Brave Week Online

ながやん

2029/07/10(火) - ゲームを開始しますか? -

第1話「はじめましての小さな一歩」

 目の前に表示された立体映像ホロビジョンに、かわいらしいアイコンが浮かぶ。

 宝石に花びらをあしらったそれへと意識を向けて、朱崎緋瑪アケザキヒメは実行を念じた。

 すぐさま彼女は、仮想現実バーチャルリアリティの世界へと吸いこまれる。

 しかしまだ、この段階では視覚聴覚みみだけがアプリケーションに接続されたに過ぎない。緋瑪は手探りでテーブルのマグカップを引き寄せ、コーヒーを一口飲む。苦味にがみも香りも、まだ現実世界の物。両手で握れば、熱さも確かに感じた。


『ようこそ、冒険と神秘が渦巻くRPGロールプレイングゲーム――【石花幻想譚せっかげんそうたん】へ!』


 高らかにひびく歓迎の声。

 即座に緋瑪は、【エルフターミナルE.L.F.Terminal】――エモーショナルEmotionalリンケージLinkagesファンクションFunctionターミナルTerminal――の音量を絞った。オプションメニューの表示を思い描くだけで、自由に調節できる。


『新規で遊ばれるお客様は、登録手続き画面へお進みください』


 ここから先は、

 この時代、人類は感覚投影型フルダイブの仮想現実、【ユニバーサルネットワーク】を構築することに成功した。その入口が、量子波動通信りょうしはどうつうしんによるヘッドホン型携帯端末――通称、【エルフターミナル】だった。

 テレビやパソコン、クレジットカードや携帯電話等は全て、その機能を【エルフターミナル】へと集約された。そして、それらは副次的な機能でしかない……真の価値は、【ユニバーサルネットワーク】の様々なコンテンツを、全感覚で体験できることだった。

 緋瑪は迷わず、いつもの慣れた調子で仮想現実の奥へと進む。

 瞬間、彼女の意識は広大な【ユニバーサルネットワーク】の中を信号化して駆け巡り、その片隅に賑わう【石花幻想譚】の世界に、

 と、同時に足元の感覚が喪失する。

 ひとみを開けば緋瑪は今、白い闇の中を落下していた。周囲のきりはひやりと冷たく、それに驚く声を発しても、もう現実世界には響かない。長い三つ編みの髪が風に遊んだ。


『ご利用規約をよくご理解のうえで、同意確認にチェックを――』


 直接頭の中へと、堅苦しい文章が流しこまれる。表示される文字の羅列に同意を命じれば、落下速度が加速した。


『現在、【石花幻想譚】は完全無料にてサービスを提供中で――』


 知っているので先送りした。

 無料でなければ緋瑪は、大勢で賑わうネットゲームに興じる趣味は持ち合わせていない。ましてがなければ、その必要性も感じなかった。

 そう、あんなことが――緋瑪には今、【石花幻想譚】をプレイせざるを得ない理由があった。それを思い出し、浮かぶ疑念を胸中になぞった瞬間、不意に現れた熱砂の大地に落下する。

 同時にナビゲーションの声が、情感たっぷりのナレーションに切り替わった。


『いまではない時、ここではない場所』


 よろめきながら立ち上がり、緋瑪は突然のことに「は?」と、間の抜けた声をこぼす。

 突如放り込まれた風景は、熱砂の砂漠だった。シャツが現実同様、汗にじっとりと濡れはじめる。しかし何より緋瑪をびっくりさせたのは……目の前に、巨大なへびが首をもたげていた。一目でわかる毒々しさが、先の割れた真っ赤な舌をのぞかせ緋瑪を見下ろしている。


『四方を深い霧に囲まれし、唯一にして無二の大陸――冒険の舞台は【ブライダリア】』


 突然左右から、若い男女が飛び出した。

 緋瑪の耳に、気合を叫ぶ声が響く。男は手に槍をたずさえて突進し、女は緊迫した表情で杖から炎を現出させた。


 ――ああ、ファンタジーってこんな感じなんだ。


 我に返った緋瑪は、死闘の空気に肌をひりつかせながら、やっとゲームのオープニングに放り込まれたと気付く。

 その後も多くのシーンを緋瑪は文字通り体験し、氷の洞窟で寒さに凍えたり、広がる大平原で名も知らぬ草のもええる匂いをかいだり……異国の街に放り出されて、行き交う人々に圧倒されたりした。


はるか太古の昔、咎人とがびととして追放されし者達は皆、魂に輝石きせき百花ひゃっかの……』


 しばし呆気あっけに取られていたが、緋瑪がスキップを命じてナレーションが途切れた。同時に、ビュウ! と強い暴風が吹き荒れた。木の葉のように緋瑪の体が舞い上がる。

 彼女はすぐ横を通り過ぎる白銀しろがねの巨体を見た。

 悠々ゆうゆうと巨大な翼で空を舞う、それはドラゴン


『終わりとはじまりをつなぐ者、最後にして最強の魔龍まりゅう――【エンシェントハング】! 今こそ立ち上がれ、冒険者達よ! 最後の戦いへと、く馳せよ……【ロード・ブライダリア】と共に!』


 流石の緋瑪も思わず、圧倒的なデモムービーに言葉を失った。バーチャル空間のデータとは思えぬ龍は、巨体に倍する翼を広げてえる。震える空気が緋瑪の肌をゾクゾクさせた。

 衝撃に思わず目を細める彼女は、落下する先に小さな点を見出す。


「……人?」


 思わず声に出して呟いた瞬間にはもう、点は小さな人影となり、黄金おうごんの甲冑を着込んだ屈強な男が目線に並ぶ。

 一瞬で視線が並び、歴戦の勇者を思わせる男が不敵ふてきに笑った。

 威厳いげんに満ちあふれた彼は、雄々おおしく叫んで空を飛ぶ。背負った大剣を抜くなり、迷わず銀色の龍へと飛びこんでゆく。


『現在、サービス終了まであと六日……【石花幻想譚】では最終イベントクエスト【結実けつじつへの意思】を配信中です。プレイヤーの皆様には、ふるってご参加くださいますよう運営チームよりお願い申し上げます。見事【エンシェントハング】を討伐とうばつし、エンディングストーリーを解放したプレイヤーへは――』


