006. サークルエイトにて

 観音開きのガラスドアを開け、涼一はコンビニの中に走り込む。

 少女はカラスを警戒しつつ、後ろ向きに滑り込んできた。


 ドア近くの飲食コーナーにある机や椅子を引きずり、扉の前に乱雑に積み上げる。バリケードと言うには余りに頼りないが、無いよりはましだ。

 少女は涼一から離れ、無人のコンビニ内を歩き回り、敵がいないかを確かめている。

 涼一は荒れた息を整えつつ、カウンターの奥に呼びかけた。


「誰かいますか?」


 あまり大きい声ではない。得体のしれない“カラス”に聞かれるのが嫌なのだ。

 返事は無く、みんな逃げたのかとも考えたが、理由をすぐに思い知らされる。暗がりの中、彼女と同じく店内を回った涼一は、客が二人、制服の店員が一人、床に倒れているのを発見した。


 彼らを放置するには気が引けるので、涼一はせめて店の隅に並べて横たえることにする。

 遺体を引きずるのは骨が折れる作業だったが、少女に手伝う気はないようだ。


 外からは未だカラスの鳴き声が聞こえ、加えて、くぐもった爆発音も続く。音はそこら中で発生しているようで、距離も方角もはっきりしない。

 作業を終えた涼一は、この緊急事態に使えそうな用具を探すことにする。咎める人もいないことだし、商品を拝借させてもらおうと物色を開始した。


 この状況でまず欲しいのは、やはり明かり。何を探すにしても照明が必要だが、カウンターの奥で苦労して見つけた店舗の照明スイッチは、どれも反応がなかった。

 となれば商品に照明関連の物があったはずだと、扉側から順番に棚を辿っていったところ、目当ては簡単に見つかる。

 ドア近くの日用品コーナーに、キーチェーンに付ける小型ライトがあった。


 包装を破り、ライトのスイッチを入れれば、強い光が店内を照らす。

 強すぎる。小型ライトの光量ではない。パチパチと電気の弾ける音までして、涼一の不安を掻き立てるが、スマホと違って持てないほどではなかった。


 彼の点けた光を見て、少女が横にやって来る。スイッチを切ってライトを差し出すと、銃を腰のホルダーに戻し、彼女はライトを慎重に受け取った。自分用には、新たにもう一つ同じ物を商品棚から取る。

