004. 出会い

「守備隊十人がかりで止められんとは、何の冗談だ」


 少女の走り去った方向を睨み、帝国の魔導兵ヴェルダは憎々しげに唸る。操魔の槍を投擲するよう仲間に指示したのも、最後の槍をレーンに掠らせたのも彼だった。

 隣に立つ兵が、独り言のようにつぶやく。


「フィドローンの悪魔……」

「はあ? ありえんだろ」


 王国侵攻戦で恐れられた悪魔の射手は、講和直後に捕らえられ、処刑されたと聞く。しかし、工兵をまとめて葬るかすんだ影は、確かに、死神の所業を思わせた。

 揺らぎのローブの効果は、再びレーンを闇へと紛れさせ、もはや兵の視力では捉えることができない。


「ゾーンから生きて帰ってくるかな?」

「本当に死神なら、きっと戻ってくるだろうよ」


 明日か、数日後か、いずれは。

 次は他の連中が相手をしてやってくれ――ヴェルダの、それが正直な願いだった。





 魔導兵から逃げきったレーンは、ゾーンの手前でようやく走る速度を緩めた。ゾーンはもう、目と鼻の先だ。

 彼女は一度立ち止まり、背嚢から取り出した布をサラシのように腹に巻いて止血する。

 この軽い再生効果のある治療布くらいしか、怪我への対処は用意していなかった。治療布に術式の力は利用されておらず、森の薬草を煎じて染み込ませたものだ。


 ――傷は浅い。それよりゾーンよ。


 進入を目前にして、レーンは脇腹の痛みも忘れ軽く昂揚していた。

 近くで見るゾーンは、暗い建築物で構成される異国の街のようだった。


「都市型ゾーン……“当たり”ね」


 この僥倖に、彼女は喜色を浮かべる。

 鬱蒼とした森でも、塩水を湛えた海でも、無機質な山肌でもなく、知的な生き物が作った建築物がそこにあった。


 ゾーンで得られる遺物は、帝国によって厳重に管理されている。そのほとんどは、遺物保管所か研究施設に置かれるため、一般の市民が目にする機会は少ない。

 それでも、遺物を売買する裏のマーケットはいくらでもあり、富裕層を中心に、人々の関心は高かった。

 ゾーン産と称される奇妙な鉱物や植物材などは、レーンも目にしたことがある。そんな中、最も高額で取り引きされるのが、未知の技術で作られた人工物の遺物だ。使い方など分からなくても、希少性だけで金貨数十枚の値打ちがあるとされた。

 レーン・クレイデルが求めるのは、その中でも誰もが価値を認める最高級の遺物。ここの遺物なら、彼女が求める物が期待できる。

 彼女の三つ下の妹、マリダ・クレイデルには、その遺物が必要だった。正確には、遺物で得られる巨万の富が。


 元帝国人であった父は、王国人の母と結ばれた後、フィドローン王国のために弓を取った。今から五年前、帝国による王国侵攻戦のことだ。

 騎士に叙任されることはなかったものの、目覚ましい活躍は人々が知るところとなり、最後は英雄として称賛される。

 開戦直後の半年間は、父を始めとする優秀な弓兵や森林戦のエキスパート達が、王国に侵入しようとする帝国兵を退け続けた。

 ところが、四方から魔導部隊による無差別攻撃が始まると、王国は押されはじめる。帝国は、人ではなく、王国の土地そのものを攻撃したのだ。


 二年に亘る戦いの後、遂に帝国軍が王都に迫ったのを受けて、父は家族を僻地へ逃がす手配をした。

 母の縁戚を頼って、王都から脱出したのは、母と娘二人、護衛の従者二人の五人。母には“揺らぎのローブ”が、レーンには“重飛の魔弓”が渡されていた。少しでも脱出を助けるための、父の配慮だろう。

 しかし、今住む村につくまでに、帝国兵に囲まれ、従者は二人とも殺された。身を呈した従者のおかげで、家族は辛うじて逃げ切れたものの、マリダは大きな傷を負ってしまう。


 戦争は帝国側が優位な講和を結ぶこととなり、王国は保護領となる。

 アレグザを含む王国領土の一部が割譲され、新国境地と王都には帝国兵が常駐し、民には帝国税が課せられた。


 講和後、父は反逆罪で捕らえれ、王都で公開処刑された。そんな降って湧いたような罪状、彼女には言い掛かりとしか思えなかった。

 例え帝国出身ということが罪でも、森を焼き尽くした帝国に裁く権利があるだろうか。

 父の命を奪うだけでは飽き足らず、帝国はその財産も家も全て没収した。


 王都に戻ることを諦めたレーンたちは、辺境近くのハクビル村で自活を始める。

 収入は、もっぱらレーンの狩りに頼っていた。持って生まれた才能と、行き場の無い怒りが、彼女の戦闘能力を磨く。

 逞しく成長するレーンとは逆に、マリダは疎開直後から体調を崩し、床に伏せている。数日昏睡し、目が覚めたと思ったら、またすぐ眠りに落ちる。そんな症状、誰も耳にしたことがなかった。昏睡の数日は、やがて一週間、半月と伸びていく。 