 音声がアナウンスを告げる機械的なものへと切り替わった。人と龍の死力を尽くした戦いが、徐々に飛び去ってゆく。その音と光が感じられなくなるまで……気付けば緋瑪は、固唾かたずを飲んで真剣に見詰めていた。


『キャラクターデータ作成画面へとお進みください』


 ゲームの進行をうながす声が、二度三度と繰り返され、四度目で緋瑪は我に返った。落下速度がゆるやかになってゆく。

 あわてて浮かび上がる矢印アイコンに焦点を合わせれば、膨大なパラメータの設定項目がズラリと表示された。キャラクターの身長や頭髪、顔の造形は細かな指定が可能で、もちろん自作のデータを用いることも可能。その他、本格的なゲーム内での数字が並んでいて、初心者の緋瑪を混乱させる。

 数値をにらむ緋瑪は、一番下に【自動作成オートメイキング】のアイコンを見つけて選択した。


 この時点で彼女はトントンと肩を叩かれ、現実世界へと引っぱられる。

 安全の為にも、外部から接触すれば【エルフターミナル】は装着者の意識を現実へ戻すようできていた。

 ゆっくりと目を開く緋瑪は、目の前に満面の笑顔を見た。


「たっだいまー! 緋瑪ちゃん、お久しぶりっ! あら、また歴史のお勉強?」


 約束通り半月ぶりに帰宅した母の呼びかけに、意識が完全に現実世界へ復帰した。

 緋瑪は【石花幻想譚】のアプリケーションが保留状態スリープモードになったことを確認してから、【エルフターミナル】を外して首にかける。自分の本物の目で見る現実世界に、しきりに緋瑪はまぶたしばたかせた。


「ん、まあ。おかえりなさい」

「あーもう疲れた! 緋瑪ちゃん、夕ご飯は?」

「もう食べた。母さんの分、レンジにあるから」

「やたっ、緋瑪ちゃんの手料理! んもう、久しぶりだわ~」


 リビングのソファから身を起こして、緋瑪は時計を見る。すでにもう、時刻は八時を回っていた。

 唯一の家族である母が、元気良くスキップでキッチンへと駆けてゆく。その姿を見送り、テーブルのマグカップを持って緋瑪も後に続いた。彼女は手早く洗い物を済ませて、鼻歌交はなうたまじりに電子レンジを回す母から逃げるように自室へと向う。

 そんな緋瑪を母は呼び止めた。


「緋瑪ちゃん、もう半年だけど学校には慣れた? 母さんはあんまり構ってあげられないけど、お友達とか家に連れてきてもいいのよ? 今回の仕事はもうすぐ終わりだけど、まだまだ忙しさは続きそうだし」

「……通信学習でよかったのに」

「駄目よ、やっぱり若いうちは学校に行かなきゃ! 学校は楽しいわよ~」

「そ、そうかな?」

「そうよっ! ふふ、緋瑪ちゃんもそのうちわかるわ。そもそも学校っていうのはね――」


 ダイニングテーブルに頬杖ほおづえをついて、母が楽しそうに自分の思い出を語り出す。

 曖昧あいまいに返事をしながら、緋瑪はじりじりと距離を取った。元気で活力に満ちたキャリアウーマン……緋瑪にとって、母はまぶし過ぎる。


「ま、緋瑪ちゃんも今度の学校では、友達作ってくれると母さん嬉しいな~」

「う、うん」

「【エルフターミナル】も、言ってくれればもっとオシャレな新しいのを買ってあげるのに」


 そう言って笑う母の耳に、最新モデルの高級モデルがピンと立っていた。母の性格を綺麗な金色で体現している。【ユニバーサルネットワーク】の中でデータ管理の仕事をしている母にとって、それは二人っきりの家族を支える大事な仕事道具でもあった。

 それは母に限らず、現代社会の誰もがそう。

 【エルフターミナル】は今、生活必需品だった。


「べつに、これでいい」


 対照的に緋瑪の物は、少し古い安物のターミナルだった。緋瑪は同級生達がするように、キラキラ光るシールを散りばめたり、やたらとアクセサリをぶら下げたりはしない。色も地味なベージュ。もっとも中身に関しては、かなりいじり倒してゴリゴリにカスタマイズしていたが。

 しかし母は愛娘まなむすめのターミナルに、普段と異なる部分を目ざとく発見して手を伸べた。


「あらそれ、【メモリング】? なぁに、また歴史小説や三国志とかが入ってるんだ?」


 【メモリング】とは、データ記憶装置きおくそうちの総称だった。左右の耳をそのまま引っ張り伸ばしたような【エルフターミナル】に、ピアスのように装着して使用する。


「別に」

「別に、ってことないでしょー……あ、わかった! 友達から何か借りたんでしょ」

「ち、違うし」

「んー、じゃあもしかして。格好いい男の子からの、ラブレターとか?」


 チン! と電子レンジが鳴った。

 否定ひてい肯定こうていもせず、緋瑪はリビングを後にする。

 当らずとも遠からず。ある一点だけ、母の言葉はまとていた。【メモリング】はとある男子生徒の物である。そしてその中身こそが、緋瑪に普段は無縁なオンラインゲームを遊ばせる最大の理由だった。

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