自殺少女
雨乃時雨
自殺少女
目を覚ますと見慣れない部屋にいた。真っ白な天井に真っ白な壁、真っ白のベッド。白い部屋の中で唯一色彩を持っているかのように思われる茶色のちゃぶ台。少女は真っ白なベッドの上に寝ていた。
彼女は茫然としている表情で半身を起こす。お世辞にも寝心地が良いとは言えないベッドがギギッと軋んだ。
「起きたか」
男の人の声。真っ白な部屋を見回す。決して広いとは言えない部屋の唯一の入り口である、これもまた白く塗装された鉄の扉。その鉄の扉に小さな鉄格子付きの窓が付けられており、そこから男の人が見える。
「誰」
少女の声が小さく震えている。
「俺は……そうだな。お前の監視員だ」
「かんし……いん?」
男の言った事をなぞっただけの言葉が口から漏れる。男は頷いた。
「お前、自殺サイトで一緒に死のうって言ってた奴らと会って、薬を飲んだだろ?」
その言葉に彼女は目を伏せ、
自殺サイトで知り合った人間に手渡された真っ白な薬を、楽に死ねるらしい薬を、普通なら怪しんで決して口にしないその薬を、少女は飲んだ。男の言葉に心当たりしかない。
「あれ、死ぬ薬じゃなくて睡眠薬。お前みたいな自殺希望者を眠らせて、臓器売買の道具にするのが俺らの仕事。んで、俺は
「そんな……! あなたたちに倫理観ってものはないの!? 人を臓器売買の道具にするなんて!」
少女はバッと立ち上がって、扉の方へ……正確には扉の向こうに居る監視員の方へと近づいて叫ぶ。
「……何で命を延ばすの。死にたかったのに」
そして彼女は最後にぽつりと呟いた。
監視員は眉一つ動かさず、まるで見飽きたものを見るかのような視線を少女に送る。
「死のうと思った人間を有効活用してるだけだろ。命のリユースだよ。それに心配せずともお前は数日のうちに臓器を取られて、お望み通り死ぬんだ。生きたいと祈った人間が生きて、死にたいと願った人間が死ぬ。……それだけだ。臓器の保管庫がいちいち喚くな、四九番」
少女はその言葉にしばし茫然となって、そして四九番というのが自分の事だと気づいて口を開く。
「私の名前は……!」
「四九番。お前のここでの名前は四九番だ」
監視員が有無を言わさぬ口調で言った。
沈黙が場を支配する。
「……食事を持ってくる」
監視員はその沈黙に耐えきれなかったのか、そう言い残してどこかへ去った。
残された四九番は窓から監視員がどこに行くのかを見ようとして、やめた。それをして何になるのか。ここから逃げ出すのか。いや、無理だろう。目の前に立ちはだかる鉄の扉は固く閉ざされているし、鉄格子は四九番の腕すら通りそうにない。それに逃げたとしても何になる。彼女には帰る場所もないし、帰っても再度自殺を試みるだけの話。ならば、監視員の言葉を、ここで数日のうちに死ぬという言葉を信じてここで殺されるのを待とうか。
彼女はそんなことを考えながらベッドに倒れこむ。
しばらくすると、コンコンと靴が固い廊下を叩く音が聞こえてきた。そして、その音はこの部屋の前で止まる。
「入るぞ」
その声とともにガチャっと鍵が開けられる音がして、監視員が入ってくる。手にはご飯と鯖の塩焼きと味噌汁が乗ったトレーがあった。
「飯だ」
監視員はそう言いながら再度鉄の扉を閉めて鍵をかける。そして、ちゃぶ台の上にそのトレイを置いた。四九番はちゃぶ台の方へと行き、ちょこんと座った。ふわりと温かいご飯の匂いが鼻腔をくすぐる。
四九番はおもむろに箸を手に取って、役目を終えたと言わんばかりに部屋から出ていこうとした監視員に声をかける。
「行かないで」
その言葉に監視員が振り返る。彼を見る彼女の目は、とても静かだった。監視員は少し躊躇う素振りを見せた後に、ひとつ頷いて四九番の向かいに座った。
四九番は満足げな表情を浮かべ、箸を持って小さくいただきますを言う。
「さっきまで喚いていたとは思えない態度だな」
監視員が皮肉っぽく笑う。
「……急にあんなこと言うから。普通の人間の反応よ」
「普通の人間ね」
監視員の嫌味が混ざった呟きを、四九番は無視する。
「それよりも誰かと食べたの久しぶり。ねぇ、私ね、居場所がなかったの」
唐突な告白に監視員は驚くでもなく無表情で聞いていた。四九番は、ただただ話したいだけらしく、監視員の反応を少しも見ずに鯖の塩焼きを口に運ぶ。
「学校でも、家でも。あ、でもね、家の近くの公園だけ唯一私の居場所があったの。黒猫が一匹、住みついててね」
四九番はもぐもぐと咀嚼して、飲み込む。次は味噌汁を手に取った。
