18.

 ――気まずい。


 勝久と図書館で別れ、裏新宿へ向かう道中、人混みの中を歩きながら桐人はそう思った。

 往来を歩く大勢の人間の間をかきわけながら、必死に先を歩く万葉の後を追う。

 目の前の華奢な背中を見て、桐人は妙な意心地の悪さを感じた。

 おそらく先程の勝久の言動のせいだろう。何故か自分を牽制してきたお調子者の顔が脳裏を過る。


「先輩……その、さっきは」

「いいわよ、別に」

「え?」

 

 ふと勝久のことを話題に上げようとすれば、先手を打たれた。

 ちらりと前だけを見据えていた瞳が、桐人へと向く。


「まあ、それなりに吃驚したけど」

「え、」


 「吃驚した」と万葉が差したのは、勝久のことだろう。まさか、あの男、また可笑しなことをしたのではないか。

 ちょっとした危惧を覚え、焦ったように桐人は口を開いた。


「あの、あいつ。なにか」


 不安そうな面差しで見つめられた万葉は、笑った。次いで彼女が口にしたのは、先ほど勝久がぶちかました万葉への告白だ。


『初めまして! 勝久智也と申します! 好きです! 付き合ってください!』


 どうやら、勝久は後先考えず、ド直球ストレートに真っ向から万葉にぶつかったらしい。その行動の速さと勇気には拍手を送るが、あいつには情緒というものがないのか、と桐人は脱力したように項垂れた。

 万葉も万葉で返事に困ったことだろう。何故か身内気分で彼女に対する申し訳なさが浮かび、顔を上げる。


「……その、なんか。すみません」

「いいわよ、別に。面白かったし」


 そうか。それなら、良かった。いや、良くはないが、良かった。

 だが桐人と万葉の接触は、できるだけ人に知られないようにした方が良いと思ったのだが、それに関して万葉はどう思っているのだろうか。

 そんな桐人の疑問を読み取ったのだろう。再び歩きだすと、万葉が言葉を続けた。


「いつまでもコソコソしているわけにはいかないし、そのためにも土御門くんと約束を取り付けたんだから」


 そうか。そこまで予測していたのか。

 なんだかんだと事前に必要な行動を起こしていた万葉に、桐人は更なる罪悪感といたたまれなさを感じ、もう一度謝罪の言葉を口にした。


「すみません」

「――君は、謝ってばかりね」

「え?」


 意気消沈とした桐人の意識を、微かな呟きが引き上げた。

 何を言われたのか分からず、桐人が困惑したように顔を上げると、万葉は溜息を吐く。


「別に。君の周りには騒がしい人間しかいないと言っただけよ」


 そう言って、彼女は振り返らなかった。

 その背中に桐人は僅かな違和感と不安を覚え、しかし、口を開くことも出来ず、そのまま街中の喧騒を抜ける。

 すると、誰かと肩がぶつかった。


「っあでっ!」


 結構な衝撃が肩を襲い、桐人はよろめくが、通行人は構わずにそのまま走り抜けていった。

 目もくれず人混みを駆けぬけるその背中は、どこか必死で、桐人の視線を引き付けた。小さくなる背中。赤い帽子から覗く小麦色の髪は短く、傷んでいるようだった。


「今のって」

「人間ではないわね」

「え、」


 ぽつりと零された爆弾に桐人が振り向けば、興味なさげに通行人が駆けて行った方向を眺める万葉が居た。

 人間ではない、ということはアレは妖だったのだろうか。


「どちらにしても関わると碌なことにならないわよ」


 くるりと背を向けて再び歩き出す万葉。その後を追おうと桐人も足を進めようとした、が。

 かつん。何かを蹴ってしまい思わず下を向く。白い箱にCMでよく見るロゴがプリントされている。医薬品だ。


「……これって」


 足元に転がる医薬品を拾い上げて観察する。

 もしや、先ほどぶつかった少年が落としたものではないか。

 一瞬どうすればいいのか分からず、とりあえず万葉を呼び止めようと彼女を探した。 

 

「せんっ」


 だが、彼女の後姿を見つけた時には既に距離が大分開いており、人混みに紛れて消えてしまいそうだった。

 慌てて拾った箱を踏まれぬよう、ポストか手すりに置けないか桐人は周囲を見渡すが、どこにもなく、再び地面を見る。人足が多く、このまま元の場所に置けば箱が踏まれて潰れてしまうことは一目瞭然だった。

