自殺という名の魅惑的な死
成亜
第1話 僕は、自殺しようと思ったんだ。
僕は、臆病者だと思う。
人にはよく、「勇気があるね」「優しいね」なんて言われるけれども、実際の所はそんな美しいものなんかじゃない。
荷物を持ったお婆さんを助けるのは、『助けなかった』というレッテルが付くのを恐れたから。
先生に協力してもらっていじめをやめさせたのは、『今の子に飽きたら次は僕かもしれない』と恐れたから。
その、いじめをしていた人にも分け隔てなく接しているのは、『逆恨みを受けるかもしれない』と怯えているから。
僕は、臆病者だ。
この世界のどこに敵がいるとも知れないのに、それを恐れずのうのうと生きていくような度胸なんか、持ち合わせていない。生きづらい生き方なんだろうな、とは思うものの、生来の性質はそう変えられるものでもなく、だから。
僕は、自殺しようと思ったんだ。
もちろん、過去形である。
死したその先に何があるのかなんてわからない。わからないものが恐い、というのは、誰もが抱き得る感情であって、僕の場合はそれが取り分け強く表れる。
よって、僕は死を選べなかった。ただ、それだけのことだ。
「なんだ、死なないのか」
ビクリとなって、反射的に後ろを振り返る。
これから死のうというところを見られたら気まずいと、慎重に行動していた。知人に死体を見られたくないと、死に場所を選んだ。
結果見つけた、廃ビルの屋上。しかしそこには、先程まで物陰に隠れていたであろう女性が立っていて、自殺の瞬間を見ようとしていた。そしてそれが見れないとわかり、心底残念そうな顔を浮かべている。
――怖い。
それが彼女に対する、僕の第一印象だった。
「あっ……」
再度述べると、ここは廃ビルの屋上だ。
そして、ついさっきまで自殺しようとしていた人間が立っている場所など一つしかない。
するり、と流れるように足を踏み外し、数刻前まで真剣に願い、数瞬前まで決断に迷っていた転落死へ――
「おっと」
向かわなかった。
僕が自殺するのを、恐らくは楽しみにしていたであろう女性が、事故死しそうになった途端に僕の手を取って引き戻した。
「あ、ありがとうござい、ます……」
踏み外したことと、女性に助けられたこと。二つのことに気が動転しながらも、一先ずはお礼を言う。長くはない人生で築いた習慣的行為にすぎない。心の内はもっと違う場所にある。
「どういたしまして。……ああ、なんでって顔してるね?」
「え、あっ、ご、ごめんなさいっ!」
命を救ってもらった相手に対して、それはあまりに失礼だ。
顔に出してはいけないことだったが……内心として、そう思ったことは確かだ。死に様を見にきた相手に助けられるとは、どうにも奇妙な話である。疑問に思わない方がおかしい。
「いいよいいよ、変なものを見る目には慣れてる。そうだね、なんで助けたかって問われたら……事故死や殺人は見たくないから、だね」
「え、えっと……?」
どう返すべきなのかわからない。
一体なんなんだ、この人は。
「そう恐い顔しないで。こっそり後をつけたのは悪かったよ。でも、君から死にに行く匂いがしたから」
悪びれるそびれもなく笑ってみせる彼女。死にに行く匂い? なんでそんなものがわかる。いや、それより、わかったからってなんで後をつけてくる必要があるんだ。この人の言っていることは滅茶苦茶だ。
「な、なんで……それがしたら、付いてくるんですか」
僕は耐え切れずに問いだした。その一言が、僕の日常を揺るがすとは知らずに。
「なんで、ねぇ……」
そして、それに彼女は答える。
まるで、幻想的な風景を見た感嘆のように。
或いは、眩しい初恋を思い出すかのように。
「――"自殺"、というものが、どうしようもなく美しいから……かな」
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