1.

 自由が丘の外れに、一軒の骨董屋が存在する。

 自動車や人通りの少ない通行路。広い道の端に並ぶ建造物。その中に紛れる三階建てビルの、一階。古風な雰囲気を漂わせるその店の名は、『徒然屋』。

 自由が丘の外れとは呼ばれているが、駅から向かうより緑が丘から歩いた方が早い場所は、どちらかというと緑が丘に在ると言った方が良いのかもしれない。

 大通りと比べるほどもない、静かな歩道を寂れたサラリーマン風の男と共に歩く青年は無心にもそう思った。


 こつこつと靴底がアスファルトを打ち鳴らす音が響く中、青年の隣を歩く男が欠伸を漏らした。


「随分とお疲れのようですね」

「おお、悪い……最近、碌な睡眠が取れなくてな」

「そうですか」


 労わりの言葉をかけることも、その不眠の原因に対する追究をすることもせず、青年は淡々と目的の店を目指した。

 その冷淡な態度に不満を抱いたのか、はたまたは別の理由からか、男は憂い気に彼を横目に見た。


「なあ、土御門……お前、明日は学校に戻るんだよな」

「ええ。もうそろそろ戻らないと彼方の方にも支障をきたすので」

「そうか。なら、いいんだ」


 来年には卒業を迎える青少年がこのような殺伐とした様子で友人ではなく、寂れたおっさんと街を巡回するのは、流石に悲しすぎる。

 自分としても、この歩く氷人形アイスドールのお供をするのはそろそろ胃的にも限界だったので助かった、と男はそっと安堵の息をこぼした。

 別にこの後輩のことは嫌いではないのだが、三週間も学校に出席していないところを見ると、どうにも心配になってしまうのだ。勉強面ではなく、主に奴の人間関係が。


「俺の人付き合いとか、くだらないことを心配している暇があったら、例の店を探してください。視線が鬱陶しいですよ、坂下捜査官」

「……先輩の思考を読むとか、やめてくれないかな。つか、お前いまどうやって読んだ?」


 こちらを一瞥もせずに注意を寄越す後輩に、男——坂下は口を引き攣らせた。


「ほら、見えてきましたよ」

「俺のツッコミは毎度のことながらスルーか? ねぇ、俺先輩だよね? 目上の人だよね?」


 閑散とした広い道路を進んでいけば、『目印』となっている電柱が目に入る。

 電線をグルグルと胴体に巻かれた灰色の柱。その手前を探れば、並ぶ屋舎にひっそりと紛れる骨董屋が自然と目に入った。

 『徒然屋』――土御門春一たちが探していた店だ。


「おお……なんつーか、ふっつうの店だな」

「と言って、あまり気を緩めないで下さい。あの唐傘によると、此処が『妖刀』の出所なんですから」

「わかってるよ」


 両手をズボンのポケットにいれながら、アスファルトを踏み、霊気を潜めて店へと近づく。すると。


「お」

「……」


 人影が店内から現れた。


「女だね」

「……人間、ですね」

「客か?」


 年齢は二十代後半。二人いる。淡いパステルカラーのスカートとブラウスに、土色のワンピースを着た女性たちは、どこか恍惚とした表情で店先から出てきた。

 ――ほんのりと赤く染まった頬に、輝く瞳。


「狐に化かされた、ってわけじゃなさそうだな」


 ぽつりと零す坂下。視線の先で女子高生のようにはしゃぐ後ろ姿は、どこからどう見ても正常のように見える。遠ざかる背中を節目に、春一が動いた。


「とりあえず、入りましょう」

「そうだな。普通かそうじゃねーかは、実際に見れば分かるだろ」


 二人の背中が店内へと消える。

 木製の看板の下には、白い暖簾。其処を潜れば、店の年代を匂わせる不思議な香りがした。埃臭くもなければ、黴臭いわけでもない。家具だろうか、古い木の匂いのだと坂下は推測した。乾いてはいるが、柔らかい印象を抱く香りだ。

 店内の壁や床は古びているように見えるが、綺麗に掃除されていた。坂下は清潔感漂う空間に並ぶ骨董品を眺めた。焼き物の皿や壺、人形に巻物、漆塗りを施された箪笥。


(なるほど、確かにありそう・・・・だな……)


