必要なはずであった。


「我が隊の被害は、死亡者が十八名、負傷者が二十名です。敵の被害は不明ですが、狙撃班の攻撃が魔弓使用者に着弾しています」

「大型術式を使用されたのか?」


 被害の大きさに、ガルドは操術士の攻撃かと予想する。


「いえ、魔弓とリザルドの戦輪による被害に因るものです。確保者以外の五名は、ゾーンへ撤退したと思われます」


 突破されなかっただけ僥倖ぎょうこうとするべきだ。敵の戦闘力は、一般兵が相手にするには高すぎたようだ。


「各隊は、引き続き障壁防衛に当たれ。狙撃班はゾーン境界まで進み、要警戒対象者の排除を試みよ」

「ゾーン内部への攻撃は許可されますか?」

「構わん。だが、内部への立ち入りは禁ずる」

「はっ!」


 報告に来た兵は敬礼すると、足早に現場への伝達に向かった。

 その後、ガルドは捕虜の扱いを伝え、各隊への指示を終える。本部付きの連絡員たちが、各所へ散っていった。

 横で聞いていたクラインに、彼は意見を求める。


「操術士は、なぜ術式で攻撃して来なかったと思う?」


 その攻撃が彼の最大の懸念であり、追撃を指示しなかった理由だった。


「……使用回数に制限があるか、咄嗟に使うには難がある、でしょうか」


 そのどちらもが正解、も有り得る。


「操術士の攻撃は、限定的だ。遺物は敵が扱うにも、厄介な代物なのかもしれん」


 ガルドは本部テント内へ、踵を返した。

 操術士はゾーンの出身でほぼ確定してよいだろう。とすれば、ゾーンから脱出しようとするのは自然な流れである。

 では、魔弓を使う者の目的は何だろうか。

 フィドローンの関係者であるのは間違いない。三叉の魔弓など、王国の象徴そのものだ。

 単騎で侵入して来たというなら、最重要任務を任せられるほどの優秀な人物ということ。尋ねたいことは山ほど有り、生きて捕まえられれば最上だが、もっと優先すべきなのは遺物。