「でも、ついこの間その猫が死んじゃったの。公園の前の道路で車に轢かれたんだろうね、ボロボロになって死んでた。猫の命と私の唯一の居場所がなくなって、それから。命がこんなあっさり無くなるものなら、私も……死のうって思い始めたのは」
監視員は頷きもせずにただ、聞いている。
「最初はね、自殺する方法を調べたりするだけだった。それだけで、死にたいって気持ちが何となく無くなった。でも段々とそれだけじゃ抑えきれなくて。自殺するのは駄目っていうのは知ってたけど、分かってたけど……。そんな時に、とある自殺サイトを見つけたの」
ここから先は貴方も分かるでしょう。
四九番はそう呟いて、黙った。
「……ここに来るのはそういった奴らばっかだ。何しろ、自殺志願者しか来ない場所だしな」
「私みたいな人間もきっと、珍しくはないんだろうね。……ねぇ、臓器売買って儲かるの?」
四九番が鯖をご飯に乗せて食べた。
「そうだな……。お前は心臓の値段を知っているか?」
監視員の問いに四九番は首を横に振る。
「売る場所にもよるが、心臓はまぁ大体一千万前後だ。血液でさえ一リットル八万円くらいする。その値段を高いと思うか、安いと思うかは……まぁ人によるがな」
監視員がそれより、と言葉を続ける。
「明日は検査だ。臓器移植での拒絶反応を防ぐためのものだな。検査が終わり次第、お前は死ぬ。明日がお前の望んだ命日だよ」
「そう」
「随分と素っ気ないな」
四九番は最後の一口をぱくんと口に放り込んだ。
「ごちそうさま。……ねぇ、ちょっと考えてみたんだけど、貴方達のしていることって間違っているのかな」
自殺しようとした人の命を、生きたいと思う人に分けるんでしょう。彼女は言う。
監視員は黙って聞いていた。
「でも、正しいとは言えないと思う。どっちだよって話なんだけどね」
「……そうか」
監視員は少し俯いて、それから立ち上がり皿だけが残ったトレーを手に持つ。
「今日はもう寝ろ。明日、検査の少し前になったら起こしに来る」
監視員は、頷いた四九番を見て部屋を出た。
ガチャリと再び鍵をかけられた扉を見て、それから四九番はベッドに倒れ込む。ギギィっとベッドが音を立てる。先程まで寝ていたとは思えないほどに体が怠く、重い。
監視員のものであろう足音が段々と遠ざかっていく。親の罵声も、クラスメイトのひそひそ声も聞こえない。久々によく眠れそうだった。四九番は目を閉じた。
ぱちり、と目を開く。体を起こすとベッドがまた軋んだ。
「早いな」
扉についている小さな窓を見ると、やはり監視員がそこに居た。
「目が覚めたから」
「じゃあ、少し早いが検査に行くか。ちょっと早まったくらいで特に問題は起こらないし」
その提案を却下する理由も無く、四九番は頷く。
「じゃあ」そう言って監視員はガチャリと解錠し、鉄の扉を開く。「出てこい。ちなみに逃げようと思っても無駄だからな」
「逃げる気なんてない」
彼女はベッドから降りて、部屋の外へと出る。部屋の外にも、床、壁、天井が真っ白な廊下が続いていた。部屋のすぐ近く、監視員の立つ横には椅子と机が置いてあり、ここで四九番を監視していたのだろうということが分かる。
「ここを作った人は白が好きなの?」
「さぁ、知らん。こっちだ、ついてこい」
そういってスタスタと監視員は歩き始める。四九番はそのあとをついていった。
監視員の靴の音と四九番の裸足で歩く音だけが聞こえる。
突き当りを曲がると、また同じような廊下が続いていた。
「ねぇ、どうしてこの仕事してるの」
四九番の質問は唐突で、監視員はすぐに答えることができなかった。
「……強いて言うなら生きるためだな」
「そう」
「自分から聞いておいて、興味無さそうな返事だな」
そんなことない、と四九番が答える。
「聞いといて何だけど、どう返していいのか分からなかっただけ。ちょっと気になったの。どうしてこの仕事をしてるのかって」
監視員はそれには何も答えずに、ここだと言ってある部屋の扉を開ける。
「連れてきたぞ」
監視員は四九番の背中を押して、部屋の中に入れた。
部屋の中は所狭しと言わんばかりに様々な機械やベッドが置かれている。それらのほとんどは、病院が舞台になるドラマでよく見かけるようなものだった。
「あらぁ、あと十分くらいは来ないものだと思ってたけど、早かったのね」
その機械群から少し離れたところ、白い長机で何か書いていた女性が顔を上げて言う。
「こいつが早く目覚めたもんでな」
「この子が四九番? 若いわねぇ。さ、こっちにおいで」
彼女はペンを置いて立ち上がり、部屋の奥の方へと向かおうとする。四九番はすぐにはついていかずに、ちらりと監視員の方を振り返った。