 壁に立てかけられた一本の薙刀が坂下の目に着いた。

 綺麗に整頓された品の数々は、どれも貴重な美術品……かと思えば貧相で妖しげな物も混じっている。鏡に、急須、茶碗――妖気が入り混じってるものがある。

 並ぶ品を眺める坂下の傍で、春一は人影を探すようにきょろりと視線を回した。


 居ない。休憩に入ったのだろうか、それとも――。


「すみません。誰かいらっしゃいませんか?」


 平坦な声で店内の奥――大人の腰ほどまではある、草色の暖簾が掛かった入口に、春一は呼びかけた。そして数秒後、音もなくは現れた。途端、坂下が息を飲む。


 ――なるほど、先程の女性たちが騒ぐわけだ。


 一般と然程変わらない霊気の量を持ったその店主は、浮世離れた容姿をしていた。

 納得したように苦笑する坂下。その隣で春一は静かに目を細める。


 男の年齢は見たところ二十代後半、ほっそりと痩せた長身。長い白髪はやわらかい猫毛調で、細面とあいまって中性的に見えた。おとなしそうな顔つきではあるが鼻はつんと高く、目元は涼しくて、高貴さと優しさが適度に入り混じっている。目立つはずの白髪が何故か薄らいだ印象を与えるのは、その美貌故か。黄茶色の瞳を縁取る睫毛も雪のように白い。そして肌も透き通るほど白く、ここから眺めるかぎり人形のように艶やかで滑らかだ。

 草色の着流しを身に纏い、懐に手を入れている様はだらしなく見えるはずなのに、その動作は軽やかで優美だった。それでいて、決してなよなよしさを漂わせず、芯の強さを感じさせるその男は、気品で溢れている。


「いらっしゃい。なにか、お探しかな?」


 声まで美しいと来たものだ。低すぎず、高すぎず、艶やかな色の乗せたソレは耳元で囁かれたら、女性の腰は砕けることだろう。否、男さえもその声の前では膝を落としてしまうかもしれない。

 だが春一も坂下も、意に介した様子も見せず男を観察した。


「ああ――刀を探している」

「刀? どんなものが欲しいのかな?」


 春一の言葉に、柔らかい微笑を湛えた男が首を傾げる。さらりと奴の白い絹糸の束が肩から流れ落ちた。


「そうだな……黒い大太刀、か、或いは錆びて折れた刀身をした、刀が欲しい」

「ほう。それは、また面妖な」

 

 僅かに目を丸くさせながら、男が笑う。


「随分と明確な表像を持っておられるようだが、既に的は絞っておいでで?」

「ああ……知り合いが此処にあった・・・と教えてくれた」

あった・・・?」


 『ある』ではなく、『あった』と過去形で話す青年に男はまた首を傾げた。


「霊力を喰らう妖刀」

「……」


 ぱちりと男の目が瞬いた。

 

「唐傘の妖に『アレ』を譲ったのは、お前だろう? ――『オサキ』狐」


 春一の双眸に鋭い光が差す。対して男は未だに口元に弧を描いており、どことなく飄々としたままだった。沈黙が二人の間に落ち、外から届く微かな蝉の鳴き声だけが店内を満たす音となった。風の仕業か、ふわりと店の暖簾が揺れる。


