to be or not to be

砂川りようこ

第1話

「最近、物騒だし」と椎名透は、蹲り顔を抑える早川涼子に言った。共に高校三年生、明日に一学期の終業式を控えた熱帯夜の出来事だった。「家まで送るよ」

 二人は河川敷にいた。新中川という細い川の土手である。海が近い河口付近なので時折、潮の香りがした。波は優しく揺らめく程度で黒い水面には等間隔で並ぶ外套と輪郭のぼやけた月の姿が映っていた。

 つい先ほど、透は早川の告白に断りを入れたばかりだった。

「好きなの、椎名君のこと」

 透としてはこうならないことをずっと祈っていた。ある意味でここまでのプロセスは紋切り型で、自意識過剰かと思われるかもしれないが透は、早川が自分に好意があることに以前から気づいていたし、それに応えられないこともわかっていた。

 よくあるように、最初に早川が透のことが気になっているという噂があって、その後、友人を介して携帯番号とメールアドレスを訊かれた。それから複数人で遊びに行くようになって、ついに今夜へと到った。

 他人に言わせたら素っ気無い性格の透でもさらに味気のないと思うやり取りを早川と繰り返し、自分の心が彼女に向いていない事実に気づいて貰おうとした。だがそんな努力は恋の努力の前ではささやか過ぎた。人を盲目にさせたその恋が幻だと気づいたとき、早川はやっと瞼を開いたが、それは失望の涙を流すためなのだから現実は残酷だ。

「ごめん。俺、駄目だ」

 透の答えを訊くと同時にわっと早川は泣き出して両手で顔を覆った。そしてくしゃくしゃになった泣き顔と嗚咽を少しでも目の前に立つ透から隠すように膝を畳んで蹲った。

 透は不細工ではない。むしろ色男だろう。高校生らしいあどけなさが顔には残るが、それとは背反する大人びた、落ち着いた魅力を兼ね備えているような男だった。だが猛烈に女性にもてるかといえばそうじゃなかった。透という名前がそうさせるのか、彼は自己主張に欠けた、空気のような人間だった。

 それを他人のことを考えて一歩引く優しさと取るか、自分も含めた人間に興味がない何だか冷たい人と取るかは受け手によって別れるところだが、多くの人は後者の印象であることが多かった。

 だからか、その顔の造形の割に女性に好かれることは少なかった。よって彼は女性を泣かすことに慣れていない。

「大丈夫?」

 声を掛けるが自分の手をその肩にかけることは躊躇われた。まだ女性経験だって済んでいない透の反応は無垢だった。

 早川をその済ませていないセックスのためだけに利用することも出来ただろう。年頃の男である透だ。そういう考えがなかった訳ではないし、眠れぬ夜にその一糸纏わぬ姿を想像したこともあった。だが結局、透は優しい男でもある。鬼のように冷徹に欲望に忠誠を誓うことよりも、愛の力を信じることにしたのだ。結果的には目の前に一人の泣いた女性を生み出すことになったが、まだ本物を知らない性欲のために利用するよりはよっぽど良かったと思っている。

 早川は敗北を知り、胸が焼けるように熱くなり冷静を失って、透の呼び声にすら応えず泣いた。

「ごめん」

 呟いたのは透だった。返事はない。

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