 ゾーンの遺物は、決して王国へ渡してはいけない。


「侵入者への包囲線を押し上げる。地図を見て話そう」


 ゾーン対策部隊司令とその主席参謀は、一旦、天幕の中へ戻って行った。





「お前ら、もうちょっと丁寧に扱えよ」


 誰も聞いてはいないが、山田は周りの兵に不平を漏らす。

 兵には得体のしれない呪詛にしか聞こえないのだから、待遇改善は望むべくもない。


 自転車ごと落とし穴に嵌まった直後、土砂が彼を覆ってしまう。天然の拘束に、山田は身動きが取れなくなった。

 兵が三人がかりで引きずり出した際に、ようやく彼の顔の前が開け、仲間に叫ぶことができる。

 酷い打ち身で、あちこち内出血が青痣を作っているが、骨折はしていないようだ。


 捕まった直後は縛り上げられ、猿ぐつわをされた状態で堀に放置された。

 逃げ出そうと芋虫のようにもがいていると、移送用の兵が現れる。

 改めて後ろ手に縛られ、堀から引きずり上げられた時の彼のセリフが、先の不平である。


 腰紐を巻かれ、引っ張られて行った先には、地球の遊牧民が使うような大きなテントが三つ並んでいた。

 ゾーンからは距離があり、街の方角に見えるのは暗い影だけだ。


っ!」


 蹴り入れられたテントの中には、脱出を試みた他の住民たちがいた。

 皆、両手に枷をはめられ、太い横木に繋がれている。テントの内外に数名ずつ警備兵がおり、槍で武装した彼らが、住民の監視役だった。


 山田も手枷にはめ替えられ、入口近く、住民の右端に追加される。

 ここに連れてこられた住民は、山田も含めて十八人。横木は二本あり、向かい合う二列になって座らされた。


「あなたたちも、脱出できなかったのね」


 隣に縛られていた女が、山田に話かけてきた。マンション駐車場で、涼一に質問していた女性だ。三十歳前後くらいに見える。


「ダメだったよ。涼一たちは、捕まってないみたいだけど」


 彼はヤレヤレといった感じで、頭を横に振った。


「一緒にいた娘さんは?」

「娘じゃないわ。私、これでも若いのよ?」


 普段から、年上に見られるのには慣れてるようで、うんざりと言う顔だが、気分を害した風でもない。

 目にはくまができており、転移後、眠る時間を惜しんで逃げてきたことが分かる。


 彼女は中島恵、伏川町北部にあるパッケージ制作会社に勤めていた。経理を担当し、まだ独身だと紹介される。

 避難中に親を亡くした子に出くわし、マンションまで手を引いてきたらしい。子供は別のテントに収容されるのを見たそうだ。


「捕まったけど、殺されるよりはいいわ。ここの連中は、街の兵とは違うみたい」


 彼女の言葉に、山田の正面の男が口を挟んだ。


「抵抗したやつは、殺されたけどな」


 ギガカメラの店員、神崎だ。

 佐藤を慕う後輩として、これまでやってきたが、電機店店員にはキツい三日間だった。元々痩せぎすの彼の風貌が、憔悴した様子を強調している。

 弾を切らし、素手で殴りかかるのが精一杯だったのが、逆に彼の命を長らえさせていた。


「なあ、山田くん、だったな。君の知ってることを全部教えてくれないか。どうせここじゃ、話すしかできない」


 皆の視線が、山田に集まった。

 噂や推測は飛び交えど、本当は皆、何も分からないのだ。事情を少しでも知ってそうな山田は、彼らに期待を持って見つめられた。

「俺だって、何がなんだか……」

 山田は皆の顔を見回し、看守役の兵士の様子を窺う。彼らが好きに話していても、特に気に留めてはいない。


「分かった、知ってることを話すよ。順番にね」


 彼は、ゾーンと呼ばれる転移地について、涼一たちから聞いた知識を話し始めた。





 とりあえずの山田の無事を、涼一たちが知る術は無い。アカリと若葉が何か言おうとしては、また口を閉じていた。

 彼らはハイツではなく、伏川神社近くへ帰還した。


 消火の術式のお蔭で火災が小規模だったため、この辺りには比較的平穏な街の景観が残っている。

 昼までに焼け落ちていた家屋を除けば、火炎弾での新しい被害は少なかった。


 皆は各自のバッグを開け、回復薬を並べる。

 マキローが一本に、小さな塗り薬メンソームが数個、それで全て。

 レーンは妹のために集めた薬をまだ持っていたが、自分に使おうとはしなかった。彼女の来た目的を考えると、それは最終手段だろう。


 一番怪我の酷いレーンの右手から順に、矢傷へ回復の術式を発動させていく。

 元々回復力の強いヒューは、すぐにアカリと同じくらいには動けるようになった。

 薬を使い切るまで治療を施したものの、レーンの回復具合が芳しくない。

 涼一は彼女の顔色を窺いつつ、右手を動かしてみるように言う。


「痛むか?」

「痛みは我慢できる。問題はこれね」


 彼女は腰から、フレームの曲がった魔弓を抜いて見せた。


「回収こそしたけど、直さないとまともに撃てないわ」


 レーンの魔弓が最も頼りになる攻撃手段だっただけに、この損失は痛い。

