千年王国

織部健太郎

千年王国

「次の方、どうぞ」

 白一色の壁、カーテン、医師の服、周りのものがほとんど白で統一されているなかに柄物を着た少年が入ってきた。

「えっと、中野ユウスケ君ね」

 白マスクの女性がモニターでカルテを確認する。

「は、はい」

「じゃ、そこに座って」

 灰色の像が少年のシャツの胸で鼻を高々と上げていた。少年の表情とは正反対に実に楽しそうだ。

 女性は緑色の液体が入った円筒状の筒を保冷機から一本出した。

「はい、ユウスケ君。これを飲んでくれるかな?」

 少年は手渡されたそれをじっと見た。

「あの、せんせい……これってまずいんでしょ?」

「そうねぇ、美味しくはないかも」

 ムーっと唸ってから一気に液体を飲み込んだ。

「にがいよぉ」

「えらいえらい。えらいねぇ、ユウスケ君。よく飲みました!」

 あまりのまずさに口元が歪んだままの少年に微笑みかけながら、その短めの髪を撫でた。

「せんせいもこれのんでるの? おとうさんもおかあさんものんでるって言ってた」

「そうね、私も飲んでるわよ。ユウスケ君は初年、つまり初めてだから今度からは半年に一度飲まなきゃね」

「えぇー、やだぁ」

「でもね、大人になるためには飲まないといけないの。おいしくは無いけど、お注射よりいいでしょ?」

 女性が腕に注射器を当てるジェスチャーをすると少年は激しく首を振る。

「ぼく、ちゅうしゃはいや」

「だよね。うん、私も苦手」


 幾つもあるモニターのひとつにモノクロの少年と女性が映っていた。

「……このようにURT液の定期的な摂取が必要です」

「そのURT液を飲まないとどうなる?」

「死にます」

 白髪の混じった頭を回し若い男を見た。濃紺のスーツに青いネクタイを締めた若い男は眼鏡の端を押し上げる。白髪混じりの男はグレーのスーツの襟を正した。

「よくできている、と言うべきか」

「お褒めに預かり光栄です、首相」

 白髪混じりの男、首相はモニターに視線を戻した。すでに少年は消え、別の者が緑色の液体をあおっている。

「首相、こちらへどうぞ。主任も十二時間前に目覚めましたので」

 首相が軽くうなずくと若い男は歩き始めた。

 ふたりは同じ棟の四十階下へエレベーターで向かう。四十階も降りるわけだが、表示は三桁のままだ。首相は無言でカウントダウンされる数字を見ていた。

 若い男が立ち止まったのは重そうな木の扉の前、黒光りする扉を開けて首相を入室させると若い男はそのまま消えた。明るい部屋に一人の男、髪の薄い男がいた。スーツのうえに白衣を羽織っている。

「首相、お待ちしておりました」

 首相はソファーに深く腰をおろす。壁面の大きなパネルがよく見える位置だ。

「お疲れですか?」

 首相が低く応えると白衣の男の表情も曇った。

「二百年間の睡眠は前回よりも疲労が大きいようですね」

 左手で対面のソファーを示されて白衣の男は、失礼します、と一言発し、座った。

「村上君、さっき見せてもらったよ。何か新しい管理体制ができているようだな」

「はい、私も目覚めてから知りました」

「URT液、とか言ったか。あれも君の計画書にあっただろうか? 冬眠明けでどうも記憶が曖昧でね」

 こめかみの辺りをさすりながら首相は目を瞑った。

「もちろん計画書に明記してあります。現在の状況は想定範囲内です、首相」

 首相の視界が戻った時、どんな早業か村上はテーブルにふたつのコーヒーカップを置いていた。

「お、ありがとう」

「眠気覚ましにはこれが一番ですから」

 首相がカップを傾げてから村上もカップを口に運ぶ。

「それにしても、あれだ。国民が納得してくれて助かったな」

「はい」

「千年王国計画も理解あっての事。あの天災で我が国も含め甚大な被害を被って……今年で何年目だ?」

「ちょうど五百年目になります」

 村上の応えに、そう五百年、と頷く。

「復興には長い年月が必要だった。苛烈な環境に耐えながらだ」

 首相はカップを右手にとって一口飲む。村上も一口飲んだ。

「君が提案した千年王国計画。国民を眠らせ、培養ドローンで穴を埋める。長期にわたるであろうインフラの最適化、復興までの治安安定化を実現する。……とはいえ、秩序が乱れた世界だったから法案もすんなり通った。ま、天災のおかげでもある。ん? お?」

 クタッとテーブルに手をついた首相、彼を見下ろす村上は知っていた。〝天災〟と呼ばれる災害の真実を。〝天災〟とは大規模地震と地上に存在する火山の急激な活性化、噴火、舞い上がった粉塵による日光遮断、約五年の擬似氷河期の事だ。