 それならば途中で通り過ぎる交番に預けよう。

 咄嗟の判断が桐人の頭を占め、ズボンのポケットに箱を突っ込む。急いで駆けださなければ万葉を見失いそうだった。


「先輩! ちょっ、待ってください!」


 交番に届ければ良い――そう思った桐人は無責任にも箱の存在を忘れてしまうのだった。



 ♢♢♢


 数刻後。裏新宿、二丁目。

 古めかしい店舗が並ぶ江戸のような街並みに、一人、浮いた姿で妖に聞き込みをする影が居た。桐人だ。


「いやぁ、悪いけど。知らねぇな」

「そうですか……分かりました。すみません。ありがとうございます」


 これで何人目になるのか。優に30人は超えている。

 だが相変わらず得られた情報は少ない。落ち込んだように桐人は眉尻を下げた。


「気ぃ付けろよ坊主。こりゃあ、あんま嗅ぎまわっていいモンじゃねぇからな」

「はい……」

 

 般若のお面を被った妖に親切な忠告をされると、苦笑しながら頷く桐人ではあったが、数分後にはまた別の店を訪ねていた。

 蟲に関する情報も、最近出回っているという怪しげな薬の話も、何も出てこなかった。一番大事な腕輪に関しての情報でさえも、だ。


「片瀬殿ー」

「からかさ」


 40件目に到達しようとしていたところで、誰かが桐人の名を呼ぶ。

 振り返ってみると、からかさだった。


「どうだった? 何か掴めた?」

「いえ、何も」

「そっかー」


 今日もなんの収穫もなく終わりそうだ。

 疲労感だけが積み重なって、思わず桐人の口からため息が零れでた。


「片瀬殿、もう時期この町も動き出します。そろそろ……」

「あー、うん。先輩と合流したら行くよ」


 空を見上げれば、橙色に紫が交わり始めていた。

 時間帯を察した万葉も、もう少しすれば合流しに来てくれるだろう。


「しっかし、こうも何の手がかりもないと、逆に妖しさが増しますよねぇ」

「まぁな……」

「……案外、本当に町自体がやってたりして」


 ぼそりと、小さなつぶやきを零したからかさに桐人が素早く反応する。


「……それ、どういう意味?」

「誰も口にはしませんが、《椿会》が薬を回しているのではないかと噂が広まっているんですよ」

「つばき、かい?」


 内緒話をするように声を潜めるからかさに、桐人は奇怪気な顔をした。

 椿会。どこかで聞いた名だ。


「ここらを取り締まってる自警団のことです……自治体みたいな力もありますが、陰察庁からは暴力団と大差ない扱いを受けております」

「じけいだん……」


 言われてみれば町中の居酒屋で、偶に客が名前を口にしていたような気がする。

 とはいっても平和な表社会を生きてきた桐人からすれば、遠い世界の話に思えるが。


「極道、みたいな……?」

「ああ、そうそう! それです! 実際、あそこの団員……組員はそういう為りをしておりますので。そう認識しても差異はないかと」

「ふぅん……」


 極道。やくざ。

 その言葉から色々と連想していると、不意にある人物が浮かび上がった。


(なんか、)


 ぽつりと、名前が口から零れ出た。


「阿魂……みたいだな」


 しん、と静寂が二人の間に落ちる。

 ぼんやりと脳裏に浮かんだのは、黒い着流しを着崩して、背中の刺青を晒す鬼だった。ついでに桜吹雪を起こして、ちょっとした効果音をつけたしてみる。


「……ぶっふ!」


 先に吹きだしたのは、からかさの方だった。


「やめてくださいよ、片瀬殿! 今、想像しちゃったじゃないですか!」

「いや、ごめん。あまりにもはまってたもんで」


 耐えきれない、というように笑いだすからかさに苦笑する桐人。

 いや、だけどありそうだ。絶対に似合う、というよりはあの鬼はそちらが本職のような気がする。本職も何も、現在はただのニート状態のようなものだが。

 からからと笑い転げる二人は、通りすがりの妖たちから見たら異様に映っていることだろう。だが生憎と人通りは未だになく、裏町はまだ眠っている状態だった。


 だからだろう。大きな影が桐人たちを覆っても、悲鳴をあげる者はいなかった。

 その影が視界に映るまで、桐人たちは反応できなかったのだ。


「からかさ、うしろ!!」

「……え?」


 真っ赤な肌をした化け物が大口を開けていた。

 咄嗟に反応した桐人がからかさを引っ張る。豪風が桐人の鼻先を掠めて、地に穴を空けた。


「え、え、え?」

「……っ」


 壁を伝って飛び降りてきた化け物が穴から這い出る。店の軒先がボロボロだ。

 店内の妖たちは大丈夫だろうか。

 そんな他人事のような思考を回しながら、桐人は眼前の怪物を注視する。


 赤い肌に一本角。血走った白目が、奴が正気ではないことを証明している。

 異様に膨らんだ筋肉と、どくどくと浮き出る血管。それは、桐人にとっては非常に見覚えのあるものだった。


「か、かたせどの……これはっ」


 背後で震えるからかさの呟きに、桐人は静かに頷いた。


 ――それは、蟲事件の被害者たちと、同じ姿をしていた。





 

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