 少女がライトを顔の前まで持ち上げたり、軽く振ってみたりと怪訝そうなのを見て、涼一は使い方を実演してみせた。


「見ててくれ、ここがスイッチだ」


 何度か、電灯を明滅させる。スイッチを押す度にビリッと来るが、幸い着火したりはしない。

 動作を真似た少女は、問題なくスイッチを操作した。おそらく軽い電撃が彼女にショックを与えているだろうに、特に態度には出さず、涼一の顔を見据えて軽く頷く。


 ――分かったって意味だろうな。


 日本人でないことが明白な少女に、一般的なコミュニケーションが通用するのか、彼は少し疑問が湧いた。頷く仕草が、彼女にも同じ意味であることを願う。


 ライトの光量は直視できないほどの明るさだったので、カウンターに置いて利用することにした。店内に向けておけば、それで十分な照明になる。

 カラスたちを刺激するようなら、すぐに消すつもりだったが、特にこちらに向かってくる気配はなかった。


 少女は受け取ったライトを使わずに、背負ったバッグにしまい込む。

 明るくなると、彼女の顔も先程よりしっかりと見える。

 歳は高校生くらいだろうか。幼さは残るが、美人なのは間違いない。ハッキリとした目鼻立ちに、鋭い知性も感じられる。


 ――山田あたりは、好みだって大騒ぎしそうだな。


 お調子者でうるさかった高校の同級生を、こんな妙なタイミングで思い出した。

 ホッとしたせいか、のんびり昔の記憶を辿り始めたくもなるが、そんな現実逃避をかぶりを振って追い払う。化け物連中が外にいるのに、悠長にしている場合ではないだろう。


 ただ、涼一は知るはずもないことだったが、“カラス”グライの脅威は激減している。

 夜に群れて狩りをするグライたちは、基本的には屋外の獲物しか狙わないのだ。多少の木陰なら飛び込んでくるものの、巣穴までは襲わない。

 それに加え、グライたちは光を嫌うため、ライトの明かりは恰好のカラス除けになっていた。


 少女が少し余裕を取り戻したのは、その習性を知っているからだったものの、これもまた涼一には預かり知らないことだ。

 涼一の顔を正面から見据えた少女は、ゆっくりと自分の顔に指を向けて告げる。


「レーン」

「……レーン?」


 彼は聞き取れた単語を繰り返す。


「レーン」


 少女が大きく頷く。


 ――ああ、自分のことか。彼女の名はレーン。


 今度は涼一が名を教える。


「リョウイチ」

「リョウイチ?」


 涼一が頷く番だ。

 レーンは納得した様子で、再び店内を見回り始めた。

 名前だけでも分かれば、彼女を呼び寄せるくらいは出来る。必要最低限のコミュニケーションは、成立したということだろう。


 必要な物はまだまだあると、涼一も店内の探索を続けることにした。




 コンビニにはそれなりに物資はあっても、いつまでも居座るのは不安が残る。物色中も、彼は明朝以降の行動に頭を悩ませた。


 真っ先に心配したのは、妹の若葉の所在だ。

 叔父の家は隣の市にあり、涼一と同じく伏川高校に通っていた。ゴールデンウィーク中は友人と遊ぶと言っていたので、この不可解な災害に巻き込まれている可能性もある。


 ――やっぱり当初の予定通り、高校に向かおう。災害時の緊急避難所にも指定されているからな。出発は明るくなってからか。


 そこまで考えて、涼一は首を捻ることになる。


 ――“明るく”? 伏川駅に着いたのは、真昼のことだった。今はどう見ても夜だ。よほど長時間倒れていたのか、それとも……


 答えの出ない疑問を、彼はひとまず置いておく。


 ライトの次は、当座の食糧の確保だ。飲料水も運びたいが、かなり重くなってしまう。

 生存者がいれば、コンビニは真っ先に荒されるだろうし、このまま残して行けば食料や水はすぐにからっぽになるはずだ。

 自分勝手かもしれないが、涼一は、物質のいくらかを隠しておくことに決めた。


 カウンターの奥、調理場のさらに先を探索すると、従業員用のロッカーが並んでいる。

 ロッカールームでは店員の遺体をまた一体見つけ、彼はうんざりしながら部屋の隅に移動させる。


 ロッカーの中身を外に全て出して空け、そこに水のペットボトルと保存食を運び入れた。

 ロッカーには名札のプレートが嵌めてあったが、涼一は敢えて見ないように視線を逸らす。さっきから運んでいた遺体の名前など、知りたくもなかったからだ。


 死臭の中、食欲などあるはずもないが、無理にでも食べた方がよいのは涼一にも分かっていた。明日からは、とことん体力を消耗するかもしれない。

 日持ちのしなさそうな物は、今日の食事にしようと考え、彼はぬるくなっているサンドイッチに手をのばす。


 レーンの分も用意して差し出すと、首を横に振って受け取らなかった。

 水くらいは、とペットボトルを渡しても、しばらく調べるように眺めた後、これも押し返してくる。


 諦めて独りで食べ始めた涼一を見て、レーンは自分の革のリュックから、干し肉のような物を取り出す。食事に付き合ってはくれるようだ。

 彼女はひとしきりワイルドに肉を噛み下すと、次は泥を固めたような小石を取り出し、両手ですり潰す。

 お椀の型に合わせた手の中に水が溢れ、彼女は平然とそれを飲んだ。


 ――どういう原理だ、それは?


 涼一がレーンの不思議な食事風景を眺めていると、彼女の脇腹が酷く血に染まっていることに気づく。彼の服装も、いつの間にか血まみれだが、自分の血ではない。

 レーンのそれは、中から滲み出たものとしか思えなかった。

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