 眩暈に襲われどれほどかの時間首相は動けなかった。首相の気付けになったのは村上の声だった。

「お加減は相当に悪いようですね。すぐに診察致しましょうか?」

 眼を閉じたまま小さく首を振る。

「いや、必要無い」

「そうですか」

 村上の返す言葉は極めて事務的だった。首相は知らない。その時の村上の表情を。

 ゆっくりと眩暈が治まると首相は頭を上げた。

「村上君、現在の状況は?」

 村上はやや背を正した。

「はい、我が国の総合順位から報告致します」

「あぁ、頼むよ」

 村上は小型端末を懐から取り出すと、壁面の大きなパネルに多くの数字、グラフを表示させた。それらの説明をしてから街中の映像に切り替える。天災以前の世界に酷似したビル街をスーツの男女が忙しく行き交う。

「先程の職員、向井君がお伝えしたように我が国以外の復旧率は低く、あらゆる面で我が国が地上一位です」

「そうか、我が国がトップ。そして、私はその国の首相か。悪くない」

 繰り返される報告に首相は御満悦だ。緩んだ口に残りのコーヒーを流し込む。

「ドローンはいい。丈夫で強く、よく働くわりに粗食でもかまわん。何より逆らわんのがいい」

「仰る通りです」

 村上は我が子を褒められたかのように顔をほころばせると、おかわりを入れましょうと立ち上がり、隣の部屋に一度消えすぐに戻って来た。

「いただこうか」

「どうぞ」

 村上は腰をおろし、端末を再び手に取った。

「次の報告に移ってよろしいでしょうか?」

「あぁ、頼む」

 首相の言葉を待ってから村上は端末を操作した。先程よりもさらに多くの数字、グラフが展開され、村上はそれらをやはり短い言葉で説明する。パネルは緑地の映像へと変わり、脇に小さな地図が映される。地図は緑色のグラデーションがかかったように色分けされていた。

「地上の環境についての報告です。擬似氷河期によって失われた植物資源の回復度は緩やかながら上向きです。これにより、大気浄化に要する期間も短縮されます」

「雨降って地固まる、か。天災のおかげで環境問題もこんな形で解決できるとは。つくづくわからんものだな」

 ひとつ咳払いをして村上は続ける。また同じように数字、グラフが表れ、映像に変わった。

 崩れた土壁、壁に付いた茶色のシミ、シミの下には頭が潰れた人の死体があった。無染色の麻らしき生地でできた簡素な服を着て、右手には棍棒を握っている。そんな光景がパネルの中に溢れた。砂塵が喉を擦りそうなほど、ほこりっぽい世界だ。しかし、首相の表情が曇る事はない。緩んだほどだった。

「他国の情勢を報告します。かつての国境付近での紛争は依然続いています。それらにより各国の復興率も低迷しているため、機動戦力を備蓄温存してきた我国の地位は軍事力においても揺るぎません」

「これは〝あの工作〟の成果なのか?」

「そうです。工作員達は日夜尽力しています」

「よしよし」

 再び端末を操作すると、これまでで一番簡素な数字、グラフが提示された。極々短い説明ののち映像となる。学校、職場、家庭……日常の風景が淡々と流れる。

「ドローンとドローンの作業状況について報告します」

 一拍おいて村上は続ける。

「現在、国内ドローン率はほぼ百パーセントです。治安良好、国内インフラは千年王国計画開始以前のレベルを超えました」

 首相は今日一番の笑顔をつくる。

「そうかそうか、ついに千年王国計画は第二期に移るわけだ」

「はい、今日を境に我が国は生まれ変わります」

 冷めたコーヒーを飲み干した直後、また首相の脳に強い眩暈が居座った。握力が抜け、カップはソファーから床へと転がる。

「どうやら、今日は体調が悪い……」

 首相の言葉が途絶えた。村上は端末を懐に戻して内線に向かった。


 首相は重い頭痛と共に眼を覚ました。仰向けに寝ているようだ。消毒液の匂い、何か金属同士が触れているような高い音も聞こえる。瞼を開けたが、まぶしい光が視界を遮る。起き上がろうとしたがなぜかそれはできない。

「あぁうぅ」

 言葉もうまく出ないようだ。

「おや? 起きてしまわれましたか。美味しそうに充分な量の薬を飲んでいたはずなのに。寝ていたほうが楽だったと思いますよ」

 村上の声がそう告げた。首相は何とか言葉を発しようとするものの、出るのは声だけだった。

「休眠が長かったせいで薬の効きが甘かったのかもしれないな?」

「主任、どうしますか?」

 若い男の声が聞こえた。首相はその声に聞き覚えがある。

「向井君、気にする必要は無い。素材の覚醒、不覚醒は抽出に影響無いからね。いや、むしろ覚醒状態での抽出のほうがコンマ3パーセントほどの増量効果がある、といったデータもあるんだ。喜ぶべきじゃないかな、これは」