 医師は、傷から来たものだろうと言う。フィドローンの医療では、治療できない。治せるとしたら、術式による治療、それも帝都の神官クラスによるものが必要だと。

 今年に入り、マリダの症状はさらに悪化した。もはや一ヶ月以上、目を開けていない。

 死んだように身じろぎすらしない青白い人形、それが最後に見た妹の姿だった。


 レーンは諦めない。

 神官が必要なら、神官に見せよう。そのために、屋敷三つ分の財が必要と言うのなら、それを用意する。仇敵であっても、妹のためなら頼るまで。

 父の教えに反する行いがあれば、マリダの回復を待って、墓前で詫びればいい。まずは帝都へ。

 アレグザ平原に魔法陣が出現したのは、レーンが帝都へ向かう準備を終えた、まさにその直後だった。


 とは言え、こうも真っ暗では。さすがのレーンにも、無理なものは無理だ。

 夜光石のランプも、松明の明かりも無い。いくら夜目が利くとは言え、弱い月明かりだけで、遺物を探す気にはなれない。


 どこかで日の出を待つべきか。勝手の分からないゾーンでの探索を前に、彼女は行動を決めかねていた。

 まずは中に入ろうとゾーンへと歩み寄り、近づくにつれ、馴染みのある臭いが強くなってくる。

 血の臭いだった。


 ――まずいわね。


 血の臭いは、荒野の獣たちを呼び寄せる。この闇なら、おそらく死体を好む蛾やアレが。

 慎重に歩むレーンの視線の先に、ゆっくりと動く人影を発見した。


 ――人?


 フードを外し、魔弓を構えて近づいて行く。


「こちらを向きなさい!」


 振り返ったのは、若い男だった。

 帝国の一般的な人種に似ていて、兵士には見えない。武器らしい物は持っていないが、まさかゾーンの住民だろうか。人が住んでいるなら、相当に希少なゾーンだ。

 様々な疑問が彼女の頭を駆け巡る。

 男からは、魔素の反応を感じた。魔石持ち……操術士にも見えないが。


「言葉は分かる?」


 期待はせずとも、一応問うてみようと声をかける。

 男の傍らを一瞥すれば、死臭の原因となった死体が転がっていた。

 謎の男は悄然としているようにも見え、反応が薄い。どうしたものか。全く迂闊だったと、彼女の口元が引き締まった。


 ――こんなことなら、念話の魔石を手に入れてくるんだったわ。


 帝都行きからの旧変更だったため、仕方がないこととは言え、レーンは自分の浅慮に後悔する。未知の人工物を期待しながら、それを作った者がいることを、彼女は予想していなかった。


「キィィーッ!」


 彼女の思案は、後方から飛来した金切り声で中断させられる。死鳥と忌み嫌われる荒野のハンター、グライだ。


「走れっ!」


 指示を飛ばし、ゾーン内部へと駆け出す。今度は言葉が通じたらしく、男も彼女の後を追いかけてきた。

 何かのゲートらしき物を通り抜けると、先は広場になっており、少し視界が広がる。

 ゾーン内の様子もまた、レーンの予想とは掛け離れていた。

 単なる死体の数も、彼女を驚かせるには十分だったが、いくつもの“動く死体”が、あちこちに立ち上がっていたのだ。この症状は、術式を習練した人間なら覚えがある。

 魔素制御の悪例として肝に銘じる、その失敗の代償。魔素に過剰にさらされ、脳が焼き切れた姿だ。残念ながら、ここから回復することはない。屍として醜態を晒した後、数日を経て、身体も死体として崩れてしまうだろう。


 彼らを見て動揺した男を目掛け、一体のグライが急降下してきた。大量の獲物に興奮しているのか、生体を襲うとは、グライも見境を無くしている。

 彼女は魔弾をグライの頭部に命中させ、確実に仕留めるが、不安が頭をよぎる。

 グライの数が多い。

 今の装備で一掃はできるだろうが、矢が尽きてしまうのは避けたい。

 だが、未知の構造物に囲まれたゾーン内部であることが、彼女の次の行動に躊躇いを生じさせた。

 今度はレーンが助けられる番だった。

 左先を指さしつつ、男が大声で叫ぶ。


「△○&@△!!」


 言葉は分からなくても、理解はできる。戦場での叫びなんて、大して種類のあるもんじゃない。

 男の判断に賭けることにして、その指す方向に急いで向かった。

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