「はて。確かに私の名は『オサキ』だが、狐とはまた随分な言いようだ」 

「それ以外にどう呼びようがある?」


 凄む声に剣幕が増すと同時に、潜められていた春一の霊気が微かに膨らみあがった。

 それを見てどう思ったのか、相対する男は軽く肩を竦めて一つ息を吐いた。だが実際に男に困った様子はなく、その顔は寧ろ依然と変わらず微笑んだままだ。


「やれやれ。まさかこんなにも早くバレるとは。流石は陰察庁といふべきか」

「隠す気もなかったくせに、よく言う」

「まさか」


 くつくつと揶揄うようにオサキが喉を鳴らす。


「隠してはいたさ。事実、この店に来る数少ない客人たちは誰一人、『私』に気付いていない」

「それは相手が人間だからだろう」

「妖も来るさ」


 おちょくっているようにも聞こえる発言に、春一は眉を顰めた。


「妖だろうが、人間であろうが、相手は『何も知らぬ客』だろう。そもそも、『酒呑童子』と並ぶほどの名だたる荒くれ者が、このような骨董屋など営んでいると、誰が思う?」


 気付くどころか、考えさえもしないだろう。

 安易にそう説明する春一に、オサキは笑みを深めた。


「私を荒くれ者と呼ぶか。はて、過去に見廻りの者に追われるほどの悪戯をした記憶はないのだが」

「だから、そんなに堂々としてたのか……」


 呆れたような坂下の声が飛ぶ。春一も同じような心境なのか、溜息交じりに口を開く。


「過去に『国』を八つも潰した狐が、よく言う」

「おや、そのような事もあったかな?」


 とぼけたように腕を組みながら、狐が天井を仰ぐ。

 憎たらしい笑みで飾られた面差しを、春一は氷のような冷たい双眸で牽制しようとした。この男が『国』を潰した確たる証拠は無い。だが『国』が倒れた当時、犯人として可能性を掲げられたのは酒呑童子の他に、唯一この男だけだったのだ。

 それを男も理解しているのか、なんてことのないような顔で事実を宣う。

 

「そもそも、あの『国々』は人間のものではなかろうに。それで『罪』に問うとは些か乱暴すぎるのではないか?」


 正にその通りだ。

 痛いところ、とまでは行かないが図星を突かれた春一は潔く口を閉じた。確かにこの一件は既に時効になりつつある、どころか、それ以前に『罪』に問うことさえも出来ない。――この男は、犯罪者ではない。『酒呑童子』とはまた別の意味で、厄介な妖なのだ。


「なんというか、本当に……あけっぴろげつーか、もう堂々としているとしか言いようがねぇわ。流石だなぁ」


 ぽりぽりと坂下が疲れたように感嘆の息を零す。奴の頭に浮かぶのは、この店を調べる際に見つけた書類やあの唐傘から引き出した情報だ。春一の脳裏にも似たような事が再生されているのだろう。その眉間には二重の皺が寄っていた。


「堂々とし過ぎです……馬鹿正直に『オサキ』なんて名乗りやがって」


 しかもこの霊気……小さくはしているようだが、その研ぎ澄まされた洗練さは隠れていない。この男なら粗末なものに見せかけることだって簡単に出来るであろうに。


「なんだ。心配してくれているのかい?」


 柔らかな笑顔でオサキが問えば、春一は氷柱のような鋭い視線を返した。


「もう、いい……それよりだ」


 これ以上、この男の戯言には付き合っていられないとブレザーの懐を探る。


「この『妖刀』について話が聞きたい」

「妖刀?」


 眼前に翳された写真を不思議そうに見つめるオサキ。数瞬の間を置いて、形の良い唇が困ったように笑った。


「はて。これは、なにかな?」

「……とぼけるなと言っただろう。唐傘の妖が以前、此処に来たはずだ」

「唐傘……?」


 ぴらりと春一の指から写真を受け取り、それを眺める。すると、ふと思い至ることがあったのか「ああ」と吐息交じりの声を漏らした。


「あの傘か……確かに、幾許か前に刀を一本やったな」


 思い出したように言葉を紡ぐオサキ。だが、奴が示す答えは春一たちにとっては納得のいくものではなかった。


「しかしなぁ……これが、妖刀とは。随分と面白い事を言う」

「違うのか?」

「さてね。気が付けば此処にあったものだからな。刀身も寂れていたしな、売り物にならぬと偶々通りすがった傘にやったのだよ」

「……」


 なんの収穫にもならなさそうな情報だ。果たしてこれが男の虚言なのか、或いは真の言葉なのか。判断しかねた様子で振り向く春一に、坂下は肩を竦めた。

 ぽん、と春一の肩を叩き、笑顔を絶やさない男を見やる。


「なぁ、オサキさん――」


 あの『妖刀』は結局、何処から来て、一体何なのか――? この男は、本当に何も知らないのか? 


 それを確かめる必要が坂下たちにはあった。

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