「そうですね」

 光にも慣れてきた。身体を固定されいるらしく、首相は唯一自由のある首を浮かせて周りを見渡した。

 白衣にマスクの村上以下四名、首相もうちふたりは知っている。少年に緑色の液体を飲ませていた女性、それとそれを見せたスーツの男だ。大きなマスクを着けているため、細かい表情は読めない。

「むー、むーらー」

「はい、私ならここにいますよ」

 口のまわらぬ首相に村上の声が応える。

「なーなーにーをー」

「何をしているか? ですね。順を追って御話します。どうか、リラックスして聞いてください」

 先にこれを解け、と首相は言いたかったようだ。村上の声はそれを知ってか知らずか続ける。

「まず、〝あの天災〟は天災ではなかった。貴方を含めた一部首脳達の陰謀。衛星電磁波兵器による局地攻撃だった。被害があたかも天災であるかのようにみえる卑怯な武器だ。標的は当時グングンと経済成長していた将来有望な国々」

 語りながら何かの器具を右手で指揮棒のように振っている。

「ところが、どかーん! 失敗した。当然、試験運転などしていなかったのだから、何が起きてもおかしくなかったわけだ」

 村上の声を聞きつつ、向井達はカチャカチャと器具を触っている。

「衛星兵器は制御を失うとあちこちの火山を刺激。世界的な大規模災害の発生となった。したたかな首謀者達は批難からうまく逃げた。逃れた。なかでも最も喰えないのが貴方だ。管理しやすいドローンと全国民を入れ替えてしまった。復興の苦痛から逃れたいという国民感情をうまく利用した。千年王国計画をよく吟味もせずに……」

「主任、特別抽出の準備が整いました」

「わかった」

 首相はカタカタと震えていた。身に降りかかろうとしている危険に気が付いたようだ。

 短く唸った。

 村上の声は首相の質問を代弁した。

「私達が生きるために、貴方達に協力してもらうのですよ。貴方からURT原液を抽出します」

 ひきつったまま首相の顔は固まる。

「藤井君、素材から採血。血中URT値をだしてくれ」

「はい、すぐに」

 あのモニターの女性が答えた。藤井は首相の左袖をまくると注射針を皮膚に沈める。

「大丈夫、痛くないですよー」

 噴出した汗が額から耳のほうへ流れる。

「約八年前からドローンのURT体内生成能力が落ちてきまして、それからはこうやって旧人類を起こしては抽出しているのです。休眠状態ではURT原液はほとんど採れませんから。もっとも、貴方は特別です。直接私達が作業しますよ。ん、数値が出たか」

 藤井は計器を示すと室内の誰もが驚いた。

「旧人類研究員達とは桁が違う」

「政治家は体内組成からして政治家なのか」

「計測最大値では?」

「村上教授のほうがわずかに上だったろう」

「村上教授と比べるな。教授に失礼だ」

 村上? 村上はここにいるじゃないか。そうか、恐ろしげだが死ぬわけではないのか。そんな首相の考えを見透かしたように村上の声が告げる。

「村上教授は亡くなりましたよ。監視覚醒の際にドローンの異常に気付き、代役の私を作ってから自ら最初の素材となった」

「主任、はじめましょう」

 向井が言う。

「URT値が高いうちに抽出しましょう」

 藤井が言う。

「よし、はじめよう」

 主任が言う。


『次の方、どうぞ』

 白一色の壁、カーテン、医師の服、周りのものがほとんど白で統一されているなかに柄物を着た少年が入ってきた。

『えっと、中野ユウスケ君ね』

 藤井がモニターでカルテを確認する。

『こんにちはせんせい』

『はい、こんにちは』

『きょうもにがいおくすりのむの?』

『そうよー。えいやっ! って飲んじゃおうね』

『うん、がんばる』

 幾つもあるモニターのひとつにモノクロの少年と藤井が映っていた。

「……このようにURT液の定期的な摂取が必要です」

「そのURT液を飲まないとどうなる?」

「死にます」

 白髪頭を回し若い男を見た。濃紺のスーツに青いネクタイを締めた若い男は眼鏡の端を押し上げる。白髪の男はグレーのスーツの襟を正した。

「よくできている、と言うべきか」

「お褒めに預かり光栄です、大臣」

「で……首相は確かに亡くなったのだな?」

「はい、半年前に」

「そうか、そうか……ふふ、なるほど」


 重そうな木製扉の部屋、壁面のパネルで大臣と向井の様子を見ている男が呟く。

「政治家を搾り尽くしたら次は旧国民。……ついに私達国民{ドローン}の千年王国がはじまります、村上教授」


 了





2005


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