トナカイの夜 改訂版
織部健太郎
トナカイの夜 改訂版
俺は包丁装備のサンタルックで平屋の一軒家に押し入った。強盗というやつだ。クリスマスイブだというのに、その家に男はいなかった。これ幸い、と女を脅し有り金全てと金目のものを掻っ攫い黒いドラムバッグに放り込んだ。しかし、隣室とのふすまが開き、
「ママァ、どうしたの?」
「健二!」
女の青い顔は紫に変わる。俺も相当に焦っていたらしく、間抜けにも、
「ぼ、僕、こんばんは……」
「あれ? サンタさん? サンタさんじゃん!」
自分でも何に怯えたのかわからない。とにかくその時は包丁を後ろに隠した。そうしなくてはいけない気がした。
「そ、そうじゃよ。俺いや、わしはサンタクロースじゃ」
とっさについた嘘、すぐにでも逃げ出したかった。
「すっごいっ! サンタさんだ! ママ、ほらサンタさんだよ! うちにも来たよ!」
なぜだか自分が酷く惨めに思えた。幼い頃の万引きよりも、虐められ続けた学生時代よりも。
「サンタさん……もしかして、僕にもプレゼントあるの?」
完全に信じきり近寄る幼い瞳、殺気を放つ母親の視線、この時俺は完全に混乱していた。
「け、ケンジ君? プレゼントはね、外、外にあるんじゃよ。案内するから一緒に来るかい?」
行かないと言え! そうすれば俺はここから逃げられる!
「ママ、行っても……いい?」
さらに近寄ると俺の左袖を掴んでケンジは振り向く。その首をコンマ数秒で突き刺せる位置に、右手の包丁があった。
「い、いいわ。さ、サンタさん、わかってるわよね?」
この後ろには「アンタは許さない」と続くのだろう。あの状況では俺でも同じ返事をしただろうと思う。息子を盾にとった卑劣な強盗を、憎々しげにも逃がす他なかったのだ。
ほんの一瞬、居間から出る直前、部屋の奥に赤いリボンのかかったカラフルな箱が見えた。見たくなかった。
「サンタさん、トナカイさんは?」
「トナカイは……お休み中じゃよ」
「サンキュウ?」
「サンキュウ? あ、産休? そう、そうそれじゃ」
ラジオが流れる。えらくパステルな曲目、陽気な語り、車内にクリスマス色の音が充満していた。苦い空気だ。
あれからすぐにケンジを連れて逃げた。なぜ連れて来たのか……俺は馬鹿だ。
「トナカイさんもサンキュウなんだね。中村先生もサンキュウだって」
「ほ、ほぅ、そうのかい」
産休なんてどうでもいい。中村先生も関係ない。ケンジをどうするか、それが一番の問題だ。
適当にその辺で降ろしてしまおうか、と考えた時、
『今夜はホワイトクリスマスになりそうですよ、吉田さん』
『まぁ、素敵ですね』
素敵じゃない! 雪だなんて、ケンジが風邪……いやいや、最悪凍死って事もありえる。なんせこいつはパジャマ姿だ。絶対もたない。かといって、おそらく唯一の暖かい場所、コンビニには防犯カメラがある。どうする?
「サンタさんはおしゃべり嫌い?」
「え? なんでそう思うんじゃね?」
「だってお話してくれないんだもん」
ハンドルを握る手よりも、どんな話をすればいいのか、そっちに集中する。
「お父さんはどうしたのかな?」
ポッと浮かんだ事を口に出した。
「お仕事」
「そうかい」
って、おい! もう話題が切れたよ。伸ばせ、このネタで引っ張れ!
「お仕事が忙しいんじゃなぁ。働き者のお父さんなんだねぇ」
言ってから気がついた。クリスマスイブに仕事で留守? 元から親父がいない俺にはピンと来ないが、それって子供にとっては寂しいんじゃないか?
「でも、パパは……ホントは……ケームショにいるって……」
は? なんだって?
「ゴウダ君とかオオカワ君とかが……言ってた」
ちょっと待って! 待ってくれ! なんだよ刑務所って?
「パパ、悪い事して、ホントは」
「言うな! ……ごめん、言っちゃいけない。そんな事言っちゃいけないよ」
俺が怒鳴らなくてもケンジは泣いていたのかもしれない。車を街灯の下、路肩に止めた。後部座席に投げてあった俺のボア付きジャンパーを着せる。
「お母さんはなんて言ってるの?」
「お仕事、って。お仕事で遠くに行ってるって」
「そう、それじゃお母さんが正しい。ゴウダ君もオオカワ君も本当の事を知らないんだよ」
「ホント?」
「本当さ。……本当じゃよ。サンタクロースは嘘をつかないんじゃ」
「ホントに、ホント?」
「本当に本当に本当じゃよ」
真実は知らない。これは俺のエゴだ。でも、今なら俺はどんな嘘でもつける。そう思った。
「パパ、昨日のクリスマスに帰って来るって言ってたのに……でも、帰って来なかったのに?」
今日、クリスマスイブに帰るはずだった、って事か。
「ケンジ君、お父さんの名前はなんていうんじゃね?」
「ツルタケンイチ」
確かに表札はそんな名前だった気がする。
「おぉ、思い出した! あのケンイチ君か。ケンイチ君はいい子だったから毎年プレゼントを持って行ったものじゃ。あのケンイチ君が悪い事などするはず無いぞ」
「サンタさん、パパを知ってるの? そっかぁ、パパはやっぱり悪くないんだ」
相づちうを打とうとしたのだが、その必要は無かった。静かに寝息をたてはじめていたからだ。
鶴田家に着くとすぐに警官が車を囲んだ。開けたドアから入ってきた手に掴まれ、殴られるように突き転がされた。チリチリと冷たく、コツコツ痛い手錠をかけられる。
「ひとつだけ、教えてください。旦那さんは今どこに」
母親に向かって投げた言葉は左の頬へ拳で返ってきた。女だって本気の時は拳を使う。
「健二君は虐められているんです。お父さんが家にいないから」
アンタには関係ないでしょ、と次は平手を貰ったが、
「単身赴任。函館よ。年末には帰って来るわ。……半年ぶり」
乗ったパトカーの窓から、喧騒の中でもぐっすりと眠り起きる様子のない健二を見た。救われた気がした。
「よかったじゃん、健二。俺は赤鼻のトナカイと一緒に行くよ」
赤く明滅する町並みに白い粉雪が降る。強盗誘拐犯にはもったいない夜だった。
了
2004
トナカイの夜 改訂版 織部健太郎 @kemu64
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