湯気の行く先は
傘磯 吸
第1話 キヨミの湯
空から太陽が降り、黒めがちながらも僅かに、明るい繁華街に立ち並ぶ店。
それらに連立して看板や建物そのものから煌々と輝くネオン。
疲れた顔をして、その光の下に群がる者。
目的の無いまま唯只管に彼らの首根っこを探り、獣のように狙う若造達。
働き終えた者、働き終えた者達を餌とする者達が、日常を紛い物と幻惑させるK町に、薄ら暗く、しかしながら他の建物とは一線を引いた、店看板だけは割と新しいながらも腐れかけた木造の建物の銭湯がそこにあった。
所謂 “飲み屋”が立ち並ぶ繁華街に比べ、時代に取り残されているコンクリートで造られた煙突が目立つ、その街並みと逸するキヨミの湯は、疲れ終えた者達が一日の溜め息を全て吐き出す休息場としている一銭湯である。
引き戸を開け、装備を脱ぎ、生まれたての姿を晒し湯に浸かる。湯から放たれる湯気に一日の思いを馳せ終えた後、十分すぎるほどに冷えた珈琲牛乳で日常の汚れを削ぎ取る。
近頃、街の再開発の為、景観維持の名目の元、立ち退き業者が辺りを歩いているのを見かけるが、日常という名の激戦区から安息の地を辿る者にとっては、昨今の非日常であり、その者たちにとっては数少ない憩いの場であった。
「お疲れ様」
日常の戦士にそっと激励を添える、か細く優しい声をした清は、この非日常の銭湯に駐在している唯一の看板娘である。
日常の戦士からは、この八十を超えたにこやかな老婆の一言が、口をへの字にした者に明日の活力を与えると巷では有名であった。
キヨミの湯の来客は、先ほど伝えた戦士とそれを狙うハイエナが過半数である。朝の九時から夜の十一時までが通常の営業時間である。キヨミの湯にとっては両者はどちらも平等な客であった。そんなキヨミの湯には夜中の二時から一時間のみ、丑三つ時の営業時間が存在している。
キヨミの湯には通常の銭湯にある男湯女湯に加え、“魂湯”なる風呂があった。魂湯の入り口には札が十数枚貼り付けており、その常人が知りもしない風呂場は、通常の客には知りもできない隠し扉にあった。キヨミの湯には幽霊が出入りする幽道が存在し、魂湯がそれにあたった。
「しーちゃん、おはよう。お湯は沸かしてあるからね」
深夜の一時半になる頃、清はキヨミの湯の二階に上がり、丑三つ時の番頭に朝の挨拶をかけた。清から“しーちゃん”と呼ばれている孫の汐実は、番頭には珍しい、若干二十一歳の男であった。
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