「……監視員はここに連れてくることまでが仕事だからな。検査は検査員の仕事だ」
監視員が、女性の方を指さして言う。
「そそ。そして私がその検査員ってわけ。ってことで、こっちにおいでぇ」
検査員が手招きをする。四九番は少しだけ監視員の方を見てから、検査員の方に向かった。
検査員は数台ほどあるベッドのうちの一つへと行く。四九番はその後ろをついていった。
「はーい、今からこのベッドの上で一日中寝てもらいまぁす。薬で眠ってもらうから、寝起きでもぐっすり寝れると思うよぉ。何か質問あるかしらぁ」
語尾を伸ばしたその言葉に四九番は首を横に振る。
「おっけぇおっけぇ。じゃあ、この上で横になってね」
言われるがままに四九番は横になった。
「ちょっと薬の準備するから待ってねぇ。意外と早く来ちゃったから準備まだだったのよ。こうやって寝かせないと検査中に暴れちゃう子がいてねぇ。自殺願望があっても最期というのはやっぱり怖いのかしら」
検査員は分からないわぁと呟きながら、小さな箱に入っている注射を取り出した。
「それに対して、あなたは大人しいから助かるわぁ」
「そうかな」
「そうよぉ。暴れる子は監視員の手を借りたりして無理矢理押さえつけて注射しないといけないからねぇ」
検査員はげんなりとした表情で言う。
「この仕事、好きじゃないのね」
「そりゃあ好きじゃないわよぉ。でもね、生きていくために嫌いなことをやらないといけない時もあるのよぉ」
それだけの話。そう言って、検査員は注射を持ってこちらを向いた。
「さ、準備終わったから注射するわよぉ。チクッとするけど我慢してねぇ」
言い終わるや否や検査員がプスリと四九番の腕に注射の針を刺し込んだ。
段々と瞼が重くなる。世界が黒に包まれた。
夢を見る。
ずっと昔、今は亡き姉と両親と一緒に花見に来た夢。桜がひらひらと舞う。家族みんなが笑顔になる。
夢を見る。
家族で見に行ったあの桜は随分前に切られてマンションが建っている。隣で笑っていた姉は遺影の中で笑っている。母が私に姉を求める。父は見て見ぬ振りをする。
そんな、夢を見た。
「起きたぁ?」
目を開けると検査員がこちらの顔を覗き込んでいるのが見える。
「そんなぼけーっとしないのっ。もう夕方よぉ? もう残り少しなんだからシャキッとする!」
その言葉に四九番は目を擦り、ベッドから起き上がった。
「この部屋の外で監視員が待ってると思うから、行ってきなさぁい」
検査員が扉の方を指さした。四九番はそちらへと行く前に自分が寝ていたベッドのシーツを整えようとする。
「ほーら、こんなこと私がやっておくから早くいってきなさい?」
「あっ」
検査員がそう言いながら、彼女が整えようとしたシーツを取り上げた。四九番はペコリとお辞儀をして、扉の方へと向かう。
「……お辞儀されることなんて、何もしてないのにねぇ」
検査員がそう呟いたのは、四九番が部屋から出ていった後だった。
途方もなく長く感じる白い廊下を二人は歩いていた。
「検査も終わったし、これからお前は予定通り死ぬ。まぁ、お前の予定からは一日遅れたかもしれないが」
「……そっか」
監視員から告げられる事実に四九番は頷いた。
四九番も、監視員も、何も言わなかった。その沈黙を先に破ったのは彼女の方だった。
「一つ、言ってもいい?」
「なんだ」
四九番は少し息を吸って、そして言う。
「私、考えてみたんだけど、あなたたちのやり方はあっているとは思えないの。でも、捨てるつもりの命が誰かの中で生きるのはいいことだと思う」
監視員は少し俯く。それから、そうかと一言だけ返した。それは、とても弱々しい声だった。
しばらく経って、白い廊下の先に待っている死の気配が強くなった頃、監視員が再び口を開く。
「この先に人が待っている。その人にお前を引き渡せば俺の仕事は終わりだ」
そう言って、廊下の角を曲がった。二人の人が見える。彼らが監視員の言う人であろう。
彼らに一歩一歩、近づいていく。
「じゃあ」
待っていた二人組の前まで来た時、四九番が監視員の方を見て言う。
「ああ」
監視員は、彼女がこちらを向いているということを知りながら、しかし俯いた。
一秒、二秒、三秒。監視員が俯いていたのはきっと少しの間だった。しかし彼が再び顔を上げたとき、再び彼女の顔を見ることは叶わず、代わりに見れたのはしっかりと自分の足で死に歩いていく彼女の背中のみだった。
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