 遺物と目される所持品は、発炎筒が残り二本。

 トイランド産の磁石と花火。

 コンビニ産の化粧水に蚊取り線香。

 他にも細々と持ち出してはいても、使ってみないと効果が怪しい物ばかりだ。

 家捜しできる暇があれば、電池くらいならまた見つけられるだろう。但し、その暇があるかが怪しい。


「あの防衛体制は、外周全部にあると思うか?」


 涼一の問いに答えたのは、ヒューだ。


「南半分は、そのつもりで考えた方がいい。北まで手を回す余裕があるか……。だが、北は征圧部隊が内部を押さえてるぞ」


 あの陣形、最初の歩兵線は抜き得ると、涼一とヒュー、そしてレーンの見解は一致する。

 次の弓兵が厄介だというのも同意見で、三人は取れる手立てを考えた。


 磁石? ――いや、戦輪や仲間の荷物までくっつけてしまう。

 電池? ――自分たちも通れなくなる。

 仮に堀を抜けることに成功したにせよ、あのレーンを狙った矢から逃れるのはさらに難しい。

 掃射された矢と違い、あの青い矢は軌道を曲げて確実に魔弓を狙って来た。


「征圧部隊を避けて、北に行けないか調べよう」


 涼一の指が、住宅地に囲まれた木立に向けられる。


「神社の社から少しは見渡せる。敵に見つかる前に、あそこまで移動だ」


 荷物を担ぎ、再び五人は歩きだした。






 伏川神社は南側に参道口があり、石段を登った先に本殿と社務所が建っている。

 小高いと言っても、大人が普通に登って息切れする程ではない。

 参道と本殿は木々に囲まれており、太いけやきの樹が神木としてやしろの横に立っている。


 昔はいくつも寺社が立ち並ぶ街だったそうだが、今の伏川町では唯一の参拝場所で、自然が残されているのも北の市民公園とここくらいのものだ。

 田畑や養蚕場があったという昭和初期までの風情は、すっかり無くなっていた。


 木立のせいで、決して見晴らしがいいとは言い難いが、そこはリザルドの諜報員の出番だ。

 征圧部隊はマンション前に集合しているらしく、神社近辺に兵の姿は少ない。それでも、哨戒する兵は散見される。

 五人は家屋の陰に隠れながら、参道を目指した。


 参道口のすぐ西横がハイツに通じる道で、神社ルートと呼んでいた場所だ。

 涼一の電池のトラップはもう消えかけており、程なく兵の行軍経路として使われるだろう。

 涼一が罠発動時に隠れていた家の近くまで来ると、路上に兵が二人立っている。このまま参道に向かえば、察知される可能性が高い。


「私が行こう」


 ヒューがクナイのような物を、腰のベルトから抜いた。涼一の視線に気づいた彼は、武器の名を教えてくれる。


投擲とうてき矢、暗殺用だ」


 両手に投擲矢を握り、ヒューは民家の屋根へスルリと登っていった。


「すごい……」


 アカリが彼の身のこなしに驚嘆する。

 確かに、人間には真似できない跳躍力だ。それ以上に、それだけ大きな行動をしながら大きな物音を立てず隠密に動けるのは、高度な訓練を受けた証であろう。

 目で追うのも大変な彼の身のこなしに、「忍者みたい」と若葉が感想を漏らす。


 まだ無事な家屋を選び、ヒューは兵たちの死角へと屋根を跳び移っていった。さっきまで身体中に穴が空いていた者とは、とても信じられない動きだ。

 最後の屋根で大きくジャンプした彼は、兵の後ろへ静かに着地する。


 うなじに深く刺さる投擲矢、と同時に、もう一人の兵の喉元へ矢を投げる。

 二人の兵は同じタイミングで、地面に崩れ落ちた。トドメを刺さずとも、もう二人はピクリとも動かない。


 離れて見ていた仲間へヒューが手招きして、戦闘終了を伝えた。

 参道口まで進み出た涼一たちに、彼は念を押す。


「あの兵たちには、すぐに交代が来るはずだ。あまり余裕はないぞ」


 伏川町は、もはや敵陣中だった。いつ警笛を鳴らされてもおかしくない。

 先を急ごうと石段に足を掛けたレーンを、涼一が呼び止めた。


「肩を貸そうか?」

「大丈夫……いえ、つかまらせて」


 自分から申し出たことながら、彼には少し意外に映る。それだけ彼女の怪我は酷いのだろう。


「若葉は瀬津を頼む」

「任せて」


 若葉が親指を立て、アカリに肩をつかまらせる。よし登るぞ、そう涼一が言いかけた時、今度はヒューが彼の名を呼んだ。


「リョウイチ……」

「どうした?」


 何かを口ごもるヒューに、涼一も怪訝な顔を向ける。


「いや、大したことじゃない。リョウイチは、術式の発動は慣れてきたのか?」

「うーん、どうだろう……。磁石の時は、上手く行ったな。まだ自信は無いよ」

「そうか」


 質問の意図はつかみかねるが、一応の会話の終わりをもって、改めて涼一が皆を促した。


「さあ、行くぞ」


 転移以前から外灯は無く、昔から変わらぬ闇の中に石段が続く。

 その参詣道を、彼らは黙々と登って行った。

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